第二幕・白雪姫は仮面をかぶる

問題編・よくある密室について

1――ペルソナの視聴覚室へ(前)

   1.




 ――それは学校で発生したわ。


「もしもし、ナミダお兄ちゃん? 学校が大変なの! 助けて!」


『……部屋にこもりっ放しの僕に、何が出来るって言うんだい』


 えぅえぅ。だってだって、他に頼れる人なんて居ないんだもん。ていうか、私の拠り所はいつだって、お兄ちゃんが大部分を占めてるわけで。


 何かあれば、真っ先にお兄ちゃんへ問い合わせる。この世の必然だと思わない? 自然の摂理みたいなものよ。生物の本能よ。


 ――湯島ゆしまナミダ


 私の双子のお兄ちゃん。


 私立朔間さくま学園高等学校の、通信制学科二年生で、一六歳。


 ……って、肝心の私が自己紹介してなかったわね。けど、この世はお兄ちゃを中心に回ってるんだから仕方ないよね? はいそこ、ブラコンとか言わない。


 私は、ルイ。


 湯島ルイ


 私立朔間学園高等学校の、全日制普通科二年生で、一六歳。


 今日も今日とて、お兄ちゃんとの別れを惜しみつつ、登校したんだけど……しょっぱなの一時間目から、厄介ごとに直面しちゃった。


『周囲が騒がしいね』


 お兄ちゃんがスマホ越しに、周りの雑音を耳ざとく拾ってくれてる。


 ああ、さすがお兄ちゃんの注意力って凄いなぁ。惚れ惚れしちゃうよね~。いつも私の電話越しに立ち聞きする癖が付いてるせいかも知れないけど。


『ルイ、そこは教室じゃないね? 移動中かい?』


「きゃあ~、正解! やっぱりお兄ちゃんは天才ね! その頭脳なら、私の下着の柄とかも判るんじゃない? 答え合わせは家に帰った後、私を押し倒して確認してね。きゃっ、お兄ちゃんってば積極的、きゃっ」


『いや、しないから。移動教室だって、よくあるだろ? あるある。誰にでも判るさ』


「そんなことないもん、天才だもん。あ~んどうしよう、お兄ちゃんは全知全能だから、これ以上は何も言わなくても大丈夫そう」


『いや、話してくれよ』


「そ~お? 今日のパンツはブラジリアン・カットのハイレグよ。大胆に攻めてみたっ」


『下着じゃなくて学校の話だよ。通話切るよ?』


「はわわわっごめんなさいごめんなさい!」


 私、スマホに向かって何回も頭を下げちゃった。


 近くに居たクラスメイトたちが、不審そうに私を見つめてる。はうぅ、しまった。


 私は改めて顔を上げると、ぐるりと辺りを見渡したわ。


 校舎の、別棟。


 別棟には音楽室やら理科室やら家庭科室やら美術室やら視聴覚室やら、技能教科に使用する部屋が集約されてるの。さらに渡り廊下を突っ切ると、体育館にも繋がってる。


 ちょうど音楽の授業で、視聴覚室の前に来たとこよ。


 別棟の二階に構えられた視聴覚室は、音の反響とか浸透を考慮した間取りで、スペースもかなり広いわ。


「音楽の授業で、オーケストラの演奏を視聴覚室で上映することになってたの。でも、隣の視聴覚準備室にみたいで……」


『人が立てこもってる?』


 お兄ちゃん、珍しく声が裏返ってる。


 私もびっくりよ。他の生徒たちも呆れてる。廊下でだらけまくってる。


 視聴覚室の隣には、備品を整頓する準備室が併設されてて、上映機具もそこに保管されてるのよ。


 入口は、曇りガラスが嵌め込まれた引き戸だけど、鍵がかかってて開きやしないわ。


「そもそも準備室の鍵からして、職員室からくすねられてたみたい」


『それは不祥事だね。あるある』


 いや、ないってば。


 そんな頻繁にくすねられたら、職員の管理問題になっちゃうよぉ……けど、そういう冗談が口をついて出ちゃうお兄ちゃんも好き。


 今は、いかつい音楽教師がこめかみに青筋を立てながら、準備室内へ呼びかけてるんだけど、全くの音沙汰なしっぽい。


 そのうち他の職員たちも騒ぎを聞き付けて、ますます一大事になっちゃった。


「おい、開けろ! 開けないか!」


 音楽の沢谷さわたに先生、引き戸を殴るように叩いてる。


 うわぁ、駄目だよぉそれ。そんな力任せに叱責したら、ますます反発されそう。


「沢谷先生、そのやり方では余計に中の子が怯えてしまいます」


 ――沢谷先生の手がやんわりと掴み止められたわ。


 先生のすぐ横に、すらりと背の高い女性職員が立ってる。切れ長の双眸が艶やかな妙齢の女性で、白衣のコートを肩に引っ掛けてる。柔らかい声音が耳に心地い~。


 あれは――スクール・カウンセラーだったかな?


 短く切りそろえたショートの髪が涼しげで、凛々しいなぁ。


 シャープな外見も相まって、女子からの人気も高いのよ。ま、私にはよく判らない感情だけどね。お兄ちゃんより魅力のある人間なんて、この世界に居るわけないもん。


『今の声は誰だい?』


「あ、うん。学校でお悩み相談をやってる瀬川せがわみお先生。専用の相談室もあるんだけど、よく保健室で養護教諭も交えて、生徒とお話してるのを見るわ」


『ああ、カウンセラーか。道理で優しそうな声質だったわけだ』


 お兄ちゃん、電話越しにうんうんと頷いてる。


 むむぅ、私以外の女性に興味を示すなんて、ちょっとだけ腹が立つわね。何が優しそうな声質よ。私の方が断然プリティなのに。


『スクール・カウンセラーってことは、臨床心理士の資格があるのかな。心身の健康を担うって意味では、保健室とも親和性があるけど』


 病んでる生徒って大概、理由を付けて保健室で寝込んじゃうしね。


 カウンセラーも足しげく出入りしてるんだろうなぁ~。


「いたずらに呼びかけても駄目だわ。意思疎通を拒まれているもの」


 その瀬川先生、あっさりお手上げしてたわ。


 騒ぎを聞いて来た教師連中が、それじゃ困ると言わんばかりに瀬川先生へ詰め寄った。


 え、何これ。


 まるで原因が瀬川先生にあるみたいな風体の、包囲網なんだけど……。


「何とかしていただきたいですな、瀬川先生」


 なんて言いながら一歩迫ったのは、教頭先生の雨宮あまみやだったわ。


 雨宮は、瀬川先生より目線の低い短身痩躯で、猛禽類みたいなギョロつく目付きが怖いって評判の中年男性よ。当人は、厳しいストイックな教師像なんだろうけど。


「瀬川先生が相談を受けていた『保健室登校生』が逃走し、立てこもったそうですな?」


「立てこもったとはまだ確定できません」


「ほぼ確定でしょう。管理不行き届きですぞ。しかも、のこのこ職員室まで助けを求めて、いざみんなで来てみれば、授業に用いる沢谷先生へ迷惑をかける始末――」


 は~、そういう経緯だったのね。


 ていうか、保健室登校って何?


『今ので判ったよ』頷くお兄ちゃんが天才的。『保健室登校って、要するに不登校の一歩手前だね。学校に馴染めないものの、せめて保健室には顔を出して、養護教諭やスクールカウンセラーと身の上相談するわけさ。よくある話だ』


「お兄ちゃんは何でも知ってるね!」


『いや、普通だよ。その生徒が、何らかの逆鱗に触れて暴走した……と見るべきかな』


「だからって、わざわざ視聴覚室に立てこもらなくても良いのに~」


 そんな馬鹿な真似をやらかすから、学校に馴染めないんじゃないの? 本人に問題があるとしか思えないんだけど。


 とはいえ、話の全容が掴めないことには、迂闊なことは言えないか……。


 雨宮教頭がさらに、瀬川先生へ顔を寄せたわ。


「今朝の、その不登校生の様子はどんな感じだったのですかな?」


「不登校生じゃなくて、保健室登校生です!」頑として訂正する瀬川先生。「あの子……宇水雫うすいしずくちゃんは、特に変わりない様子でした。ゆうべは眠れたのかとか、朝食はきちんと摂ったのかとか、他愛もない会話を交わしました」


 ふ~ん、宇水雫って言うのね。女の子かな?


「それで、わたしも業務の支度がありますし、いったん席を外したんですけど、その隙にあの子が行動を開始したようです」


 大した実行力ね。そのパワーを、再び登校する努力へ費やせば良いのに、って思っちゃう私は、不登校への理解が足りないのかしら。


「朝、人の少ない時間に職員室へ忍び込んで、視聴覚準備室の鍵をくすねた、と」


「恐らく……はい」


「なぜ、わざわざこの部屋を選んだのだろうね?」


「心当たりがあるとすれば――」


 瀬川先生はふと、音楽の沢谷先生へ流し目をくれたわ。


 屈強な偉丈夫の沢谷先生は、学校指定のジャージ姿で睨み返す。ジャージは動きやすくて楽器の演奏を阻害しないからって理由で、年中その格好してるのよね。


「は? 自分に原因があるとでも?」


 沢谷先生は当然、矛先を向けられて反駁したわ。


 瀬川先生としばし、睨み合う。


 うわ~、漫画なら視線から火花が散ってる所よね、これ。


 けど、最初こそ強気だった沢谷先生も、心を見透かすような瀬川先生の面差しには敵わなかったのか、根負けして肩を落としたの。


「まぁ確かに、自分は宇水雫を知っていましたけどね! 自分が顧問を務める演劇部の、部員だったわけですから!」


 ――演劇部?


「そして演劇部が普段稽古している場所も、この視聴覚室なんです!」

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