第4話(3)



「いたた・・けっこうキツイ蹴りだぁさっきのは!せっかくかわいい顏してるのに、勿体ないぞ?」

 シイカの言葉に、ソプラノは手の中に大きな剣を現した。

「ちょっとタンマ!!」

 見ているだけではいかない状況になりそうだったので、柚季はソプラノとシイカの間に割って入る。

「・・・」

「二人とも、こんなところでケンカとかありえないし!

 せっかくすずがソプラノのことわたしに預けてくれて、二つ目のヒントをくれたんだから何か対策考えようよ!」

「・・・」

 シイカはそれにニカッと笑う。

「そーだよな!でもさっき、柚季もソプラノとケンカしてなかったか?」

「!・・あ、あれはケンカじゃなくて言い争いっていうか・・」

 思わず口ごもる。

 確かに口が悪いソプラノと一緒だと、少し気を抜くとケンカになってしまいそうだ。

 ここは自分のためでもあるのだし、ぐっと堪えよう・・柚季はそう思った。

「それにしても対策って具体的に何すりゃいいんだ?」

「・・そうなんだよね・・どうしよ」

「こいつは口堅そうだしなぁ」

 シイカはそう言いつつ、ソプラノのことを一瞥する。

「・・・」

 ・・ここは黙っていても仕方ない。

「ねぇソプラノ。どうして天界に行きたくないの?」

 柚季は思い切ってそう訊いてみた。

 ソプラノはそれに当別な反応はせず、柚季を見る。

「本当はそんなこと、興味ないんでしょ?

 柚季はただ、自分を助けるのに必死になってるだけ」

 ソプラノの言葉にカチンときたが、言い返したいのを何とかこらえて柚季は何を言うべきか冷静に考えた。

「何もそんな言い方しなくてもいいじゃん!

 ・・確かにわたし、すずから体を取り返すことに必死だけど・・それの何かいけないの?」

「──・・・」

「それに・・すずはソプラノのことを想って、このことを二つ目のヒントにしたんだと思うよ・・多分」

 柚季が何とかそう言葉を並べると、ソプラノはわずかに瞳を歪ませる。

「・・・分かってる。でも私、まだ天界にはいけないから」

 ソプラノの”まだ”という言葉が、柚季は気になった。

 ・・・そうか。ソプラノはいずれは天界に行くつもりなのだ。その時期が今じゃないだけで。

「まだってことはっ・・いずれは天界に行くつもりなんだねーよかった」

 柚季の言葉にソプラノの表情がわずかに動いた。

「意味わかんない。よかったなんて言える状況でもないのに」

「・・・ねぇソプラノ。もう一度、地上に行ってみない?」

 柚季はしゃがみこむと、ソプラノの目を見てそう訊いた。

 ソプラノが天界に行けないのは、もしかしたら地上に心残りがあるからなのだと思った。

「・・・」

「ちょっと無理してでもさ!頑張ってみない?そーしたら、ソプラノのためにもなるし・・すずのためにもなるし・・あ、もちろんわたしのためでもあるんだけど」

 ・・どちらにしろ、柚季はソプラノのことが気がかりだった。

 あのすずが、ソプラノのことを二つめのヒントにしたぐらいなのだから、きっとこの問題はよほどのことなのだろう。

 もしかしたら、ソプラノの助けになれるかもしれない・・それならば、もっと頑張れそうだと柚季は思った。

「・・地上に行けるの?」

 ソプラノはわずかに目を細める。

 柚季はすぐさま「うん!」と返すと、隣に立つシイカに目をやった。

「お、地上に行くんだな!見つからないように行けよ!誰かに見られたら、上にチクられるからなぁ」

 するとシイカは目の前の空間に掌をかざす・・するとそこに、白いトビラが音もなく現れた。

「ほれ、これで地上に行けるぞ」

「助かるーありがと」

「・・・」

「じゃーオレは、境界や天界にこいつの情報がないか探してくっかなー」

「・・うん、よろしく」

 そしてシイカは、踵を返すと立ち去って行った。

 柚季は白いトビラの取っ手に手をかけると、それをそっと開いた。

 ・・・そこには真っ白な空間が広がっている。

 どうやら、まえ柚季が地上に行った時、アルトが現してくれたトビラ同じもののようだ。

「じゃ、行こうか?」

 柚季は斜め後ろにいるソプラノにそう言い、トビラに入ろうとするが・・

「私、行くなんて一言も言ってない」

「は・・?」

 柚季はソプラノの予想外の言葉に立ち止まり、彼女の方へ振り返った。

 ソプラノはいつもの無表情で、柚季を見る。

「・・でもさ!さっき、いかにも行きたそうにしてたよね?」

「それは柚季が勝手にそう思っただけ」

「っ・・でも絶対に・・さっき・・」

 柚季は言葉を続けたくなるのを何とか抑え込む。

 これではまた言い争いになりかねない。

(ここは冷静になって・・っと・・)

「いいじゃん!行ってみようよ!地上にっ・・ほら、ずっと境界にいても飽きちゃうでじょ?きっとこういう機会、めったにないよ!」

「・・・」

「・・ね?行ってみよう?」

 柚季はソプラノの手を取る。

「──・・・」

 ソプラノは柚季の手を振り払うことはせず、ただ視線の下に向け黙りこくっていた。

 ・・柚季はソプラノの手を掴んだまま、ゆっくりと歩き出す。

 この場から動いてくれないと思ったのだが・・・

「・・・」

 ソプラノは柚季と一緒に歩きだし、そして二人はトビラの中へ歩みを進めた。

 真っ白な空間を少し歩くと、突然足元の感覚がなくなった。

「!!」

 それと同時に、柚季の体全体に空中を落下していく感覚が伝わる。

 するとすぐに、柚季とソプラノは別の空間に投げ出され・・・着地の体勢がとれなかった柚季は、そのままの勢いで床に転がった。

「っ・・・痛った~ここって・・・」

 柚季は何とか体を起こすと、周囲を見渡す。

 よく知る光景・・自室だ。

 後方にあるクローゼットの扉は、開けっ放しになっており・・どうやら柚季たちは、その中からでてきたようだ。

(できればもうちょっと、丁寧に帰してほしいんだけど・・)

 一方、着地に成功したソプラノはそんな柚季を見ると、無表情で

「ドジ。柚季って」

「ソプラノが器用すぎると思うんだけど!」

 ソプラノはそれに小さくため息をつく。

「・・ここは・・柚季の部屋?」

「うん、そうだよ」

 柚季はそう返しつつ、立ち上がると部屋の電気をつけた。

 何時になったのだろう。外はすっかり日が落ち、真っ暗だ。

 そう思って時計を確認しようとすると・・・

「ゆず、いつの間に帰ってきたの?」

 自室の出入口にいつの間にか立っていた母が、そう訊いた。

 柚季は慌てて、

「ついさっきだよ!」

「そうだったの・・全然気づかなかったわ・・それとさっき、大きな音がしたみたいだけど・・あら、その子は?」

「!!」

 母の視線は、柚季の隣に立つソプラノの方へ注がれている。

(うそっ・・見えてるの?)

 思わぬ事態に、柚季は焦った。

 境界に住むヒトも、アルトと同じように、地上では姿が見えないようになっているのだと思っていた。

「ゆずのお友達?」

 母はそうソプラノに問いかける。

「・・・」

 がソプラノは黙りこくったままだ。

「・・そ、そう!最近、友だちになったの!」

 沈黙が長引かないうちに、代わり柚季はそう返した。

 母はソプラノに向かい、微笑むと

「お父さんとお母さんが心配しないうちに、帰りなさいねー?」

「・・すず様にそっくり」

 ソプラノは、母が出入口から離れようとした時、突然そう言った。

 それに、母の足が止まる。

 ソプラノはそんな母のことを、じっと見据えている。

「ちょっと・・ソプラノっ・・」

 柚季は焦った・・・が、言われてしまったからには、もう遅い。

 柚季も、すずと母がどことなく似ていると、前々から感じていた。

「・・すず・・って・・」

 母は、引きつった表情でソプラノを見た。

 柚季は必死になって、

「す・・すず様って、この前読んだ漫画にでてきたキャラだよね!うん、確かに母さんとすず様、似てるかもっ!」

 笑顔でそう言葉を並べた。

「・・・」

 母はそれに、引きつった表情を少しだけ和らげると部屋から離れていった。

 ・・・上手く誤魔化せただろうか。

 分からないが、取りあえずその場を切り抜けられたことに、柚季はほっと胸を撫でおろす。

「・・ソプラノー!あんま余計なこと、言わないでよ!」

「どうして?言っちゃまずかった?」

「・・うん・・でも、もういいけど・・」

 柚季はそう言っておく。

 このことは、ソプラノには直接関係ないことだし、あまりややこしくはしたくなかった。

「って言うか、ソプラノって地上のヒトにも見えるんだ?

 アルトとかシイカのことは見えてなかったから、てっきりソプラノもそうだと思ったんだけど・・」

 柚季がそう言葉と並べると、

「・・・私はまだ天界に行ってないから。

 どっちにしろ、関われないことは同じ」

「・・・そっか」

 ソプラノの無表情な顏と声では、それが彼女にとってどんな意味になるのか、柚季には分からなかった。

「・・・って言うか、ソプラノ!せっかく地上に来たんだし・・どっか行きたいところあるー?

 あ・・でも、今からだとさすがに無理か・・」

 部屋の時計を確認すると、もうすぐで夜の八時になろうとしていた。

 夜だと歩きまわりにくいし、明日からにした方がいいかもしれない。

「・・・」

「ソプラノ、行きたいところ考えておいてね?明日の朝までにっ」

「・・行きたいところなんて・・ない」

 相変わらず、ソプラノの言葉は冷たい。けれど、ここで落ち込んでいるわけにもいかない。

「久々に地上にきたのに、そんなことあるわけないじゃん!どっかしらはあるでしょ?」

「・・・」

「ってことで、今日はわたしの部屋に泊まる感じでいいよね?」

 柚季の言葉に、ソプラノはわずかに眉間にしわを寄せる。

「何で私が」

「ま、いいじゃん!・・ね?」

 柚季はにっこりと笑い、そう言った。



 柚季の母は、柚季の部屋から居間に戻ると、ぎゅっと唇を噛みしめる。

 最近、すずを思い出す機会が多いのは何故だろう。

 そう・・柚季がすずの絵本を持ち出したときぐらいからだ。

 ・・・柚季はすずの生まれ変わりだから、その絵本を持ち出したのだ。

 そう思って、すずを幼い頃にしなせてしまった事実を、その悲しみをいやそうとしていた。

 最近、すずを思い出す機会が多いのはきっと・・・何故だか、柚季がすずに見える時があるからだ。

(もしかしたら、本当、なのかもしれない)

 柚季の母は、そう思わずにはいられなかった。



 そして、真夜中・・・

 柚季はベッドの端の方に体を寄せて、目を閉じていた。

 ベッドに入ってどのくらい時間がたっただろう。

 なかなか寝付けない。

(わたしから提案しておいて、緊張して寝れないって・・・)

 今、柚季がいるベッドにソプラノも一緒に入っていた。

 もちろん、彼女は端の方に体を寄せ、柚季に背を向けている状態なのだが。

 母にはソプラノは帰ってしまったと報告してしまったので、予備の布団を用意することも難しい。

 それに、ソプラノを別の場所にほったらかしにして、自分だけベッドでぬくぬくとしているなんて嫌だった。

(ソプラノ・・寝たかな)

 このような展開になった当初、ソプラノは苛立ちを募らせていたようだが、今では少しそれは落ち着いてきた・・?ように感じる。

「・・・」

(明日は・・ソプラノの行きたいところきいて、一緒に行ってみよう)

 嫌がるかもしれないけど・・・──

 生きていた頃、ソプラノは一体どんな生活をしていたのだろう。

 どんな人と一緒にいたのだろう。

 家族は?友だちは・・・?

 ゆっくりと眠気が、柚季の中に降りてくる。

(明日・・がんばらないと・・)

「──・・・」

「う``・・う・・ぅ」

「!・・・」

 突然きこえてきた泣き声に、柚季ははっとした。

(ソプラノ?)

 寝返りをうち、彼女の様子を窺がってみる。

 ソプラノは柚季に背を向けており、それに部屋が暗いのでよく見えない。

 けれど、絶対に・・・

「う``ぅ・・う・・」

「!ソプラノっ・・大丈夫?」

 柚季はとっさにそう声をかけたが、ソプラノはこちらに背を向けたままだ。

 ソプラノはその小さな背中を、微かに震わせる。

「うぅ・・待ってるって約束したのに・・」

「!・・」

「・・どうして来てくれないの・・ヒビキ・・うぅ・・」

「!」

(ヒビキって・・──)

 一体誰だろう。

 その後もソプラノは、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。

 柚季はそんなソプラノの声をききながら、ただ戸惑うしかできなかった。

 今の自分は、ソプラノのことを苛立たせることしかできないのかもしれないけど。

 柚季は手を伸ばすと、ゆっくりとソプラノの背中をさすってあげた。

 ソプラノが泣いている詳しい理由なんて、分からない。

 けれど、そんなこと気にしている場合ではない。

 ・・・何もできない自分だけど、これだけはできるから。

 少しでも早く、ソプラノの涙が止まりますように・・──。



「柚季、いつまで寝てるの?」

「!」

 柚季はその声に目を覚まし、反射的にベッドから体を起こした。

(うそっ寝すぎた!?)

 学校に遅刻してしまう、そう思って枕元の時計に目をやると、

「あれ・・いつもより早いんだけど・・」

 それと同時に紺色のワンピースが、視界の端に映り込む。

 柚季のベッドのすぐ横には、ソプラノが立っていた。

 てっきり母に起こされたのだと思ったのだが・・・どうやらそれは、ソプラノだったらしい。

「おはよーソプラノ」

「そんなにのんびりしてていいの?ガッコー遅れると思う」

「・・・大丈夫ー学校始まるまで、まだ時間あるから」

「でも、私が生きてた頃はもっと早く・・・」

「・・・」

「・・・」

 柚季はいつのまにか、微笑んでいた。

 ソプラノは「ならいい」と呟くと、柚季に背を向け、テーブルの前に座り込む。

 ・・・まるで夜のことがなかったように、ソプラノは普段通りのソプラノだった。

(・・・大丈夫かな)

 あの時、どうして泣いていたのだろう。

 ・・・気になったが、今はまだ訊けないし訊きたくない、柚季はそう思った。

 柚季はベッドからおりると、

「じゃー用事済ませてきちゃうから、ソプラノはここにいてね!」

 そう言って部屋を後にした。


 柚季が用事を済ませて部屋に戻ると、そこにちゃんとソプラノはいてくれた。

「ソプラノ、お待たせー!どこ行きたいか決めた?」

 柚季はソプラノの隣に座ると、早速そうきいてみた。

「・・・行かない」

 ソプラノは相変わらず無表情で。

 柚季はため息をつくと、

「・・約束したじゃん!朝までに決めておくって!」

「私はそんな約束、した覚えはない」

「・・・・」

 ソプラノと少しは仲良くなれたと思っていた柚季は、肩を落とす。

 やっぱりソプラノは、なかなか頑固だ。

「・・どっちみち、今日柚季は学校なんでしょ。サボる気なの?」

「・・・うん、別に一日ぐらい・・」

 とその時、柚季のすぐ隣に誰かが音もなく現れた。

「よ!柚季!」

 それと同時に、バシリと肩を叩かれる。

「びっくりしたっ・・シイカ!急に現れるのやめてよ!心臓に悪いしっ・・あと、痛い!」

「お、わりぃな!」

 シイカはニコニコしながらそう言うと、今度は柚季の背中をゴシゴシとさする。

「もういいからっ・・・でも、どうしたの?」

 シイカはそれに、腕にかかえるように持っているクリアファイルの中の資料を机の上に広げた。

「こいつのことが分かる資料、集めてきたぞー」

「まじで?すごいじゃん」

 柚季はそう言いつつ、それらに視線を落とす。

 目についたのは、一番手前にある資料。

 そこには・・氏名、生年月日、家族構成、なくなった日付、生きていた頃の思い出など・・がかかれてあるようだ。

 恐らく、まえアルトが持ってきてくれたすずの資料と同じものだ。

 よく見ようと、資料を手に取ろうとするが、その前にソプラノが資料をかき集めて自分の前に持ってきた。

「!・・ちょっと・・ソプラノっ」

「──・・」

 するとソプラノは、資料をわし掴みしてビリビリと壮大に破きはじめる。

「!?」

 ソプラノはそれを何度も繰り返し・・シイカの持ってきた資料は原型をとどめることなく、机の上や床に舞い落ちた。

 柚季は思わね事態に、ただ茫然とするしかできなかった。

「折角持ってきたのに、そりゃねーだろ?」

 シイカは不機嫌そうに眉を寄せ、ソプラノの顏を覗き込む。

 ソプラノはそんなシイカのこと睨みつけると、顏を背けた。

「おぉっこえぇこえぇっ」

「・・・」

「ソプラノ・・」

 柚季が言葉を続けようとすると、ソプラノは立ち上がり

「勝手に見ないで」

 そう力強く言うと、部屋からでていってしまった。

「・・・」

「連れ戻してくっか!見失うとまた面倒だしなぁ」

「・・待って!」

 部屋から出ていことするシイカを見て、柚季はとっさにそう声をかけた。

「んだよ?」

「今追いかけても、余計ややこしくなるだけだと思うけど・・それに悪いのは明らかにウチらの方だし」

「は?つーか・・ヒントをクリアーしなくちゃやべーんだから、あいつの反応をいちいち気にしてるのもどうかと思うぞ」

「・・・はぁ」

 柚季は小さくため息をつく。

 シイカの言っていることは間違っていない・・・──けれど。

 ソプラノの気持ちを考えてあげられなかったことを、柚季は後悔していた。

 ヒントをクリアーすることも大事だが、それと同じぐらいソプラノの気持ちも気にしてあげたかった。

「・・やっぱりわたし、ソプラノのこと探してくる!シイカはここで待ってて」

 シイカが一緒に行ったら、何を言われるか分からない。

 だから、自分ひとりで行って「ごめんね」と謝りたかった。

 そう思って立ち上がろうとした時、さっきまでソプラノが座っていた場所に紙が落ちていることに気付いた。

 小さく四角に折りたたまれている。

(何だろ?ソプラノが落としたのかな)

 拾い上げたその時、

「ゆず!まだいたの!?早くしないと遅刻するわよ?」

「あ・・」

 見ると、部屋の出入口に苛立った様子の母が立っていた。

「それに、机の上にあるプリント、今日が提出期限だったわよね?ちゃんと出してくるのよ?」

 母が言うプリントというのは、先日、母にサインしてもらった志望大学を第3希望までかいたもの。

 ・・・すっかり忘れてた。

「分かったー」

 柚季が適当に返事をすると、母はその場から立ち去っていく。

 ・・・けれど、柚季は学校に行く気なんてさらさらなかった。

(ソプラノのこと、早く見つけないといけないしっ・・)

「柚季~どうすんだ?学校行かねーとやべぇんじゃねーのか?」

 シイカはお気楽そうに、柚季にそう訊いた。

「別に大丈夫!どうにかなるし」

 するとシイカは、机の上に置いてあるプリントを覗き込むと

「これ、大事だ書類なんだろー?

 まだ生きるつもりなら、こーいうことはきちんとするべきだぞ。しんだ時に後悔してもおそいからな」

「・・こんなプリント一枚で後悔するわけないしっ・・・

 それに、シイカも生きてた頃の記憶、ないんでしょーだから、そんなこと言われても説得力ないっていうか・・」

 ミオの仕事につき合わされたとき、柚季はそのことを知った。

 アルトの地上で生きてた頃の記憶もないようだし、きっとシイカもだろう。

「ん?そんなこと、どこで知ったんだ?」

「ちょっとねーいろいろあって」

「確かに天界で働くほとんどの奴らは、そうみたいだけどなぁ。

 でも、オレは違うぞ。切断係だからなー!もと、だけどなっ」

「え・・」

 柚季はシイカの言葉を意外に思った。

(そう言えば・・一部を除き、消されるって・・)

 その一部というのは、切断係のヒトたちのようだ。

「・・じゃ、シイカは生きてた頃の記憶、あるんだ?」

「まぁな!」

「・・・」

「・・・」

「き・・記憶があるってどんな感じなの?」

 いろいろと興味をそそられることはあったが、柚季の口から出てきた言葉は結局それだけだった。

「はぁ?どんな感じって言われてもぁ。オレにとっては、これが普通なわけだしな!

 柚季も、今までの記憶があるってどんなだ?って訊かれても困るだろ?」

「・・うん、まぁ」

「ま!でも、記憶を抜かれた奴よりは得してると思うけどな」

「ふーん・・」

 柚季は机の上のプリントに視線を移す。

 生きていた頃の記憶があるシイカに、あの言葉を言われたなら・・・説得力はある。

 もしかしたらシイカは、たくさん後悔していることがあるのかもしれない。

「・・・」

 もしかしたら、そのプリントを提出しなかったせいで思わぬ展開になって・・・思わぬ後悔をしてしまうかもしれない。

「じゃー取りあえず、そのプリント持って学校行くから!

 シイカはソプラノのこと、探してもらっててもいい?探すだけでいいから!話しかけないでね!」

 柚季が早口でそう言うと、シイカはニカッと笑って「おうっ」と言った。

 そして柚季は急いで準備を済ませると、部屋を後にした。

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