「Alice No.6」連作集

あややん

[Ⅰ] 見えなくてもそばにある不思議


【in the world of resonance】



7.8ヘルツの帯域に耳をそばだててみる。

呼吸音が聞こえるかしら?

最近、ちょっと耳が遠くなったから…それでも、半径50mで針が落ちるのはわかるものよ。


「………う~~」


目覚めると脳が痛い。いや、そもそもあたしに脳があるかどうかは実のところちょっぴり自信がない。

従ってこの場合、多分「頭が痛い」とか「頭痛が痛い」とかが適当なのではないだろうか。

……「頭痛が痛い」って、なんか変よね、でもきっと「痛」が二つ附いてるから、それだけ痛いんだ!という自己主張にはなっていると思うぞ、うん。


「女王様、おはようございます~☆」


……『人が頭が痛いと思っている時に、容赦のないキンキン声を張り上げるのはウサギである。』

ま、人生のカクゲンってヤツよね。


「朝っぱらからあんまりやかましくすると……首をねるわよ」

「うぎゃ!まだこっちに来てから五日も経ってないのにもうお役ご免ですかぁぁ~」


あたしのベッドの脇で、白いタキシードを着た黒いウサギがぽろぽろと涙を流している。


「だからついてこなくていいと云ったのに……」


頭を掻いて結んだ髪をほどくと、サイドテーブルにある煙草に火を点ける。


「だあってぇ……あああ、そんなものを喫ったらお体に障りますぅぅ~~」

「ふはぁ……生憎なことにあたしの身体ときたら、咽喉のども肺も無いのよね…だから病気にもならないわよ。それより、いい加減人間の姿におなりなさい、アベル……ここでは人間が言葉を喋っても誰も文句を云わないけれど、言葉が人間を喋ると驚かれてしまうんだからね」


「言葉にウサギを喋られても、私としては為す術ないんですけどぉ……」


そう云った次の瞬間、ウサギはすでに人間の姿をしていた。それとも元々人間だったのだろうか……謎は尽きない。真っ黒に日焼けした肌にダークブラウンの瞳、それから少し暗めのブロンドの髪……シンプルなTシャツと短パンからは健康的な手足が伸びている。まあ、ちょっと平均より短いようだが。


「……タキシードはどうしたの? それから胸のふくらみはどこに落としてきたの?」

「この姿でタキシードを着るなんて、ウサギとしての美意識が許しません。胸は……ほっといて下さい、しくしく」

「泣くな……それでアベル、何の用?」

「いえ、何の用、と云われましても……女王様は昨日より人間界における教師とかいうお仕事にお就きになったのではないのですか?」

「……忘れてた」

「じょ、女王様ぁ~~しっかりなすって下さいましぃ」


別に教師自体はどうでもいいのだ。リョーちんと一緒にいられれば。

あ、リョーちんって云うのはあたしんちの隣に住んでいる亮太くんっていう男の子。反抗的なところが母性本能くすぐりまくりの、なかなかかあいい男の子なのだ。


「ふふん、ここはひとつ、大人の魅力で起こしに行こうかしら…せっかく部屋も隣同士なんだし☆」

「え?…亮太さんなら先ほどお出かけになられたようですが……」

「えっ?!うそっ!…な、なんで?!」

「なんで、と云われましても……それはもちろん、学校がお有りになるからでしょう」

「そうだったわね…じゃ、あたしも学校行こうっと」


ベッドから降りると、私は玄関のノブをつかんだ。


「ああっ、じょ、女王様っ!…まだ下着姿ですよっ!」

「わかってるわかってる……よっと」


ほんとうはアベルに云われるまで忘れていたが、わかってる振りをして玄関を開ける。


「さて、こんなもんかな……」


玄関を開けると、そこは学校の職員用トイレの姿見の前。私は身だしなみを整える。教師っぽいアイボリーのスーツの上下にストッキングとハイヒール。うんうん…こんなもんだよね、だて眼鏡も良い感じ。

部屋でぎゃんぎゃんわめいているアベルを無視して玄関のドアを閉めると、今度はトイレのドアを開けた。


「おっはよ~!リョーちん~~ちゅっ☆」

「うわっ!どっから出てきたっ?!」

「職員用女子トイレ!」

「アホーッ!」


リョーちん、こと陸井りくい亮太りょうたくんはどうやら学校の廊下にいたらしい。あたしはリョーちんを抱いたまま、足でトイレのドアを閉めた。閉めると同時にドアは消える。そう云う風に出来ているのだ。ちなみに云っておくがトイレのドアが、ではない。


「ったく……おはよう、月子さん」


ふくれっ面をしながらも、それでも挨拶はしてくれる…かわいいんだ☆


「おっはよーう!あ、おっはーとか云ってみた方がいいかなぁ?」

「……あのね」


亮太くんは軽く頭を抱えて困った顔をしてから、いきなり怒り始めた。


「だから公衆の面前でそういう力を使うなって云ってるだろ!」

「きゃんっ?!」

「普通の人間は、なにもないところから急に人が出てくると驚くモンなんだよっ!」

「リョーちんあたしのこと心配してくれるんだぁ~えへへっ!」

「えへへじゃねぇ! 俺はっ、俺が普通の人間生活が送りたいだけなんだっ!」

「照れない照れないっ!」

「照れてねえっ!」


彼は先週あたしがこっちの世界に住み始めてから、何かとあたしを助けてくれる。口は悪いけど、あたしはその言葉の影にひっそりとしたラァヴを感じてしまっているのさ、ふふん♪


「ぜえ、はあ……女王様ぁ~~」

「よう、ウサギか」


廊下の向こうから、制服に着替えたアベルが走ってくる。


「お、お早うございます亮太さん…あ、でも私のことはアベル☆って呼んでくださいね」

「わかったわかった……」

「女王様ひどいですよぅ、ドア締めちゃうから、学校まで走ってこなくちゃいけなかったじゃないデスかぁ~~」

「あのねアベル……」

「はいぃ?」


あたしはアベルのぷにぷにのほっぺを思いっきり引っ張った。


「むぎゅぅ~?!」

「こっちの世界にいる時は、月子さんって呼びなさい! 立派な雁屋かりや月子つきこっていう名前があ・る・ん・で・す・か・ら・ね!! んもう……」


ぐにぐに


「ふも、ほめんあひゃひ~~!!」(ごめんなさい、と云っているらしい)

「あんまり物忘れが激しいと首刎ねちゃうんだからね?!」


ぐにぐに


「あくあくぅ、ひゅみまひぇ~ん!」(すみません、と云っているらしい)

「ま、その辺にしときなよ、月子さん……」


亮太くんが割ってはいり、アベルは亮太くんの背後に回りつきしがみつく。ウサギのくせにリョーちんを盾にするとは生意気だ。


「リョーちんがそう云うなら勘弁してあげるけど……いいこと、アベル?!」

「わ、わかりましたぁぁ~~」

「……月子さんも、だよ。わかってんの? 大概にしろよな」

「うぅ……ゴメンナサイ」



【in the ordinary? life】



「まったく……なに考えてるんだ」


云ってから、どーせ何にも考えてないんだぞ、アレは…と思ってどっと疲れが訪れる。


「そもそも、月子さんは一体どうやって先生になったんだ……?」


考えても無駄だから、考えるのはやめよう…と、もう3日ばかり考えているが、残念なことにどうしても考えずにはいられない状態が続いている。

 全ては先週、俺のアパートに月子さんが引っ越して来た時から始まった。

最初に逢った時は、すごい美人のお姉さんが隣に越してきた…くらいにしか思わなかったが、あっという間にそれどころではなくなった。それくらい、月子さんという人は『非常識』の固まりだったのだ。

 初めて月子さんの部屋に行った時、ガス臭かったから大丈夫かって聞いたら、いきなりガスコンロを点火して、


「大丈夫、漏れてないよ~」


とかほざきやがった。爆発していたらめでたくあの世に逝っていたことだろう。

この前はコーヒーを淹れようとして挽いてないマメを急須に入れていたな。なかなかのオトコっぷりだった。

それ以来、隣に住んでいるだけで、毎日と云っていいほど事件が起こる。

俺もまだまだ十代なわけで、なにもこんな若い身空でアパートが爆発したり、焼死したり、一酸化炭素で中毒死するのはいただけない。結果、俺は何だかんだと月子さんの世話を焼くことになった。そういうものだ。

 ここ一週間、彼女は様々な不思議な力を使ったし、不思議な事件を巻き起こした。つい一昨日おとといには突然この学校の先生としてうちのクラスの担任として赴任してきやがった。(それまでの担任の先生がどこに行ったのか、それどころか、誰だったのかまで、綺麗サッパリ誰も覚えていなかった。)

俺はそんな状況にもいい加減慣れてしまって、そろそろ麻痺状態にあったが、だが、一番不思議なのは……。


「あんだけ色々起こってるのに、なんでニュースにならねーんだ……」

「……一応、報道管制が敷かれてるのよ」

「あれ、香澄かすみちゃん」

「だから、ちゃんっていうなー!」


 このちんまりしたのは薬袋みない香澄──クラスメイトで、部員が二人しかいない科学部に所属している。風変わりな女の子。文化系のクラブに所属しているのに、肩上でばっさりカットした体育会系的な髪と、強い日焼けとしなやかで強靱そうな肉体を持っている。というか、どう頑張っても科学部員には見えてない。


「報道管制ぃ?」


なんとも云えない場違いなその言葉、そもそもここは全く普通のありふれた高校の校舎内である。そんな単語に縁があるはずがない。しかも、目の前にはセーラー服を着た、ちんくしゃの日焼けした可愛らしい同級生がいるワケである。違和感120%絞りたて生……って感じバリバリだし。


「亮太、あんたも状況がおかしいのわかってんでしょ……」


まあ、わかっている。香澄がタダの科学部員じゃないこともわかっているし、月子さんは普通の人間では恐らく無いんだろう、ってこともわかっている。わかっているんだけれど。


「月子さんにしても、香澄ちゃんにしてもさ…なんつーか、非日常の緊迫感に欠けるよな」

「……だから、ちゃんって云うな」


だから、そう云うところが緊張感がないんだってば。



-*-



ガラララララッ……


「あ、お早うございます……陸井くん」


教室のドアを開けると、女の子の声が飛び込んでくる。


「……あ、ああ」


俺が返事をすると、彼女はちょっと顔を赤くして机に広げたノートに視線を戻す。

くるくるの猫っ毛で、一生懸命整えているようだけど、毎日必ず、どこか一カ所がぴんっと跳ねている。黒縁の眼鏡が、彼女の性格とマッチして、見た目だけでその性格を如実に表現している。


「…………」


横をすれ違う時、微妙な緊張感が二人の間に流れる。


「………はぁ」


有川ありかわ──有川 真璃子まりこはクラスメートで、俺のアパートの向かいにある一戸建てに住んでいる。いわばお隣さんだが、俺と彼女は今、実はちょっと特殊な状況下におかれている。


「なあ、有川……」

「はっ、はいっ! なんでしょうか……」

「いや………」

「…………」

「………」


ガラララララッ……!


「は~いみんなおっはよ~っ! 今日も出席を取るからとっとと席につきやがれー!」


……ガクッ。


月子さん──いや、雁屋先生の朝の急襲によって、俺と有川の『話』はまたも流されてしまった……。



-*-



「さ~て、お昼ご飯は何をたっべようかな~っと!」


 授業といわれる謎の行為をテキトーに片づけると、とりあえずあたしは廊下に出た。

昨日はB定食を食べたけど、なかなかいいお味だったわね。先生になって何が良いって、学食でタダでご飯が食べられることくらいよね……。


「今日はあの、燦然と輝くプリンが付いてくるA定……っ?!」


人が新たな決意を口にしているという時に、突然、整然とした物理法則の向こうから、歪んだレンズを4枚重ねてウィジャー板を見た様な、そんな釈然としない混沌が押し寄せてくる。


「またかよ~…懲りない連中だわねぇ……」


一応あたしは、あんた達の女王様、クイーンなんだけど……多少は敬意ってものを払って欲しいわよね。

慌てて渡り廊下から中庭に出ると、空気が鳴り始める。


キュルルルルッ!


まるで何かの磁気テープを再生しながら巻き戻しリワインドするような、耳障りな音と共に、その辺の物体が物理法則を無視しはじめ、経緯たてよこななめ、さらには時間軸までが優雅にラインダンスを始める。


「だからここは人間界なんだって、何度云ったらわかるんだよッ……!」


ドパーン!


物理法則から乖離かいりした物質たちが瀑布ばくふの様に吹き上がる。水の様に空に跳ね上がる芝生、熔けながら回転するコンクリートブロック……そしてその中から、私にとって馴染みの相手が現れる。


「トーヴ!」


巨大な生きたコルク抜きのような、その幾何学なシェイプが、溶けてゆく世界とミスマッチングな気配をわらわらとわき出させながらゆっくりと近づいてくる。


「芸がない、と云えば芸がないけど……毎度毎度、マメな脅しをありがとー……マメな男はモテモテってかぁっ!!」


ズドンッ!


頭を軸に回転し、螺旋にねじくれた尻尾をあたし目がけて叩き付けてくる。慌てて飛び退くと、立っていた地面は水?しぶきを上げて吹き飛び、波紋が残る。


「っと……あたしもねえ、学食でお昼ご飯食べるから…遊んでられないのよね……ッ!」


ズバンッ! バンッ!


あたしは両手を軽く振ると、『隣り合った世界』から手下を呼び寄せる。両手には合わせて51枚のカードが現れる。


「行きなっ!トランプども!」


シャッ……!


手から離れたカード達は一瞬空中で桜花のドームのように拡がると、そのまま高速でトーヴの頭上へと降り注ぐ。


ズドドドドドッ……!


「        !!」


聞こえない苦鳴、この世界では表現の枠外にある断末魔を上げながら、トーヴはトランプ達に切り刻まれていく。物理法則の逆襲が始まり、さまよえる不思議は展開された公式に喰い尽くされていく。眺める気も起きないので、手元に残った一枚のカードを裏返す。


「……残った手札は『クラブの10』か。ちょっと、困った……かな」


復元された物理法則の美しい直線を眺めると、あたしはとりあえず、A定食を食べることにした。



-*-



「あれ、なんっか…疲れてない? 亮太ってば」

「ん~~、ほっといてくれるとウレシイぞ、俺的には」

「だって……気になるじゃん…?」


事ここに至って、俺──陸井亮太は疲労の極地であり、せめて肉体的な回復を図ろうと机に突っ伏している。


「なんとか云いなさいよ~、ほれほれ~」

「突っつくな……俺は死体じゃネエ」

「ナニソレ、『返事がない、ただの屍の様だ』とか云って欲しいワケ?」

「いや、だから死んでないって……」


こいつは利浪理名りなみりな──クラスメイトの一人だ。実家の隣に住んでいる。今は俺はアパートで一人暮らしをしているが、それまでこいつは一般名詞的に『幼なじみ』とかいうヤツだった。いや、引っ越してもその名称はその資格をなくさないものだったかな……まあいい。


「亮太さあ、最近、なんか隠してない?」


ギクッ


「何って…何を?」

「………何か」


ギクギクッ


「何かって……何だよ」

「知らないから聞いてるんでしょう?」

「知らないなら答えられない」

「……あんたいつからYESとNOしか云えない暗記機械に成り下がりやがりましたわけ?」

「知らないからだよ」

「ふぅん……そう」

「そうだよ」

「そうなんだ……」


なんでそんなに確信ありげに聞いてくるんだろう……?


「まあいいわ…ところで、あんたちゃんとご飯とか食べてるの?」

「喰ってるよ……」

「たとえばどんなのよ」

「どんなのって……」

「雁屋先生って、大人っぽいし、料理とか上手そうだもんねぇ……」

「月子さんは料理の『り』の字も知らねーよ……はっ?!」

「あ、引っかかった」


しまった……。


「へえ、月子先生とねえ、ふーん、ほぉー」

「いや…だから……なんでもないって……」


やべぇ……実際に何でもないだけに、ことさらにやべぇ……。


「でも意外…月子先生って料理ダメなんだ……」

「あ~~~………」


もう知らん……。


「ねえ、じゃあさあ……」

「…………………」

「あたしが、ご飯……作りに行ってあげようか?」

「…………あん?」


待て、どこからそう云う話になるんだ?


「だって…亮太ってばホントに顔色良くないっぽいよ…? 一応、あたしも幼なじみだし、心配…してるんだけどな?」

「いや……けど………」

「ひょっとして、熱とかあんじゃないの……?」


ぴとっ。


「うわっ!顔を…近づけるな~~」

「何よ、熱測ってるだけでしょうが…それとも、あたしの唇が近づいてドキドキする? ん?」

「………するか」


俺は顔の向きを変えようと頭を持ち上げた、と、


「リョーちん!」

「のああっ?!」


目の前に突然月子さんの顔のドアップがあった。


「なにっ、何事だっ?!」


月子さんは突然偉そうにふんぞり返ると、俺の腕をつかんだ。


「真のヒロインの活躍が待たれているのよっ! さあ、いざ戦場へっ!」

「わけわかんねーよっ!」

「いいから、ほら!行くわよっ!」


ピュンッ!


ワーナーのアニメばりの速度で、俺は教室から連行された。


「……やっぱり、なんかあるんじゃない……あのバカ」


取り残された教室で、理名がふてくされていた……。



-*-



「で?! 今度は一体何なんだよ!」

「……襲われた。ご丁寧に予告つき犯行ってやつ」

「またかよ……」

「だから、『アリス』の力が要るんだ……今すぐ」


俺は月子さんの腕を振り払うと、立ち止まった。


「いいのかよ……」

「……何が?」

「……有川のことだよ」

「真璃子ちゃんが……なに?」


月子さんは何のこと? と云った感じで、首を傾げる。


「あいつ、変身のたびに好きでも無い男とキスしてんだぞ…それでもいいのかよ?!」


月子さんは驚いた顔をして、俺を見る。


「……しょうがないじゃない」

「しょうがないって……だって……」

「じゃあ、あいつらが大挙して押しかけて、町中ボコボコのグッチャグチャにしちゃっても、それでもいーんだ?」

「いいわけない、けど……なんで俺と有川なんだよ……」

「真璃子ちゃんをあたしが任命したから。でもあの子は不完全で、君にしか目覚めさせられないから」

「……だからって」

「真璃子ちゃん、イイコじゃない? それに、きっと真璃子ちゃんはリョーちんのこと、キライじゃないよ」

「だからっ……!」


有川とキスするのがイヤなんじゃない、こんな中途半端な自分がイヤなんだ…わかってる、そんなコト。


「いいから、行こう!」


もう一度月子さんは俺をつかむと、そのまま走り出した……。


「うかつだったんだ~、真璃子ちゃん先に帰っちゃっててさぁ~!」

「そりゃ、有川は帰宅部だからな……学校に残ってる用事なんか無いだろう」

「だからいつも一緒にいてって云ってるじゃな~い! 危ないんだってば~!」


月子さんは相変わらず、勝手なことばかり云っている。


「恋人でもないのに、そんな始終一緒にいられるわけないだろーがッ!」

「きゃあああああ~~~~っ!」


俺と月子さんは顔を一瞬見合わせると、云い争っていたことも忘れて、慌てて悲鳴のする方向へと走り出した。



【kiss of ignition】



「真璃子ちゃんっ!」


俺たちが到着すると、公園の向こうに有川の姿が見えた。だが、公園の地面からは何だかよく解らないドラム缶くらいの太さの白くてにょろにょろした物が五、六メートルの高さまで生えて、うねうねと動いていた。


「……どうする、月子さん」

「公園の地面が物理法則から離れた……ここを歩いて行くわけにはいかないわね」

「有川……!」


見る間に有川の立っている地面も変化し始め、有川の身体が地面にゆっくりと沈み始める。


「有川ーっ!」

「いやぁぁぁっ……!」


ガシッ!


悲鳴を聞いた次の瞬間、俺の手首は何か大きな力に捕まれていた。


「ごめんね、リョーちん……いっけぇぇぇーーーーーーっ!!」


ぶぉんっ!


「ぬわぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ?!?!」


見ると、月子さんはなにやらアメリカの漫画ネズミばりにバカでかい白い手袋をつけていて、そいつで俺を思いっきり有川に向けて放り投げた!


「くっそぉ、こうなりゃヤケだ……っ……!」

「陸井くーんっ……!」

「アリカワァァァーーー……げッ!」


ドカッ! バクッ! ボムンッ!


「ぐっはぁっ……!」


……月子さんはノーコンだった。俺は地面から生えているなんだかよく解らない物に激突しまくり、まさにピンボール状態だ。


ズシャアッ……!


「いっ……つっ………」


顔面スライディングで辛うじて着地すると、俺の腕をつかむ手があった。


「陸井くん……っ!」

「大丈夫か、有川……」

「ごめんね、私が鈍くさいせいで……」

「有川のせいじゃネエよ……」

「陸井くん……すぅ、はぁ………んっ………」


……有川は深呼吸をすると、震えながらゆっくりと目を閉じる。


「……有川…………」


いつもこの調子だ……選択の余地無し、なのかよ………


「ゴメンな、有川……んっ……」

「んっ……ふ……」


俺と有川の唇が……ゆっくりと重なる……。だが感触はそこで途切れる。目を開くと、そこにはもう有川はいない。


「待たせたな、有象無象ども! まーた懲りずにきやがったのかぁっ?!」


天まで突き抜ける様なしっかりとした声が響き渡る。


「………アリス!」


そこにいるのはすでに有川ではない。堂々と立つそのシルエットはまっすぐに伸び、波のように流れるブロンドの髪、強い意志を秘めた翠の瞳、細く伸びたしなやかな手足はブルーグレーのコンバットドレスとも云うべきコスチュームに包まれている。


「あとはお任せよ……ダーリン」


俺の方を向いて軽くウィンクすると、アリスの身体は軽々と空の高みに跳ね上がる。


「おいで……相棒!」


彼女が腕を振り上げ、そして次に下ろした瞬間に、彼女の腕に握られているのは1887年式のウィンチェスターライフル。普通と違うのは、アリスが銃把グリップではなく、銃身バレルを持っている事だ。

だが、それを確認する間もなく、地上に生えている白い極太触手が、一斉に長さを増して上空のアリスに襲いかかる!


「のろまだねぇ………っ!」


次々と飛び込んでくる白い触手を、アクロバティックに飛び、かわし、すり抜ける、まるでジェットが誘導ミサイルの束をくぐり抜けるように、優雅で、そして容赦がない。そして一息吐いてみれば、全ての触手が絡まり、一本の束になる箇所が出来ていた。


「一丁上がりだっ……まとめてブッ飛びなぁ……ッ!!」


アリスは背面からくるりと半回転すると、全速降下しながらウィンチェスターを振りかぶり、全ての触手が絡み合う集結点を思いっきり殴りつける!、


ズギュァァーン!


ウィンチェスターをぶっ放す音が響き渡ると、一瞬銃床と触手の交点が激しくスパークし、触手どもがすごい勢いで上空に吹き飛ばされた。


グバァ…ッ!


触手の束は回転しながら上空に吹き飛び、地面の下に潜っていた部分が、まるで畑から引き抜かれる様な感じで出現する。


「全部地面の下で繋がってたのか……」


全体像は…上手く云えないけど、柄のない歯ブラシの様な感じだった。


「見えたゼ……ッ!」


アリスは云いながら銃を回転させる。銃身からガシャンとリロード音が響き渡り、目前には地中にあった本体部分が迫る。


「こんなフザケたデッキブラシ、この世界には必要ねぇ!持って……帰りナァーーッ!」


ズギュァァーン!


もう一度銃声が響き渡る。バケモノ本体ど真ん中に突き刺さったウィンチェスターから、一瞬にして全体に亀裂が走り、


バァァァ………ン!


「うわっ……!」


閃光と爆風、俺は吹き飛ばされないように、近くにあったブランコにしがみついて耐える。

爆風の過ぎ去った次の瞬間には、まるで最初から何もなかったように、空気には何の動きもなかった……えぐれた公園の地面を除いては。


「亮太」

「……アリス」

「ありがとう、あたしを呼んでくれて」

「いや……別に、俺は……」


さっきまでの勇ましいアリスとここにいる笑顔の眩しいアリス…それは同じ物のハズなのに、何かが違う。

アリスになった有川は俺よりも背が高い。俺はアリスの顔を見るために、頭を上げなくちゃならなかった。


「じゃ、またね……」


アリスが少し屈んで、俺の顔にアップで迫ってくる。彼女がキスの為に眼を閉じようとした瞬間、それは起こった。


ドォォン…ッ!


「ぬあっ……!!」


俺の目の前からアリスが吹き飛ぶ。俺が目を開くと、吹き飛んだアリスと逆の方向、等距離の場所にまるで『もう一人のアリス』が立っている。違う部分がかなりあるが、雰囲気だけならまるで鏡の様だ。


「てんめェ……イイトコ邪魔しやがって……何モンだぁ?!」


アリスが吼える。その声に呼応するかのように、ゆっくりと両手を横に上げてからクロスする。その手には持っていなかったはずの拳銃が二丁握られている。


「……ガートルード」

「なっ……?!」

「遅イ………ッ!」


ガギィ……ン!


ガートルードは二丁拳銃をトンファーの様に携えており、アリスはウィンチェスターで片方は防いだが、もう一丁がガートルードの左手によって、アリスの鳩尾にめり込んでいた。


「ぐぅ………っ……」


その姿勢のまま動かない二人、視線が激しく絡み合い、火花を散らす。


「今度こそ……アリス、あんたを潰す………!」

「返り討ちにしてやるよ……陰険サル女がぁ……」


バッと二人が離れる、


「逝ってろ、居眠りオンナァ……ッ!」

「ハア………ッ!」


ガン! ギィン! ガギャギィッ……!


交互にすごいスピードで襲いかかるガートルードのコルト・コンバットエリートを、アリスはウィンチェスターの中心を持って棍のように使って弾いてゆく。異音を放つ三つの銃器――手に汗握る攻防は十数秒に渡って続き、俺の眼には追い切れないスピードで展開した。


「…………ちっ」


再び離れた時、ガートルードは舌打ちをしてアリスを見た。アリスの眼には軽い笑いが浮かんでいる。


「また今度な……エルシー」


そう云うと、その場から姿が消えた。


「誰がエルシーだ……ボケが」


ジャコッ……!


そう云って、アリスはウィンチェスターを回し、装填リロードした……。



-*-



「それにしても…ガートルードね……厄介だわ」


取りあえず事態は収束し、アリスは──俺とキスをして──有川に戻った。その後月子さんが発した第一声はそれだった。


「……そんな凄いのか? あのオンナ」

「『処刑人ストラグラー』ガートルード。力的には…アリスとほぼ互角らしいんだけど……問題は……」

「……有川のアリスが『不完全』ってことか?」

「ん……そうね……」


有川は一人でアリス化することが出来ない。その影響か何かはわからないが、有川のアリスは本来のアリスよりもパワーが弱い……と、月子さんは以前云っていた。


「その……ごめんなさい」


有川はそんな話を聞いて、謝り始める。元はと云えば、月子さんが授けた力だ。別に有川が謝る筋のことではないし、そもそも有川は被害者と云っても良いくらいだろうに……。


「いいのよ、真璃子ちゃんの所為じゃないんだから……」

「元はと云えば月子さんが悪いんだしな」

「ああっ、そう云ってあたしを責めるのね……よよよっ………」

「……なにがよよよだ、何が」

「ま、まあまあ……」


有川が仲裁に入る。自分のことなんだから、ちょっとは怒った方が良いと思うんだが……。


「とりあえず、今度から真璃子ちゃんはリョーちんと一緒に登下校した方がいいね」

「えっ、あ……はい……」


おいおい……マジかよ………。


「いやー、取りあえず家に帰ってご飯でも作ってよ、リョーちん♪」


そうやってまたノンキな…って、ちょっと待て。


「俺かよっ!」

「だって…アパートが火事になっても良いの?」

「いや、だからそう云う問題じゃ……」

「あの……よかったら私が……」

「あ、ほんと? うーれしーなー♪」

「甘やかすな有川! だから月子さん、その生活態度絶対間違ってるって……」

「そーかなーー?」

「あのなぁ……」


この調子じゃ、まだまだ…俺の受難は続きそう……だ。

はぁ……。

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