第2話カジット戦
「うりゃああああ!」
ルプスレギナが大声とともに武器をフルスイングし、スケリトルドラゴンが上半身を吹き飛ばされた。許容範囲を超えるダメージを受けたその体は偽りの生を終え、真実の死を迎え入れる。一撃死だった。
「……え?」
2ヶ月間に渡る大儀式によって召喚したモンスターが一撃でやられ、もはや
六人の高弟が撲殺されてる間に上空から呼び出したそれを見た女の反応は「ふーん」だった。カジットが「魔法詠唱者にとっては手も足も出ない強敵だろうよ!」と言っても女の反応はまた「ふーん」だった。その直後、スケリトルは死んだ。あっさりと。
「……え?」
カジットはもう一度言った。
「いやー、ナーちゃんだったらこいつは手強かったかも」
ルプスレギナはけらけらと笑いながら武器を肩に乗せる。
「あ、もちろん使う魔法は第5位階までって制約があればの話っすよ?それがなかったら一瞬で終わるんで勘違いしないよーに」
「お主は何者だ!神官戦士なのか!」
目を血走らせ、口から泡を飛ばしながらカジットが叫んだ。華奢な体でどうやってあの膂力を得ているのか、そしてどうして神官戦士が鎧もつけずに戦っているのかは全くわからない。
「儂の5年間の準備を!30年以上の人生を!ををををををを!」
半狂乱になってわめく姿を見てルプスレギナは笑った。
「へー、30年以上頑張ったんすかー。ぷぷー、長年の努力が水の泡になってどんな気持ち?ねえねえ、今、どんな気持ち?」
見え見えの挑発であった。カジットは混乱を抑え、生き延びるために対策を考える。もう一体のスケリトルドラゴンを呼んでも結果は同じだろう。しかし呼ばなくては確実にやられる。
挑発の効果がないとみたか、ルプスレギナの顔が子供じみた笑いから哀れみへ変わった。
「え、ちょっと待って。本当に30年以上かけてこれっぽっちなの?」
その哀れみにカジットは激怒とは別の何かに取り付かれる。圧倒的な強者から見下ろされ、自分の人生を否定されている。そんな感覚への恐怖だった。
(そんなはずはない!この女の膂力は凄まじいが、神官戦士と思って戦えば助かる道はある!)
「
投擲された酸系の魔法はルプスレギナに届く前に無効化される。
「そんなのしかないんすか?とっておきの切り札は?」
どうにもならなくなったカジットはもう1体のスケリトルドラゴンを召喚する。同じようにやられるだろうが、時間稼ぎにはなると。召喚したスケリトルに空を飛ばし、動き回って敵を牽制しろと命令を出す。
「おー、もう1体呼べたんだ。あと何体くらい?」
ルプスレギナは楽しそうに武器を構える。これがやられる前にクレマンティーヌと合流する必要があるとカジットは考えた。しかし、ルプスレギナは言った。
「あの姉ちゃんのところへ行く気っすか?もう死んでると思うけど」
ルプスレギナはそう言いながら牽制攻撃してくるスケリトルの攻撃から身をかわす。
「あの女には勝てんさ」
カジットには自信があった。名もなき戦士ではあの精神破綻した女には決して勝てない。勝てるとしたらガゼフ・ストロノーフ級の戦士だろう。
「そんなに強いんすか?ガゼフ・ストロノーフくらい?」
偶然にもルプスレギナは相手の考えと同じことを言った。
「ガゼフ・ストロノーフを超える女だ」
本当は微妙だとカジットは思ったが、ひょっとしたらという思いとハッタリも兼ねてそう言った。
「おー、じゃあモモンさんも練習台ができて喜んでるだろうなー」
「何を……」
目の前から女の姿が消えた。スケリトルドラゴンも攻撃目標を見失い、牽制が止まる。
「
《
カジットは透明化に対する看破魔法を唱える。しかし、相手は見えなかった。
「どこへ行った?」
カジットは前後左右、飛行の魔法を考えて上空も探す。やはりいない。
「ここっすよー」
目の前から声がした。しかし見えない。不可視化看破の魔法を使っているカジットは混乱する。
「看破魔法で見破れると思った?残念!普通のじゃ見破れないんすよ。あ、本当なら匂いや音も消すけど、今回はそこまでする必要ないかなーって」
けらけらと笑う声が夜の空気を震わす。実は上位魔法を使うなというアインズの命令があるのだが、カジットをおちょくることに夢中になり、すっかり忘れている神官ルプーもといルプスレギナ・ベータだった。
「看破できないだと?何をした?お主は一体何なのだ!」
「ルプーですけど何か?ああ、自己紹介してなかったっすね。どうぞよろしく。といっても、今からお別れっすけど」
カジットは殺意の放出を感じた。
「ちい!」
カジットは筒のようなものを取り出し、先にある紐を引っ張った。しゅうしゅうという音とともに緑色の煙がカジットと周囲を覆った。
「煙幕?あー、こっちの姿を煙であぶり出すとか?確かにこれって見えないだけで体は存在してるわけで、水中だとばれるし、煙幕とか広げられても形が浮き出ちゃうんすよねー。あと、魔法無効化空間とかも有効っすよ。
ルプスレギナが使ったのは周囲に上向きの風を起こす防御魔法だ。突風は小型クリーチャーやガス、飛来する矢などを吹き飛ばし、もちろん煙幕を払うのにも有効だ。しかし意外な結果が出た。
「あれ?」
緑の霧は晴れたが、カジットも消えていた。
「はあ、はあ」
カジットは墓地の一角を走る。
「ガシアスフォームが使えてよかった……」
カジットが呟いた魔法は体を一時的に
(またやり直しか!あんな女のために!)
カジットは自身が注いだ時間が無に帰ったことに怨嗟する。自分の人間としての寿命は決して長くないだろうし、今からそう遠くない。時間がないのだ。死を迎える前に不死の肉体を手に入れなければならない。カジットがこれからの算段を考えていると、突如、声がかかった。
「逃げるなら
背後から腰の辺りへ何かがめり込んだ。
「はぎいいいいいい!」
激痛どころではない痛みにカジットの視界は一瞬白くなり、絶叫した。
「いやー、自分も煙になって他の煙にまぎれるとか意外とやるじゃないっすか」
ルプスレギナは楽しそうに言った。すでに不可視化は解除している。刃などついていない彼女の武器はその膂力によって刺突用武器のようにカジットの皮膚を突き破り、内臓を貫いた。彼女はそれを引き抜く。
「スケリトルほったらかしにしちゃ駄目っすよ。あのまま野良アンデッドになったら可哀想でしょ?私が片付けておいたから感謝してほしいっすね。おや、体から出ちゃいけないものが出てるような」
「ひいいいいいい!!」
カジットは傷口からこぼれた器官を押さえながらのた打ち回る。周囲は草の生えた緑の大地だったが、そこに血の海が広がってゆく。
「そんなに痛い?」
ルプスレギナが不思議そうな表情で聞いた。
激痛の中でカジットは自分の人生を決定した出来事を思い出していた。走馬灯である。この世で最も美しく優しい人。その人が床に転がっている。その顔は月日が流れるうちにぼんやりとしか思い出せなくなったが、自分の感情まで風化することはなかった。
(こんなところで!儂が!こんなところでえええええ!)
激痛は消え始め、代わりに寒気が体を包み始める。視界がかすむ。彼は腹部を押さえていた手を空に伸ばした。天から誰かの手が伸びてきたからだ。彼の脳は幻覚だと言っている。しかし彼の心はあの人の手だと言った。間違いなくあの人の手だと。寒気の中でカジットの空虚だった心に喜びが満ちてゆく。ああ、やっと会えた。
「おかあ……」
「ほい、
気の抜けた声がするとカジットの致命傷が消えた。
「おかえりー」
「……え?」
悲願の再会をなかったことにされたカジットは虚脱状態に陥った。
「理解が追いついてないっすか?私が治癒したんすよ。クレリックなんで。スケリトルも本当はアンデッド退散で消せたんすけど、それじゃ盛り上がらないかなーって」
止まった時が動き出すように、カジットの脳はゆっくりと活動を再開した。この女は自分を治癒したらしい。この若さでこれだけの傷を治せるなら類まれな才能だ。
(しかし、なぜだ?)
カジットはなぜ自分を治癒したのかわからなかった。何があっても人を殺さないという戒律だろうか。そういう宗教もあると聞く。あるいはズーラーノーンの情報を収集するためか。
「……儂を助けるのか?」
「んーん」
ルプスレギナは首を横に振った。そして微笑む。
「助けるわけないじゃないっすか」
「どういう……」
カジットはそこまで言って思考の中に火花が散った。理解の火花が。
「貴様!まさか!」
ルプスレギナの頬が釣りあがり、邪悪な笑顔ができた。笑い声が上がる。
ひひひひひひひひひ、と。
「それでも神官かあああああ!」
「うん」
カジットの目が限界まで開かれ、目の前の女を糾弾したが、ルプスレギナは楽しそうに武器を振りかぶり、カジットの腹部を殴打した。何かがつぶれ、何かが折れる音が響く。
「はぎいいいいい!」
「へー、お腹が潰れるとそういう声を出すのは人間の習性なんすか?」
ルプスレギナは再び治癒魔法をかけ、カジットを元に戻す。
「やめろ!もうやめろおおおおおお!」
カジットは涙と鼻水を流しながらルプスレギナから逃げようとする。腰が抜けたため這い蹲っての逃走だった。
「それじゃ、こっちも言わせてもらいますけど」
そう言ってルプスレギナは先回りをし、カジットの行く手を遮ると彼を見下ろしながらこほんと咳払いをした。そして冷たい目をして言った。
「あなたの儀式のせいで死んでいった人はどうなるの?その人たちの都合や人生を考えたことがあるの?」
「儂には目的がある!あの人を生き返らせるんだ!そのために人生を捧げた!何だって捧げてやる!」
カジットは上からの説教に目を真っ赤にし、顔から様々な液体を流しながら叫んだ。一つの目的のために全てを捨てることが狂気だというなら彼はずっと昔から狂っているのだろう。
「ふーん」
ルプスレギナは冷たい目をしたままだ。その冷たく美しい瞳には涙と鼻水にまみれた男が映っている。
「あっ、誰かを生き返らせたいの?さっき、なんか言ってたけど、ひょっとしてお母さんを生き返らせたいの?」
「そうだ!」
「レイズデッド使えば?」
「馬鹿め!肉体が脆弱なものはあれでは生き返らない!神官のくせにそんなことも知らないのか!」
カジットは相手の無知ぶりに怒りが沸いた。
「あー、レベルダウンか身体能力の代償ね。つまりお母さんは低レベルなんだ?それだと生き返らないか。リザレクションも代償はあるし」
カジットの理解できない単語がいくつか聞こえた。
「私が新しい復活魔法を作り出す!アンデッドになって探し続けるのだ!」
「トゥルーリザレクションなら生き返るんじゃない?」
「……え?」
少しの沈黙。
カジットは聞き返した。
「生き返る?」
「死体も代償もなしに復活させる魔法でしょう?あるじゃない。その人の魂が復活を望んでないと駄目だけど。あれ?こっちの世界だと駄目なのかな?」
「ふ、復活できる魔法があるのか?」
さきほどまで無知と罵った相手にカジットは聞く。自分が知らない魔法を目の前の女が知っているはずがない。それでも彼は聞かずにはいられなかった。
「あるわよ」
ルプスレギナはあっさり言った。
「本当に、あるのか……?からかってるんだろう?」
「いやいや、お姉さんは嘘をつきませんよ。クレリックなんだから復活魔法のことなら任しとけって感じっす!メイド長には及ばないけど」
ルプスレギナは自分の胸を叩き、ふふんと鼻を鳴らした。口調が元に戻っている。
「ほ、本当か?」
「まじまじっす」
「教えてくれ!どうやったら使える!」
カジットは懇願した。嘘であっても無視することはできなかった。人生の目標が目の前にあるかもしれないから。
「いや、教えるのは無理っすよ。無理というか無駄」
「なぜだ!?」
「あんた、今から死ぬじゃん」
墓地に風が吹いた。
「当たり前のこと聞かないでほしいっす。あ、正確にはあと5回くらい致命傷と治癒を繰り返したあとっすね」
ルプスレギナはそう言うと武器を振り上げた。
「やめろおおおおおおおお!!」
その後、ルプスレギナの言ったとおりのことが起きた。
「モモンさん、こちらは完了致しました」
モモンさんという部分を除いて、ルプスレギナは人間の前で話す時より強い敬語を使う。TPOはわきまえているのだ。
「おや、なんだか羨ましいことをされてますね」
彼女はアインズに抱きしめられ、釣ったばかりの魚のように暴れる生き物を見て言った。同時に、彼女の聴覚がハムスケの足音を聞き取った。自分達を探しているらしい。1分もかからずここに来るだろう。
「ああ、こいつにはちょっとしたお仕置きをしている。本当はわがままなことなんだが、私はけっこうわがままらしいな。おい、ちょっとうるさいぞ」
断末魔の叫びを上げる生き物にアインズは文句を言った。
「それの喉を潰しましょうか?モモンさんはこの世の唯一にして絶対の法であらせられます。ご存分にわがままにお振る舞いになり、わがままにご命令をお出しください。それこそが私達の喜びなのですから」
ルプスレギナは微笑んで言った。
「そうか。感謝するぞ」
壊れた音楽再生機のように奇怪な音を出し始めた生き物をよそに、アインズはこれからの行動を彼女に伝える。月光が彼らの姿を照らし、茶色の大地にシルエットをつけた。
ちなみに、カジットが持っていた黒い宝珠をポケットに入れたまま忘れていたルプスレギナは翌日になってそれを思い出し、アインズに怒られた。
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