第4話(5)



(意外にはやく着いたな・・)

 柚季は、目の前にある白くて大きな建物を眺めた。

 ヒビキが通っているであろう場所・・・桜川総合病院。

 学校の近くの駅から、30分ぐらい電車に乗り5分ぐらい歩けば到着した。

 街中に立つこの病院は、人の出入や車の出入が多くがやがやと賑わっている。

 柚季は自動ドアを通り抜け、病院の中に歩みを進めていく・・・が、すぐに立ち止まった。

(って言うか・・ヒビキに会うのってどうすればいいんだろ)

 彼がここに通っていると知っていても、人の出入が多いこの場所で・・しかも顏も知らない彼と会うことは、とても難しいと思える。

 ・・・けれど、やれることだけはやっておかないと。

「・・・」

 柚季は人がいない時を見計らって、受付の女性に歩みよった。

「あのっ・・」

 母ぐらいの歳に見える女性は、柚季が声をかけると親しげに、

「どうしたの?」

「ヒビキさんという人が、この病院に通ってるって聞いたんですけど・・今日は来てますか?」

 柚季が緊張気味にそう言葉を並べると、女性は考えるような仕草をする。

「ヒビキ・・ねぇ・・聞き覚えのある名前のような気もするけど、どこできいたのかしら」

「・・・」

「あ、あの人じゃない?歌うたい、のヒビキ。確かに彼、週に何度かここにきてるわよ」

 柚季が声をかけた女性と隣にいる女性が、代わりにそうこたえた。

「!ほんとですかっ」

「えぇ。きっとソプラノさんのお見舞いにきてるのね・・今日も見かけたから、もしかしたらまだソプラノさんの病室にいるかもしれないわね」

 女性はどこか憂鬱そうに、そう言葉を並べた。

 柚季はその言葉に、自分の耳を疑った。

「!?・・ソプラノのお見舞い?どうしてっ・・ソプラノってなくなったはずじゃ・・」

 柚季は境界にいるソプラノの姿を知っている。

 なくなった人しか境界にはいけないということも、もちろん知っていた。

「あら、知らないの?・・もう十年以上はたつのかしら・・その事故のとき、二人とも何とか命は取りとめたんだけど、ソプラノさんだけは今になっても目を覚まさないままなのよねぇ・・

 今ではすっかり、テレビにもでなくなっちゃったし・・若い子が知らないのは、仕方ないわよね」

「!・・・っ──うそ・・」

(ソプラノが・・生きてる?)

 予想もしない事実に、柚季は言葉を失った。

「・・・医者にも、目を覚ます可能性は低いって言われているみたいよ?」

「・・・」

「それなのに・・」

「っ・・ソプラノの病室ってどこですか!?」

 柚季は叫ぶようにそう言っていた。

 それに女性は驚いた様子で「305号室よ」と返す。

 柚季はお礼を言うことも忘れ、駆け出した。

 すぐにエレベーターに乗ると、3階へのボタンを押した。

 少しの沈黙の後、トビラは静かに開き柚季はエレベーターから降りる。

 ・・・が、ここは病室があるフロアではないらしい。

 壁にかけてある見取り図を確認すると、どうやら病室のフロアは渡り廊下を通った後にあるらしかった。

 柚季は305号室の場所をしっかりと確認すると、歩き出す。

 ・・・渡り廊下を歩いている時、柚季はあることに気付いた。

「!・・」

(誰か・・歌ってる・・?)

 渡り廊下の先を曲がった方から、誰かの歌声がきこえてくる。

 安心感のある、男性の歌声。

 今まで以上に、柚季の心臓はバクバクと強く波打った。

(もしかして・・ヒビキ!?)

 しかも、この歌。

 ソプラノが持っていた歌詞と同じものを歌っている。

 柚季は思わず立ち止まってしまう。

 とてもきれいな声。けれど、どこか悲しげで寂しさがあるようにも思えた。

 すると、その歌がやんだ。

 その後、すぐにきこえてきたのは、扉の開け閉め音。・・そして、人が立ち去っていく足音。

 柚季ははっとして、病室の前まで駆け寄ったが、すでにそこに歌をうたっている彼はいなかった。

 まだ近くにいる可能性はあると思うが、他の人々に紛れてしまった今では、探すことも困難だ。

「!・・・」

 柚季は病室の扉の横に貼りつけてある名札を見て、息をのんだ。

(音宮ソプラノ・・!)

 やっぱり・・・ソプラノは・・・─。

 柚季は病室のドアを開けると、緊張気味にその中に足を踏み入れた。

 そこには真っ白なベッドで眠っている女性が一人。

 綺麗な長い黒髪に、白い肌・・。

 その痩せ細った体や、腕に繋がれた点滴などを見ただけで、一気に現実を突き付けられた気がした。

 ソプラノは、今でもちゃんと生きている。大人になった姿で。

 その綺麗な顔立ちは、柚季の知るソプラノと繋がるものがあった。

(ソプラノに知らせなきゃ・・!)

 すずの二つ目のヒントをもらえる条件のことなんて、頭の隅の方のあった。

 ソプラノはまだ天界に行ってはいけない。

 だって、まだ生きているのだから。



 ソプラノは気のおもむくままに、歩みを進めていた。

 柚季の家からはだいぶ離れてしまったが、別にどうだってよかった。

 だって、あそこは自分の帰る場所ではない。

 それに、自分の過去を勝手にのぞうこうとした2人・・気に入らない。

「・・・」

 ソプラノはため息をつくと、辺りを見渡す。

 広い道を行きかう車に、建ち並ぶ家々やビル。空から降り注ぐ太陽の光。

 全てが懐かしかった。けれど、帰ろうとは思わない・・もう諦めはついている。

 ・・もう一度、地上にいくチャンスがくるとは思ってなかったので、今、自分がここにいることが正直信じられなかった。

 そして、少しだけ後悔していた。本当に自分は、ここにいていいのだろうか。

 あの日、意識を失うまえ、握っていたヒビキの手の感覚が今でもこの手に残っているような気がした。

 ソプラノは、その手を自分の手でぎゅっと握る。

(ヒビキ・・今、何をしているの?)

 あの頃は、何をするのにも一緒だった。

 私たちの歌う歌は、そのことが当然だというふうに綺麗に重なって、ずっと遠くまで響いてくれた。

「・・・」

 ・・・──その時、は突然やってきて。

 炎と煙に包まれた部屋で、私たちは最期を覚悟した。

 互いに手を取り合って、「天国で待ってる」って言いあった。

 私たちは、たった2人の家族。だから、離れ離れになるなんて考えられなかった。

 それなのに・・・

 ヒビキはまだ、来てくれない。

 ソプラノが地上に来たことを少しだけ後悔している理由は、もしかしたらこの行為は、ヒビキのことを疑っている自分がどこかにいることを認めていることなんじゃないか、と思うから。

 きっとヒビキは、探そうと思えばすぐ見つかる場所にいるのかもしれない。

 ・・・そうだとしても、会いに行こうとは思えなかった。

 それは、裏切ることになってしまうから・・ヒビキのことを信じて待っていた自分を。

「ヒビキ・・早く来て」

 少しでも早く、ヒビキと会いたい。そして、大好きなこの歌を、一緒に奏でたい。

 ソプラノは服のポケットを探る。

 ・・・しかし、そこには何もなかった。

「─・・」

(どっかで落とした・・?)

 ソプラノは立ち止まると、周囲の地面に視線を動かした。

 が、あの紙はどこにも見当たらない。

「よ!何か探し物か?」

 その声に顏を上げると、そこには微笑みを浮かべたシイカが立っていた。

「・・・」

「あの紙だったら、柚季が学校ってとこに持ってったけどなぁ」

「・・どこ?案内して」

「お前なぁ、オレがその場所、知っていると思うか?」

「・・・」

「ま!知ってるけどな!切断係はいろんな場所に行くからな」

 シイカはそう言いつつ、歩き出す。

 ソプラノもそれに続く。

 2人の間に会話がないまましばらく歩くと、突然シイカは立ち止まりこちらに振り返った。

「・・・どうしてお前、泣かないんだ?」



 柚季はソプラノが入院している病院を離れて、地元の駅に戻ってきていた。

 すぐ近くに学校があるが、そこに戻る気はさらさらなく、この周辺でソプラノのことを探そうと思った。

「・・・」

 そういえばすずは、ソプラノが生きているという事実を知っているのだろうか。

 ・・・いや、知らないだろう。

 すずはソプラノに対しては優しいようだし、知っているのならば「天界に連れてってあげて」なんていう条件にしないはずだ。多分。

(二つ目のヒントは、別の条件にしてもらおう)

 すずでも、それぐらいの融通はきいてくれるはずだ。多分。

 柚季は駅から離れて、取りあえず通学路の方へ戻ってみようと思った。

 学校がある通りに出たところで、柚季の目に通りに立つ2人の姿が映った。

 ・・・ソプラノとシイカだ。

「!」

(よかった・・会えたっ)

 そう思って近付こうとすると、シイカの「どうしてお前泣かないんだ?」という言葉が柚季の耳に届いた。

 柚季は思わず歩みを止め、二人の視界に入らない道へ引き返す。

 ソプラノが泣かない理由・・柚季も気になっていた。

(いや・・あの時は泣いてたけど・・)

 そうだとしても、ソプラノの感情表現の仕方は普通ではない。柚季はそう思っていた。

 シイカはソプラノの前にしゃがみ込むと、彼女の顏を覗き込む。

「かなーり久々に地上に来たんだろ?涙の一つでも流したらどうだ?ん?」

「・・・─何?私に泣いてほしいの?」

 ソプラノはいつもの無表情で、シイカを見る。

「そうだなぁ、いつもそんな仏教ずらされてもな!

 たまには泣くぐらいした方が、可愛げがあるってもんだろ?」

 ソプラノはそれに、明後日の方を向いた。

「・・・」

(大丈夫かな・・)

 柚季は二人の様子を内心ハラハラしながら、見守っていた。

 ソプラノがまた、剣を取り出したらどうしよう・・と考えていたのだが、今のところは何とか大丈夫そうだ。

 シイカはそんなソプラノのことは気にする様子なく、言葉を続ける。

「つーか、お前、どうして天界にいかないんだ?やっぱり地上に心残りがあるってことか?」

「・・・──知らない」

 ソプラノは明後日の方向を向いたまま、低い声でそう返す。

(って言うか、シイカ、率直に訊きすぎ・・)

 柚季はそう思いつつも、引き続き2人の様子を窺がった。

「今までお前みたいなやつは、散々見てきたけど、結果的にロクなことにはならなかったぞ?」

「・・・」

「今のうちに、さっさと天界に行った方がいいんじゃねーのか?その方が身のためだぞ!マジで」

「・・・うるさい」

「オレはお前のためを思って言ってるんだけどな、マジで!」

「・・・」

 ソプラノはそれに、シイカのことを睨みつける。

 先ほどまであった無表情は、いつの間にか消え去ってしまった。

「あなたに私の何が分かるの!?」

「何も知らねーよ、お前のことは。

 ただオレは、今までの経験をもとに言ってるだけだからな!参考にするのもしないのも、お前の自由だぞ~」

「っ──・・・」

 シイカは口元に笑みを浮かべ、ソプラノを見据え

「ただ、これだけは覚えておけよ?

 ・・・お前はとっくの昔にしんでるんだぞ。死んだ人間を想いつづける地上人なんて、絶対にいねぇー・・得にお前は、時間が経ちすぎているから特にそうだな」

「!・・・」

 ソプラノはシイカの言葉に、大きく目を見開いた。

 ・・・唇を噛みしめ、俯く。

「・・・──」

「・・・」

「・・・う・・う``・・」

 ソプラノが小さく肩を震わせたかと思うと・・・ポタリポタリと地面に水滴が落ちてきた。

「!ソプラノっ・・」

 柚季はとっさにその場から駆け出すと、ソプラノとシイカの方に駆け寄った。

「お、柚季じゃねーか!」

 シイカはお気楽そうにそう言ったが、柚季はそれを無視してソプラノとシイカの間に割って入る。

「ソプラノ・・大丈夫?」

 柚季はソプラノのまえにしゃがみ込むと、そう言った。

 ・・・彼女は絶え間なく涙を流し、それを必死に手で拭う。

 あのソプラノが、こんなにも感情をむき出しにするなんて柚季は信じられなかった。

「っ・・ソプラノ・・」

 言葉がでてこない。

 こういう時、何と声をかければいいのだろう。

「お?意外にあっけないなぁ」

 シイカがそう呟くのがきこえたので、柚季はすぐに

「サイアク・・何もあんないい方しなくてもいいじゃん!」

「もしかして、怒ってんのかー?

 つーか、こいつを天界に行く気にさせるなら、ある程度言葉を選ぶことも必要だぞ」

「!そのことはもう・・」

「そうだ、そうだ、そんなに地上での思い出?が大事なら、天界で働けばいいんじゃねーのか?切断係なら、記憶を抜かれなくて済むぞ」

「シイカっ・・もう何も言わないで!!ソプラノはっ・・」

 その時、まだ泣き止みそうにないソプラノの手が服のポケットに伸びた。

 そこから取り出されたのは、錠剤の入ったビン。

「!・・・」

 柚季はそれが何なのかすぐに分かった。

 すずの薬だ。

 ・・・──もしかして、ソプラノは・・・。

 ソプラノはビンのフタを開け、中の薬を取り出そうとする。

「!」

 その前に、柚季はそのビンを掴みソプラノの手から奪い取ろうとした・・が、ソプラノはそれを許してくれない。

「ソプラノっダメだよ!そんな薬飲んでちゃっ・・そんなの飲んでたらっ・・ソプラノのこと、何も分からなくなっちゃうし・・!!」

 それと同時に、柚季はソプラノの手から薬ビンを奪い取る。

 が、その衝撃で薬ビンは手からこぼれ落ち、鈍い音と共に地面に落ちた。

 ビンは割れ、中の薬が地面に散らばる。

「──・・・」

 ソプラノはそれを拾うこともしなければ、叫ぶこともせず、ただ立ち尽くしていた。

 ・・・みるみるうちにソプラノの目の淵に、涙がたまっていく。

「とっくにしんでる、なんて言われなくても分かってる!!

 泣くのも笑うのも怒るのも、生きている証でしょう?生きているから、出来るんでしょう?

 だから、勘違いしないために飲んでたのにっ・・頑張ってたのにっ・・どうして・・?諦めてたはずなのにっ・・どうして?」

「・・・」

「っ・・──もう一度、会いにいきたい・・会いたい!」

 ソプラノは手に顏をうずめて、泣きじゃくる。

 ・・柚季の手は、自然とソプラノの方へ伸びていた。そして、その手は彼女のことを包み込み抱きしめる。

 柚季は自分のその行為に驚く。

 知り合って間もない自分が、ソプラノのことを抱きしめたって、きっと彼女は安心なんてしてくれないと心のどこかで思っているのに、柚季の手はそんなこと関係なしだった。

 強く強くソプラノのことを抱きしめる。

(もしかして・・すずが?)

 分からない。けれど・・・

「ソプラノはちゃんと生きてるよ」

 柚季はソプラノのことを抱きしめたままそう言った。

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