第七幕・白衣の天使でホワイダニット

問題編・よくある作中作について

1――ケータイ小説へ(前)

   1.




『題名/病院オブザデッド 著/ヒサメ』




 ――点滴には気を付けて。




 に忠告した隣のベッドのおばさんは、去年の暮れに帰らぬ人となった。


 市民病院の四階にある、六人部屋の四〇四号室。


 入院患者は、あたしも含めて、全三名。




 ――点滴が怪しいのよ。




 あたしの向かいのベッドを使ってたお姉さんも、大晦日に死亡が確認されたわ。


 おばさんとお姉さんの死因は、急性心不全と呼吸停止。


 医者さえも不思議がる唐突な死の連続は、あたしを恐怖のどん底に叩き落とした。


 病院で何が起こってるの――?


「みんな、どうして……」


 ――嫌な予感は的中する。


 ある日、霊安室の近くを通ったとき、なぜかうめき声が聞こえたのよ。


 霊安室は病院の地下にあって、普段は横切らないんだけど、地下へ降りる階段の前を通ることくらいはあるでしょ? そのときに、あたしは聞いてしまったのよ。


「喉からしぼり出すような、うめき声が聞こえる……」


 地下の霊安室から。


 這いずり回るような、死者の断末魔が。


 加えて、強い腐臭が立ち込めてる。


 まるで死体が腐ったような――。


「理不尽だわ。病院が死体を腐乱するまで放置するわけないのに」


 あたしは気になって、階段に目を向ける。


 周りには誰も居ない。


 覗き見るなら、今しかない――。


『ガアアアア……』


『オオオオ……』


 階段を降り、霊安室に近付くほど、慟哭めいた唸り声が耳朶を叩く。


 怖い……でも、ここまで来たら、引き下がれないよね?


 鼻が曲がりそうな腐臭も、どんどん濃くなる。


 肉が腐ったような、すえた悪臭。


 そして、あたしは目撃する――。


「か、看護師さんっ?」


 霊安室の前で、這いつくばう白衣の天使が居たわ。四〇四号室の定期検診やをしてた看護師よ。スラリと背の高い、今年から入った中途採用の新人――。


 その看護師は顔色が青紫に変色し、肉が削げ落ち、そこかしこにウジムシが湧いて、ゾンビみたいな腐乱死体の様相を呈してる。


 そう――ゾンビ。


「し、死んでるの? いや、動いてるから生きてる……きゃあっ!」


 新たな死体ゾンビが看護師さんを踏み越えて、霊安室から躍り出たわ。


 それは先月亡くなったはずの、隣のベッドのおばさんだった。


 ううん、それだけじゃない。


 同じく死んだはずのお姉さんまでもが、腐敗した肉体を引きずるようにして、朽ち果てた顔貌であたしを睨んで来る。


「みんな、何が起こってるの!」


 話しかけても全然通じない。


 のそり、のそりとこっちに近寄って来て、あたしへ手を伸ばして来る。


「B級ホラー映画じゃあるまいし……ゾンビって何の冗談よ!」


 あたしは踵を返す。


 逃げなきゃ。


 死んだ人たちは『点滴』に注視してた。点滴を交換してた看護師さんもゾンビ化した。


「よく考えるのよ、あたし。あの点滴に何か仕込まれてたのよね?」


 人間をゾンビに変えちゃう未知の薬品とか、ウィルスとか。


 いかにもホラー映画やゲームにありがちな世界じゃないのよっ!


『ウウウウ……』


 後ろからゾンビどもの声が迫って来る。


 あたしは階段を駆け上がって、助けを求めようとして――。


「いけない子ねぇ。院内を走るなんてぇ」


 地上一階に、あたしのママが立ちはだかってた。


 どうしてここに……って尋ねる間もなく、あたしはママに取り押さえられちゃう。


 え、何するのよ!


 じたばたもがくうち、背後からゾンビの群れが肉迫する。


 ゾンビは腐った口腔を開き、歯を立て、あたしの肉をむさぼるように食らい付く――。


「んぐっ……んああっ」


 あたしはあがく。


 あえぐ。


 もがく。


 でも、その程度の抵抗、ゾンビどもにはどこ吹く風。


 あたしは意識が遠のいて、全身が腐るように変色するのを自覚した。


 そして――かすかな腐臭を、自分の体から嗅ぎ取った。




   *




「何これ~怖いよぉナミダお兄ちゃん! やだやだやだ、助けて~」


 私ってば大袈裟に震えてから、リビングでくつろぐ双子のお兄ちゃんに抱き着いたわ。


 きゃ~、避けずに受け止めてくれるなんて優しいよ~。


 お兄ちゃん、ぼ~っとテレビを観てたんだけど、私の突撃を察知してからはテレビを消して待ち構えたわ。私の対応をしっかり構築してるみたいで嬉しいっ。……マニュアル通りにあしらわれてる気がしなくもないけど。


「シミュレート通り、ルイの声がしてからきっちり五秒で飛び付いて来たな。あるある」


「し、シミュレートしてたんだ……普段から私のことを考えてくれるのは幸せだけどっ。もっともっと四六時中、私のことだけ考えていいからね! むしろそれ以外は禁止!」


 あ~、新しい性癖の扉が開かれちゃいそうだよ~。


 ともあれ私は、お兄ちゃんへ日常的に懐いてる。いかに兄妹が仲睦まじくスキンシップしてるかっていう証左でもあるから、全世界で推奨すべきだわ。


 ――私、ルイ。


 湯島ゆしまルイ


 一六歳。高校二年生。


 お正月が過ぎ、そろそろ冬休みも終わろうという頃合いよ。あ~、またお兄ちゃんと離れ離れになっちゃう~。いっそ私も通信制に転学しようかな。無理だろうけど。


 お兄ちゃんは湯島ナミダと言って、私と双子なの。左足が義足で、そのリハビリに追われてるから、毎日通学できずに通信制学科へ在籍してる。


「で、ルイ。今日は何があったんだい?」


 お兄ちゃんが私の頭頂部を手で撫でた。今日は私、黒髪を下ろしたまんまだから、指先で梳いてくれると嬉しいな~。


 私は部屋着のポケットに突っ込んでたスマホを引っ張り出し、お兄ちゃんに見せる。


「じゃ~ん。これ見てっ。ケータイ小説を読んでたの!」


「小説? 珍しいな、ルイが活字を読むなんて」


 お兄ちゃん、柄にもなく眉を吊り上げてる。


 ぶ~。そこまで目を丸めなくたって良いじゃないのよ~。そりゃ~お兄ちゃんみたいなカタい本や専門書は苦手だけど~。


「友達から教わったの。ホラー小説なんだけど、すっごく暗示的っていうか、意味深で」


「ふぅん……ゾンビ物のパニック系かな」


 スマホ画面を一瞥したお兄ちゃんは『作品のあらすじ』をざっと通読したみたい。


 ものの数秒で概要を把握しちゃうなんて、さすが~。天才。素敵。愛してるっ。


「そ~なの。ゾンビのホラー小説で、病院内で謎の感染に見舞われた患者や医者、看護師たちが、次々とヒロインに襲いかかって――」


「ありがちありがち。なんたらオブザデッドの系統だろう?」


 に、にべもないお兄ちゃんだわ。


「ジャンルだけで判断しないで~。それを言ったらタイムマシン物のSFとか本格ミステリーだってパターン化されまくった陳腐なジャンルでしょ」


「ルイも言うようになったなぁ」


 感心したように、お兄ちゃんがスマホから視線を動かして、私を見下ろすの。


 きゃ~、見つめ合ってる。これはもう恋人も同然よね。うん、私とお兄ちゃんは今、愛し合ってるんだわ。


「そもそもゾンビってさ」すぐ目をそらしちゃうお兄ちゃん。あうぅ。「仮死状態になった人を埋葬したら、のちに意識を取り戻して土から這い出たのを『死体が蘇った』と曲解したのが始まりだからね。最近のホラーブームに出るゾンビとは、根本的に原典からかけ離れてて、僕は好きになれないなぁ」


 なんでスラスラとゾンビの発祥とか解説できるの、お兄ちゃん……。


 もちろんお兄ちゃんが博識なのは知ってたし、むしろ宇宙の常識だけど、それにしても知識の泉が底なし過ぎるよ~。


「でね、お兄ちゃん。この病院って、間取りが似てるのよ」


 私はそう教えながら、お兄ちゃんへ密着したわ。えへへ~すりすり。


「似てる? 何に?」


実ヶ丘みのりがおか市民病院によっ。お母さんの職場! 地下に霊安室があって、階段を登った先の描写とかが一致するの~」


「へぇ? どれどれ」


 興味を持ったらしいお兄ちゃん、私のスマホをひょいひょいといじって、ざっと本文を斜め読みしてる。


 んふふ、お兄ちゃんの指紋が私のスマホに付着してる~。これはしばらく掃除できないわね。ていうか舐め回したいくらい。


「ルイ」


「なぁに?」


 やがて読み終えたお兄ちゃん、やけにトーンの低い、神妙な声色を出したわ。


 感情を押し殺したような、ちょっぴり鬼気迫る凄みすら含ませてるの。


「これ、本当に『小説』かい?」


「そりゃ~そうでしょ。院内感染でゾンビ化して、ヒロインまで毒牙にかかって――」


「いいや」


 お兄ちゃんが首を横に振ったわ。




「これは恐らく、を示唆してるよ。あるある」



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