おとことおんな

藤村 綾

おとことおんな

「ねぇ……」

大きな背中に声をかける。背骨がまっすぐ規則正しく並んでいる。人差し指でそうっと、首のつけねから、骨に這わせてゆく。

 ん?彼が目を細め後ろを振り返り、なにぃ、と呟き、首だけ動かしあたしを見やる。優しい目をしていると、いつも思う。女を抱いたあとの男の顔は、抱く前よりも随分無防備になり、気を許した顔になる。

 一糸纏わぬ姿になるそのひととき。世間と戦っているおとこは、やっと鎧が脱げるのだ。鎧という名の、戦闘服を脱がす。悦の顔を垣間見たとき、おんなはおとこをことさら愛おしいと感じる。あたしだけに見せる素の顔に。愛を感じるのだ。

「すきなの」

 彼は一瞬、瞬きをし、また、背中を向け丸くなる。何もゆわない。

「すきなの」

 繰り返し呟く。ね、まで、言いかけたとき、彼がくるりと、回転し、あたしを頭から包み込むよう抱きしめた。胸の鼓動。分厚い胸板。胸毛のないスベスベとした肌。

 そして、彼の匂い。彼に特有の嫌みのない香水の匂い。胸に押さえつけられ言葉を遮断される。いつもそう。あたしの質問には応えてくれたことはない。訊いて訊かぬふり。黙りを決める彼。

『すきだよ』

たったの四文字だよ。なぜ、ゆえないの?声にするのは簡単なことじゃないの?嘘でもいいから、言葉が欲しい。

無責任な言葉を吐けないのはわかっている。

 けれど。不安で、隣にいて、こうやって抱きしめられていても、焦燥にかれてしまう。あたしが、見えているの?あなたの目にはあたしはいるの?言葉にしたいことが脳内に浮かぶけれど、押さえつけられて声がだせないし、声にしたら、この関係が壊れてしまいそうで怖くっていざとなったらゆえない。

 愛を享受するのは態度でもわかる。抱かれることで満足するのだから。身体は了承してはいる。けれど、利己的なあたしの心は言葉を待っている。言葉だけが渇望している。

 無理矢理、顔をもたげ、上にある彼の顔を見上げる。長い睫毛。目を綴じている。なにを考えているの。

 なにを。少なくとも行為が終わった今、あたしのことなど、微塵たりとも彼の中には居ない。頭の中は、家で待っている家族のことだ。裸で抱き合っているのに、洋服を着てしまったら、お互い違う家に帰る。帰ったあとの彼をあたしは知らない。想像もしたくもない。

「すき、すき」

 呪文のようにくどくど呟く。彼の視線があたしの視線と絡み合う。彼は手であたしの頬を優しく撫ぜる。

 どうして、こんなにも好きなのだろう。鼻からツーントしたものがこみ上げる。ひっそりと涙を流すあたしの頬を彼はなにもゆわず拭う。どうしょうもない、感情にあたしと、彼はどうしてよいのかわからずにいる。言葉にもできない禁忌な関係のなか、甘い蜜を吸ったあたしは、1人になり苦い夜を過ごす。

彼がベッドから立ち上がる。その背中を目で追いながら、あたしは、布団を頭から引っ被った。静寂な部屋にシャワーを捻る音が鳴り響く。

「ねぇ……」

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おとことおんな 藤村 綾 @aya1228

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