深夜喫茶
コオリノ
「見えない交渉」
俺は昔、24時間営業の喫茶店でバイトをしていたんだが、その店では本当にいろんな事があったんだ、数え切れないくらい……。
今からその一部を話したいと思う。
良ければ最後まで付き合ってくれ。
季節は蒸し暑い空気がのしかかってくる、そんな夏に移り変わろうとしていた時の事。
どちらかというと夜行性の俺は、夜11時から朝方7時までの、深夜帯のシフトで働いていた。
昼間の喫茶店と違って、深夜の喫茶店はとにかく変な客が多い。
独り言をぶつぶつ呟いたかと思えば急に大きな声を出したり、暖かい時期なのにロングコートを着て入店したかと思えば、注文を取りに行くと、なぜかコートの中は下着一枚だったりとか……。
とにかくまあ、変な輩が多いのだ。
いや、もしかしたらこの店だけなのかもしれないが……。
そんな店に、今日もまた変な客が一人現れた。
時刻は深夜2時。
窓側の席に座った、赤いワンピースを着た二十代の女性だ。
入店した時は普通の若い女性だったのだが、一時間ぐらいして、いきなりその場で立ち上がったり座ったりを繰り返し、落ち着いたかと思えば、今度は突然ガタガタとその場で激しく震えだした。
流石に怖いので店長に連絡すると、
「薬かな~だったらやばいよね。ううん面倒だなぁ」
と、寝ぼけた声を発し、後でかけなおすよと言ってから既に一時間が経過している。
絶対寝てるだろこいつ、と悪態をつきつつ、厨房にいる相方に相談してみたものの。
「ううん、僕女の子と話すの苦手なんだよね。だいたいほら、人と話すのが億劫で、厨房メインでやってるわけでさ」
そこまで話している最中に、
「もう結構です」
と、俺は冷たく言い放って厨房を出てきた。
さて、どうしたものか……とりあえず一度話を聞いてみるか、大丈夫ですか?と、
それでもし「大丈夫じゃありません」と言われたら、OKレッツゴーポリスと言って110番だ。
俺は自分に言い聞かせるようにして、一応オーダー機を持って女性の元に向かった。
「あ、あの……だ、大丈夫、」
と、そこまで言い掛けた時だった。
「ひっく、ううぅ、ひっく、ぐす……」
泣いている?もしかして失恋でもしたのだろうか?
だとしたら何だか可愛そうだ。
俺は何となく申し訳ない気持ちになり、 無言のままその場を立ち去ろうとした、が、
「た、たた、助けて……私、人を殺さないといけない、ナイフ、ナイフ下さい。うぅ……ナイフ、ナイフを!」
そう言って女性はこちらに振り向く。
俺は思わずその顔にギョッとして顔を強ばらせた。
女性の目は大きく見開かれ真っ赤に充血していた。
尋常じゃない汗のせいでメイクが剥がれ、顔は無残にもぐちゃぐちゃ。
「こ、殺さなきゃ……ここ殺し……て」
女性がなおも呻くように言う。
全身の肌が粟立つのを感じ、俺は急いでその場からカウンターまで引き返した。
OKポリス、俺は迷いなくスマホをポケットから取り出し、おぼつかない指で110番と打ち込んだ。
が、その時。
「あの、ちょっと待ってください」
「えっ?」
声の方に振り向くと、いつの間にかカウンターの隅に、幼い顔立ちの女の子が座っていた。
見覚えのある顔、それもそのはず、この子はうちの常連さんだ。しかも深夜帯の常連客。
毎日毎晩決まった時間に現れては、店内の隅の方で、なにやらノートPCで作業をしている。
見た感じは幼いがよく見ると美人だ。
ちょっと大きな眼鏡も、どことなく似合っている。
名前は知らないが、いつも頼む飲み物がメロンソーダなので、バイト仲間の間ではメロンちゃんと呼ばれている。
その常連客であるメロンちゃんが、なぜかいつも陣取っている席を移動してカウンターに座っていた。
「えと……待ってって、どういう事ですか?」
スマホを耳から離し、俺はメロンちゃんに聞き返した。
「警察に電話するのはやめた方がいいです。多分……解決しないから」
そう言うとメロンちゃんは席を立ち、窓側の席にいる女性の方へと、無言のまま歩き出す。
その後ろ姿を呆然としながら見送っていると、窓側から先程の女性の泣き声が響いてきた。
というか泣き声はどんどん酷くなり、もはや嗚咽のようになっている。
助けを求めるようにして厨房に目を向けたが、相方は耳にイヤホンをはめ音楽を聴いているのか、こちらには見向きもしない。
「あの野郎……」
陽気に肩を揺らしている相方を睨みつけ、仕方なく俺も女性の元へ向かう事にした。
「あの~?」
メロンちゃんの背後から声をかけるも無視された。
仕方なく黙って着いていくと、メロンちゃんは女性の元にたどり着き、おもむろに席に腰掛けた。
あれ?向かいの席じゃないのか?
俺はてっきり、メロンちゃんは女性の向かい側に座るのかと思っていた。
しかしそこには座らず、何故か女性の隣に座ったのだ。
メロンちゃんがゆっくりと口を開く。
「何を……されてるんですか?」
やんわりとした口調で語りかけるメロンちゃんだったが、女性は何も答えるわけでもなく、ただ嗚咽のような泣き声を漏らすだけ。
「なぜ、そんな事を?」
メロンちゃんが独り言のように続ける。
ん?ちょっと待て、その質問はおかしくないか?
女性は何も答えていない、なのになぜそんな事をって、何だ?
もしかして俺に聞こえないくらい小さな声で話しているとか?
俺は距離を縮めるようにテーブルに近づき、聞き耳を立ててみた。
「なるほど。確かに外にはたくさんの人が行き交ってますね。朝になればこの倍くらいはいるのかな」
えっ?
今度は妙な受け答え。
それに女性は間違いなく何も喋ってはいない。
一体何なんだこの会話は……。
段々とイライラしてくる。
思わず小さくため息をつき、窓に映る自分に目をやった、その時。
窓ガラスに、一瞬だが何かうっすらとしたものが映った様に見えた。
メロンちゃん達の向かい側の席。
当然誰も座っていないので、窓ガラスに何か映るなんて事はない。
車のライトか?
目を凝らし、もう一度窓ガラスに目をやる。
視界がぼんやりと滲み、白い何かが窓にチラリと映りこんだ。
いや違う、なんだこれ……目がどうとかじゃない。
窓ガラスに映る白い何かが、じんわりと蠢いている様に見えるのだ。
それはやがて人型を形取り、白いワンピースの、女性の姿へと変貌し始め……。
「うわぁぁぁっ!?」
思わず叫び声をあげると、俺はその場で転げそうになった。
なななな、何だ今のは!?
目を凝らしもう一度窓に目をやる。
変な物は映っていない。
錯覚??
目をこすり二度見するが、やはりそこには何もない。
見間違いかと思い二人に視線を戻すと、メロンちゃんが俺を白い目で見つめていた。
慌てて姿勢を正し咳払いを一つすると、メロンちゃんは再び女性の方に向き直った。
「では、どうしても駄目ですか?」
またもや脈絡もない発言、もはや理解不能だ。
突っ込む気にもならない。
「あの?」
声に振り向くと、メロンちゃんの視線は俺に向けられていた。
どうやら俺に掛けた声のようだ。
「へ?あ、はい?」
間の抜けた声で返事を返すと、メロンちゃんは少し俯きながら口を開いた。
「どうも交渉には応じてくれないようです……」
「こ、交渉?」
何を言ってるんだこの子は?
何だか女性とメロンちゃんが同類に見えてくる。
ひょっとして二人はグルで、俺を騙そうとしているんじゃないか?
いや、もしそうだとしても、なぜそんな事を?
そう思いながらも、俺は考えるのを止めた。
これ以上余計な事を考えると頭がパンクしそうだからだ。
今はこの置かれた状況を早く脱せればいい、ただそれだけだ。
「この子は諦めてもいいそうですが、それ以上はダメだそうです。どうしますか?この子だけでも開放してもらいますか?店はそれで落ち着くと思いますけど……」
諦める?それ以上はダメ?正直どれも意味が分からないが、一つだけ理解出来る事がある。
店はそれで落ち着く……この一言で俺はかなり安堵した。
店が落ち着くならそれが一番。
というより早くこの二人から俺自身が解放されたい。
「よ、よく分かりませんがそれで、それでお願いします!」
藁にもすがる気持ちで頭を下げる。
するとメロンちゃんは顔色一つ変えず無表情なまま、
「分かりました……」
と、一言だけ呟いて、何やら窓の外を指差し始めた。
おいおいまた何か始めたぞ……
思わず肩を落としてこの状況を見守ると、窓の外、通りすがる通行人が指を指された事に対して、怪訝そうな顔をしながら店内に目を向けてきた。
俺は直ぐにその通行人に何度も頭を下げ、そのままメロンちゃんを睨みつける。
もはや営業妨害レベルだろ。
だが次の瞬間、
「うわぁぁんっ!」
突然の泣き声に、俺は思わず目を見開いた。
さっきの若い女性だ。
だが今までの様な、何かとり憑かれた様な泣き声ではない。
すると、メロンちゃんはそんな女性抱き寄せるようにし、頭に手を置きやんわりと撫で始めた。
撫でる手の動きに合わせ、女性の泣き声も次第に落ち着きを見せてくる。
「タクシーを呼んであげて下さい。この子はもう、大丈夫ですから」
メロンちゃんはこちらに振り向くわけでもなくそう言って、再び女性の頭を優しく撫で始めた。
「は、はい」
俺は短く返事を返すと、急いでタクシー会社に電話し、店の外で待機する事にした。
何はともあれ、これでようやく開放される。
浮き足立つ思いで待っていると、程なくして一台のタクシーが店の前にやってきた。
俺はタクシーに待ってもらうようお願いし、店内に戻り、女性に肩を貸す格好で車の中まで案内した。
「酔っ払いですか……?」
と、迷惑そうな顔で運転手に言われたが、
「失恋したみたいなんで、そっとしといてやって」
と言っておいた。
この際嘘も方弁だろう。
女性を載せて動き出すタクシーを見送った俺は、ようやく開放された思いからその場で大きく背伸びをした。
「はあぁ、ようやく開放された……さてと」
そう言いながら店内に戻ると、メロンちゃんが丁度帰宅の準備をしていた。
「あの、もう帰るんですか?まだお礼もできていないのに」
俺が声を掛けると、
「店員さん、帰りは歩きですか?」
と、メロンちゃんは聞き返してきた。
またもや意味不明な質問。
この子はまともな日常会話ができないのか?
そう思ったが、一応助けてもらったのだからぞんざいな受け答えはできないと思い、俺は気にせず返事を返す事にした。
「いえ、バイクですけど……」
「そう、電車じゃないんだ。ならいいか……」
メロンちゃんはそう言ってから代金をカウンターに置いて、頭をペコリと下げてから、そそくさと店を出て行った。
代金に目をやると、料金はぴったしだった。
その後何事もなく業務を終えた俺は、昼勤の奴らに引継ぎをし、そのまま店を後にした。
店長に嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、やめておいた。
疲れた、とにかく疲れた。
もはやその一言に尽きる。
俺はバイクに載りアパートに帰宅した後、ベッドに倒れ込むようにして爆睡した。
どれくらい立っただろうか。
──ピーピピピ!
スマホの着信音に、俺は重たい瞼を擦りながら目を覚ました。
「はい……」
寝ぼけた声で電話に出ると。
「良かった、無事だったんだね!」
余りの大声に思わずスマホを耳から離す、店長だ。
いきなり何だ?それに無事って何が?
再びスマホを耳に当て口を開く。
「あの、何ですか無事って?」
「あれ?知らないのかい?まあ寝てたんならしかたないけど、駅の方で通り魔事件があったんだよ。丁度君の帰宅時間と被ってたから気になってね」
「通り魔事件?」
俺は聞き返すと、急いでテレビをつけた。
何度かチャンネルをかえると、やがて緊急生放送、と書かれたテロップ画面を見つける事ができた。
喫茶店から近い見慣れた○○駅をバックに、一人の報道記者らしき男が、青ざめた顔で必死にリポートしている。
「この事件により、計13名が重軽傷を負いました。被害者の方の安否が気遣われます。以上……」
突然、カメラが動きを見せた。
大勢の警察官が一人の男性を連行していく映像に切り替わる。
「ただいま容疑者が連行されて、」
新たなリポーターが実況を始めた。
しかし次の瞬間、俺の手からスマホが滑り落ちた。
通話口から何やら問いかける声が微かに聞こえたが、もはやそれすらも耳に入ってこない。
俺は……俺はその映像を見て、愕然としてしまった。
テレビ画面の中、連行されて行く男性の顔に見覚えがあったからだ。
忘れもしない。
深夜、あの女性を説得していたメロンちゃんが、窓の外を指差していた時、通りかかった通行人……間違いない、あの男性だ。
俺が頭を何度も下げたあの人だ。
何で……?
こんな偶然があるのかと思ったその時、俺はふと、メロンちゃんの言葉を思い出した。
あの時、確か俺にこう言った。
『帰りは歩きですか?』『電車じゃないんだ、ならいいか……』と、
あれは……あれは何を意味していたんだ?
言い知れぬ不安に突如襲われ、俺は怖くなりいてもたってもいられなくなっていた。
一体何が起こった?あの夜何があったんだ?
必死に考えたがうまく頭が回らない。
こうなったら……会うしかない、メロンちゃんに。
もう一度会って本人に確かめるしかない。
俺はそう決心し、不安に押し潰されそうになりながらも、その日の夜を待った。
出勤時間になった俺は、いつものようにバイクで出勤し、メロンちゃんが入店する時間まで、通常通り仕事をこなして待った。
やがて時計の針が二本とも真上を指したとき、店のドアベルが鳴った。
見慣れた顔、気だるそうな瞳で入店する少女。
腰まである、ゆるりとした髪の毛をかき上げ、メロンちゃんがやってきた。
ヘッドフォンを外し背負っていたバッグを降ろすと、いつもの場所いつもの席に着く。
「いらっしゃいませ……」
気の乗らない応対をしながら、俺はオーダー機は持って行かず、あらかじめ用意したメロンソーダを持ってメロンちゃんの席に向った。
「メロンソー、」
いつものように注文する彼女、だが言い終わる前に、俺はメロンソーダをテーブルに置いた。
「昨日のお礼だよ……でだ、そのついでって言ったらなんだけど、あんたに一つ聞きたい事がある」
ぶっきらぼうな物言いは百も承知だ。
だけど何となくだが、俺はメロンちゃんにどこか漠然とした恐怖の様なものを感じていた。
それが分かるまでは警戒を解くわけにはいかない。
「聞きたい事……ああ、ニュース……見たんですね」
無表情のままメロンちゃんがボソリと答える。
ぼんやりとした瞳。
何でこの子はいつもこう気だるそうなんだ?
まあいい、俺は余計な事は考えまいと頭を振って、再びメロンちゃんに向き直る。
「ニュース?じゃあアンタやっぱり何か知ってるんだな?」
俺は苛々しながらもメロンちゃんに聞いた。
「ええ、まあ……」
「あんた昨日言ったよな?『帰りは歩きか?』って、俺がバイクだって答えたら、『電車じゃないんだ』って、そしたらどうだ、俺の丁度帰宅時間に、○○駅で通り魔事件が起こった。しかも事件を起こしたのは、あんたが昨日の深夜、指をさした、窓の外にいた通行人の男だ!」
「あれは、あなたがそうしろって言ったから……」
「お、俺が?あんた一体何を言ってるんだ?」
「私聞きましたよね?この子だけでも開放してもらえますかって。あなたにも見えたでしょ?少しだけだったみたいだけど、白いワンピースの女……」
「白いワンピース……?何を……!?」
まさか……!?
俺はハッとして息を飲んだ。
あの時、窓ガラスに映りこんだ得体のしれない者の事を言っているのか……?
「そ、そんな!?いや、あれは錯覚で、その……」
だが、俺はそこまで言って言葉に詰まってしまった。
なぜ……なぜあの時の事をメロンちゃんは知っている?
確かに驚きはした。
だが何を見たかは誰にも話していない。
「正直驚きました。私以外にも見える人がいるんだって。とにかく、あの白いワンピースの女性はどうしようもなかったんです」
「どうしようもって……何がだよ?何なんだよ!?」
俺は思わず怒鳴り散らしていた。
「私以外にも見える?一体何が?目に見えない何かが存在するって言うのか!?」
だが、メロンちゃんはそんな俺の怒鳴り声にも微動だにせず、ゆったりとした調子で口を開いた。
「だって、あの白いワンピースの女性、皆殺しにするって言ってたんですよ?私の横にいた女性を使って、私とあなた、厨房にいる人も、そして朝になったら、この店の前を通る幸せそうな顔をした人達も皆……」
「み、皆殺しって、そ、そんな……!?」
「あの赤いワンピースの女性が、店に連れて来ちゃったみたいですね。この店、留まりやすい場所みたいだから。こういうの、霊道って言うのかな?」
留まりやすい?霊道?さっきから何を言ってるんだこの子は??
いや、それよりも……。
「ま、待ってくれ、じゃあ、あの時この子は諦めてもいい、でもそれ以上はだめだって言った後、外の男を指差したのは?あれは何だったんだ!?」
頭が麻痺していく様な感覚。
揺さぶられた心に、悪夢のような恐怖が膨れ上がってゆく。
「はい、赤いワンピースの女性の代わりに、あの人に憑くように、と……」
そこまで聞いて、俺は突然いう事を聞かなくなった足腰を支えられず、床にへたり込んでしまった。
耳元に、ストローを鳴らす音が響いてくる。
「美味しい……私とあなた、共犯ですから。罪は一人より、二人の方が軽いと思うんですよ」
そう言ってメロンちゃんは、相変わらずけだるそうな顔でストローを口に含んだ。
炭酸の泡がシュワシュワと音を立て、俺の目の前で、パチパチと弾けながら……消えて行った。
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