3――通路へ(後)
「二重人格がまだ存在してた……!?」
みんな、たまげる。私だって、おののいちゃう。
お兄ちゃんも眉をひそめてる。珍しいな~、本気で意表を突かれたみたい。
香水の匂いに誘われて蘇ったの――?
(もしかして、私たちに香水を持って来させたのって、このため?)
「どういうことですか、湯島さん!」
三船さんも、浜里さんも、一斉にお母さんへ詰め寄ったわ。さっきまで接近を手で制する側だったのに、打って変わって距離を詰めてたら世話ないわね。
「……私の夫……かつて洸治くんに殺された精神科医は……洸治くんの二重人格を治療しようとしていました……正式名称は『解離性同一性障害』……これの治療には、精神療法と薬物療法を併用して進められました……」
「精神と、薬物?」
「……精神科医や臨床心理士による問診と相談……および症状を抑制する抗鬱剤や抗不安剤などを投与して……二重人格の出現を減らし……本来の人格に統合させるのです……」
ふ~ん、二重人格ってそうやって治すんだ。
けど、洸治は治ってなかった。お父さんはそもそも治療途中で殺されちゃったしね。後を継いだお母さんは、一時的に『洋司』を眠らせることしか出来なかったの?
「……亡き夫は……二重人格を治療する傍ら……洸治くんを別の研究にも利用していました……わたしたちはそれを『怪物』と呼んでいますが……」
怪物って、感情の共有による思想の画一化、洗脳のために行なわれた功罪よね。
「……薬物療法の過程で……夫はいろいろな実験も併行しました……二重人格を抑える薬品と称し、実際は単なるビタミン剤を服用させて『プラシーボ効果』を試したり……」
プラシーボって、聞いたことあるわ。
薬学的には何の効果がないものを「お薬です」と信じ込ませて服用したら、なぜか本当に完治しちゃうヤツ。
物理的にはあり得ないのに、心の力で実現しちゃう怪奇現象――。
「……けれど……当時の洸治くんには逆効果だったようです……プラシーボではなく『ノシーボ効果』をもたらしてしまったんです……」
ノシーボ!
それ、先日も聞いたことあったような――デジャブかな?
ううん、確か元旦に、着物屋さんの事件で遭遇した言葉だわ!
「……ビタミン剤は……レモンなどの柑橘系と同じ成分です……それは『洋司』さんの大好きな香りだったので……二重人格を治すプラシーボではなく、ますます『洋司』さんの人格を定着させる『ノシーボ』の逆効果を与えてしまいました……」
完治しきれなかった要因は、それ?
洸治の中で、架空の『洋司』が強まって、お父さんへの反発を招いた――?
「――おれも存在を消されたくなかったんで反撃したんだよ『怪物』の力を逆利用して」
「!」
洸治の二重人格が、お父さんを殺害した動機。
身に着けた『共感能力』で『被験者』たちを焚き付け、お父さんに逆襲したんだわ。
お父さんは患者を治療してたのに、反逆されるなんてあんまりだよ。信じらんない。
「……夫は……夜道を帰宅中、背後からナイフで刺されました……被験者たち一人一人に……殺傷力の低いナイフで何度も何度も……即死させずじわじわと……被験者全員が一通り突き刺すまで……苦痛を味わわせながら……」
ひどいっ。
ていうか『殺傷力の低いナイフ』って、今さっきも聞いたような――?
「津波さんと同じ手口!」
強烈なデジャブ。既視感。
いや、ナイフで刃傷沙汰なんて『よくある事件』だから、深い意味はないのかな?
「……『洋司』さんの人格が……私怨を晴らすために刃渡りの短いナイフを持ち出す……これはあなたのやり口に共通する手法ですね……」
「――たったそれだけでおれの仕業だと断定するのは暴論すぎるだろナイフに指紋があったならまだしも何の証拠もないじゃないか」
「……あなたたち雨川家は……津波さんが洋司さんを殺したと思い込んでいました……再会した津波さんを憎む動機は充分にあるじゃないですか……?」
「――動機じゃなくて証拠を出せって言ってるんだよおれは」
な~んて『洋司』さんが自信満々に吠え猛った、そのときだったわ。
通路の入口から鑑識の人がバタバタ走って来て、三船さんに意外な朗報を提出したの。
ビニール袋に収納された、てのひらサイズの小物。
「主任、入口の植え込みから、ナイフの鞘とホルダーが発見されました!」
植え込みからっ?
鞘とホルダーって、凶器のナイフを納めるものでいいのよね?
「へぇ。犯人は植え込みにあらかじめ用意してたのか、あるある」ぽんと拳を叩くお兄ちゃん。「手許に常備してたら怪しまれるもんなぁ。こっそり忍ばせてたんだね」
「待ってよお兄ちゃん。植え込みって、津波さんのそっくりさんと出くわした場所?」
「そうだね。あの植え込みだ」
「君たち、そっくりさんって何のことだい」
三船さんが聞き咎めちゃった。
はうぅ、これって話した方が良いのかな? 事件に関係あるのか見当も付かないんだけど。けど目を付けられた以上は情報提供しないわけにも行かないし~。
「式が始まる前、津波さんそっくりな人が、植え込みに佇んでたんです」
お兄ちゃん、しどろもどろになる私の頭を撫でて、代わりに口外してくれたわ。
わぁい、撫でられた。もう全部お兄ちゃんに任せちゃって大丈夫かな。
「それは本当かい?」メモ帳を広げる三船さん。「じゃあその人がナイフを忍ばせたと? いや、でも何のために? というか津波さん本人じゃなく?」
「僕も知らないですよ。仮に本人だとしたら、津波さんは自分で用意したナイフで自分を刺された格好になりますし、おかしくないですか」
「何なんだろうねぇ。その人の服装や特徴は?」
「紺色のコートを着てました。髪型は無造作です。一方で、津波さんは深緑のコート、ヘアピンで髪をまとめてました。まぁその程度なら簡単に変装できますけど。脱ぎ捨てた衣装とか、近隣から発見されてませんか? または、コートはリバーシブルとか」
「うーん。浜里巡査部長、病院に訊いてみて」
「あっはい!」
間髪入れず浜里さんがスマホを叩いて、収容先の病院へ電話をかける。
返答はほどなく戻って来たわ。
「リバーシブルだそうです! 裏地が紺色!」
ええ~……じゃあ津波さんは別人の振りをしてたってこと?
髪型も変えて、せいぜい他人を装って?
「津波さんにとって、僕たちの遭遇は想定外だったから、咄嗟に別人の振りをしたのか」
「あ~。私たちが来たのってイレギュラーだもんね。雨川家やお母さんはすでに館内へ入ってたから、まさか屋外で顔見知りと鉢合わせるなんて思わなかったのかも?」
「だから、咄嗟に他人を装ったと。その後、津波さん本人として再会したときは、せいぜいコートを裏返し、髪型もまとめ直して、雰囲気を変えたのかも知れない。あるある」
そこまで話した所で、三船さんが異論を唱える。
「いや、服がかぶった程度じゃ確証にならないねぇ。市販の服なら他の人も着るだろう」
「なら刑事さん、僕のスマホをお貸ししますよ」
お兄ちゃんが突然、自分のスマホをハンカチでつまみ取ったわ。
やぶからぼうな申し出に、三船さんたちは頭にクエスチョンマークを浮かべてる。
「お兄ちゃん、いきなりどうしたの?」
「あのとき、僕のスマホをそっくりさんに触らせただろう? そっくりさんはスマホを操作するために手袋を外した。つまり指紋が付着してるんだ。刑事さん、津波さんの指紋と照合してみて下さい」
さ、さすがお兄ちゃんだわっ。
そうよそうよ! あのときお兄ちゃんってば、スマホにお母さんの画像を表示して、そっくりさんへ質問したのよね。この人知りませんか、って。
「一人二役の確認には、指紋が一番手っ取り早いからね。あるある」
それって以前も聞いたような――またデジャブ?
確か、双子の入れ替わり事件のときだっけ。世の中に、同じ指紋は二つとして存在しない……たとえ双子だろうと指紋は異なる。つまり、指紋は同一人物の決定的な証拠。
「ありがたく借り受けよう」スマホをビニール袋に押収する三船さん。「他に特徴はなかったかな? 口癖とか、仕草とか」
「変な格言みたいなものならありましたよ、あるある」
「どんな?」
「確か『この世の全ては心理が源である――なぜならあらゆる物事は『人の心』が動かしているからだ』とか何とか」
「……本当にそう言ったの……!?」
にわかに横槍を入れたのは、お母さんだったわ。
なんでお母さんが? 何か知ってるの?
「……その言葉は……わたしの夫だった精神科医の……『座右の銘』だった文言よ……」
お、お父さんのっ?
私たちはお母さんの顔色を仰ぎ見たけど、お母さんは決して目をそらさない。迷いがないんだわ。絶対の確信を持ってる。むしろ力強く頷き返したから驚きよ。
じゃ~津波さんも、亡きお父さんと繋がりがあったの? それとも、偶然?
私たち湯島家にとって、最大最後のミステリーが、喉元に突き付けられてたわ。
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