桐野清十郎は、ほのかに悩みを抱えている。

更伊俊介(個人用)

前編


「そんな訳で西条、是非とも俺の相談に乗ってもらいたいのだが」


 開口一番、我が友人にして、東川高校三大奇人の一人である桐野清十郎は、そんな事を言い出した。

 180センチを優に超える桐野が前に立ったことで、机の上に影が出来る。


「……色々と言いたいことはあるんだけど。その相談に乗るのは、今じゃなきゃいけないことなの?」

「何を言う西条。貴様が以前貸してくれた少年漫画には、悩みがある時は一人で抱え込まずに友人を頼るべきだと書かれていたではないか。それとも、貴様は俺の友人ではないと言うのか?」

「いやまあ、そう言われると、確かにそうなのかも知れないけど……後じゃ駄目? 今ちょっと……いやかなり、忙しいんだけど?」

「何を言う。後回しにする理由などない。今疑問に思ったのなら、今すぐに解決せねばならない。拙速は巧遅に勝る。そうだろう?」

「……そうだね、君はそういう奴だったね」


 自分の正当性を一変も疑っていない桐野に向けて、あからさまにため息を吐く。

 それから僕は、右手を大きく伸ばし、信じられないものを見るような目でこちらを見ている監督の新任教師に向けて、声を掛けた。


「えーと、先生……テスト終わったので、退室します。あとホームルームも欠席するので、藤村先生に伝えておいて下さい」


 解き掛けの古文のテストの解答用紙を机の上に伏せ、僕は椅子に引っ掛けていた通学鞄を掴むと、廊下へ向けて歩き出す。


「…………」


 歩きながら、横目でクラスの中を見回せば、僕と桐野を除いた、32人のクラスメート達は皆机に向かい、担任である藤村良明(34歳新婚)の作った問題を解いている。

 それはそうだろう。何しろ今は、大事な大事な、二学期の中間テストの真っ最中なのだから。

 そんな時間に、私用で教室の外に出ようと言う方がハッキリ異常なのだ。


 クラスメートの何人かが発してくれる、同情のオーラに僕も無言で返事を返す。

 こんな中途半端な形で放り出すことになるのなら、最初からテスト勉強なんてするんじゃなかった。もっと時間をかけて、部屋中の掃除をするべきだったかも知れない。


「おい西条、何をやっているんだ。早く来い」


 既に廊下へと出ていた桐野は、半ば呆れたように僕に言葉を飛ばしてくる。

 誰のせいで、こんなことになったと思っているんだ、と文句の一つでも飛ばしてやりたいところだが、何を言っても、きっと彼には届かない。


 何しろ、平安時代の女官の何十倍も複雑で、何百倍も面倒くさい思考回路を持つのが桐野清十郎なのだ。

 彼に目を付けられた時点で、常人でしかない僕は即詰み。

 余計な反論をせず、唯々諾々と従うことが、一番傷が浅いのだということは、彼と出会ってから、この半年間の間で気が付いたことである。

 

 廊下に出て、僕はため息混じりに桐野に問う。


「ねえ、ちなみに問3の(2)の答えって……?」

「助動詞だ」

「……そうですか」


 僕は、せめて平均点以上の点を取れることを願いながら、桐野の後を、急ぎ足で必死で着いて行った。


「実は悩みがあるんだ」

「……悩み? 君が?」


 特別教室棟の脇に存在する、東川高校で一番品揃えの悪い自動販売機のボタンを押しながら、桐野は真剣そうな声で呟く。


「いや、悩みは無いんだが」

「え、無いの?」

「悩みがあるんだ」

「どっちだよ」

「あったか~い黒酢ドリンクと、つめた~いコンポタージュ、どっちが良い?」

「その二択しかないの?」

「残念ながら、他は全て売り切れているな」


 桐野の脇から自動販売機を見るが、確かに、その二つを除いた全てのボタンに『売り切れ』を示す赤いランプが表示がされている。

 ただでさえ少ない品揃えが、更に少なくなっている。

 僕のお気に入りである、つめた~い甘酒も売り切れらしい。


「……じゃあ、つめた~いコンポタージュ」

「分かった」

 

 ガシャコンと、コンポタージュの缶が自動販売機の中で落ちる音。一番下の受け取り口から取り出された缶を受け取るが、やっぱり冷たい。

 自動販売機に寄りかかりながら、中身に口を付けるが、まあ、ビシソワーズの要領で飲めば、飲めないこともなさそうだ。


「んで、何なのさ悩みって」


 桐野清十郎。

 文武両道、品行方正、容姿端麗、身長180センチオーバーにして実家はお金持ちの三男坊。一体どんなチートコードを使えばこんな人間が生まれてくるのかというような、漫画やライトノベルの中に出てくるような完璧超人である。


 そのハイスペックさと、時折見せる浮き世離れした言動により、校内でも大きな人気と奇異の視線を集めており、入学してまだ半年すら経っていないのに、東川高校三大奇人の一人にすら数えられている。


 そんな、あらゆる意味で人並み外れた、桐野清十郎。

 そんな奴が、人知れず悩みを抱えているのだという。


 正直言って、興味を引かれるなと言う方は無理な話だ。

 古文のテストの点数を犠牲にしたことも、桐野の悩みが聞けると言うのなら、お釣りが来ようというものだ。


「悩みがあって、それの相談をしたいんじゃないの?」

「何を言ってるんだ西条」


 桐野は、あったか~い黒酢ドリンクのプルタブを開きながら、僕と向き合う。


「悩みなんて、ある筈がないだろう」

「……はぁ?」

「考えて見てもみろ西条。俺は貴様ら凡百の民草とは、肉体的にも精神的にも金銭的にも身分的にも違う、生まれ持ってのエリートなのだぞ? 蒙昧な大衆の貴様らが持つような悩みなど、あるわけがなかろう」

「……えっと、じゃあ帰って良い?」

「待て西条! 話は終わっていない!」

「いや、終わってるでしょ。完全に」


 速攻で飲み終えたコンポタージュの缶を、自動販売機脇のゴミ箱に投げ込む。

 今から戻れば、テストの続きを受けさせて貰えるかもしれない。

 あの新任の教師は押しが弱そうだったから、土下座の一度か二度でもすればあっさりと堕ちるだろう。そうだ、悲壮感を出す為に、少し顔の辺りに泥でも塗っていこうか。


「待つんだ西条! 話はまだ終わっていないと言っているだろう!!」

「って、うわっ!?」


 行く手を塞ぐように目の前に現れた桐野の両手が、僕の脇腹を鷲掴み、そのまま大きく持ち上げる。大人が赤ん坊を高い高いをしてあやしているような体勢だ。


「ちょっ、下ろせ! 下ろせって!」

「駄目だ! 下ろしたら貴様、逃げるつもりだろう!」

「逃げない! 逃げないよ! だから下ろしてって!」


 高所恐怖症の気があるわけではないが、この高さで振り回されるのは、ちょっとリアルに怖すぎる。ただでさえ高身長の桐野が、両手を大きく伸ばして振り回しているのだ。ハンマー投げのハンマーになったような気分。いつ絶叫と共に、飛ばされるのか分からない。


「本当だな? 逃げないと言うのなら……いや、逃げないで俺の悩みの解決に協力をしてくれるというのなら、下ろしてやろう!」

「分かった! 協力する! 協力するから! 下ろして!」


 必死の声を上げる、いや最早悲鳴に近い。

 振り回され続けているせいで脳の血液にも遠心力が働いていて、今にも意識を失いそうなのだ。


「……よし、良いだろう」

「早くっ!」


 桐野は、納得したかのように一度頷くと、僕を振り回す速度を少しずつ弱めて行き、最終的に、自動販売機前のコンクリートの上に下ろしてくれた。


「うっ、頭が……」


 数秒ぶりの地面との再会。

 乱れた制服を直そうとするが、思わず膝を突く。

 気分がすこぶる悪い。吐き気を抑えながら、自分の平衡感覚が無事に働いていることを確かめる。


「それでな西条、俺の悩みなのだが」


 そんな僕の様子などお構いなく。

 桐野は至って真剣な様子で頭上から見下ろして来ながら。


「実はな、俺には悩みが無いんだ」


 そんな、フザケた事を言いやがったのであった。



 ド真面目な顔で告げられた言葉に対し、僕は即座に立ち上がると桐野の脛に向けて、精一杯の蹴りをぶち込む。

 余りの身長差のせいで、僕が唯一取れる肉体的な反抗はこれぐらいなのだ。


「なあ西条、悩み、とは一体どういうものなのだ?」


 しかし、僕の脛蹴りは桐野には全く効いていないらしい。

 軽く殺意すら覚えんばかりのいつも通りの顔で、僕を真上から見下ろして来る。


「凡百の民草の代表たる貴様であれば、さぞかし沢山の悩みを抱えているだろう。是非とも教えてくれないか。悩みとは、どのようなもの、かを」

「…………」


 ムカついたのでもう一発脛に蹴りを入れてみたが、やはり効果はない。

 桐野に一撃を入れる為だけに、今日から蹴りの練習を始めようと誓った。


「良いだろう、貴様にも分かるように、簡潔に物事を話してやるとしよう。俺の悩みとは、悩みを持たないこと、なのだ」


「はぁ、また良く訳の分からないことを言い出した」

「何を言う。訳の分からないことではないぞ。そもそも悩みとは、人が生きていく上で、思考していく上で、直面すべき壁。どんな人間であれ、必ず貯まっていく、思考の澱のようなものなのだ」

「じゃあ、悩みがないのなら、そもそも何も考えていないってことなんじゃないの?」

「バカを言え。俺は、何か問題が起きる度、この天才的な頭脳を用いて解決への方法を策定し、決定し、事後処理の算段をしているのだ。その完璧な理論には、思考の澱などの貯まる隙間すら存在しない」

「ああ、本当に面倒臭い奴だなぁ、こいつ」

「何か言ったか?」

「いや、何も?」


 桐野は、真剣そのものの様子で語っている。

 そもそも意図的に冗談を言うような人物でないのは分かっているが、どうやら本気らしい。


「えーと……じゃあ、つまり、何だ、僕は結局どうすればいいの?」


 悩みの相談と言われても、そもそも悩みが存在しないのが悩みというのであれば、相談も何も出来る筈がない。

 

「何、簡単だ。サンプルを教えて貰いたい」

「……サンプル?」

「ああ、完璧である俺と違い、貴様らは数え切れないほどの悩みを抱えているのだろう。その悩みに興味がある。どのような悩みを持っているのか、俺に教えてくれればいい」

「未だかつてないほどの上から目線だな」


 貴様らの悩みを献上せよ、とそんな事を言うのか。

 果たして、こいつは神様か何かなのだろうか。


「えーと……悩みねぇ」


 こうなっては仕方がない。

 今更断ろうものなら、先程と同じようなハンマー投げ状態になりかねない。

 次は飛ばされて、どこぞの校舎の窓ガラスに突っ込んでしまう恐れもある。

 ありがたいことに、思春期まっさかりの高校一年生だ。悩みには事欠かない。


「そうだな。もっと身長が欲しい!」


 顔を思いっきり上に向け、こちらを見下ろしている桐野に言葉を飛ばす。

 本来なら、悩みというものはもう少し静かに喋るべきなのかもしれないが、どうせまだテスト時間中だ、この特別教室棟には誰も近付いてきてはいないだろう。


「ふむ、身長か……」

「うん、身長」


 高身長の桐野の隣に立っていると余計にそう思う。

 僕ももっと、身長が欲しいと。

 具体的には、桐野の鳩尾を思いっきり蹴りあげられるぐらいの身長が欲しいものである。


「成程、身長か。その考えはなかったな、流石は凡百の代表たる西条だ」

「喧嘩を売られているのか分からないけど、もっと身長が欲しいって人は結構いるんじゃないかな。これ、一般的な悩みだと思うよ?」

「身長……身長か……」


 桐野は、顎に手を当てながら、何かを考えるように、その場を歩き出す。

 そして、頭上を見上げ、何かを思い出すような仕草を見せた後。


「うむ、却下だ」

「はぁ?」

「よし、次の悩みをくれ、西条」

「いや、いやいやいや、ちょっと待ってよ。何だよ、却下って」

「いいか。そもそも、そんな物は悩みにはなり得ないのだ」

「……はぁ?」

「身長とは個人個人の肉体の成長度合いを表す数値であり、肉体的な争いが必要となる場であれば、確かに必要となるだろう。しかし現代においては、そのような野蛮な争いで決着を付けるような場はほぼ存在せず、それだけ身長の数値が持つ意味も薄れている。つまり、身長を欲するなど、意味のない悩みだということだ」


 一息で告げられた桐野の言葉。

 大上段から告げられたその言葉に、僕は何の反論も出来ない。


「あえて言うなら、スポーツなどの特定の分野では身長が必要となるケースは存在するだろうが、しかし、だからといって身長が絶対の意味を持つことなど、高校の部活レベルでならほぼ無いと言えるだろう。身長が低くても、戦い方次第で活躍している選手は多数存在している。そういう意味では、安易に身長を求めることは、別方向への努力の放棄。ただの怠慢なのではないのか?」

「怠慢とまで言うのか……」


 何だこいつ、身長に対して何か恨みでもあるのか? 

 ひょっとしてご家族を身長に殺されたりしたの?


「そもそも、何故貴様達はそんな身長を欲するというのだ?」

「え、いや、それは……あった方がいいでしょ?」

「だから、何故?」

「だって、身長あった方がカッコイイし……モテるんじゃないの?」

「カッコイイ? モテる? それはつまり、身長があった方が異性が欲情すると、そういうことか?」

「えらく直接的だと思うけど、まあそんなところだよ……多分」


 本当、えらく直接的だ。余りに直接的すぎて、軽く顔が赤くなってしまう。


「……一言言っておくが、身長さえあれば、異性が欲情すると安易に考えるのは大きな間違いだぞ。確かに、その傾向にあることは否定しないが、そもそも本来異性同士は、お互いの最も欲する遺伝子を持つ相手を……」

「ってもう良いよ!」


 叫んで、桐野の演説を何とか止める。

 ここで止めておかなくては、とんでもないことになってしまいそうだから。


「分かった、分かったよ! 僕が悪かった! 身長のことはもういいから」

「何だ、ここからが面白くなるのに」

「別にいいよ。面白くならなくても」

「そうか」


 そのまま喋り続けそうだった言葉を止めると、桐野は喉が渇いたのか、あったか~い黒酢ドリンクを飲み干し、空き缶をゴミ捨て場に捨てる。


「では、他の悩みのサンプルを頼む」

「他の悩み……ねぇ」


 少し考える。

 一般的な高校生の持つ悩みとは何だろうか?

 

 学業や進路など、自らの未来に対する悩み。容姿や金銭に人間関係など、集団の中の個人に対する悩み。異性関係の悩みなどはいくらでも、それこそ、悩みを持つ人の数ほど存在するだろう。

 そう、本来悩みなんてものはいくらでも存在するのだ。

 百人の人間がいれば、千個以上の悩みが存在するに違いない。

 しかし、だからと言って。


「どうした西条? 俺の顔に何か付いているのか?」

「……いや」


 果たして、目の前で偉そうに腕を組んでいる桐野清十郎に対し、どうやって人の持つ悩みを説明すれば良いのかが分からない。

 生半可な悩みを提示しようものなら、また良く分からない理屈を講じられてしまうに決まっている。まさか身長の悩みを怠慢に置き換えられ、異性の悩みを欲情なんて言われるとは思わなかった。

 思わず頭を抱えそうになる。

 本当、何なんだこいつ。


「そうだよ……君、一体何がしたいんだ?」

「む?」


 抱えていた頭から手を離し、僕は桐野と向かい合う。

 余りの身長差に、僕の顔に影がかかる。


「そもそも、何で桐野は、人の悩みなんてのを知りたがっているんだ?」


 そう、最初からそれがおかしかった。

 何故、この奇人はそんな物を知りたがるのか。

 自分には悩みがないと言い、悩みがないのが悩みと言い、そして、人の悩みを知りたがる。

 それは、まるで。


「まさか、自分も悩みが欲しい、なんてことを言うんじゃないだろうね?」


 瞬間、桐野の表情が僅かに変わったように感じた。

 それは笑顔と呼べば良いのか、それとも驚きと呼ぶべきか。

 ともかく、そんな曖昧な表情に。


「別に、悩みを欲している訳ではないさ」

「じゃあ、何で?」

「ただ、悩みを知らなくてはいけない、とは思う」

「……思う?」


 断定を避けた表現だ、桐野らしくない。


「無論、俺は貴様らとは違い、完璧な肉体と知性、そして完璧な環境の中で生まれ育ってきた完璧な人間なのだが。悩みなどという気の迷いとは、無関係の人生を送ってきたわけだが……」

「その話、まだ続くの?」


 僕は自動販売機にお金を入れ、二本目のつめた~いコンポタージュ缶を手にする。飲んでみるとなかなか美味しい。ハマってしまったかも知れない。


「……実はな、昨日夢を見たのだ」

「は? 夢?」

「ただの夢ではない。それは俺が死ぬ時の夢だ」


 桐野は、妙に真剣そうな顔で語り始める。


「死に瀕した俺は、ベッドの中で最期の時を迎えようとしていた。どうやら寿命らしい。大往生だ。布団の両脇には、沢山の親族や友人達が並び、皆穏やかな顔で俺のことを見下ろしていた。その末席には西条、貴様もいたぞ。ありがたく思え」

「はぁ」


 そりゃまた、光栄なんだが光栄じゃないんだか良く分からない話だ。


「そして、いよいよ最期の時が訪れようとしていた。誰もが優しげに俺を見下ろす中、足下の先から、自分の命の灯火が消えていくのをハッキリと感じた。我がことながら、全くもって情けない。死などの好き勝手にさせておくなど、一体、夢の中の俺は何をしているのだ。気合いが足りない」

「夢の中の自分をディスるのってどういう気分なの? 楽しいの?」

「しかしまあ、概ね満足の行く人生だったと理解した。俺は、完璧な人生を全うしたのだ。だから俺は、布団の中で、自らの死を受け入れようとして……」

「受け入れようとして……?」

「しかし、その瞬間、気が付いたのだ」

「何を?」

「俺には、やり残したことがある、と!」


 桐野は、いつになく真剣な顔で叫んだ。


「しかし、気が付いたのが遅かった。既に死は俺の身体を捉えて放さなかった。関節技、絞め技、打撃技も試してみたんだがな、良いところまでは言ったと思ったが、駄目だった。俺は死に、そこで夢は終わりだ」

「……君、本当に何をやってるの?」


 いくら夢の中とはいえ、訳が分からなすぎるだろう。

 そもそも、自分が死ぬ時の夢なんてのを見るのも良く分からないけどさ。

 やっぱり、精神的にちょっとアレなのが影響しているのかな。


「と言うわけで西条、つまりはそういうことだ」

「……はぁ?」

「何だその気の抜けた返事は。貴様が理由を知りたがったのだろうが」

「え、理由? ってまさか、悩みを知ろうとする……え? 今のどこが?」


 今、僕が聞いたのは、人から聞く話題の中でもトップランクにどうでも良い扱いを受けるべき、『今朝見た夢の話』だ。それが、悩みを知ろうとしていることと、何の関係があるというのか。


「全く、これだから凡百の民草は……」


 桐野は、オーバーアクションで遺憾の意を表明しながら、自動販売機からあったか~い黒酢ドリンクを購入する。桐野もどうやら気に入ったらしい。


「言ったろう。やり残したことがあることに、気が付いた、と」

「あぁ、そんな事言っていたね」


 正直、話半分に聞いていたけど、確かにそう言っていた。


「完璧であるべき俺の人生において、やり残したことがあるなど、あってはならないことだ。それがどんなに小さな事であろうとも、すぐに解決をしなければならない!」

「……じゃあ、そのやり残したことって何なの?」

「分からん」

「はぁ?」


 苦虫を噛みしめるかのような桐野の顔。

 そんな顔も珍しい。


「分からん。分からんからこそ、俺は、俺の悩みを知らなければならない。悩みが、心に貯まった澱であるのならば、俺のやり残したことも、そこに起因している筈。だから、俺は自らの抱えている悩みを知らなければならないのだ!」

「待てその理屈はおかしい」


 何重におかしいのか、一瞬で判断が出来ないくらいにおかしい。

 というか、何を言ってるんだこいつ、正気か。

 今までもおかしいと思っていたけど、少し次元が違うおかしさだ。


「しかし、分かったぞ西条、貴様ら、凡百の民草の持つ悩みを聞いても、完璧たる俺には到底及ばないと言うことがな。やはり、俺の悩みはオンリーワンにしてナンバーワン。貴様らの悩みをいくら聞いても、何の参考にもならん。俺は、俺だけの悩みを見つけなければならないのだ!」


 桐野は、あったか~い黒酢ドリンクを一気に飲み干すと、缶を持ったままの右手を大きく天に向け、宣誓するかのように叫び声を上げる。


「では、いくぞ西条! 俺の悩みを探す為に! 俺達の戦いは始まったばかりだ!」

「…………」


 どうしよう、凄い嫌だ。

 桐野の悩みの内容を知れるから、いつもの傍若無人な振る舞いに対して、少しでも対抗手段になるかもと思ったから、面倒臭いにもかかわらず着いて来たというのに、まさか、これから悩みを探す旅に出ることになるとは。それはちょっと話が違いませんか。


「何をやっている、行くぞ西条!」

「……はいはい」


 しかし、着いて行かざるえない。

 桐野が一度言い出したことを撤回したことはなく、そして中途半端で終わらせたこともない。

 つまり、このまま放っておけば、どのような形であれ、僕に対し、多大な迷惑が被られることは確かなのだ。


「……はぁ」


 ため息を吐きながら、僕は急ぎ足で歩く桐野の背中を、必死で追いかける。


 そうだ、僕には、身長以外にもう一つ悩みがあったことを思い出した。

 それは、桐野清十郎という厄介な友人がいること。


 それこそが、僕にとって大きな悩みなのであった。



後編へつづく

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