第321話 vs親友さん

 夏休みになると楽しいことが3つほどある。

 ひとつは睡眠時間を確保できること。

 友人たちと死ぬほど遊んでいられる機会ができること。

 そして気が狂ってるとしか思えない教師と会わずにすむことだ。


「く、くく……それじゃあ連絡事項は以上だから。各自、ちゃんと宿題をやってきてね」


 教壇の前で担任のエレノア・ガーリッシュが不気味な笑みを浮かべつつ言った。

 どす黒い隈。

 まったく日に当たっていないであろう白い肌。

 長すぎる頭髪。

 そのいずれもが彼女の不気味さに拍車をかけている。

 だがそれ以上に恐ろしいのが、クラス内の誰もが彼女に逆らえない現実だった。

 逆らうといっても教師虐めがあったわけではない。

 そんなことをしようものなら命が幾つあっても足りないと全員認識しているのだ。


「なあ、聞いてる?」

「なにを?」


 後ろの席に座る仲良しグループの柴崎ケンゴがひそひそと話しかけてきた。


「エレノアの奴、今度はカラスの人形を作ったんだってよ」

「……目撃証人は?」

「マリリスがカラスを生け捕りにするエレノアを見たらしい。次の日には美術室でカラスパペットの出来上がりってわけだ」

「えぐいな」

「ああ。末恐ろしい」


 数学教師、エレノア・ガーリッシュ。

 元は美術教師だったが、ある目的の為にわざわざ教員免許を取り直したという異色の経歴の持ち主だった。

 噂が本当なのかは知らないが、触らぬ神に祟りなしという言葉もある。

 関わらずに越したことはない。


「もし、夏休み明けのテストでひとりでも赤点とったら……わかってるよね?」

「ひぃっ!?」


 近くの席に座るマリリスが恐怖のあまり引きつっていた。

 不憫な位置だ。

 席替えで前の席になってしまったがためにエレノアの負のオーラを間近で受ける羽目になっている。

 ポジティブ超人でない限り彼女を受け止めるのは無理だろう。


「それじゃあ、1ヶ月くらいの長期休暇に入るわけだけど。蛍石君」

「え?」


 突然の指名を受け、スバルが困惑する。


「君はちょっと残ってね。少しお願いがあるんだ」

「お、おおおおおお願いですか?」

「そう。お願い」


 半袖の教師。

 そこから伸びる腕の関節が球体に見えるのはなぜだろう。

 脂汗をだらだらと流す学友に、クラスメイト達は黙祷を捧げた。


「やめろよ縁起でもない!」

「いや、でもお前。アイツに目を付けられたのはやばいって」

「スバル君。変なことをしたなら今のうちに謝罪をしておくべきだよ」


 後ろのケンゴと前のアスプルがそれぞれ耳打ちしてくる。

 当のエレノアはカタカタと関節から変な音を鳴らしながら笑っている。

 不気味だ。

 夜に遭遇したら悲鳴をあげる自信がる。

 というか、なんで教員になれたんだこの女。


「安心してよ。まだまだ素材はたっぷりあるから、この夏休みが終わるまでは君たちに手を出すつもりはないんだ」


 夏休みの間はってなんだ。

 夏が終わった後、自分たちはどんな地獄に駆り出されるのだろう。

 恐怖に震える生徒一行。

 時間の区切りを知らせるチャイムが鳴ると、彼らは安堵の溜息をついた。

 スバルを除いて、だが。


「それじゃあダートシルヴィー君、号令をお願い」

「は、はい!」


 簡単な挨拶を済ませると、生徒たちはそそくさと帰宅していった。

 スバルの友人たちは彼の元に集い、簡単な作戦を提案する。


「いいか、相手はエレノアだ。どんな要求かわからんぞ」

「スバル君。本当に心当たりはないのかい?」

「な、ない! 俺が人形にされるメリットはなにひとつない!」


 このクラスに限った話ではないが、エレノア・ガーリッシュの支配は学校全体まで及んでいる。

 彼女自身が自覚しているかは定かではないが、校長に無茶を言って自分用の活動場所をこさえるくらいには権力を持っていた。

 謎とオカルトに包まれた女である。


「あの、スバルさん……」


 おずおずとマリリスが言い辛そうに前に出る。


「ガーリッシュ先生、待ってますけど。笑顔で」

「蛍石くーん。蛍石スバルくーん。早く来ないと、君もコイツの仲間入りをすることになっちゃうよ?」


 教壇の上で器用にカラスパペットを操る人形教師。

 立派な脅しだった。


「しばらくは安全じゃないのかよ……」

「ほ、ほら! 素材は予備があっても困りませんし!」

「なんの慰めにもなりゃあしねぇ!」


 どこか的外れなマリリスの慰めを貰った後、スバルは勢いよく立ち上がって人形女へと歩いていく。

 友人たちは固唾を飲んで彼の行方を見守っていた。


「あ、他の子は早く帰ってね?」

「はい!」

「わかりました!」

「ではスバルさん! また後で会いましょう!」


 にこやかな睨みを受けて即座に退散していった。

 弱い。

 あまりに弱すぎる。

 せめて陰から見守るとかやってくれと言いたかった。


「さて、これで邪魔は居なくなったわけだけど」


 ひんやりとした手が肩に触れる。

 逃げられない現実に直面し、スバルは足を震わせながらもエレノアの言葉を待つ。


「き、ききき君の家ってさ」


 言葉のキレが悪い。

 心なしか、真っ白な頬が僅かに赤くなっている気がした。


「バイトの子、いるじゃん?」

「い、いますけど」

「連絡先とか、どこに住んでるかとか知らない?」


 今日、玄関から出るときに見送ってくれた目つきの悪いお兄さんの姿を思い出す。

 確かに顔を会わせる頻度は多いが、そこまで親しいわけではなかった。


「知りませんよ。お店の履歴書は見ない主義なんです」

「じゃ、じゃあさ! 趣味とか知ってるかな!?」

「……先生、まさかと思いますけど狙ってたりします?」

「疑問に疑問をぶつける教え子は球体関節が似合うと思わないかな」


 酷い脅しだ。

 呆気なく恐怖に屈した少年は首を捻りながら考えてみる。

 

「で、どうかな?」

「う、ううん……」


 期待に満ちた眼差しで問われ、スバルは再度考えてみる。

 先程も述べたように、少年とバイトの関係は雇用主の息子と雇われ店員程度でしかないのだ。

 趣味まで語るような関係ではない。

 彼がゲームでもやるなら多少は話は別なのだが。


『いいだろう。偶にはお前と真剣勝負をするのも悪くない』


 ――――やっていた気がする。


「……確か、ゲーセン入ってた気がする」

「ゲーセン?」


 エレノアが意外そうに反応する。


「彼、ゲームセンターに通うのかい?」

「確か、ですけど。後、仮装も行ける口だった気が」

「仮装!?」


 そう、服装センスはちょっぴり残念なのだ。

 私服をすべて見たわけではないが、確か謎の戦闘員らしきマスクをつけていた気がする。


「普段そういうのつけて仕事してるの?」

「いや、流石にそれはないけど」


 だが、見せられた記憶があるのだ。

 お洒落だとかいって戦闘員がつけてそうなダサいマスクを買ったり、金銭感覚が狂ってたりと散々な一面がある。

 なので、くっつきたいならそれなりに覚悟がいるのだ。


「俺が言うのもなんですけど、あまりいい夫になれると思いませんけど」

「大丈夫。私は器量の良い女だからね」


 それに、


「これを聞きだす為に担任がとれる数学教師になったんだから、簡単に諦められるわけないだろう?」

「え」


 妙に重い言葉を聞いて、スバルは口元を引きつらせた。










「へぇ、わざわざお前のところのバイトを落とす為に担任に」

「馬鹿みたいだろ」


 帰り道。

 ケンゴとアスプル、マリリスの3人と合流し、スバルはげんなりとした表情で事後報告をしていた。


「しかし、ガーリッシュ先生はいつからスバル君のところのバイトさんと知り合いなんだい?」

「それが、わっかんないんだよな。俺も聞いてみたんだけど、『運命の赤い糸だよ』としか言わないし」

「ロマンチックですねぇ……」


 マリリスがどこかうっとりとした表情で天を見上げている。

 年頃の乙女にこの手の話題は蜜なのかもしれない。


「俺は心配だよ。あの調子じゃ俺の家まで上がり込みかねないもん」

「どんまい。まあ、その辺はバイトさんが片付ける問題だ」


 いつ人形教師がアタックをかけるのかわからないが、目的がバイトならスバル自身にそこまで迷惑は被らない筈だ。

 これでラブレターを渡してくれとか言われたら流石に困るが。


「でも、スバル君も大変だろう」

「なにが」

「パイゼル国でペルゼニアさんと婚約するんだろう?」

「ぶっ!?」


 今朝の悪夢が蘇る。

 白メイクや不良、人形教師とのやりとりですっかり忘れていたが、スバルは今や一国の王から直々に王女の相手として指名されてしまった少年だった。

 玉の輿といえば聞こえはいいが、スバルがそこに縋りつく性格かといえばそうではない。

 友人たちは皆理解しているのだ。


「夏休みはトラセットに案内する予定だったが、どうするんだい。向こうからお呼びがあるなら、またの機会にするけど」

「ま、待って! 流石に受ける気はないぞ俺!」

「王様は本気みたいだけどな」


 スバルたちのグループはこの夏休み、アスプルとマリリスの故郷であるトラセットに旅行する計画になっている。

 アバウトな計画は大体固まっているのだが、まだ細かい詳細が決まっていないのが現状だ。

 その矢先に国王直々の御指名である。


「スバルさん、ウチに遊びに来てくれないんですか?」


 マリリスが目尻を潤ませながら問うてくる。

 本人なりに楽しみにしていたのだろう。

 アスプルの付き添いで国外に留学した身としては、始めてできた友人を招きたい気持ちが強かったに違いない。

 マリリスはもてなし精神が強い子だった。


「いや、先約だからトラセットに行くよ。俺も楽しみだし」


 聞けば、彼らの街では巨大な大樹がシンボルとして君臨しているらしい。

 その周辺で育った植物は長い間枯れることなく、強く育つのだそうだ。

 アスプルの兄が大樹の管理人として働き、特別に中を見せてもらう手はずになっている。

 滅多にない機会だ。

 楽しみにしていた身としては、是非とも見に行きたい。


「まあ、来年になると受験だしな。アスプルたちもいつ帰るかわかんないし、行ける時にいっとかないと」


 ケンゴの言うことに無言で頷く。

 もしかするとこれが最後になるかもしれないのだ。

 彼らとの思い出ができるのなら、きちんと作っておきたい。

 トラセットは日本から遠い国だ。

 一般の学生の身分では中々機会を得られないだろう。

 

 ――――本当にそうだったか。

 

 不意に、そんなことを考え始めた。

 緑と植物の国、トラセット。

 大樹を中心とした街の景色を、スバルは見た記憶がる。

 テレビではない。

 鮮明な景色が『記憶』として蘇ってくるのだ。


『……ここって、北国だよな?』

『ああ』

『勿論そうだぜ。日本より北だ』

『何を当たり前の事言ってるの? 飛んできたの君でしょ?』


 そして、ひとりの女の子と出会った。


『も、もしかして……日本からいらっしゃった方々でしょうか?』


 国境を超えた友人ができた。


『では、こちらもスバル君で』


 だが、ふたりは自分の前から消えていく。

 手を伸ばせば届く距離にいるのに、光の粒子となって霧散していく。


『幸せとは、こういう気持ちをいうのかな』

『あなたを信じます!』


 そして横にいる柴崎ケンゴも、ご機嫌な様子で話しかけていた筈なのにいつの間にか消えていた。

 マリリスやアスプル同様、光の名残だけが残っている。

 僅かに漂う粒子に触れてみた。

 光が弾け、少年の脳に映像を映し出す。


『お前のせいじゃない!』


 親友と知り合いの少女に向けて銃を向けていた。


『お前を行かせたのは俺だ。そのお前が、自分が悪いっていう。それなら俺が悪い』


 指先が震える。

 感情の整理がつかないまま、トリガーに力が入った。


『頑張れ! 負けるな!』


 弾丸が解き放たれた。

 銃身からの衝撃に圧され、スバルが尻餅をつく。


「あいた!」


 気付けば周りには誰もいなかった。

 マリリスも、アスプルも、ケンゴもいない。

 辺りを見渡してみるが、やはり誰もいなかった。

 頭を抱えててから頬を叩く。

 今のはなんだ。

 みんなはどこに消えた。

 俺はどうしちまったんだ。

 今日は楽しい夏休み前日。

 旅行の計画を立てて、いつものゲーセンに入り浸る。

 良い日で終われる筈の日なのだ。

 だけども、今日はおかしい。

 具体的になにがおかしいのかと問われれば答えは出ない。

 混乱と顔の沸騰で、倒れそうになる。


「おっと」


 背中を支えられた。

 倒れそうになるのを受け止めてもらうと、そのまま立たされる。


「無事か、小僧」


 妙に時代錯誤な恰好をした男が目の前にいた。

 袴にスニーカー。

 腰にはなぜか鞘を携えている。

 警察がいたら即座に職務質問されそうな姿だった。


「顔色が優れぬな。自分の名はわかるか?」

「……蛍石スバル、17歳」

「ふむ。意識ははっきりしているようだな」


 少年を目を見て、男は顎に手を当てて考え込む。


「気分でも優れぬか?」

「……うん、たぶんそっちの方が強いと思う」

「左様か」


 そうなると当人の問題だ。

 出会い頭に遭遇した男ではどうしようもない。

 サムライの恰好をした男は肩を落とすと、俯いたままでいる少年に再び声をかける。


「帰って寝るか、気分転換でもした方がいいだろう。今のままでは身体に毒だ」

「あ、ありがとう」


 そこまで言って、ようやくスバルは顔を上げることができた。

 改めてサムライの顔を見る。

 サムライは顔を包帯で覆っていた。

 隙間から見える瞳がギンギンと輝いており、まるで猛獣のような迫力を秘めていた。


「いずれの道を行くかは小僧、貴様が決めることだ」

「ど、どうも」


 怒られているのか諭されているのかよくわからないまま、スバルは頭を下げる。

 今日はこんなのばっかりだ。

 自分の情けなさに泣きそうになりながらも、再び少年の脳裏に映像が浮かんでいく。


『小僧。よぅく目を凝らし、覚えておけ! これこそが、戦いに飢えた者の末路よ!』


 勇敢な背中だった。

 彼は自分から死地に飛び込んだ。

 スバルが誘ったのだ。

 ゆえに、サムライが行動の果てに死を選択したのなら自分が殺したようなものである。


「あ、あの」


 おずおずと顔を上げる。

 なにか言わなきゃ。

 今のデジャブーが本当だとしたら、彼には精一杯のお礼を言わなきゃいけない。

 今朝会ったお巡りさんと同じように。

 白メイクに謝ったように、伝えなきゃいけない。

 そんな使命感が少年を突き動かす。

 だが、視線の先にサムライはいない。

 いつのまにか夕日が昇っているシンジュクの帰宅道。

 スバルはただひとり、ぽつんと取り残されてしまっていた。

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