ノスリ

如月芳美

第1話 人気者

 今日は久しぶりのお天気。ノスリさんはいつものように若草色の短いドレスの裾を翻し、楽しげにステップを踏みながら街を歩いています。


「おじいちゃんこんにちは」

「おや、ノスリちゃん、今日も元気だね」

「おばさん、今日はいい天気ですね」

「ノスリちゃんかい、今日は洗濯がはかどるよ」


 彼女は街の人気者。彼女を知らない人はこの街には居ないのです。


「ノスリ姉ちゃん、貸本屋さんに新しい本が入ったって」

「あら本当? 教えてくれてありがとう」


 気立てが良くて優しくて、いつもニコニコ笑顔のノスリさんは、大勢の男の人に結婚を申し込まれています。だけど何故でしょう、彼女は誰にも良い返事をしないのです。誰か心に決めた人でもいるのでしょうか。


「おじさん、こんにちは。新しい本が入ったって聞いたんだけれど」


 彼女はいつものように一番最初に貸本屋さんに立ち寄ります。


「ああノスリちゃんかい。あんたの為に取っておいたよ。小さな勇者が冒険するお話だ」

「素敵ね、借りて行っていいかしら」

「勿論さ、あんたの為に取っておいたんだから」

「わぁ、おじさん、ありがとう」


 ノスリさんは本当に嬉しそう。貸本屋のおじさんも嬉しくなってしまいます。


「こっちの本は古くなっちまって捨てようかと思ってたんだが、ノスリちゃん良ければ持って帰るかい?」

「ええっ、捨てるなんて、私が貰います! 大事に大事に読みますから譲ってください」

「ああよかった。本たちもノスリちゃんの所ならきっと大事にして貰えるだろう。またそういうのがあったら取っておくからね」

「ありがとう、お願いします」


 さて、次に行くのは牛乳と卵を売ってくれるおばさんのところです。いつも彼女はこのおばさんのところで、瓶にいっぱいの牛乳と卵を5個買って帰ります。おばさんはノスリさんが天気のいい日に来るのがわかっているのでちゃんと準備して待っていてくれます。


「おばさん、こんにちは」

「ノスリちゃん、そろそろ来る頃だと思ってたよ。ちょっと遅かったんじゃないかい?」

「ええ、貸本屋のおじさんが古い本を譲ってくれたんです」

「おやおや、それじゃあ今日は荷物が多いかねぇ?」

「大丈夫よ。いつもの下さいな」

「今日はあたしが作ったチーズをあんたにお裾分けしようと思ってたんだよ。持って帰れるかい?」

「チーズ? 嬉しい、私チーズ大好き。持って帰ります、ありがとう、おばさん!」

「随分重そうだよ? あたしが後で運んであげるよ、お家はどこだい?」

「いいえ、大丈夫。私こう見えても力持ちなの。ほらね」


 なるほどノスリさんは軽々と持っています。


「じゃあ、気を付けて帰るんだよ」

「はーい、どうもありがとう」


 帰りもいろいろな人がノスリさんに声をかけてくれます。その度に彼女は笑顔で挨拶して通り過ぎて行きます。彼女『を』知らない人も、彼女『が』知らない人もこの街には居ないでしょう。


 ところが。ノスリさんの正面から、見たことも無い小さな少年が歩いて来ます。その少年は彼女をじっと見たままこちらに向かって来ます。ノスリさんはみんなにそうするように、少年にも笑顔で声を掛けます。


「こんにちは。今日はいい天気ね」

「嘘つき」


 ……えっ?


 少年はノスリさんを見上げるように一瞥をくれると、そのまままっすぐ歩いて行ってしまいました。一瞬動けなくなってしまった彼女が慌てて振り返ると、彼の姿はもうどこにもありませんでした。

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