第2話(5)




「柚季ー。もう部活、終わりの時間だよ?」

 隣の机で帰る支度をしている琴音が、まだスケッチブックの上に筆を走らせている柚季にそう言った。

「あーもうこんな時間かっ・・・でも、今きり悪いからもう少しやってこーかな」

 美術室から見える景色は、もう闇に包まれていて他の部員たちも帰ってしまったようだ。

「そっかぁ。じゃぁ、あたしはもう帰るねー。もう暗いし、帰り気を付けてねー」

「うん。琴音もね。じゃ、また明日!」

「うん。ばいばい~」

 柚季は琴音に手を振り返すと、彼女の背中を見送る。

「よしっ・・あと少し」

 今は、文化祭で展示する絵の制作中。

 あと、この木の葉を塗り終わればキリのいいところまで終わる。

(あっでも、今日、病院行く日だったから・・もう少し残っても大丈夫かな)

 この瞳が病気じゃないと分かっても、病院に通うふりは続けなくてはいけないわけで。

 病院に行く日は、帰りが少し遅くなる。・・・だから今日は、もう少し残って作業を続けよう。

 そんなことを思っていると・・・突然、スケッチブックが大きく震えた。

「!!」

 パラパラと勝手にページが捲られ、あの絵、のページで動きが止まった。と同時に、そこから強い光が発せられる。

「もしかしてっ・・」

 そう思うのと同時に、スケッチブックからひょっこりと顏を出したのはアルトだった。

「あっ柚季さん!早速会えましたね!」

 アルトは安心したような表情を浮かべる。

「・・・っていうか!急にでてくるのやめてほしいんだけどっ。今、学校だし・・誰かに見られたら・・」

「大丈夫ですよー。僕たちは、普通の人たちには見えないようになっていますから」

 アルトはにっこりと笑った。

「確かに、そーかもしれないけどねー・・」

 もし、今ここに誰かがいたら、自分は空気に話しかけているおかしな人になってしまう。

「ちょっと待っててください。今、そっちに出ますから」

 アルトはそう言いつつ、スケッチブックから体を出そうとする。

 柚季は、とっさにこの場から距離をとると、そんなアルトを見守った。

 やはり、窮屈そうにスケッチブックからでてくるアルト。

 その反動で、スケッチブックが乗った机がグラグラと揺れている。

「・・・」

(何か危なかっしいんだけど・・)

「ちょっと待って・・机の上じゃ危ないから、別の場所に・・」

 そう言っている間に、アルトはスケッチブックの中から完全に抜け出た。が、その瞬間彼が乗ったことにより、バランスを崩した机が大きく倒される。

「う、うわぁ!」

 もちろん、その上に乗っているアルトも机と一緒に大転倒した。

「ちょっと!大丈夫??」

「いたた・・・すみません、大丈夫です。柚季さんは大丈夫ですか?」

「わたしは離れたところにいたから、大丈夫だけどっ・・」

 柚季はただただ苦笑するしかなかった。

 そして、立ち上がると水道のシンクにかけてあるぞうきんを持ってきて、こぼれてしまった水をふき取る(絵を描くのに、容器に溜めておいた水だ)。

 が、完全にふき取る前に、アルトがぞうきんの上に無理やり手を乗せてきた。

「僕がやりますよ!」

「・・・じゃぁ、よろしく」

 後のことはアルトに任せて、柚季はぞうきんから手を離した。

「・・・っていうか、スケッチブック以外にここに来る方法ないの?何か、狭そうだし・・」

 アルトは手を動かしながら、それにこたえる。

「あるにはありますよ。でも、スケッチブックからの方が、早く柚季さんに会えると思ったので!」

「・・・そういうわけ、か」

「はい」

 アルトが床を拭いている間、柚季は他に散らかったものを片付けていく。

 アルトは水道でぞうきんをすすぐと、元あった場所に丁寧にそれを戻し、柚季のところまできた。

「あのですね・・ちょっとお願いしたいことがありまして」

「?・・何?」

 アルトは少し言いにくそうに表情を引きつらせたまま、

「魔女さんから預かった白い本・・・少しの間、僕にかしてくれませんか?」

「!・・どうして?」

 少しだけ黒い感情が、心の隅にくすぶる。

「やっぱり危険なものかもしれませんし・・一度、課長に見てもらおうと思いまして」

「・・・」

 柚季は思わず黙りこくる。

 確かに危険が全くないというわけではないが・・・──。

(肌身離さず持っていた方がいいって言われたし・・)

「確かに危険がないとは言い切れないけど・・あのソプラノって子、言ってたじゃん。肌身離さず持っていた方がいいって」

 柚季がそう言葉を並べると、アルトはより困ったような顔をした。

「でも、少しの間なら大丈夫ですよっ。持っていくと言ってしまったんです・・」

「うーん・・」

(アルトの課長なんだし、渡したとしても大丈夫だとは思うんだけど・・)

 この場合、すずの言葉を無視することになる。本当に大丈夫なのだろうか。

「地上で会えなかったとはいえ、魔女さんは柚季さんのお姉さんなわけですしね・・・信頼したい気持ちも分かりますが・・・──やっぱり、まだ完全に信じるのには・・」

「!・・・そんなんじゃないっ」

 アルトの言葉に、柚季は思わずそう叫んだ。

 ・・・自分はすずを完全に信じているわけではない。ただ、希望を捨てたくないだけだ。

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・分かった。預けるからっ・・出来るだけ早く返してね?」

 柚季は仕方なく、そう言った。

「・・アルトにもいろいろ事情があるわけだし」

「あっありがとうございます!」

 そして柚季は、カバンの中から白い本を取り出しそれをアルトに手渡した。

「課長に見てもらったら、すぐに返しにきますね」

「うん」

 柚季はできるだけ明るく返事をした。

 すると、アルトは床からフワリと浮き上がり「ではっ」とにこやかに言うと、天井を通り抜けて姿を消した。



 アルトは取りあえず境界に戻ってきていた。

 天界に行くには、境界にある天界へのトビラを通る必要があるからだ。

 アルトが目の前にある扉を開くと、そこには森が広がっていた。

 上からの暖かな木漏れ日が、そこに立つ天界へのトビラの周囲に広がっている。

(天界に行ったら、はやく課長に会わなくちゃですね)

 少し無理を言って、柚季からかりてきてしまったのだから、一刻も早く返したかった。

 アルトが、天界へのトビラの取っ手に、手をかけようとした、その時、後方に誰かが立つ気配がする。

「!・・」

 振り返るとそこには・・

「勝手に持っていかれちゃ困るわぁ・・それは私がゆずにあげた大切なものなのに」

 すずが不服そうな表情を浮かべ、立っていた。

「魔女さんっ・・・」

 すずは深いため息をつく。

 アルトは思わぬすずの登場に、混乱していた。

(一体どうしたらっ・・)

 きっとこのままだと、この本を天界まで持っていくことはできない。・・・が、天界へのトビラはすぐ目の前だ。

「っ・・・」

 アルトは、一か八か、トビラの取っ手に手をかけた。

 が、それと同時に、いつの間にか隣に立っているすずにその手を掴まれる。

「離してください!」

「・・・──ゆずを惑わすようなことを言うの、やめてくれる?」

「!・・僕はそんなこと、言った覚えはっ・・」

 それと同時に、すずは空いている方の手にバチバチと電気の塊のようなものを現す。そして、それをアルトに勢いよくぶつけてきた。

「っ!」

 息がつまる感覚と共に、アルトの体は後ろへ吹っ飛ばされる。それと同時に腕にかかえていた白い本は地面に落ちた。

 丁度、すずの足元の地面に。

 すずはそれを拾い上げると、

「アルトくんは、ゆずが体を取り戻すのに大切なヒントを捨てるところだったのよ、分かる?」

「・・・捨てるなんてそんなっ・・──僕はそんなこと、一度も思ったことないですよ」

 アルトは何とか立ち上がると、手の中にたくさんの術が記してある分厚い本を現した。

「あなたの課長さんが、この本を燃やしたり切り刻んだりしちゃったら、結果は同じじゃない?」

 アルトはそれにビクリとする。

「課長に渡そうとしていること、どうして知ってるんですか?」

「・・・ほんと、学ばない子ねぇ。ゆずの左目を通して伝わってくることはたくさんあるわ」

 すずはそう言いつつ、アルトに歩み寄ってくる。

 アルトは思わず後ずさりながら、

「そういう盗み見るようなこと、やめてもらえませんか?」

「別にいいじゃない。ゆずは私の可愛い妹なんだから」

「─・・」

(何か、動きを封じる術はっ・・)

 アルトはすずの接近に焦りながらも、必死に本のページを捲っていく。

「!」

 とその時、アルトの右足がピタリと動かなくなった。

 ・・・見ると、地面から伸びた植物のツタのようなものが足に絡まっている。

 すずはそれに口元に笑みを浮かべる。

「余計なことはしないことね。アルトくん」

「何なんですかっこれはっ・・・──」

 アルトは足を必死に動かして、ツタを振り払おうとするが、無理だった。

 すずはアルトの前まで歩み寄ると、術の本を奪い取り遠くへ放り投げてしまった。

「!・・」

「ははっ・・さぁどうする?」

 すずはその瞳で、アルトを見据える。

「っ・・──」

 アルトの額に、嫌な汗がじんわりとにじみ出た。

「これがないと困るわよぇ・・ゆずに返せないし・・課長さんとの約束も守れないし・・」

「・・・」

 すると、すずは手に持つ白い本をアルトに押し付ける。

「!」

 アルトは思わずそれを受け取った。

「この本は、私が持ってても意味ないから」

「─・・」

 すずは困ったような顔をして、口元に手をあてると、

「・・でも、君が課長さんに渡しちゃうのも困るわぁ。きっとそうしたら、すぐに処分されちゃうから」

「何言ってるんですか?課長には少し見てもらうだけですよ」

 アルトはとっさにそう言うと、すずは小さくため息をつく。

「君は人を疑うことを知らないのね?ほんと、汚らわしい、わ」

「!・・疑うなんて、そんなことっ・・」

「君をここで消しちゃうのは簡単だけど・・・そんなことしたら、ゆずに嫌な思いさせるし・・止めといてあげる」

 すずは優しそうに微笑み、アルトの頬にそっと手で触れる。

「君・・・よく見ると、きれいな顔立ちしてるのね」

「!・・」

 その瞬間、すずはアルトのことを強く押し倒した。

 すずが、口の中に何かカプセルのようなものを入れたのが見えた瞬間・・

「!!」

 アルトの口はすずの唇によって、固くふさがれる。

 すずの突然の行為に、アルトの頭の中は真っ白になり・・・そして、彼女はアルトから唇を離した。

「なっ・・何なんですか!!一体!」

 アルトはすかさずすずから距離をとると、そう叫ぶ(いつの間にか、足に絡まったツタはほどけたようだ)。

「ははっかわいい。顏、赤いわよ?アルトくん」

 すずは明らかに面白がっている。

「・・・──っそれに、僕に何か飲ませましたよね??」

「・・さぁ?知らない。ただ・・これで少しは汚れ、が落ちるんじゃない?」

 すずは面白がっているような笑みを浮かべたまま、そう言った。

「?・・意味不明ですよ・・」

 アルトは地面に落ちてしまった白い本を拾い上げると、しっかりと腕にかかえた。

 ふと、すずの方へ目を向けると、彼女の手にもいつの間にか、白い本、が握られている。だが、その白い本はアルトの持っているものより、少しだけサイズが大きいようだ。

「・・・いい提案があるの。きく?」

 すずはその瞳をすっと細め、アルトを見た。

「──・・・一体なんですか?」

 少し、嫌な予感がした気がした。

「あたしが持っているこの白い本・・・これは今、君が持っている白い本の”レプリカ”よ」

「─・・・レプリカ?」

 アルトは思わず眉を寄せる。

 すずは白い本の偽物を作って何をしようというのだろうか。

「・・・つまり、見た目はほとんど同じだけど、全く別のもの。

 君が持っている白い本は特別な効果をもっているけど、あたしの持っているレプリカはただのガラクタってこと」

 すずはアルトの方へ歩み寄りながら、そう言葉を並べる。

「・・・そういうことは分かってますよ・・。どうしてそんなもの・・──」

 アルトは思わず、口ごもった。

「?・・・─」

 何だろう、頭がぼーっとする。

 眠くなんてないはずなのに、眠りに落ちる瞬間みたいに、温かくて心地よいそんな空気が頭の中を満たしていた。

 少しふらつくと、隣に来たすずがアルトの体を支えるのが分かる。

「あら、大丈夫?」

「─・・」

 すずの腕を振り払う気も起きず、アルトは自分の意志をここにとどめておくことで精一杯だった。

(もしかして・・・さっきの薬のせいで・・)

 アルトは心の隅でそんなことを思ったが、心地よいこの空気が頭の中を満たしてアルトの心の自由を奪っていた。

「このレプリカは、アルトくんにあげるわ」

 すずはアルトの手に、そのレプリカの本を乗せる。

「?・・・どうしてこんなもの僕に・・」

 すずは微笑む。

「君はすぐにでも、白い本をゆずに返したいのよね?」

「!もちろんですよっ」

「・・じゃぁ、課長さんにはレプリカの方を渡したら?そうすれば、すぐにゆずに返せるわよ?」

「!・・」

 アルトが一瞬黙りこむと、すずは少し不服そうな顔をした。

「・・・それにね、アルトくん。もし、課長さんが白い本を危険なものと判断したら、これはすぐに処分されちゃうわ」

 すずはアルトの左手の方に握られている本物の白い本を指差す。

「・・・それはっ困りますよ」

 アルトはとっさにそう叫んだ。

「でしょう?」

 すずは満足げに表情をゆるめる。

「──・・・そうですよね。そんなことになったら、本当に困ります。柚季さんにも迷惑が・・・」

「そうよ?ゆずにも迷惑がかかっちゃうの」

 アルトが不安な顏をすると、すずもそれに同情するように悲しげな表情でアルトを見た。

 アルトもすずの目を見据える。・・もうそこから目が離せなかった。

「いい?課長さんの方にはレプリカの方を渡して?そして、本物の方は今すぐゆずに返して?」

「・・・分かりました。その方法が一番いいですしね・・」

 アルトは迷うことなく、そう言っていた。

(この方法でいいんですよね・・?上手く頭が回りません・・)

「そうよ。それが一番いい方法よ」

 すずはアルトの肩に手を置き、そのまま天界のトビラの前まで誘導していく。

「さぁ、早く行かなくちゃ」

「です、ね・・」

 そして、アルトはトビラの取ってに手をかけ、その中へ姿を消した。

 すずは彼の後ろ姿を見送ると、「はははっ」と笑う。

「・・・ちょろいもんだわぁ・・・」


 ・・・そんな二人の様子を、離れた木の影から見ている人物がいた。

「やっべーな!早く課長に知らせねーとっ」



 アルトは課長の部屋をでると、小さくため息をついた。

(課長にレプリカの方は渡しましたし・・早く柚季さんのところに・・)

 先ほどから頭の中を満たしている、生暖かいこの空気は薄まるどころがより濃くなってきているような気がした。

 それでもアルトは歩みを進める。

(柚季さん・・すぐ持っていきますから・・ねっ)

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