へんてこ

@budoupan

第1話 ほんの小さな賭け

 俺は少なくとも生きている。充実しているとは言えない、ただ生かされているというか明日には死んでそうな生活を送っている。これはこれで俺は楽しいから生きていればなんでもいい。


 ……ドアを叩く音がした。ベルは壊れている。開けると顔面のおおよそ6割をヒゲで占めたおっさんがいた。


「明日、いつものな」


「分かった」


「お前は変わらないな」


「ん?」


「ここにきて一年、お前は普通の青年を貫いている。来年も俺の予想じゃお前の顔を覗いてるだろうな」


「居心地はいい。掃き溜めにゴキブリさ」


「祝いにこれをやろう。よく噛んで食べるんだな」


 渡されたのはスルメイカだった。おっさん――亜崎 龍介は隣の部屋に向かった。


 103号室が俺が住む部屋だ。7畳ほどの部屋に余計なものばかり置かれて正直一掃したい。午後7時に亜崎が来るときは明日にギャンブル勝負が行われることを意味している。


 毛布にくるまりながらスルメイカを噛む。冬の夜は寒い。暖房の許可が与えられていない状況で、一日中布団に潜っているのは致し方ないことだ。


 無職だからなしえる所業。


 収入源は? 親の脛を齧ってるのか?


 収入源はただひとつ、ギャンブル。




 翌日、朝7時に目覚めた俺は顔を洗い散歩にでかける。なけなしの金で買ったマフラーと手袋を身につけ、散歩ルートCを早足で通り、帰り際にコンビニの肉まん頬張りたい衝動を抑え家路につく。


 ストレッチと筋トレ、そして新聞の回し読みをして世間のニュースを粗方目を通し、白米に目玉焼きを乗せて朝食を済ませる。午前9時に201室に入ると亜崎とマスクをかけた女が座っていた。間もなくしてマント姿の痛いメガネの男が入室して円卓を囲んだ。


「夜更かしか?みつき」


 芹沢 みつきはとても眠そうに頷く。芹沢はいわゆるオタクで、どうせ漫画喫茶でギリギリまで漫画を読んでいたんだろう。それとも深夜アニメか? ネットなんて使える環境じゃないから、隣町の漫画喫茶はあまりに貴重すぎる。


「お茶、冷めないうちに」


「どうも」


 お茶を注いでくれた牙遼 抹茶は紅一点、マスクのため双眸から下は分からないが、当然俺たちは素顔を知っている。


 33歳の亜崎のおっさん、19歳最年少の俺、22歳コンビニで働く芹沢、25歳の謎めいた家政婦牙遼。年齢バラバラの4人は貧しさを共有している。金銭的な面もそうだし、牙遼は心の貧しさ、渇きを。


 俺は働かない。働けない。社会不適合者の烙印を押されている。とにかく失敗が多いらしい。小さなミスから致命的なミスまで、万年初心者マークの如く、それは俺がどんなに気を遣っても無駄だった。人手不足で多忙極まりないにも関わらず鬼の形相でクビを宣告された時は流石に己の無能さを呪った。

 

 両親には申し訳なくなり恥を感じて別の県に逃げ、露頭をさまよう。飢餓一歩手前で亜崎に出会い、ここを紹介してもらった。


「じゃあ今回のギャンブル勝負の内容を発表する。物探しだ」


 また単純な。


「物っつうのは芹沢のケータイなんだが、貸してくれ」


「ガラパゴスでよければ」


 芹沢の携帯電話はシルバーでストラップもついてない。ちゃらちゃら装飾を飾っているよりは好感が持てる。亜崎は早速待ち受け画面を見てニヒルに笑う。


「すっぽんぽんじゃないか」


「黙っとけ」


 亜崎は茶をすする。


「まず順番を決める。一番目の奴はこのケータイを根城半径150m以内のどこかに隠す。こっそり150m地点に丸いシールを貼ってあるから確認はしておけ。隠す時間は10分。ただし2番目以降は-2分。最後の奴は4分ってことだな」


 間をおいて俺らの理解を促す。


「ケータイを隠したら3人が探す。見つけた時間が一番遅かった奴、これが重要だぞ、遅かった奴の大勝利だ、おめでとう3万円は君のものだと」


「一番目の奴が有利に思えるな」


 と俺は言った。10分と長い時間かけられて、探す3人は深く地形を把握していない。亜崎は平等を守り不正を許さない。事前に150m以内を隈なく調査してはいないはずだ。信頼もするさ。信頼できないやつと馬鹿げた賭けごとに乗らない。


「くじ引きから勝負は始まってるってことだ。ケータイを見つけた奴は隠した奴のケータイに電話をかけて場所を告げるんだ、当たっていたらタイマーストップとなる」


「あ、私のケータイも使うのね」


 携帯電話を持ってるのは芹沢と牙遼、この2人は仕事をしている都合で所持している。牙遼の携帯電話は丸っこく口紅と似た朱色だった。デフォルメされた熊のストラップがしてある。









 ……………………。


 世界は変わるものだ。俺がこんな規模の大きな話をするのも滑稽ではある。


 おかしい。矛盾。不思議な世界。


 牙遼抹茶は学校時代に同級生から酷く罵られていた。顔が醜悪であるという意味の、不愉快極まりない悪口を。牙遼がマスクを外すことはほとんどない。以前、「仮面をかけても気味悪く思われないのなら仮面をかけて暮らしたい」と言ったのは本心だろう。


 例えば牙遼抹茶が男を振り向かせる美女になったとしたら? 


 例えばオタクの芹沢みつきが突然異性になったとしたら?


 整形でもなく変装でもなく、日常の一部としてそれらが成り立っていたら。


 ギャンブル勝負の翌日、世界は俺だけを取り残して変わっていた。


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