28.そして舞盗は、雪月の夜に

 研究所の中庭に出ると、空蒸機リベルシップのそばにルチアが座り込んでいた。夜道で大鎌を構えた怨霊にでも出くわしたような顔だ。似たような表情の、縛られた二人の男と三人で身を寄せ合っている。


「お、お、お姉ちゃん! だいじょぶ!? 何なのあの大砲みたいなデカい音!? あとめっちゃピカーって雷が!」

「落ち着け、全部終わったから。雪は抑えたしトリスも無事だ。ついでに、あの教授も」


 トリスは屋内に残り、茫然自失のまま倒れた父の傍にいる。ゼビアノの憑き物が落ちたような顔は、よっぽど人の父親らしく見えたものだ。精も根も尽き果ててこそいたが、あの雷撃で気すら失わないとは、まったく怪物的な精神力と言わざるを得ない。


「おい、アンタ! 教授は一体、何しようとしてんだよ? 俺ら、とんでもないことに加担しちまったんじゃ……」


 縛られた片方、金髪男の声は震えていた。隣のメガネ男も恐怖で萎縮している。どうやら、本当に事情を何も知らなかったと見える。

 金髪の方が、聖堂広場でお尻を触られた男だと気付き、フレッタは少し距離を置いた。


「知らない方がいいよ。警吏にも知らなかったの一点張りを通したらいい、ホントのことなんだからさ。今の教授なら、アンタ達は無関係だって証言してくれるかもしれない」

「そ、そうなのか? そう上手くいきゃいいんだけどよ……」


 酷なようだが、彼らの去就を裁くことは出来ない。

 すでに小さな野次馬のざわめきが、研究所の前に広がっているのを確認した。人気ひとけの薄い街区ではあったが、むしろその静けさが砲撃音を助長した形だ。ドロボーである自分達が、警吏の事情聴取に協力なんて出来るわけもない。

 しかし、フレッタはそう安々と帰るつもりもなかった。


「ルチア、ちょっとお耳を拝借」

「え、何?」


 ごにょごにょと内緒話を耳打ちする、フレッタの顔は幼いイタズラっ子のそれだった。不安げに話を聞いていたルチアも、パッと顔を明るくほころばせる。


「お姉ちゃん……マジで言ってる? それいいじゃん! やろう、やろう!」

「あぁ、ここからが最後の仕上げだ。怪盗らしく、最後はハデに鮮やかにキメてやるさ」


 おー!と姉妹は気合のハイタッチを交わす。この黒尽くめの二人は結局何者なのかと、男二人は地べたで困惑しきりだった。屋上でも命のやり取りを交わしたばかりだというのに、今度は何をやらかす気かと気をもんでいる。

 そこへトリスが現れた。台車に円筒形の容器を載せ、うんしょうんしょと精一杯の全力で押してくる。


「す、すみませぇん……手伝ってもらえませんか」

「あぁ、ごめんごめん! 運ぶのはあたしがやるよ! 雪の準備はどう?」

「い、今いそいで機械を動かしてます。そんなに時間かからないと思いますけど、むしろこれを増槽に注入するほうが大変そうです」

「おっけー。あたしの怪力が役に立つってね。ルチア、ちょっと外で時間稼ぎお願い」


 任されて、とルチアは研究所の外へと向かった。彼女が手八丁口八丁を駆使して、なんとか野次馬を抑えている間が勝負だ。培養なる作業によって増量した永久の白雪ビアンカネーヴェの残りを、全てシップ側の増槽に移す必要がある。

 なんとも滑稽な状況に、フレッタは苦笑を漏らした。本来ならゼビアノらが数人がかりで行うはずだったことを、それを止めようとした自分が行っているのだ。全て手作業で。

 ただ一つ――その目的だけが、明確に違う。





「よし、これで準備万端だな?」

「はい、おっけーです! 途中で落っこちちゃうことも無いと思います」

「上出来だ。いやあ、だけでもやれば出来るもんだな」

「なんでオレ達まで……」


 無理やり手伝わされた研究員が愚痴る。もちろん、戒めは再びきつく締められている。

 機体下部に懸架ハンガーを有し、中庭いっぱいを専有する空蒸機リベルシップ。ゼビアノは研究用の機材を運ぶためと偽って、この機体を用立てたらしい。現在は、細長い増槽が二つ据え付けられている。

 中身は満杯に、充填済みだ。


「それで、操縦は本当に……?」

「あぁ、あたしがやる」


 半信半疑といった表情のトリスに、心配すんなとフレッタは屈託なく笑いかけた。

 颯爽と前方の操縦席に乗り込み、計器のチェックを始める。現行の操縦系統は、どの空蒸機リベルシップもさほどの大差が無い。それをフレッタは知っていた。機体側から増槽を開閉する機構が備わっているらしく、その特殊な操作だけは入念に確認する。


 かつて経験者ジュネロに学んだ操縦技術が、ついに日の目を見る時が来たのだ。怪盗ならば、潜入・脱出いずれにせよ、きっと必要になる日が来るはず――というのは建前で、『空飛ぶ怪盗かっこいー!』という個人的趣味丸出しから夢見た空の世界。ある意味では死にかけた直後だというのに、今は心の底から湧き上がるワクワクに塗りつぶされている。


 なんとかその場を濁してきたらしい、ルチアが戻ってきた。すぐさまトリスと共に航空服一式――ルチアの分は男物で、かなりぶかぶかだ――を着用した。フレッタは変身していれば寒さも問題無いので、ウィンディアの黒衣のままだ。


「お父さんは、あのままで大丈夫か?」

「はい。少し独りになりたいって。その内、野次馬さん達も駆けつけるでしょうし……今はまだ、お話するには時間を空けるべきなのかなって、思います」

「そっか……」

「それより、あの、ルチアさんのこと……」

「へ? ルチアの顔に何かついてる?」


 トリスはふるふると頭を振った。先の戦いの最中、姉妹の九年前の事情を知ったのだと辿々しく語る。

 あー、お姉ちゃん言っちゃったかー、と苦笑いしながら、ルチアは照れくさそうに頭を掻いた。


「まぁ、なんだ。ルチア達も色々あったんだよね。右眼のことだって今は気にしてないよ? あの時は……誰が良い悪いとか、そういうこと言う状況じゃなかったし」

「まるで、わたしだけが何かに囚われてるような気になってました。ばかですよね、独りでずっと思い悩んで。悲しいことを頑張って乗り越えてきたお二人の前で、こんな――ひゃ!」


 ひょい、と。

 フレッタは操縦席から飛び降りると、湿っぽく語るトリスを横向きに抱えあげ、強引に言葉を遮った。


「あー、お姉ちゃん! それ王子様がお姫様にやるやつ!」

「誰が王子じゃ、こちとら女だっつの。それよかトリス……せっかくっていうのに、そういう湿っぽいのはナシだぞ。過去は変えられないんだ、未来を見ろ、未来を」

「は、はい。あの」

「ん?」

「この姿勢……何ていうか、すごくドキドキするんで……早めに降ろして頂けませんか」

「え? あぁ。あはは、ごめんごめん」


 銀髪姫のリクエスト通り、フレッタは抱えたトリスを後部座席へと優しく降ろしてあげた。ぶーたれるルチアもそれに続く。

 再び操縦席に戻り、フレッタは後ろへ呼びかけた。


「準備いいか?」

「いいよー!」

「はい!」

「……それじゃ、いざ! 空の旅へご招待!」


 フレッタの掛け声に次いで、ピストン・エンジンが駆動する。大きく唸るようなエンジン音と共に、機体は中庭を離れてゆっくりと浮上を開始した。垂直離陸――現行空蒸機リベルシップのほぼ全てに通底する機構は、素人運転でも全く問題無く動作している。

 地上からは手の届かない、数メートルの推進航空高度に達する。それと同時に機体は斜めに傾いで、月と星のきらめく夜空へ向けて飛翔していった。


「わぁー! すごい、すっごいです! わたし達、ホントにお空飛んでる!」

「うひゃあ、人の盛り上がってるトコが一目瞭然だね!」


 初めての遊覧飛行(?)でキャッキャと目を輝かせる後ろの二人。どうやら高所恐怖症の心配は無いらしい。

 命を預かる側のフレッタは、わくわくすると同時に、少しばかり緊張していた。操縦桿を握る手にも自然と力がこもる。


「とりあえず聖堂広場を目指すぞ。がっつり楽しみたいけど、あんまり長いこと飛んじゃいられない」


 盛大にランプや篝火を焚いて、真昼のように明るい広場が見える。迷うことなくそちらへ向けて旋回し、一直線に機体を飛ばしていく。運び屋・フレッタが街を駆けるよりも遥かに速く、風切る翼は三人を聖堂広場上空へと導いた。


 その場に留まるよう円形に旋回しつつ、仮面舞踏会マスカレードに興じる仮装者達を悠々と見下ろす。風とエンジンの音に張り合うように、楽隊の盛大な演奏は空まで届いていた。小さく見える人々の中には、こちらに気付いて指差してくる者もある。


 さて。美味しい食べ物はいつどこで食べても美味しい物だが、毎年同じ味付けでは、それもいつか飽きが来る。ならばどうする? 答えは簡単――趣向を凝らして、調味料を変えてやればいい。

 毎年恒例の仮面舞踏会マスカレード。対する怪盗流の味付けは、ちょっぴり過激だ。


「お姉ちゃん! やっちゃえー!」

「おう! それじゃいくぞ。増槽、オープン!」


 計器のボタンを押し、機体下部の増槽を開く。

 ややあって、眼下で踊り明かす人々がざわめき出した。誰も彼もが満天の星空を見上げ、仮面越しにも見て取れる唖然とした表情。この街に、ましてこの季節には決して有り得るはずのないもの――純白の粉雪が、夜風に乗ってひらひらと地上へと舞い落ちていく。

 それは決して、触れた者を呪う忌まわしき存在ではない。人々の心の内を安らかに癒していく、この星の命の力を宿した美しき白雪。


「よーし、みんな驚け驚け。いい調子だ」

「ここから見ても綺麗ですね! 雪って、こんなに素敵なものなんだ……」


 超高濃度星命力結晶体。その濃度を高めた上で培養、つまりは増やす術を、ゼビアノは研究過程で知っていた。

 問題は、その逆。こともまた、同様の装置で可能なのだ。研究所に潜入した際にゼビアノの語っていた言葉が、その可能性をフレッタに気付かせていた。

 先の戦闘の直後、彼女からの提案――『あたし達の手で雪を降らせる!』に、トリスは大いに驚かされた。


 黒夜に映え、呪いの代物であった頃とは違い、触れた途端にしゅんと消えていく純粋無垢の白。まるで大いなる祝祭の喜びにあてられた、無数の妖精達が舞い遊ぶようでもあった。初めは戸惑っていた人々も、街を祝福する小粋なパフォーマンスと気付いて、にわかに熱気を取り戻していく。

 煌々と焚かれた灯火の中、幻想の物語は続いていく。華麗なる永久の白雪ビアンカネーヴェが染め上げていく、たった一夜の――雪月の舞踏会マスカレード


 その様子を空から満足気に眺めていたフレッタ達は、数機の空蒸機リベルシップが飛んでくるのを見た。夜間飛行パフォーマンスのためにやってきた、正規の飛行隊に違いない。

 フレッタとルチアは元より、トリスまでもが示し合わせるでもなく、同時にニヤリと笑った。


「そら、来たぞ。こんな澄みきった風の中で、舞盗ぶとうのウィンディアが捕まると思うなよ!」


 フレッタは機体を急旋回させ、編隊めがけて突っ込むように機動した。飛行隊は衝突を怖れて慌てて散開、逃げ姿すらも鮮やかに方々へと散っていく。

 その内、最も近距離ですれ違った一機のパイロット――女の子が三人乗った空蒸機リベルシップという、謎すぎる闖入者に困惑しきった表情の男。彼に向けて、フレッタは笑顔でグッと親指を立てた。


「どうぞ、良い夜を! ウィンディアからの、しあわせのおすそ分けだよ!」


 強風の中、聞こえているはずもないだろうが、フレッタは大いに笑い声を上げた。つられてルチアも、トリスも、夜空に仕掛けたちょっとしたイタズラしあわせのおすそ分けの成功を満面の笑顔で喜び合う。

 ひとしきりそうしてから、そろそろ雪が全て無くなる頃合。


「フレッタさん!」

「ん?」

「これで、良かったんですよね……!」


 銀の少女は、喜色の涙声で問い掛ける。今さら野暮なことをと思わなくもないが、それが、やっぱり少し優しすぎるこの女の子らしいとも思う。


「あぁ、みんな喜んでるじゃないか! 明日の一面の見出しは決定だな!」

「『シティ・アルムジカに天から奇跡の贈り物』、ってとこかな。完璧だね!」

「……はい!」


 しかし。これは奇跡などではないことを、二人の盗人と、一人の少女は知っている。

 誰かを想うがゆえに、また誰かを傷つける。そんな呪縛の螺旋を解放した者達が降らせる、その確かなの賜物なのだと。


「さ、雪も終わりだ。そろそろあたし達はおいとまするか。……また来週っ!」


 どこともなく、舞盗ぶとうのウィンディアはト音記号のサインカードを放り投げた。これにて、仮面舞盗会マスカレードは閉幕。

 そして怪盗は舞台を降りる。

 笑顔の少女達を乗せた空蒸機リベルシップは、祝祭の雪空の向こうへと、鮮やかに夜風を切っていった――

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