死神が現代風のダサいTシャツで現れた

精華忍

第1話 どこでそのTシャツを買った

 一年前、俺の生活は一変した。

「え? 今なんと?」

「だから、君はもうちょっとで死んじゃうかもしれないんだって」

「マジっすか」

「そうだね。残念だけど」

「あの、ちょっと軽くないですか?」

「医者もね、こんなに手の施しようがないと緊張感なんか吹っ飛んでこうなってしまうんだよ」

 白衣の医者はなんの重みもない軽い言葉でそう言った。

「あの、俺、今日は足の小指の骨折の治療で来たんですけど」

「ああ、それね。でも全身のスキャン撮ったり、血液検査したりしたでしょ?」

「ああ、撮りましたね。タンスの角に足ぶつけただけなのに」

「普通そんなことしないよね」

 なんでこの医者、こんなにウッキウキなんだろう。

「まあ、不思議だと思いましたけど。逆らう理由ないですし」

「バカ正直なんだね。でもそれが幸いしたよ。めっちゃ不幸だけど」

「先生、そろそろ怒っていいですか」

「まあまあ。でね、君の体に何が起こっているかというと」

「ダジャレですか? 怒っていると起こっているを掛けてるんですか?」

「わかんない」

「え?」

 先生は手にしていた紙の束を机に放り投げた。

「わかんないって、ダジャレですか?」

「いいや。君の体に何が起こっているか、さっぱりわからないんだよ」

「え、え、医者ですよね、先生」

「医者でもわからないことだってあるさ」

「でもなんで死ぬって」

「原因はわからないけど、血液異常だったり、内臓収縮だったり、なんか死神でも憑いてるみたいな複合症状が起こっているんだよ」

 そう言って先生はグラフやら写真やらを見せてくれ、具体的な数値やらの説明を始めた。医学知識なんてドラマくらいしかない俺にはさっぱりだったが、少しずつ自分の置かれた立場が理解できるようになってきた。

「せ、先生……どうにもならないんですか?」

 こんなに震えた声はいままでに出したことがない、というほど俺の声はひどくこわばっていた。

「そうだね……とりあえず入院して経過を見ようか。ご両親の連絡先を教えてくれるかな?」

 と言って、紙とペンを俺に差し出す。

「え、呼んでなかったんですか! 普通、こういうのって親呼んで説明するものじゃないんですか?」

「いやー、君をびっくりさせたくて」

「文字通り死ぬほどびっくりしてるんで早く呼んでください!」

 殴り書きをこのムカつく医者にたたきつけた。

 こいつ、いつか殴ってやる……。


「あれからもう一年も経つのか……」

 半年前に移された個室で一人呟く。十畳ほどの小奇麗な個室には、背後にある白いベッドと、備え付けのトイレ、正面にあるタンスと、壁に埋め込まれているモニターだけしかない。右手には大きな一枚窓があり、果てまで広がる水平線が見える。

 せっかく入った高校をすぐに休学。友達どころか知り合いすらいない状態で、いきなりこんなところに来てしまった。難病患者を集めた病院は地元から遠く離れていて、中学までの友達も来れないし、親も幼い妹につきっきりのためにこっちにはあまり来れない。幸い、本好きの俺の為に大量の本を送ってくれるおかげで退屈はしていない。

 治療も薬や点滴をうけているものの、特段運動機能が低下している気もしないし、意識もはっきりしている。食欲も変わらないし、本当に身体に異常があるのかと疑ってしまうくらいだ。病院の敷地さえ出なければ自由に動くことも許されている。現に今もこうして立っている。

 こんなことなら別に入院する必要も、休学する必要もなかったんじゃないだろうか。そう思い始めてからもうだいぶ経つ。明日退院を許可されてもおかしくないとさえ思うくらいだ。

 ただ、じっくり本は読めるし、ネットもゲームもできるし、飯はでてくるし、何不自由ない生活と言ってもいい。

「でも、味気ないよな……」

 代り映えしない毎日。退屈ではないけど、面白みがない。

 いや――それは高望みというものだろうか。

 ここに来て、同世代の子どもがいなくなっていくのを何度目にしただろう。それが退院だったらどれだけよかったか。いなくなる大半が、家族の涙とともに冷たく運ばれていく。大部屋で、主人を失ってぽっかり空いたベッドを何度見たか。

 そのたびに俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。俺に何かできたわけでもない、特別仲が良かったわけでもない。それでも、のうのうと生きている自分を責める気持ちがどこかにあった。

 夕焼けに染まりはじめた水平線。海岸では何人かの子どもが遊んでいた。

「海、か。こんな身体じゃなきゃ、すぐにでも遊びに行くんだけどな」

 叶わない願いを呟いたその時、聞きなれた声とともに部屋のドアがノックされた音が聞こえた。

「裕一くん。夕ご飯持ってきたわよ」

「はーい」

 もうそんな時間か、と思いつつベッドに戻る。自分で備え付けの机を組み立てていると、膳を持った初音さんがやってきた。

「今日は一日部屋にいたんだね。また本でも読んでたの?」

「ええ、まあ。今日は陽射しが強かったみたいでしたから」

 俺の担当、らしき看護師の初音さん。個室に移ってからは毎日こうして飯を届けてくれる。それ以外にもたまに部屋に来ては様子を見に来てくれる。

「志賀直哉……裕一くんは今どきの高校生にしては真面目な小説を読むよね。マンガとかライトノベルとかは読まないの?」

 膳を机に置き、端にある一冊の小説を手に取って初音さんは不思議そうな顔をする。

「嫌いではないんですけ、なんというかその……」

 俺は膳の手前にある箸を手に取り手を合わせる。

「そういうのって、誰かと語り合いたくなりそうな気がして」

「……そっか」

 落ち着いた文学は一人で反芻して楽しめる。俺にとって本はそういうものだから。

「妹がよく好きなマンガとかアニメとか勧めてくれるんですけど、俺にはさっぱりですね。夜はここテレビ見れないですし、録画もできませんから」

「妹さんが? お兄ちゃん思いのいい子だね」

「ええ、まあ。最近ちょっとマセてきて生意気になりましたけど」

 薄味のおかずを口に運びつつ初音さんに答える。

「あれ、初音さん、次の部屋に行かなくていいんですか?」

「ん?」

 初音さんは別に俺の専属というわけではない。現に、昨日まで俺の隣の個室に飯を届けていたし。

「俺と話してくれるのはうれしいですけど、隣のやつに飯届けてやってくださいよ」

「えーとね、いいの。私が運ぶご飯、君で最後だから」

「……」

 俺には初音さんの言っていることがすぐに理解できた。つまり、隣の個室の住人がいなくなったのだ。

「そうですか……残念です」

 初音さんの表情は変わらず微笑を浮かべていたが、どこか影を落としていた。

「ずっとね、私が看てきた子だったんだ。にんじんが大嫌いで、いつも私に代わりに食べてくれって無茶言って。でも、辛い治療にも気丈に振る舞って……強い子だと思ってた」

 今にも泣きだしそうな声。でも、初音さんは涙を見せなかった。

「私、看護師に向いてないかも。もう何度もこんな経験してるのにいまだに悲しくなっちゃうや。ここはそういう場所なのにね」

「そんなことないですよ。俺は初音さんが担当でよかったと思ってますよ?」

 患者というより、一人の男の子として接してくれているような自然な振る舞いに、居心地の良さを感じていたのは本当だ。そんな初音さんに安らぎを覚えていた。

「ありがとう、裕一くん。実はね、こうやって普通におしゃべりできる状態の患者さんは少なくて、なんていうかさ……」

 初音さんは言葉に詰まったように黙った。俺は空になった器をそろえて箸を置いた。

「あの、俺でよかったら愚痴でもなんでも聞きますから、いつでも来てください。大丈夫、俺は元気でしょ? すぐに笑顔で退院しますから」

 ごちそうさま、と言って膳を初音さんに手渡す。初音さんは何も言わなかったが、膳を受け取って一度ニッコリ笑ってから部屋を後にした。

「……」

 はっず。何言ってんだ俺。確かに初音さん、可愛いし若いけど。仕事で落ち込んでる女性につけこむとか最低だから。

 すっかり暗くなった外の景色。窓ガラスに反射する自分の顔は少し赤みがさしていた。



 特にすることもなく、小説の続きを読んで消灯時間を迎えた俺は、本にしおりを挟んでから電気を消して横になった。今日も一日、過ぎてしまった。俺がこうしている間も、名前も忘れてしまったクラスメイトは高校ライフをエンジョイしているのだろうと思うと少し悲しくなる。

 高校とはどんな場所なのだろうか。中学生だった俺にとって、まったく未知の世界。ある意味仕方なく通わざるをえない中学と違い、いろんなことができるのだろう。アルバイトだったり、放課後の道草だったり。

「早く戻りてーな……」

 もうすでに一年が経ってしまい、クラスメイトだった彼らとは学年が一つ違う。今更戻ったところで一緒に過ごすことはできないだろう。この戻りたいという気持ちはどこから来ているのか。果たして、こうなってしまった俺に居場所なんてあるのだろうか。

 地元。ここ。どっちつかずで半端だ。

 いっそ早く、治るか死ぬかをはっきりさせてほしいものだ。

「……」

 やめよう。それに、約束したじゃないか。初音さんとは笑顔で別れるんだ。死が近い空間に長くいるせいか、考え方までネガティブになりつつある。そうだ、明日には新しい本が届くらしいし、早く寝て明日に備えよう。

 まぶたを閉じ、頭を無にする。音もない空間で、少しずつ意識が遠のいた。



 違和感があった。

 いつもと何かが違う。でも、何が違う?

 音じゃない。暗いままだ。暑くも寒くもない。

 強いて言えば――いいにおいがする。

 夢か? いやでも、眠った直後から変わらず真っ暗で、鼻を何かがついたから気が付いたような。

 まぶたがわずかに開く。やっぱり、寝ていたことは確かなようだ。夢ではないらしい。夜目に慣れたせいか、真っ暗な室内の様子が良く見える。

 正面のタンス、右手には黒く染まった海が見える。

「え……」

 視線をもどし、左手を見ると――女の子が立っていた。

 お、女の子?

 俺は身体を起こし、まぶたをこする。間違いない、女の子がいる。それも、見たことがないような可愛い女の子だ。

 歳は同じか少し下くらいだろうか。背はそこまで高くない。日本人じゃないように見えるのは、西洋風の顔立ちと紫色のロングヘアーのせいだろう。

「起きましたか」

 凛としたかわいらしい声。でも、どこか芯があるように聞こえた。

 金色の目が俺を見つめる。奇想天外な状況に、俺はだらしなく口を開けたまま女の子の次の言葉を待つほかなかった。

あかつき裕一ゆういち

 女の子が俺の名前を言った。

「え、あ、うん。そうだけど」

 状況が呑み込めないのは寝起きのせいじゃない。たしかにそれもあるけど、たとえ起きていたとしてもこれはワケが分からない。

「アナタの命を受け取りに来ました」

「……」

「アナタは五日後に死にます」

「……」

「……」

「……え?」

 俺は、固まった。

「聞き取れませんでしたか?」

 女の子は確認を求めてきた。

「えーと、五日後に死ぬって言いました?」

「聞こえてるじゃないですか。じゃあ話進めますね。アナタは五日後に死ぬんですけど、そこで一つ――」

「ちょ、ちょちょちょっと待って」

 両手を女の子の前に突き出して話を遮る。いきなり現れて何を言ってるんだこの娘。

「なんですか。なにか分からないことでもありましたか? 説明はここからなんですけど」

 説明? いや、それは置いといて。

「えっと、まずキミは誰? 確かにこの部屋には鍵はかかってないけど、勝手に他人の病室に入ってきちゃダメじゃないか。俺はいいけど、面会謝絶の患者だっているんだからね?」

 俺の常識的な警告に、女の子は「あー、このタイプか」と小さく嘆息した。そして、もう一度俺を見つめて口を開いた。

「私は死神です」

「……シニガミ? 名前?」

「……」

 一瞬、女の子の目が見開かれた……気がした。というのも、女の子はすぐに右手を肩の高さまで振り上げたからだ。

 俺の目の前に何かが差し出される。そういえば、右手で棒状の何かをつかんでいたな。俺は視線を女の子からそちらへ移した。

「……」

 鎌だった。それもまがまがしい形状の、大きな、人間の首なんか簡単に掻っ切れそうな、死神がもっているような鎌だった。

「し、死神……!?」

「はい、その死神です」

 淡々と、それが当たり前だというように、死神はそう言った。

「……いや」

「はい?」

「いやいやいやいやいや! そんな馬鹿な! 死神とか、そんなファンタジーでもあるまいし!」

「……」

 死神は眉間にしわを寄せ、俺の常識的な指摘に再び嘆息した。

「まあ、そう思うのは正常だと思います。けれど、残念ながら本当に私は死神で、アナタは五日後に死ぬんです」

 死神はあくまで冷静に、先に口にした言葉をくり返す。

 病院という、いつ人が死んでもおかしくない場所。そして、寝る前に考えていたことと、あまりの冷淡で不謹慎な態度に俺はキレた。

「嘘つけ! 死神がそんなダッサいTシャツ着てるわけねーだろ!」

「……な」

 俺は自称死神の胴体を覆っている衣服を指さす。明らかに安っぽい生地に、〝See you again〟などとふざけた英文がプリントされた、現代のアパレルショップで扱っているようなTシャツ。しかも、裾が彼女のひざ上あたりにあるという、「サイズなんて関係ねえ!」と言わんばかりのぶかぶかっぷり。

「そんなに死神って言いたいならフード付きの黒いローブとか、せめてその見た目に合うようなふりふりのドレスでも着て来いってんだ!」

 どこにこんな現代風の、しかもファッションセンス0なTシャツを着た死神がいるというのか。これまで読んできた本の中に登場した死神はもっと畏敬の念を抱くような服装で描かれていた。

 ふん! と鼻を鳴らしていると、自称死神は大きく身体を震わせていた。カチャカチャと、持っている鎌が揺れる音がしている。え、この鎌、本物なのか?

「いま……」

「ん?」

「いま……この服をダサい、と?」

「え、あ、ああ。今どきそんなダサい服、どこに売ってるんだよってくらいだよ!」

 いまだに状況が呑み込めないが、こんなエセ死神に睡眠の邪魔をされてたまるか。きっと、タチの悪い夢か、夢遊病の患者か何かに違いない。

 そう考え、眠りにつこうとした……が、女の子の様子がおかしい。

「もしかして、泣いてる?」

「……泣いてません」

 たしかに、泣いてはいないようだった。しかし、その美しい瞳がわずかに潤んでいるように見えた。

「どうやら、信じていらっしゃらないようですね」

「当たり前だろ! 死神なんているわけ――」

「仕方ありませんね」

 その言葉が俺に届いたか、という瞬間。俺の脳裏に映像が流れた。

 この部屋と同じ間取りに、何人かが集まっている。そこにはあの医者も両親も、少し成長しているが妹のような少女と、初音さんもいた。

『こんな症例は極めて稀です。昨日までこうなる兆候はなかったのですが』

『先生、そんな……』

 神妙な面持ちで告げる医者の言葉に、俺の両親が詰め寄っていた。しゃがんでいる初音さんに肩を支えられた少女は、状況が分からないのか指をくわえて首をかしげている。初音さんをその様子を見て下唇を噛んでいた。

 彼らの視線の先には、ベッドに横たわる一人の少年。顔に白い布をかぶせられているが、俺にはわかる。あれは、俺自身だ。

「なんだよ、この映像……」

 冗談にしてもやりすぎなほどリアルで鮮明だ。これじゃあまるで――

「そうです。これは

 カチャリ、と先ほどと同じ金属音が響いた。音の発信源を見ると、俺の左わき腹に鎌の刃先が差し込まれている。

 痛みはまったくない。出血も、血の一滴すら流れていない。

 死神が役目を終えた刃先をそっと抜いても、違和感も何もなく、傷跡もなかった。

「私の話、聞く気になりましたか?」

 死神という肩書に似合わない無垢な笑顔を見せる少女。

 俺は、小さく頷いた。

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