世界はそこにありますか?

国産野菜食べよう

第1話 メビウスの起点

駒葉友枝こまばともえは眺めていた。

思考の断線−まるで5分前に世界が誕生したかのような。

小部屋には、気怠さと睡魔の入り混じる鈍とした空気が管を巻いている。

淀んだ世界を解き放とうと、友枝は際へと歩み寄り、境界まどを開け放つ。


ふわりと穏やかな風が入ってくる。

季節は春。桜の花びらが舞い、穏やかな陽気が一層の眠気を誘う。

「ピクニックにでかけるべきだったか・・・。」

友枝はそうつぶやいて、再び自分の座っていた机へと戻る。


駒葉友枝は机の真後ろに積まれた植物標本の一つを手に取り、幾つもの図鑑と睨めっこをを始める。植物学研究室所属の4年生。それが友枝の肩書きだった。

「くそぅ・・・。これだからLespedezaハギ属は・・・。」

あたまを掻きながら悶々とした彼女に声をかける青年が一人。

「あれ、先輩、いたんですか。お昼食べました?」

市井隼人いちいはやとは同じ研究室の3年、一つ下の後輩にあたる。

隼人は入ってきたドアが閉まったのを確認すると、自分の席に着く。

「いや、まだ。そういえばもうそんな時間か・・・。どうりで集中力を欠くわけだ。生協でおにぎりでも買って、そのあたりを散歩でもしてくるとするよ。」

というフレーズにハッとした表情を浮かべ、隼人は切り返す。

「そういえば、工学部棟の先の演習林に最近幽霊が出るらしいですよ。」

「・・・幽霊ぃ?」

友枝は、信じるはずがないといった疑いの眼差しを隼人に向け、続ける。

「もしいたら、是非お友達になっていろいろ便利に使いたいものね。」

その答えを半ば予想していたのか、

「そういうこと考えるのは、先輩らしいっすね。」

隼人は、笑いながら満足そうな顔で答える。

「さて、そうと決まれば、さっさと買い出しに・・・」

友枝が、席を離れようとすると、

「あー、駒葉くん、ちょっとすまないんだが、」

と、現れたのは、研究室の主である楢崎ならさき教授。

「午後の演習の補助が足りなくてね、午後から手伝ってくれないかな。」

1年生2年生の演習には補助として3年もしくは4年生の学生がしばしば動員される。

友枝は見事白羽の矢を立てられてしまったわけだ。

「あー。わかりました。ちなみに場所と装備は?」

「13時に工学部裏の演習林に。樹木のサンプル採取だから、とりあえず剪定ばさみと袋があればいいかな。」

「了解です。では現地で」

「すまないが、宜しく頼むよ。」

そういって、楢崎教授は部屋を後にした。

「うーん。ピクニックはお預けだねぇ。とりあえず、腹ごしらえだけしておくか。」

そうつぶやいて、友枝も部屋を出た。



————————



午後5時少し前、教授の頼まれごとである補助業務の後片付けをこなし、友枝は切り株に腰を下ろす。

「終わった終わったぁ。春だねぇ。少し汗かいたよ。」

「そうですね、少し暑いくらいでしたね。」

と、同じく駆り出された隼人は答える。

「—うね。・・・?」

隼人の言葉に相槌を打とうとして発した自分の言葉に、友枝は違和感を覚える。

「あれ?」

「どうしました?」

と、隼人は不思議そうに尋ねる。

「いや、何か今言葉が変に途切れたよね。喉の調子はおかしくないのになぁ。」

「そうです?ちゃんと言えてましたよ?」

「え?そう?」

今、確かに変な感じがしたはずなのにと自分の感覚を確かめようとする友枝。

しかしそれは視界に入った予期せぬもののせいで中断する。

「何・・・あれ?後ろ。」

「え?」

何かあるのかと振り返った隼人はそのまま硬直する。

そこには、——黒い塊のような何かがあるように思えた。

大きさは人と同じ程度だろうか、輪郭となる境界ははっきりとせず、不気味に明滅を繰り返しているように感覚できる。

「うわぁ!」

はっと我に返ったのか、隼人は友枝のうしろ側、その『何か』との間に彼女の座る切り株を挟む。

「これが、演習林の幽霊さんってわけね」

友枝は立ち上がりながら、そう呟く。

「え?先輩、知ってるんですか?」

「知ってるって、それは昼間あなたが——」

黒い『何か』が、友枝の方へ近づいてくる。それに反応して彼女は言葉を切り、距離を開ける。

「何?ただ目に見えるだけじゃないの?」

スーっとよってくる黒い『何か』に対し、友枝は身の危険を察知する。

「とりあえず、逃げるわよ!」

言い終わる前に、友枝は駈け出す。

「えっ、ちょっと、置いてかないでください!」

隼人も友枝の後を追う。

二人は全力疾走で、演習林をぬけ、工学部棟裏のテニスコートにある自動販売機の前で振り返る。

黒い『何か』は見えない。

「追ってこない?」

そう呟く友枝。

「何なんですかあれ?」

息を切らしながら、隼人は友枝に尋ねる。

「こっちが知りたいわよ。あれってあなたが昼間言ってた幽霊ってやつじゃないの?」

「え?僕そんなこと言いましたっけ?」

覚えていないのかと、呆れた顔をしながら隼人の方を見る友枝。

しかし、その視線の先に黒い『何か』を捉えてしまう。

「———っ。逃げるわよ!」

「はいっ。ってどこへ?!」

「とりあえず研究室!」

二人は走りながら研究室のある建物まで走りだす。



————————


友枝と隼人は研究室へと全力疾走で舞い戻った。

息をきらしながら、隼人は同じ言葉をもらす。

「何なんですかね、アレ。」

「そんなのこっちが聞きたいわよ。あなたが昼間言ってた演習林の幽霊ってやつじゃないの?」

「え?僕そんなこと言ってないですよ?」

「え?私がお昼ご飯を買いに行く前、楢崎先生に今日の仕事頼まれた時言ってたじゃない。」

「あれ?あの時一緒に頼まれて先輩が生協行く間に、僕は準備をしにすぐ部屋をでましたし」


————おかしい。


「えっ?あの時頼まれたのは私だけじゃなかった?」

「いや、先生に二人ともって言われましたよ?」


混乱した頭を整理するために、一つ呼吸を置いた友枝は、強烈な違和感を覚える。

————おかしい。


そして、言葉にする。

「そういえば、市井くん。ここにくるまで、私の他に誰か見かけた?」

その言葉に隼人も、ギョッとした表情をうかべる。」

「誰も・・・見てません。」


まだ日の傾き始めた頃、大学の敷地内で誰にも出くわさないことなど普通はない。

ましてや、研究室の部屋にも廊下にも、誰もいないし、いる気配もない。

明かりがついている部屋も含めて、二人以外に誰もいない。

そんなことは通常、のだ。



———どういうこと?

友枝は特殊な状況に置かれているにもかかわらず妙に落ち着いて思考を始める。


情報は3つ。

一つは、誰もいないという事。

これだけ大掛かりなドッキリを仕込む理由が思いつかないからそれはそれで除外したとして、頭がおかしくなっていないならば、ここは元の大学に似た別物って可能性も・・・。

もう一つは、市井くんの発言の食い違い。

彼が嘘をついている可能性も否定できないけど、もし嘘じゃないとしたら。

私の聞き間違い?いや、でも確かに記憶は鮮明だ。だとしたらどういう事?

そして、最後の一つ————。


友枝は窓際から外を眺め、ゆっくりと近づいてくるそれを目で確認する。

「あの、黒い『何か』がなんなのか、か」

不安そうに友枝を目で追っていた隼人は、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「何か・・・わかったんですか?」



それに対して友枝は隼人の方を向き、

「もしかしてだけど・・・。」

こう答えた。

「・・・閉じこめられたかもね」

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