過去の遺物
ナツメ
第1話 コルチカム
毒草師 一
コルチカム
仕事帰りだった。
珍しく陽のあるうちに地元の駅に着き、ぶらぶらと商店街を歩いていた。数週間前にテレビが取材に来たといって、近所の小学生が騒いでいたのを思い出す。サラリーマンの傍ら、土曜日だけの書道教室を開いているが、子供たちの話には、なかなかに面白いものも混ざっている。
最近の話題で興味をそそられたのは、都市伝説めいた「死なせ屋」という話だった。とおりの向こう側にある大きな有料庭園のあたりでは、最近見知らぬ男がぶらぶらと歩いているらしい。子供たちから見たら十分にミステリアスなのだろう、いつの間にか「誰かを待っている」から「誰かが死ぬのを待っている」と、話は飛躍し、とうとう「誰か殺せる人を探している」となっていった。
それではただの殺人者だと言いたかったが、子供の話に意見を入れたところで冷たくあしらわれるのがオチだ。そもそも、子供たちだって作り物めいた話にどれだけ尾ひれをつけられるかを楽しんでいるのだろう。今日び、子供たちは十分に現実的だ。
「嶋沢(シマサワ)の孫か」
急に呼び止められ、思わず背筋を伸ばした。
「直喜(ナオキ)のじいちゃん。その孫ってのやめてよ。もう二十四なんだからさ。泰司(タイジ)だよ。泰司」
「お前こそ直喜のじいちゃんと呼ぶのをやめろや。十一郎だわ。なぜか 九番目の子供だったがな」
物心ついたときから、何度聞かされたかわからない彼の名前の不思議に苦笑して、泰司は十一郎の荷物を受け取った。十一郎は泰司の家の向かいに住んでいる。今年の一月に無くなった泰司の祖父と、疎開先まで一緒だったという幼馴染だ。
「お前のところにギョウジャニンニクが生えてるだろう。あれは炒めたら絶品でな。ちょっと寄らせてもらおうと思っとった頃合じゃ」
「へ? にんにく? そんなん生えてたかな。庭、荒れ放題だぜ?」
「そんなことだろうと思ってはおったさ。なに、見りゃわかる。このまま邪魔するぞ」
そういいながらさっさと泰司の前を歩き、勝手知ったる様子で門を開けると庭へと入っていった。
祖父の家で育った泰司には、十一郎もまた祖父のような存在だ。後を追いかけて庭へと入る。庭は言葉どおり、荒れ放題だった。
ある程度は雑草も取り除いている。問題はこの庭を丁寧に管理していた祖父の薫に比べ、泰司の知識が少なすぎることだった。はっきり言って何が雑草で何が植えられたものなのかがわからない。結果、あまりにも伸びすぎたものだけを、雄雄しく引っこ抜くということしかできていないのだ。
十一郎は大仰にため息をついてから、地面のあたりを探し始めた。すぐに目当てのものは見つかったのだろう。しゃがみこむと何かをむしり始める。
泰司は台所からざるを一つ持ってくると、十一郎に差し出した。
「おう。気が利くな。うちのにこれの炒め物を作らせたら、右に出るものはおらん。って、林子(リンコ)も初めて作るんだがな」
勝手にげらげら笑いながらざるを満たすと、十一郎は八十を越えているとは思えない機敏な動作で立ち上がった。膝についた泥をはたくと、にやりと笑う。
シルエットのきれいなジーンズは、素材と伸縮性に頭を悩ませながら、泰司と幼馴染の直喜が贈ったものだ。孫の直喜とその友人からのプレゼントは、十一郎の同年代の友人からは苦笑ものだったが、本人はいたくお気に入りだった。そもそも、直喜のジーンズも泰司のスニーカーも、ちょっと気を抜くと、すぐにこの爺さんの私物になってしまう。しかも微妙に目が肥えているらしく、しっかり高値のものを選ぶところがたちが悪い。
「今度の休みにはちょっとは手入れしてやれよ。せっかくの庭が台無しだ。そういや」
十一郎はそういいながら、パンツのポケットから一枚の紙を取り出した。
クリーム色の紙には、黒の模様が書かれており。中心には地図が書いてある。
「角の何とかってえチェーンの花屋にあったもんだが。植物でお困りの方はってあったからついつい持ってきちまったんだよな。うちの二階からは通りを隔てた荒れ庭が良く見えてな」
「うるさいな。わかってるよ」
泰司は唇を尖らせてその紙を受け取った。手のひらで十一郎を追い出すと、玄関に回るのも面倒くさくなって、縁側から家へと入る。
スーツだけは何とかハンガーにかけたが、ワイシャツは床に放り投げて、朝脱ぎ捨てたジャージのズボンを履く。四月になったとはいえ、まだ夜は肌寒い。ちらりと視線をさまよわせ、座椅子の背もたれにかけてあったカーディガンを羽織った。その時、どさりと音を立てて鞄が倒れた。革の鞄は大学に入ったときに祖父が誂えてくれたもので、店頭に並んでいるビジネスバッグよりも幾分大きいものだった。しかしファスナーなどがいかにも細工物という手のかかったものだ。泰司は鞄を持ち上げて座椅子と文机の間に鞄を入れた。丁度鞄の側面に金色で焼きいれられた「島沢」の文字が、泰司の目に映る。そろそろワックスを塗ってくれとでも言っているようだ。
チラシをテーブルの上において、泰司は畳に寝転がった。日差しも傾き始めたこの時間に眠くなるのは珍しいことだったが、なんだか今日は眠くて仕方が無かった。ここのところ、らしくなく残業続きだったのだ。
どのくらい寝ていたのだろうか。途中向かいから夕飯の一皿がやってきたのは覚えている。受け取りはしたものの、食べずにまた寝転がっていた。目が覚めたときには脱いだワイシャツを足に絡ませていた。指先もだいぶ冷えていたので風邪でも引いたかと思ったくらいだ。暗い部屋に電気を点し、両腕を抱えながら見上げた時計はもう少しで日付をまたぐところだ。
「さすがに寝すぎた。冷えたかな、こりゃ」
言いながらコーヒーでも飲もうかと、台所へ足を向けたそのとき、けたたましくチャイムが鳴らされた。すぐに玄関扉を叩く音がする。
何事かと思って一瞬じっと玄関扉を見てしまったが、すぐに相手に思い至った。外で自分の名前を呼んでるのは。
「リンばあちゃん!?」
ただならぬ様子にあわてて玄関の明かりをつけて、裸足で玄関扉を開けた。
「どうした!?」
「な、何か、いけなかったんだよ。あの人、ずっと苦しそうで……!」
いつに無く狼狽した様子の林子婆さんは、泰司の袖をぐいぐいと引きながら、十一郎が大変なのだと繰り返した。
「直喜は? 直喜はいないのかよ」
「家族で、いとこの結婚式に」
そういえばそんな話をしていた気がする。小さく舌打ちして、泰司は裸足のまま通りを横切った。
異変はすぐにわかった。十一郎の家は玄関脇にトイレがある。そのトイレで倒れているのが十一郎に違いない。
「ばあちゃん、救急車呼んで。大丈夫だから。俺も行くから」
なるべくゆっくりと言葉を区切りながら、何とか林子を頷かせる。泰司は、うつ伏せのまま苦しげにうめく十一郎の肩を軽く叩いた。
「じいさん。救急車呼んだから。俺の顔、見えるか?」
「す……まん。おま、えは……平気、か?」
「俺? 大丈夫だよ。何で……」
泰司ははっとした様子で振り返った。林子が居間で受話器を抱えたまま蹲るのが見える。
「じいさん。ちょっと頑張れよ。いいな」
返事も聞かずに立ち上がり、居間へと走りこむ。林子の背をさすり「吐いちまえ」といって受話器を受け取った。思いつくのは、あの草だ。
幸いにして、二人は翌朝にはベッドの上に体を起こし溜め息をつくくらいには回復していた。
「すまんかった。お前が食わなかったのがせめてもの救いだ」
十一郎はがばりと頭を下げた。隣のベッドでは涙ながらに頭を下げる林子の姿もあった。
「やめてくれ。本当に嫌なんだ。じいちゃんもばあちゃんも、もうこれ以上謝らないでくれ」
泰司は二人の顔が見れなかった。二人はずっと謝っているのだ。泰司の家に差し入れられた一皿にも、イヌサフランという草が入っていた。ギョウジャニンニクと似た葉をしているらしいが、毒性を持った植物だという。二人が食べた量をあわせても足りないほどの泰司への差し入れは、二人の愛情の表れだ。しかしそれが毒をもつとなると。
「いや、先生も言っとった。あれを全部食べてたら、お前はもっと重篤な」
「食べてないよ。寝てたから。食べてないんだ」
泰司は俯いた。実の祖母が亡くなったとき、泰司は家に一人きりだった。苦しむ祖母の姿が目に浮かぶ。翌朝、祖母の亡骸と対面した祖父の顔も覚えていた。そして、その祖父はやはり泰司の目の前で血を吐いて倒れたのだ。肺がんだった。
「も、やめろよな。そんなの、俺、耐えられないからな」
あの庭は、どうにかしなくてはならない。十一郎や自分は大丈夫でも、近所の子供が入り込んだら?猫が口にしたら? だんだんと気分が悪くなってきた。同時に、祖父の愛した庭を壊してしまうのも気が引ける。
病室を出て二階にあるカフェテリアに入ろうとしたとき、ポケットに手を突っ込んでみて、ふとそこに何かがあるのに気がついた。そういえば十一郎がチラシを持ってきていたはずだった。
病院を出る頃には、日もだいぶ傾き、朝から泣き出しそうだった空からはぽつぽつと水滴が落ちてくる。夕方から降る雨は好きじゃない。駅の売店で買ったビニール傘ごしに空を見上げると、灰青色の雲がどんよりと町を覆っている。自宅の最寄り駅で電車を降りた泰司は、ポケットからチラシを取り出した。
「ここか……」
毎日通っている商店街を突き抜け、大通りを渡ったところには、泰司が子供の頃には無かった地下鉄の駅があった。古い町並みのくすんだ色合いから、浮き出るような入り口の赤い屋根が雨に濡れて鈍く光る。
駅の正面には都が管理している有料庭園がある。店と呼べる程のものは無く、このあたりはほとんどが小ぶりな戸建て住宅が占めている。
店はなかなか見つからなかった。看板もなく、店らしい入り口すらないその建物は、ちょっとレトロな一般住宅のようだった。唯一の違いは、その玄関にしか見えないドアに、ごく小さなプレートがかかっていることだ。プレートは白地に青とも緑ともいえるきれいな色の鳥が描かれ、「OPEN」の文字が見て取れる。
十一郎が持ってきたチラシというのが、またやる気の無さそうなチラシだった。これが不特定多数に宛てたチラシでないというのが、やけに不安を煽った。
「すみません」
泰司は涼やかな音を立てるドアをそっと開けて、店内へと足を踏み入れた。
「はい」
意外と近くから声がした。採光を抑えた店内に目が慣れると、入り口脇にしゃがみこんでいる少年を見つけた。アルバイトか、この店のオーナーの息子か。
「あ、これ。これを見てきたんですが」
店内は六畳程の広さしかなかった。入り口の正面にはカウンターがあり、壁面には棚が設置されている。店の中央部分には、円柱形の書棚が置いてあり、小さなテーブルセットが置かれていた。
「あれ……? これって、大分前に各務さんが作ってた…」
少年はチラシを見ると首をかしげた。不思議そうに紙を裏返し、何も書かれていないことに、ちらりと眉を寄せる。
「良く分かりましたね。控えめに営業中なので地図も無いし、看板も無いしで」
「ちょっと迷いましたが、地元なので、まぁ」
少年は手のひらでテーブルを示した。椅子は二脚、座れということらしい。泰司はテーブルの横まで移動してから、ためらいがちに問いかけた。
「あの、俺、実は花屋でも何でも無いんだけど、大丈夫ですかね」
相手が大分年下であることと、雰囲気が柔らかいせいでついついおかしな言葉遣いになってしまう。社会人として駄目な見本の様な自分の言葉に、思わず苦笑した。
「大丈夫って、何がですか? 何かお買い求めにいらしたのではなく?」
「いや、ここって何か売ってるんですか」
少年は思わずといった感じで笑った。
「すみません。……一応ハーブ類を取り扱っていて、お茶とか、オイルとか、タブレットなんかを販売しています。ということは、何か違うものをお求めにいらしたんですね」
少年は一度カウンターの後ろにしゃがみこみ、こちらへ背を向けた。音からして、何かを淹れているようだった。
「俺の家、庭が荒れ放題でして。知り合いがここへ相談してみたらどうかと、さっきのチラシをくれたんで」
「庭? でしたらそういう業者さんがいますよね」
「はぁ。まぁ」
少年が用意してくれたカップに口をつける。不思議な香りが口の中に広がった。
「焙じ茶ベースに薬草を少し入れてあるんです。普通のハーブティーは結構男性には不評で」
少年はなぜか顔をしかめた。
「実は僕もあまり好きではないんです」
泰司も釣られて笑みを浮かべた。売っている側が好きではないというのは辛いだろうに。そんなことを考えてから、庭のことを口に出そうとした瞬間、ドアが思い切りよく開かれた。
「バカにしてるわ」
入ってきたのは、白いジャケットを着た女性だった。上品に巻かれた髪とパール系でそろえられたアクセサリー。小柄だが色気のある人だった。
「何がオーダーメイドよ。こんな、効きもしないもの。もういらないわ」
ただし、今は上品さも色気もわきに追いやられ、怒りに眉を寄せた様が、犬のように見えた。
「返品と、言われましても……疋田様のご要望にあわせてのブレンドですから、他の方にはお売りできませんので……」
「そんなもの、見たくもないの」
言われて初めて自分の前にたたきつけられた小さな袋を見た。看板と同じように白いパッケージに鳥の絵柄が入っている。
「返金などは出来ませんが」
「結構よ!」
疋田と呼ばれた女性はカバンの中からさらに二つの袋を取り出した。たたきつけるように少年の前へと出し、彼を睨みつけた。
「黒を出して。」
「黒……ですか?」
「知ってるのよ」
少年はちらりと泰司を見た。どうやら聞かれたくない話らしい。しかし、女性は気にしたようすも見せずにさらに口を開いた。
「香奈子、遠山には出したのでしょう? 黒を。効き目がぜんぜん違うらしいじゃない。出して。お金なら出すわ」
「確かに、少し強めのものを黒いパッケージでお分けしていますが……僕ではブレンドは出来ませんし、疋田様にお渡ししたものも、遠山様にお渡ししたものも、中身を知りませんから」
「中身なら知ってるわ。しっかり聞いたもの。品番は十二。十二の黒を出して。香奈子もそれを飲んでたわ」
「ですが」
「出しなさいよ。訴えてもいいの!?」
少年は困った様子であたりを見渡した。そしてあきらめたようにカウンターへと戻っていく。そして黒いパッケージの袋を取り出した。
女性はパッケージをひっくり返した。番号を確認したのだろう。
「それが、本当に疋田様のお望みのものかは、僕には分かりません。それでもよろしいのであればお持ち下さい。お代は結構ですから」
女性は出された黒いパッケージの袋をカバンに放り込むと少年を睨みつけた。さっと振り返りドアに向かって歩いていく。途中目が合ったが、そのときには柔和な笑みで会釈された。
女性が店を出いってしまってからしばらくの間、泰司と少年は呆然とドアを見つめたまま、口を開きもしなかったが、やがてどちらからともなく深いため息をついた。
「すごいね。なんだか」
「はぁ。びっくりしました」
二人で苦笑を浮かべながらも、再びテーブルに腰を下ろす。
「いったい何を売ったんだ?」
少年は首をかしげた。
「ティーバックですよ。何を目的にどんな調合をしたかは僕には分かりませんが、調合師が別にいるので」
「どんなセールストークをしたんだか」
思わず口をついた台詞に、一瞬後に後悔した。他人の店で他人の商売に文句を付けられるほど、自分が商いに長じているわけでもない。こういう物言いの仕方は十一郎たちの最も嫌うものの一つだった。しかし少年は一向に気にした様子は無く、さらに首をかしげるばかりだ。
「さぁ。あまり弁の立つ人ではないんですけどね。で、お兄さんは、庭の手入れ……でしたっけ」
「ああ、この先の商店街の近くに住んでるんだが、庭の手入れを頼まれて欲しくてさ。ちょっとお門違いかな」
なんだか毒気を抜かれてしまって、やけにリラックスしてそう言った。
「……そうですねぇ。お手伝いできればいいのですが、庭木の剪定には疎くて」
「あ、そういうんじゃなくて。実はさ」
泰司は昨晩の騒動をきっちりと説明した。
「まぁ。全部処分してしまえってのも正しいとは思うんだけどさ。今後こういうことが起こらないようにするためにも。でも、あの庭は俺の亡くなったジイ様が結構大切に管理してたから、なくしてしまうのも忍びなくて」
少年の淹れてくれた茶は冷めてしまっていたが香ばしい香りはそのままだった。一気に器を空にすると泰司は立ち上がった。
「ちょっと他を当たってみるよ。お茶、ご馳走さん。今度は買いに来るからさ」
そう言って足元においてあったカバンに手を伸ばしたその時、少年が「あの」と控えめに声を上げた。何かを考え込むように泰司の鞄のあたりを見つめている。
「あの。ちょっとだけ待ってもらえませんか? 有害か無害かを判別して管理できれば良いんですよね。だったら……」
少年はちらりと時計を見遣った。
「まだ帰ってはこないのですが。うちの調合師たちは得意かもしれません。それに」
「それに?」
「それに……もしも、島沢さんの庭にうちで使えるものがあれば、お売りいただいても良いかな、と」
泰司は立ち上がったまま少年を見下ろした。
「使えるものって……毒を持ってる草を取ってくれってことは、そうでないのはなるべく残してくれって事なんだけど。毒草を対価にってわけにはいかないんだからさ」
「いえ。そうとばかりもいえません。一般的には毒草と分類されても、分量と使用方法によっては薬草にもなるものが結構あるんです。うちで取り扱っているものの中にもそういうものが結構あります」
少年は意味ありげに笑みを浮かべた。
「うちは薬草を扱う都合上、毒薬草類には強いんです。お兄さんがここへいらしたのも間違いではないと思います」
少年は立ち上がってカウンターに乗せられたノートを取った。
「すみません。最初にちゃんとお話を聞かせていただくべきでした。てっきり庭木の手入れの話だと思い込んでいて」
「まぁ、そうしたら庭師の仕事だわな。俺も次は造園業者を当たろうと思っていたんだけど」
泰司は幾分不安げにそういった。そんな様子に納得したのか、少年は頷く。
「後ほど調合師と庭を拝見してからのご返答でもよろしいですか?」
泰司は少年の視線を追うようにノートを見ていた。まぁ、取り立てて問題も無いだろう。確かに庭に人をいれるとなると、なんとなくプライベートに踏み込まれる気がしないでもないが、無骨な造園業者に踏み込まれるのも、怪しげな薬草業者だかハーブ業者だかに踏み込まれるのもなんだか差異は無いような気がしてきた。怪しいは怪しいのだが、目の前の少年は実に無害そうだ。
「じゃぁ。まぁ。とりあえず」
泰司は連絡先をノートに記入して店を後にした。
驚いたことに少年は店長だったらしい。翌日「死なせ屋」が家に来たことでそんなことも判明した。
少年と共にやってきたのは長身の男だった。黒っぽい服を着ている。子供たちがうわさするのはこういう存在だろうと思い、思わず笑ってしまった。
「すみません。ちょっと子供たちの噂を思い出して」
「噂ですか? ああ。外に看板がありましたよね。書道教室を開かれているとか」
男は各務(カガミ)と名乗った。下の名前はすぐに忘れてしまった。
「そうなんですよ。他愛のない噂には事欠きません」
泰司が「死なせ屋」をはじめとする噂のいくつかを掻い摘んで紹介すると、少年と各務は一瞬顔を見合わせた後で苦笑した。
「あながち間違いでもないかも知れませんよ。確かに見慣れない黒ずくめの男ですし。雇われ植物商なのでうろうろしていますし。それに……人を待っているという点ではあたりかもしれませんね」
そして少年が九鬼咲人(クキサキト)という名前であることも、泰司へと知らされた。
各務という男は柔和な笑みを見せた。常駐しているわけではなく、必要なときにだけ店に立ち寄るのだというが、少年一人が店を預かるようになってからは、結構な割合で店に顔を出しているとも言っていた。
「もともとは僕の兄があの店をやっていたんです」
咲人の兄は昨年の夏に亡くなったのだという。爺さんが亡くなったのも丁度そのころだった。
各務が庭に降り、持ってきたらしい、小さいけれど強力なライトで庭を見ていた。戻ってきた各務の手には何枚かの葉が握られている。
「これが行者にんにくです」
葉をむしるとおもむろに口に入れた。
「で、こっちが」
同じような葉をひらひらと鼻の辺りで振ってから、その葉も口に放り込んだ。
「コルチカム。イヌサフランとも言います。ソクラテスの死刑にも使われたといわれている、とても古い毒草なんですよ」
「え? 喰ってもいいの?」
思わず泰司は息を呑んだ。
「駄目ですね。昔は通風の薬だとか言ってた頃があったみたいですし、現在も品種改良の際には欠かせない成分を含んではいますが、れっきとした毒草です。体調によっては深刻な事態も引き起こしかねない」
各務はポケットからハンカチをとりだすと、口の中の物をその中へと吐き出したようだった。
「確かにいくつか毒性の植物が混ざっていますね。有毒、無毒がわかりやすいよう、植え替えましょう。明日の昼間に作業をしてもいいですか? いくつかは取り除くことになると思いますが、処分は実際に採取したものを確認してもらってからということで」
各務の提示を呑むと、注意書きをくれた。簡単なものだ。植え替えの際の注意点や、植物の処分方法など。紙はだいぶ余白があまっていた。
それにしても、各務の持っている鞄は自分のそれと似ている気がする。泰司のは茶色だが各務のは黒いので、ほんの少しだけ小さく見えるのが、違いといえば違いであるような気がした。
翌日仕事から帰り、庭を見たその足で、泰司は店へ向かった。
「庭、見たよ。理想どおりだ」
サキトはうれしげにうなずくとカウンターから出てきた。店内には相変わらず人影は無かった。
「良かった。あ、島沢さんにはご確認いただきたいものもあるんです」
彼が店の奥を指し示す。言われたとおりにそちらに行くと、わずかに草のにおいがした。住居に続くのだろう暗がりに箱が二つばかり置いてあった。
「明らかに不必要と思われるものは外においてあります。こちらは意図的に株が分けられていたものの中で、毒性の強いもの、株数が増えすぎているものを入れてあります。どれか残しておくものがあれば、早いうちに植えなおしておきますが」
少年は電気のスイッチに手を触れた。あたりが一瞬で明るくなる。
植物のことはわからなかったが、箱の中には大量の「行者にんにく」だか「イヌサフラン」だかも見て取れた。
「こんなに生えてたんですか、コレ」
サキトは苦笑した。
「結構な広範囲で。株は残してありますし、毒性のある植物の札は黄色にしておきましたから」
「至れりつくせりだな。ここにあるのは全部処分してもらいたいな? それと」
ふと泰司は思いついた。
「この庭から取ったので何か作れたりするのか? 作れるなら記念に作ってもらいたいんだけど」
「大丈夫ですよ。今日の作業中各務さん……各務がいくつか使えるものがあると言っていたので。ご用意できたらご連絡しますよ」
ふと、その台詞に聞き覚えがあるような気がした。いったいどこでだったか。いつだったか。しかし、すぐにそんな疑問は消えてしまった。
「……本日未明、江東区○○の単身者向けマンションの一室で、会社員の疋田暢子さん24歳が死亡しているのを、管理人の女性が発見しました。調べの結果、疋田さんはなんらかの毒物を摂取した可能性があると、検察は発表しています。しかし、疋田さんの自宅からは毒物は検出いないにもかかわらず、疋田さんのカバンからコルチニンという薬物の反応があったことから、警察では自殺他殺の両面からの捜査をしています。……続きまして、環状七号線でおきました水道管の…」
泰司は食い入るように画面を見つめていた。小さなフレームの中に映し出された写真には、数週間前、あのハーブ店にやってきた女性の顔が映っている。疋田という名前にも聞き覚えがあるから間違いないだろう。そして
「コルチカムって、うちにあったやつか? 何だっけ? 何とかサフラン……」
チャンネルを変えてニュースを追うが、どの局もスポーツニュースに移ってしまっている。時計を見遣れば、確かにそんな時間だった。
泰司はあきらめてリモコンを放り出すと、畳に寝転がった。未だ着替えをしていないスーツのズボンのポケットに手を突っ込む。取り出したのは白いパッケージに詰められたハーブティーだった。
ちらりと疋田という女性の顔が思い出される。彼女は……
泰司はしばらくパッケージを眺めていたが、やがて起き上がると台所に向かい、湯を沸かした。ティーバックをコーヒーカップに入れる。
「どうなるかは……飲んでからのお楽しみってところかな」
しばらくすればカップはきれいな色のハーブティーで満たされるのだろう。
それが何から作られているのか、泰司には分からなかった。
了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます