第1話『エリュ・H・メラン』
「眩しい……」
目を開けると、電灯の明かりが俺の目に容赦なく降り注ぐ。眩しすぎて、右手で両目を覆い隠した。
「また今日も目が覚めちまった……」
昨日、俺の上に女の子がまたがっていたけど……あれ、夢だったんだな。女の子の温もりとか、匂いとか、首筋を噛まれたときの痛みも感じたけれど、きっと、体力が尽きようとしているから物凄い幻覚を見てしまったんだ。そうだ、それ以外に違いない。
俺がそう結論づけようとしたときだった。
「すぅ……」
俺の耳元でそんな寝息が聞こえた。そして、右耳に僅かだけれど温かな吐息がかかる。
「ま、まさか……」
俺は顔を右側に向ける。
すると、すぐ目の前に昨日、俺の上にまたがっていた少女が眠っていたのだ。少女の寝顔からは昨日の挑発的な雰囲気は全く感じられず、ぐっすりと眠っているようだ。どんな女の子も、寝顔は可愛いな。
「って、それどころじゃない。どうして、この子が俺の横で寝てるんだ!」
とりあえず、この女の子をベッドから追い出すためにも起き上がろうとしたのだが、とんでもない吐き気を催し、頭がくらくらしてしまう。ただでさえ体力が残っていないのにこんな状態だと、起きる気力もなくなる。
「うん……」
だが、俺が色々と動いていたことで少女は目を覚ました。
「寝ちゃった……あっ、やっと起きましたね」
少女は俺の顔を見るや否や、優しく微笑みかけてくれる。そんな少女の態度に今も夢なんじゃないかと疑ってしまう。
「き、君は……ううっ」
やばい。話そうとすると胃液が逆流してきて気持ち悪い。
「無理に話そうとしないでください。まずは血の補給薬を飲みましょう」
えっ、何なの、そのいかにも怪しそうな薬。絶対に飲みたくないんだけど。
「大丈夫ですよ。この薬は血の作成を促進する薬ですから。この薬を飲んで、私が吸ってしまった分の結弦さんの血を早く作りましょうね」
少女は笑顔でそう言うけど、色々とツッコミ所ありすぎるだろ。どうして、
反論する間もなく、少女に上半身を支えられながら、血の補給薬と称する赤いカプセルと少量の水を口の中に入れさせられた。こんなことをされると、介護されているお爺さんになった気分である。
ここで吐くわけにもいかず、俺は素直にカプセルを水と一緒に飲み込んだ。
すると、すぐに気持ち悪さは大分解消された。不思議な薬だな。
「どうやら、気分は大分回復されたようですね」
「……君は一体誰なんだ?」
「申し遅れました。私、エリュ・
「きゅ、吸血鬼……?」
想定外の言葉が出てきたので、思わずオウム返ししてしまった。
だが、冷静に考えれば少女が吸血鬼というのは納得がいく。夜になったら突然、俺の目の前に現れて、俺の血を吸ったのだから。それに、今飲まされた薬も、血の作成を促進する薬らしいし。
それでも、俺は疑ってしまうんだ。
「あのさ、俺……まだ夢の中にいるのかな」
「えっ?」
「だ、だって……吸血鬼がこの世にいるなんてあり得ないだろ。有名な吸血鬼だって、昔の作家が書いた本の中にいる架空の存在だし……」
「人間世界ではそうですが、この世界とは別に吸血鬼の住む世界が実際にあるんです。それに、夢ではない証拠がありますよ」
そう言うと少女……エリュは懐から手鏡を出し、俺に自分の首筋が見えるように鏡を向けてくる。俺の首には四つ、かさぶたになった丸い傷があった。
「まさか、この傷って……」
「そう、昨晩……私が結弦さんの血を飲んだときに首筋を噛んだ跡です。今のように夢ではないか、吸血鬼は存在しないと言う可能性があったので残しておいたんです」
エリュは結構頭の回る吸血鬼のようだ。
傷を見せられては、実際に吸血鬼が俺の前にいると認めざるを得ない。昨日、エリュに首筋を噛まれた以外に、こんな傷が残るような出来事に思い当たる節がないからだ。
「どうやら、分かってくれたみたいですね。では、ちょっと失礼しますね」
エリュはそう言うと、俺の首筋をペロッと舐めた。舐められた瞬間は少し痛かったけれど、痛みはすぐになくなっていく。
「私の唾液は麻酔も含まれた薬になっているんです。すぐに傷が治りますからね」
「あ、ああ……ありがとう」
ボロボロになった俺の体を労ってくれるあたり、どうやらエリュは悪い存在ではないようだ。
それから二十分ほどベッドの上で横になると、気分も大分良くなり……体のだるさもほとんどなくなった。おそらく、エリュに血を吸われたことで貧血になり、起き上がるときに気分が悪くなったのだろう。気分が良くなったのも、血の補給薬で血が作られたからだと思う。
精神的に回復すると、次に襲ってくるのは、
『ぐううっ……』
空腹である。その証拠に腹から物凄い音が響き渡る。
「食事の用意が出来ていますよ」
「……それは有り難い」
吸血鬼の作る食事に不安もあるけれど、空腹には勝てない。
部屋の時計を見ると、針が午後五時を指していた。早めだけれど、夕食にはちょうどいい時間だ。
俺はエリュに手を引かれる形で、リビングまでやってくる。テーブルの椅子に座ると、エリュが俺のところにご飯と味噌汁を出してくれる。
「結弦さんのために腕によりをかけて作りましたよ」
エリュが張り切った口調でテーブルの上に置いたおかずは、レバニラとレバーの甘辛煮だった。人間にも人気な料理なので逆に驚く。湯気から漂う匂いが久しぶりに食欲をそそらせる。
「温かいうちに食べてください」
「そうか。じゃあ、遠慮無く……いただきます」
まずは味噌汁を一口飲む。
「美味い……」
あまりにも美味しいために思わず声が出てしまう。これは丁寧に作らないと出せない味だ。俺のために作ったというエリュの言葉は本当のようだ。何よりも、温かい物がこれほどに体に染み渡るとは。
おかずであるレバニラとレバーの甘辛煮も物凄く美味しかった。ご飯と合うように味も考えられているし、エリュはなかなか料理上手のようだ。
空腹と料理の美味さが相まって、俺はあっという間に完食した。
エリュはそんな俺のことを俺の側でずっとニコニコしながら見ていた。
「はぁ……お腹いっぱいだ」
久しぶりに満腹になり、ようやく生き返ったように感じた。
「とても美味しかったよ」
「それは良かったです。結弦さんが美味しそうに食べてくれて嬉しいです」
「レバーが多かったのが気になったけど、それってやっぱり血のため?」
「ええ、そうです。貧血の時はレバーで鉄分を摂取するのが一番だと思いまして」
「なるほど。さすがに吸血鬼だから、血のことを考えているんだね」
レバーづくしという意味では吸血鬼らしいラインナップだったか。
そういえば、目が覚めても昨日の夜みたいな雰囲気じゃないな。昨日は今とは違ってタメ口だったし、それに髪も……黒じゃなくて赤っぽかった気がするんだけど。
エリュには色々と訊きたいことがある。さっそく訊いてみよう。
「エリュ、あのさ……」
「何ですか?」
「今のエリュって昨日とは全然雰囲気が違う気がするんだけど、俺の勘違いかな?」
「いえ、勘違いではありませんよ。その通りです」
やっぱり。話し方といい、昨日とは別人のように見えたから。
「私、陽が出ている間は、吸血鬼としての力が封じられてしまうんです。主に戦いに関する力なんですけどね。そんな力が夜になると潜在的なものとなるので、どうしても攻撃的な態度になってしまうんです」
「そうなのか」
吸血鬼だからか、やっぱり太陽の影響を受けるんだな。この人間世界で知られているように日光に弱いようだ。今のお淑やかなエリュが昼モードで、強気な態度になったエリュが夜モードってことか。
「昨日のエリュは髪が赤かった気がする。それも、夜になって封印されていた力が解放されたからか?」
「戦闘の時には赤くなるんですが、昨日は人間世界に来るときに力を使いまして。だから、結弦さんの前に現れたときも赤いままだったんだと思います」
「つまり、力がたくさん使う場面になると赤くなるのか」
「そんな感じです」
「あと、昨日は俺の血を吸いたいって言ってたけど、それってやっぱり吸血鬼だからだよね」
「はい。あと、この人間世界で生活していくには、定期的に結弦さんの血を吸わないといけないんです」
「俺の血を……?」
そのことにはもちろん驚いたけれど、昨日のことを思い出すと、あのときにエリュは今の事実を匂わすことを言っていた。俺が全ての血を吸ってくれと言うと、エリュはそれが出来ないと言ったんだ。全て吸ってしまえば、俺の血が無くなっていつまでも人間世界で生活ができなくなるから。
「エリュが血のことで気を遣っているのは、そんな理由があったからなんだな」
「ええ、その通りです。ごめんなさい」
「……別にいいさ」
「そう言ってくれると助かります」
エリュはほっと胸を撫で下ろした。
昨日との違和感や俺の血を吸う理由も訊きたいことだったけれど、一番知りたいことは別にあった。エリュに関するもっと根底的なことだ。
「あのさ、エリュ」
「何ですか? 結弦さん」
「……どうして俺の前に現れたんだ? いや、どうして吸血鬼が人間のいるこの世界に来たんだ? その理由を教えてくれないか」
そう、吸血鬼がわざわざ人間のいる世界に来た理由だ。これだけはどうしても訊いておきたかった。エリュは俺の血を吸わないとこの世界で生きていけないことから、俺絡みの理由である可能性もある。
エリュは俺の問いに一度は口を噤み、それまで穏やかだった表情が真剣なものへと変わっていく。そして、俺の目をしっかりと見て、
「魔女が人間世界を征服しようとしているのが分かったからです」
「ま、魔女?」
こ、今度は魔女かよ。どんどん複雑になっていくな。
「吸血鬼と魔女は敵同士の関係にあるんです。これまで、吸血界と魔女界の間で何度も戦争が勃発しました。吸血鬼と魔女に負けたことは一度もありませんが、直近の戦争では危うく負けてしまうところでした」
「そうか。じゃあ、相当長い間、対立しているんだな」
「……ええ。戦闘型の吸血鬼は人間でいう女性だけなんです。魔女は文字通り女性なので、戦争も女性同士の戦いで……何度終わっても、また戦争が始まってしまうような状況なんです」
女性同士の戦いか。何となくだけど、ドロドロとした戦いのような気がする。
「直近の戦争が終わってから、私達が一番恐れていることは人間世界へ侵攻し、人間を洗脳して自分達の味方にしてしまうことです」
「ということは、魔女は人の心を支配できるってことなのか?」
「ええ。魔女が直接人の心に入り込んで、周りにいる人を従わせる。そうしていくことで人間を魔女の味方にしていくんです。能力ももちろんですけど、直近の戦争のことを考えると、まずは数的に圧倒的に優勢を取りたいんだと思います。人間の数に比べると吸血鬼はかなり少ないですし」
最近の戦争では吸血鬼の方がやっとのことで勝ったんだよな。
エリュの表情を見る限り、俺達人間も魔女による洗脳によっては、吸血鬼には脅威になってしまうのかもしれない。
「じゃあ、エリュは魔女が人間界へ侵攻をするのを阻止するために……」
「はい。その通りです。何の関係もない人間界が脅かされる危険があったので」
「でも、どうして俺の前に姿を?」
「それにも実は理由がありまして。結弦さんが通っている私立
私立赤峰高等学校。俺の通っている高校だ。
「人間世界に来る前、結弦さんのことを調べさせてもらいました。結弦さん、あなたはクラスメイトから執拗ないじめを受けていますね?」
いじめ、という単語に俺は身を震えてしまう。学校での記憶がフラッシュバックして、息苦しくなる。
「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
エリュは深く頭を下げる。
彼女が何を言おうとしているのか。俺にはもう分かっていた。
「しかし、その不快となる原因である過剰ないじめには、魔女の存在があったからかもしれないんです」
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