第322話 vsお姫さん

 体育は嫌いだ。

 疲れるし、昔から運動に苦手意識を持っている。

 クラスの中で逆上がりができたのが一番最後だったのが作用しているのかもしれない。

 走った時なんか、ほんの数秒で息切れしてしまう。

 だというのに、スバルは全力で疾走していた。


「はぁ――――はぁ――――」


 スバルを形成している物が根本的に崩れていく。

 学友が消え、サムライも消えた。

 彼らはどこに行ってしまったのだ。

 どうしてもう夕日が出ている。

 今日は正午に下校したから、まだそんな時間じゃない筈だろう。

 それに、さっきから視界を遮るデジャブー。

 ノイズと一緒に見たことがない光景が広がり、妙にリアルな感覚を運んでくる。

 まるで本当に体験したかのような感覚だった。

 なにが現実で、ここがどこなのかわからなくなってくる。

 焦りが止まらない。

 どうしようもない不安感を紛らわせようと、スバルはただひたすら走った。

 そして誰かに言って欲しかった。

 ここが現実だ、と。

 あんな嫌な気持ちになるデジャブーが現実だなんて耐えられない。


「あった!」


 行きつけのゲームセンターを発見し、勢いよく駆け込んでいく。

 そのまま足を休めることなく2階へと駆け上がって行き、いつもの筐体の前へと到着した。


「あれ、どうしたのお前」


 筐体の前では既にプレイヤー仲間である赤猿が対戦を制していた。

 彼は疲れて膝を折っているスバルを見て心配げに声をかける。


「あ……あ……さる」

「誰が猿だ!」


 息継ぎのせいで肝心の赤の声が聞こえなかった。

 突然の猿呼びに憤りを覚える赤猿。

 怒るならそんな名前を名乗るなと言いたいが、今のスバルにはそんな元気も無かった。


「なんだひとりか。マリリスちゃん連れてきてないの?」

「……お前、ブレないね」


 息継ぎしているスバルよりも彼の同級生の女子の方が気になるようである。

 最初は心配そうに見ていたくせに、その切り替えの速さはなんだ。


「なあ、ひとつ聞いてもいいか?」

「なんだ? 俺特製のスカーレットモンキーの強さの秘密ならダメだぞ」

「見れば大体わかるから、そういうのはいい」


 自慢のブレイカーをあっさりと退けられ、赤猿は面白くなさそうに不貞腐れながらスバルに向き合う。

 彼が席を離れると、後ろで待っていたプレイヤーが次の対戦を開始した。


「マジな方か?」

「結構マジ、かな」

「ああ、言わなくてもいい。内容は大体わかる」


 深刻な表情からそれとなく事情を察する赤猿。

 ケンゴほどではないが、彼もスバルとの付き合いが長い。

 友人の悩みごとなどお見通しとでも言わんばかりに指を振ると、赤猿は自信満々の表情で言った。


「例のパイゼル国のアレだろ」

「あ?」

「ほら。王様が思いっきりオメーを指名してた奴。ネットじゃ『玉の輿』とか『日本から王族が出るのか』とか色々と言われてたぞ」

「好き勝手言うんじゃない!」

「あれ、違うの?」

「違うよ! いや、そっちも悩みだけどさ!」


 とはいえ、この悩み事をなんて説明すればいいだろう。

 流石に『お前は本当にここにいるんだよな』とは聞けない。

 頭がおかしくなったのかと疑われるのがオチだ。

 実際、自分で自分を信じられないのが現状である。

 だが、そんな中でも赤猿がいてくれたのは大きな救いだった。

 どこか見知らぬ世界に飛ばされてしまったのではないかと内心焦っていたのだ。

 ここはまだ、自分の知っている現実なのだと言い聞かせて己を安堵させる。


「……ごめん。落ち着いたら改めて相談させてくれ」

「おう、いいけど」


 根本的な解決には至ってないが、安心すると疲れが一気に押し寄せてきた。

 近くに空いている席はないかと視線を泳がせてみる。

 人混みの向こうから、どこかで見たことがある少女の頭が見えた。


「あれ」

「ああ、言い忘れた」


 ぽん、と手を叩いてから赤猿が思い出したように言う。


「ペルゼニア、お前のこと待ってるんだよ」

「セーンパイ! 待ってましたよ!」

「げえええええええええええええええええええええええええっ!」


 もうひとつの悩みの種が向こうから迫ってきた。

 この辺で有名なお嬢様学校の制服に身を包み、留学中の王女様が突進してくる。

 その前後にはギャラリーから道を確保する執事とメイドの姿があった。


「よお、ヘンタイ! ウチのプリンセスを待たせるとは大した度胸だぜ!」

「……ジャオウ。公共の場だぞ。少しは言葉を選べ」


 棘のついたごっつい首輪をはめた従者姉弟。

 確か、名はゼクティスとジャオウだったか。

 弟の方は気さくに接してくるので殆ど友達感覚で話せるのだが、どこでも仕事モードであるゼクティスはどうにも馴染めない。

 このゲームセンターでひとりだけ心から楽しもうとしていない人間がいるとすれば、間違いなく彼女だろう。

 そんな従者たちが開けた一本道を通り抜けてひとりの少女がスバルのもとへと突進する。

 正面から体当たりが炸裂した。

 赤猿命名、『ペルゼニアボンバー』である。


「ぐふぉ!」


 王女様の頭を腹に受けてスバルは悶絶。

 そのまま蹲り、嗚咽。

 明らかに痛そうにしているスバルに向けて赤猿は言った。


「大丈夫かマスカレイド! なあ、痛みと俺の嫉妬の炎、どっちを追撃として受けたい!?」

「心配するのか嫉妬するかどっちかにして……」

「だったら食らえ、レッドパンチ!」

「センパイになにすんの、サル!」


 本能に従ってスバルに襲い掛かる赤猿。

 が、目の前にペルゼニアが立ち塞がった。

 カウンターでパンチが炸裂。

 そのまま滑るようにして倒れ込むと、赤猿は頭の周りに星を浮かべて動かなくなる。


「アンハッピー。汚いのを殴っちゃったわ。ゼクティス、片付けておいて」

「ジャオウ。片付けておいてくれ」

「オーケー、姉ちゃん。俺はヘンタイ大歓迎だから喜んで掃除しとくぜ」


 見事な縦社会だった。

 ジャオウは赤猿を担ぐと、そのまま男子トイレへ。

 数秒もしない内に手ぶらで帰ってきたかと思うと、そのまま何事もなかったかのようにゼクティスの隣へと戻ってくる。


「なあ、赤猿どうしたの?」

「家に帰ってもらったぜ。俺もあまり手荒な真似はしたくないが、ペルゼニア様の命令ならしょーがねぇだろ」

「ねえ、アイツはいつから実家がトイレになっちゃったの!?」

「気にするな。ジャオウはこんな性格だが仕事はできる」

「向かった先からして安心できないんだよ!」


 この従者姉弟、ちょっと雑なところが目立つんじゃないだろうか。

 ジト目でゼクティスとジャオウを見つめるも、その視線は横から伸びた手によって無理やり移動させられる。


「センパイ!」


 ペルゼニアだ。

 朝からの悩みの種である。

 彼女はあの騒動を知っているのだろうか。

 知ってるんだろうなぁ。

 諦めにも似た溜息をつくと、パイゼル国のお姫様は頬を膨らませて抗議する。


「なぁに? 私とパイゼルにいくのがそんなに嫌!?」

「嫌っていうか、どう考えても墓場にいく予感しかしないんだけど! ていうか、お兄さんに提案したのお前!?」


 一国のお偉いさんと対面して会話する上、お前呼ばわりである。

 なにも知らないギャラリーたちも、この少年と王女がただならぬ関係であると想像しはじめていた。


「アンハッピー。私、電話で言っただけですよ。センパイと結婚できる法律を作っても罰は当たらないんじゃないかって」

「なんで実施しちゃったのかな、それを!」

「だって、結婚すると思える相手なんてセンパイしかいないですし」


 無垢な瞳で言われてしまった。

 純粋な好意をぶつけられ、赤面。

 偶然知り合い、仲良くなってしまった王女様以外にモテた試しがないので、かなり動揺していた。


「それで、どうします?」

「ど、どうするって?」

「いやだぁ、センパイ!」


 ばちん、と背中を叩かれた。

 痛い。

 小柄な見た目に反して結構な怪力の持ち主である。


「パイゼルへの旅行日に決まってるじゃないですか。ゼクティス、センパイの空いてる日はいつだったかしら?」

「はい。少々お待ちを……ジャオウ、彼の暇な日程は?」

「8月の終わりらしいな。どうも学校の友達と長期で旅行するらしい」

「なるほど。だそうです、ペルゼニア様」

「そう。ありがとうゼクティス」


 どう考えてもお礼はジャオウに言うべきである。

 これが縦社会か。

 下っ端の風当たりの辛さに、涙を流してしまいそうになる。


「あの。なんで俺の日程を把握してるの?」

「ペルゼニア様が授業やレッスンでお前さんと会えない場合、俺たちが……いや、俺がお前の情報を集めて提出するからだぜ、ヘンタイ」

「どっちがヘンタイだストーカー野郎」


 とうとう毒が飛び出した。

 憤りを覚えたスバルの顔を見てペルゼニアは驚愕。

 ジャオウを睨んだ後、ゼクティスへと命じた。


「ゼクティス。センパイに狼藉を働いた者を片づけておいて」

「かしこまりました」

「あれ?」


 隣の姉に顔を鷲掴みにされ、そのままアイアンクローでねじ伏せられた。

 一撃で気絶してしまったジャオウは姉に担がれると、そのまま男子トイレへ。

 扉が開き、中に執事が放り込まれた。

 手を払い、除菌を済ませた後、ゼクティスはペルゼニアの後ろへと戻る。


「掃除が完了いたしました」

「ご苦労様。センパイ、これでストーカーに悩まされることはありませんよ!」

「ひっでぇ!」


 いまだかつてここまで白々しい態度は見たことがない。

 恐るべし王族。

 そして縦社会。

 下っ端はこうしてあっさりと見捨てられるのだ。

 嫌な時代になったもんである。


「大体、俺のなにが気に入ったんだよ!」


 自分で言うのもなんだが、蛍石スバルはゲームセンターに通うのが好きな一般人である。

 そこで偶然出会って対戦し、意気投合した女子がたまたまお姫様だっただけだ。

 赤猿との友好関係もこんな感じである。

 そこまで気に入られた理由がイマイチ理解できない。


「んー、理由って言われても」


 顎を指で押さえ、首を傾げるペルゼニア。

 不思議そうな顔をしたのち、彼女は呟く。


「好きだから?」

『私、あなたが好き』


 瞬間、デシャブーがスバルの周りを支配した。

 生い茂る森林。

 頭部を破壊され、佇む鋼の巨人。

 コックピットからは、ペルゼニアが顔を出している。


『暖かいね』


 とても穏やかな表情だった。

 思わずときめいてしまいそうになる。

 だが同時に、とても嫌な予感がした。


『ごめんね。あなたの大事な人を奪って、本当にごめんね』


 どこか苦しげな表情に変わり、少女が震える。

 直後、風が吹いた。

 激しい風音と共にペルゼニアの姿が消える。


『見ちゃダメ!』


 誰かが視線の移動を止めようと声をかけた。

 だが、スバルの視界は止まらない。

 広がる赤。

 世界で一番安心するブレイカーの席から、少年はまっぷたつになってしまった少女の馴れの果てを目撃する。

 胸の奥から寒気が広がっていった。

 吐き気がする。

 口元を手で押さえ、不快な気持ちを抑え込む。

 スバルは心に訴えた。

 これは夢だ。

 ここが現実だ。

 何度も何度も叫ぶ。

 最後には口に出して叫んだ。

 声に反応するようにしてデジャブーの霧が晴れていく。

 ゲームセンターに戻ってきたスバルを出迎える人間は、誰もいなかった。


「ペルゼニア?」


 息を整えた後、周りを見渡す。

 電源が付きっぱなしの筐体を置き去りにして、全員が消え去ってしまっていた。

 ペルゼニアも、ゼクティスも、店員も、ギャラリーもいない。

 トイレに放り込まれた筈の赤猿とジャオウのところにも行ってみる。

 扉を開けてみるも、そのふたりさえもいなくなってしまっていた。


「……誰か」


 ドッキリかなにかだと言ってくれ。

 こんなに驚いて、慌ててるだろう。

 泣きそうな顔をしてるじゃないか。

 どうせ赤猿あたりがその辺に隠れて、ケンゴと一緒にプラカードでもぶら下げて笑いながら登場するんだろう。

 そうだと言ってくれ。

 ここが現実だ。

 あんな嫌な夢がリアルであってたまるか。

 拳を握りしめ、デジャブーから与えられた現実味を振り払う。

 帰ろう。

 きっとこれは悪夢の続きだ。

 嫌な気分が続くくらいなら、そのまま家のベットに入って寝よう。

 起きた頃には今度こそ楽しい夏休みだ。

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