始まりは奴隷から 〜本幕〜

赤糸マト

プロローグ 龍の記憶

 雪積る山頂、一匹の純白の鱗を持つ龍の前に血だらけの一人の人間が姿を現す。


『白龍よ! どうか私の願いを聞いてくれないか!?』


 少年ともとれる顔立ちの青年は眼前の巨大な白龍に跪き、その見るも恐ろしい巨大な2つの眼をじっと見つめながら懇願する。


 白龍は青年の体長程の大きさのある前足を美しい一本の髭を生やした下あごに当てると、まるで人間が何かを思案するように青年を見つめながら顎をさする。


(強い。強いな。これほどまでに強い生物がいたとは。しかし、こやつは何故儂に跪いておるのか)


 白龍は思う。青年から迸る魔力の奔流は自分のそれと同じくらい大きく、ここに来るまでに恐らく倒したであろうクロの事を考えると、青年の実力は自身を倒すのに十分に届きうるものであろう。だからこそ、そんな実力を持つであろう青年が自身の前に膝間付いている光景は不思議なものでしかなかった。


『人の子よ、そなたは何故儂の前に跪く?』


 白龍は自身の内側に抱いている疑問を素直にぶつける。すると青年はまるで白龍がおかしなことを言っているとでも言うような表情を返す。


『ここに来れば、あなたに願えばどんな望みでも叶うのではないのですか!?』


 青年は懇願するように口早に言葉を捲し立てる。そんな青年を見ながら白龍はふと自身の後ろ、この険しい雪山の頂上にに聳え立つオベリスクの存在を思い出す。


(なるほど、クロの言っていたあれか。しかし、まだそのように言われている)


 白龍は心の内で納得し、再度青年を見る。青年は未だに必死な形相でじっとこちらを見据えている。


『人の子よ。そなたは何か勘違いをしているようだな』

『え?』

『願いを叶えるのは儂では無い。後ろのこのオベリスクが叶えてくれるだろう』


 白龍は自身の後ろにあるオベリスクに視線を向ける。オベリスクは雪に埋もれながらただ静かに佇んでいる。


『これ……が……?』

『ああ、そなたの魂であれば魔力に変えれば大抵の願いは叶うだろう』

『そうか、ありがとう』


 白龍の言葉を聞き、青年は静かにオベリスクの前へと進む。そして再び跪くと、その魂と身体を魔力に変換しながら自らの願いを口にする。


『どうか争いのない平和な世界を。人間たちの争わない、平和な世界を!』


 消えゆく身体から青年は出せる限界であろう声で叫ぶ。そして、その身体が魔力となって消滅した後、オベリスクの中心部から光のベールが広範囲に広がり、先端から2つの小さな光が飛び出す。


(限りある命を他人の為に差し出すとは……)


 白龍はじっと、青年がいたオベリスクの前を見つめる。そして、何かを思い出したかのように顔を上げ、山を下りて行った。


・・・


「よぉ、シロ。何してんだ?」


 雪が降り積もる山の上、静かにオベリスクを見据える白龍の元に漆黒の皮膚を持つ頭に対となる二本の角を生やした巨人がやってくる。


「クロか。いや、昔を思い出してな」

「ああ、あの人間か。あいつとはもっと戦いたかったなぁ」


 白龍は「ふぅ」とため息を吐きだすと、巨人へと向き直る。巨人は動きにくそうに肩をぐるぐると回す。


「しかし、その人間のおかげで儂らの動きも制限されているのだぞ?」

「そうなんだよなぁ。あれから強い奴が来なくなっちまってなぁ……はぁ」


 巨人はつまらなそうに溜息を吐き出す。


 あの人間が来てから約1300年、あの時のような強者は姿を見せず、ここに来るのは暇を持て余したこの黒鬼のみ。戦い好きのこいつからしてみれば退屈で仕方がないのであろう。だが、


「……静寂こそ至福なり」

「ん? なんか言ったか?」


 白龍はその身を横たえ、目を閉じる。不死の存在として今なお生きている彼にとっての一番の喜びは静かな場所でただただ自然に耳を傾ける事。だが、その事を知っているはずの黒鬼は豪快な笑みを浮かべながらやかましく話しかけてくる。


「……いや、お主にはもう何も言うまい」


 同じ不死の存在であり、唯一の友である黒鬼は確かに騒々しく、煩わしい時がある。嫌いではないが、正直そういった所はやめてほしい。だが、そうは思いつつも白龍の口元は自身でも気づかないほど微かに上がる。


「そうか! ま、とにかく死ぬんじゃねぇぞ? シロがいなくなっちゃつまんねぇからな!」


 黒鬼は白龍にどんとその大きな手でその美しい龍鱗を叩くと、やかましく笑いながら去っていく。


 白龍は黒鬼が去った後、白龍は目を開き、オベリスクをじっと見つめる。


「死……か……」


 白龍は”死”という不死の存在には無縁のものである言葉をポツリと口に出す。


「不思議と死ぬ気は起こらんものだな」


 白龍は再び目を閉じ、静かに自然の音に耳を傾ける。


 音が積雪に溶けゆく静寂の中、山頂に座り込む白龍はその身に積もりゆく雪を除けようともせずにただ静かに耳を傾ける。


・・・



 ここは2匹の不死なるものが生活する島。


 片方は蛇のような長い胴体とそこに生える2対の羽を持ち、鷹の様に鋭い爪の生えた4脚にまでびっしりと全身を純白の穢れ無き鱗で覆われていることから、”白龍”と呼ばれている。


 もう片方は巨大な人間のような出で立ちに頭からは2対の禍々しい角が生えている。また、その体を覆う岩のような皮膚が漆黒に染め上げられていることから、”黒鬼”と呼ばれている。


 彼らがいつ、どこからやってきたのか。どれぐらいの事を知り、どれぐらいの力を持っているのか、それを知っている者はほとんどいない。


 また、その島には一つの伝説がある。


 漆黒の鬼を倒し、力を認めさせれば、純白の龍が願いを叶えてくれる。


 それが原因なのか時折願いを叶えんとやってくる者がいる。だが、そのほとんどが漆黒の肌を持った鬼のによって願いを叶えぬまま国へ返っていく。


 そんなこの島を、知性ある者たちはいつしか”願いの島”と呼ぶようになった。

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