第2話(3)



 柚季はアルトと共に境界に足をつくと、すずの家向かって歩き出した。

 ・・・今度は迷うことなく、スムーズに行ける。

 やっぱり境界という場所は、地上と全く違う雰囲気がある。何というかヒトは普通にいるのに、とても静かだ。

(ちゃんと持ってきたし・・大丈夫だよねっ)

 柚季はカバンを開けると、そこからすずの絵本たちを取り出した。そして、しっかりと胸に抱える。

 ・・・少し歩くとアルトが「うぅ・・」と声を漏らし始めた。

「え、どうしたの?」

 柚季が驚いてアルトのことを見ると、彼は顔色を悪くして、

「うぅ・・やっぱり僕だけ境界に来るべきでしたよね・・また、柚季さんが危険なめにあったら、元もこもないわけですし・・・──」

 柚季はそれに、苦笑する。

「はは、今さらっ・・・って感じだけど・・・──わたしは、大丈夫だよ。この前は、わたしがアルトから離れたのが原因なわけだし」

「でもやっぱり・・!!」

「大丈夫!・・あ、今度はアルトから離れないよーにするから、いざという時はよろしくね?」

 アルトは柚季の言葉に、まだ不安げな顏をする。

 ・・・そんなことを話しているうち、もうすずの家についたようだ。

「では・・・いきましょうか」

 アルトはゆっくりと家の扉の取っ手に手をかける。

 と、その時、

「残念、外れ」

 柚季はいつの間にか、そう言っていた。

(!・・すず)

 柚季はそう確信したが、もう自分の意志ではこの体は動かない。

 柚季は・・赤い瞳を隠していた眼帯を外し、こちらに振り返ったアルトを見据える。

「もしかして・・魔女さんなんですか?」

「その通りよ、アルトくん」

 アルトはそれに、より表情を不安げなものにする。

「今すぐ柚季さんの体から出てって下さい」

「そー言われなくても、すぐに出てくわよ。どっちにしろ、長くは借りれないから」

 すると、柚季は腕に抱えていた絵本を両手でつかむと、そこに目一杯力をこめる。そして、ビリビリと破いた。

 柚季によって次々とバラバラになる絵本は、ほぼ原形をとどめることなく足元へハラリと舞い散る。

「ちょっと・・何やってるんですか!それは大切な・・」

「さっき言ったじゃない。これは、外れよ」

 アルトの言葉をさえぎって、柚季は淡々とした声でそう言った。

(うそっ・・違かったの!?)

 今まで大切に持っていた絵本が、バラバラになっていくのを見た柚季は、そのことを実感して絶望的な気持ちになった。

「・・・でも、ここにたどり着けたのは偉いわ。だから、ヒントをあげる。今からソプラノが届けに行くから」

 その言葉が柚季の口からこぼれた途端、体が自由を取り戻す。

「・・・ほんと、勝手に体使うの止めてほしいんだけどっ」

「あっ・・柚季さん、戻ったんですねっ」

 アルトは柚季の言葉をきいて、安堵の溜息を漏らした。

 その時、すずの家の扉が内側から開かれる。

 ドキリとしてその方に目を向けると、そこには真っ白の髪と黒のワンピースを身にまとった女の子が立っていた。

「!・・あの時のっ・・」

 柚季は思わず息をのむ。

 アルトから柚季を引き離し、すずのところまで案内したあのときの女の子だ。

「ゆ・・柚季さんっ下がってください!」

「は・・?」

 アルトは柚季と女の子の間に、割って入る。

「この子はすごく危険なんです!外見に騙されないでください!」

「えーっと・・少し落ち着こうよ、アルト。この子、攻撃してくる気配なんてないし・・」

 取り乱すアルトに対し、柚季は冷静な声でそう言った。

 どうやらアルトは、柚季の知らないところでいろいろと大変なめにあったらしい。

「でもっ・・」

「うるさい、少し黙ってて」

「!」

 女の子は淡々とした声色でそう言うと、小さくため息をついた。

「・・それに、この子、なんて呼び方嫌い。私はソプラノ」

 すると、女の子・・・ソプラノは、腕に抱えるようにして持っている大きめの本を柚季の方へ差し出した。

「え、これ何?」

 一瞬、絵本かと思ったが、そこには絵や文字は全くかかれていなくただ、真っ白な本だった。

「早く受け取って。柚季」

「!・・」

 柚季はソプラノに言われるがまま、それを受け取る。

「これは、すず様があなたたちに出したヒントそのもの」

「?これがヒント・・!?」

 柚季は思わず眉を寄せた。

 本を開いてパラパラとページを捲ってみたが、中身も全部真っ白で・・・。

 このような本に、一体なんの役目があるというのだろうか。

「柚季さん、本当に受け取ってしまってもいいんですか?もしかしたら、何かの罠かもしれませんしっ・・」

 アルトが不安げな声でそう言った。

「でも、分からないじゃん。もしかしたら、大切なアイテムかもしれないし」

 ・・・仮に何か罠だったとしても、柚季はこれを捨てることはできないだろう。

 だってそんなことしたら、可能性も一緒に捨てることになってしまう。

「・・・これから起きること全てが、一つのヒントに繋がっていく。もし、ヒントを得たいならその白い本は肌身離さず持ち歩いていた方がいい。けれど、信じなければ、今すぐその本は破り捨てて構わない・・・とすず様は言っていたから」

 ソプラノはその言葉を並べると、柚季とアルトに背を向けた。そして、家の扉を開けると彼女の姿はその中へ消えてしまった。

「・・・」

(全てが一つのヒントに・・・)

 ソプラノの言葉は、嘘ではない、柚季は何となくそう思った。

 ちゃんとした意味は分からないが、この白い本はすずがくれた、唯一のヒント、だからだ。

「って言うか・・ヒントくれるぐらいだったら、私の体も諦めてくれればいいのに」

 柚季がその言葉をこぼすと、アルトは

「ということは・・魔女さんのことを信じるんですね?」

「・・うん、取りあえずは」

「そうですか・・それでは、少し様子をみましょう」

 アルトはそう言ってくれたが、その顏は少し不服そうだ。

「うん」

 柚季はそのことは気にしないようにして頷く。

「・・・では、僕は今回のこともありますし、一度天界に戻ります。柚季さんは・・地上ですよね・・あっ、その白い本無くさないで下さいね?」

「大丈夫だって!」

「またすぐに柚季さんのところに伺うと思いますから、なるべく安静にしててください・・一応、魔女の呪い、にかかっているわけですし・・ね?」

 不安げな声でそう言うアルトの視線は柚季の、いつもは眼帯で隠してある左目、へ注がれている。

「うん、分かった」

 その視線が嫌で、柚季は思わず目を伏せた。

「ではっ僕はこれでっ」

 アルトはにっこりと笑い、柚季に背を向けるが・・

「ちょっと!わたし・・地上への帰り方、分からないんだけど」

「あっ!でしたよねっ・・」

 アルトはまた柚季の方へ向き直ると、苦笑いを浮かべ指をパチンと鳴らす。

 と同時に、目の前にトビラが現れた。

 ・・・境界へ行くときに通ったあの半透明のトビラと同じものらしい。

「ここから帰れますから・・」

「分かった。ありがと」

 柚季がほっとしてそう言うと、アルトは少し微笑んでこの場から立ち去ってしまった。

 柚季はさっそくトビラの取っ手に手をかける。

(あ、ちゃんと触れた)

 半透明で、頼りないトビラなのに、この手でしっかり触れることが、とても不思議な感じだった。そして柚季は、取っ手をひねりトビラを開け放つ。

「!・・」

 そこにあったのは、柔らかな白の光で満ちている空間だった。

(ここに・・入るの?)

 トビラの先に広がっているのは、ただの白い空間で他のものは何もないように思える。

(って言うか・・怖いんだけど)

 柚季はそう思ったが、いつまでもここにいるわけにはいかないので、そっと足を踏み入れた。

 少しずつ中へ入っていく。

「!!」

 柚季の目の前が、白く包まれると同時に、足元の感覚がなくなり、落下した。・・が、その感覚はすぐにおさまり、柚季の目の前にはまたトビラがあった。

 いや・・正確にいうと、柚季の足元の近くに、人が入れるか入れないかぐらいの小さいトビラがあった。

 そのトビラは下の空間に張り付くようについていて、イメージ的にはマンホールに近い。

「・・ここに入ればいいのかなー?」

 周りを見渡してみるが、このトビラ以外はただ真っ白の空間があるだけで、他には何もなかった。

「よし、入るか」

 柚季は白い本をしっかりと胸にかかえたまま、そのトビラをそっと開く。

「?・・」

 その中はまるで、ピントがあっていない写真のような、何かはあるが何があるかよく分からない景色が広がっていた。

(でも、何か帰れそうかも)

 柚季はその場に座り込むと、片足ずつ慎重にその中へ入れていく。

「・・・よしっ」

 そして、飛び込んだ。

 真っ白の空間が、目の前から消えたと思った瞬間、何かが倒れるような大きな音が耳に入った。

「!!」

 とほぼ同時に、足元が無事どこかへ着く感覚が足の裏に広がる。

「よかった、帰ってこれた・・」

 柚季が今いる場所は、自分の教室だった。そして、足元にある、開かれたままのスケッチブックと、倒された机に・・床に落ちている中身が散乱してしまっている自分のカバン。

「──・・・」

(もしかして・・わたし、スケッチブックからでてきた?)

 今の状況からそう判断した柚季は、辺りをぐるりと見渡した。

(・・誰にも見られてないよね!?)

 どう思ってドキリとしたが、今はどうやら放課後。それに、辺りもだいぶ暗いので、生徒たちは帰ってしまった時刻のようだ。

「・・ふぅ」

 柚季は安堵の溜息をつくと、足元のスケッチブックを拾い上げた。そして、机やイスを元の位置に戻すと、カバンの中にすずから預かった真っ白の本をしまいこむ。

(取りあえず、この本だけは大切に持っておこう)

 柚季はそう心に決めた。



「パパ、ママ・・もうすぐ帰るわ」

 すずは本棚が立ち並ぶ薄暗い部屋で、そう呟く。

 死、というものが私たちを離れ離れにしてしまったけれど。・・・ただ、少しの間離れてしまっているだけ。

 私は必ず地上へ帰る。

 ママ。あのね、ゆずはすずの生まれ変わりじゃないの。だって、私、すずははまだここにいる。

 でもね・・・もうすぐゆずは、すずの生まれ変わりになるの。私の薬が上手く効いてくれれば、ゆずの体は私のものになるから。

そうなったら、私はもう一度パパとママの娘として生きることができる。

「・・・もう少し、待っててね」

 今は私のただ一人の妹・・柚季、と一緒の時間を楽しむわ。

 二度と会えなくなってしまう前に、ね。



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