第282話 vsダークミスト
水晶が砕ける音が聞こえる。
イルマがアトラスに語りかけたのはカイトの耳にも届いていた。
彼らの距離はそんなにない。
イルマがアトラスに対して優勢なのは判ったし、あれだけ五月蠅かったアトラスの声が途切れた事からも決着がついたのは理解できた。
しかしそれでも、カイトは振り向かない。
目の前でこちらを注視しているシャオランから目を離さず、攻撃の機会を伺っている。
「冷たいんだね」
「なにが」
不意に、シャオランの方から話しかけてきた。
意外にもアトラスがやられたことで多少の憤りを感じているらしい。
先程まで口論していた癖に、眉が吊り上っていた。
「部下なのに、受け入れてあげないんだ」
部下、というキーワードに対して特別な思い入れがあるのか、シャオランの口調は妙に凛としている。
彼女の小さな批難に対し、カイトは沈黙を保った。
それを返答と受け取ったのか、シャオランは黒に染まった翼を広げて小さく語る。
「……そう。まあ、気持ち悪かったし、そう思うのも仕方がないかもね」
しかし、だ。
部下を可愛がっていく伝統のあるレオパルド部隊の出身――――仮とは言え代表を務めている身としては、面白くない。
「あんまり好きじゃないかな。そういうの」
黒翼が蠢く。
羽ばたき始めた直後、シャオランの右目から黒い霧が噴出し始めた。
そこを起点として彼女の身も霧散し、消滅する。
その間、カイトは目を見開いてシャオランの崩壊する様を観察していた。
アトラスの事はもう終わった事だと己に言い聞かせ、ただ眼前の敵のみを捉えている。
普段、茶々を入れるのがメインのエレノアでさえも黙っている程、彼の表情は真剣だった。
喋らなければ死んでしまうと自負する人形使いがカイトに語りかけたのは、シャオランの姿が完全に消え去った後である。
『どう?』
「匂いはする」
簡単なやり取りが行われた後、カイトは一歩後退。
すぐさま身を屈めて左手を構えた。
爪先から鋭利な刃が飛び出す。
しばし爪を伸ばした状態のまま、カイトは動きを停止させた。
沈黙の間を破ったのは、一仕事終えたばかりのイルマである。
「ボス、私はなにをすれば」
「黙っていろ。奴は俺が何とかする」
シャオランは目玉を手に入れた。
期間の長さで言えば自分の方が使い慣れているが、自身を霧化させることができることを考えると、向こうも使い方を知っていると考えていいだろう。
同じ使い方ができると仮定すれば、自分に負けたイルマを向かわせるのは危険だと判断した。
あまり大きな声で言いたくはないが、カイトはシャオランを高く評価している。
勿論、人間的な部分で言えば嫌な思い出が多い分、苦手な部類だ。
しかし機械人間だけあってそのスペックは高い。
多少の無茶をさせても問題ない強度の上、出力を倍増させるリミッターの解除もある。
アキハバラで始めて会った際、思いもよらない苦戦を強いられたのは苦い記憶である。
とはいえ、何時までも右手を食べられたことを根に持つ気はない。
今では立派な義手もあるし、借りを何時までも持っておくのは主義ではなかった。
もう食われる気などない。
しゃぶりついて来る前にこちらから破壊してやろうじゃないか。
「……むっ!」
正面から空気が裂かれる。
霧散した霧が集結し、再びシャオランを生成した。
カイトのド真ん前で、だ。
「中途半端な隠れ方を!」
脳に向けて突き出された刃を左手で弾き、蹴りを放つ。
集合して出来上がった霧状のシャオランに命中したそれは、無情にも黒を突き抜けて空へと抜けた。
『一瞬で終わらせるんじゃなかったの!?』
「目玉を上手く隠してるんだ!」
立ち入り禁止区域、グルスタミトで遭遇した地球外生命体。
その目玉は己の形状を自在に変化し、進化させる代物だった。
だが、弱点もある。
常に目玉が剥き出しで、霧状になった時でも目は健在だったのだ。
あの時はその目を抽出することで勝利に成功している。
シャオランはそれを見たひとりだった。
「弱点は、私も知ってる」
だからカイトの目に触れないところで特訓をする必要があった。
神鷹カイトはその場の適応力がある。
コツさえ掴めば、目玉ごと霧状にすることなどわけもないことだろう。
今、シャオランの特訓の成果は目の前で披露してしまった。
ここから先、カイトに特訓の時間を与えない。
手術の後に知った事だが、身体を霧状に変化させ、身体を再構成する能力はグルスタミトに現われた化物だけが保有する個性的な能力なのだそうだ。
一般的な鎧も似たようなことができるが、彼らが行うのは精々テレポート。
その場で再び姿を現すような器用な真似は出来ない。
鎧の管理者であり、化物の目玉について一番詳しいであろうノアはこう説明している。
『成熟したエイリアンの目は、鎧に使われたソレと比べても高出力で、進化のスピードが速い。君が願うなら、目はそれに応えて相応しい身体を君に提供するだろう』
シャオランは問うた。
では、勝利を得たいと願えばどうなるのか、と。
『相応の力が約束される』
では、同じ目を持つカイトと戦えばどうなる。
あれは先に移植手術を経て、鎧と戦うことで目玉の扱いに気付いている筈だ。
『そこはもう、実力でどうにかするしかないだろう。条件は同じ。君も、彼も、彼の中に寄生したあの女も化物へと昇華された』
あとは対決するまでの時間で培ってきた経験が物を言う。
その他に勝敗を左右する物があるとすれば、それは運だろう。
『まあ、戦って勝てばいいんだ。ここはそういう場所なんだからね』
勝てばいいのだ。
その為にいろんなものを犠牲にした。
任されたレオパルド部隊を放り出し、その間に妹分は消えている。
シャオラン・ソル・エリシャルは勝利の為に、背負っていた物を全部降ろしたのだ。
タイラントへの面会は、その懺悔でもある。
「特訓しました。たくさん、時間をかけて」
黒い霧が集合し、再びカイトに襲い掛かる。
どこを刺しても、切り裂いても空を切るだけの集合体が覆い被さってきた。
「いただきます」
「断る」
直後、カイトの左目から黒い霧が溢れ出した。
ドライアイスのような煙を発したそれは瞬時にカイトを囲み、その肉体を霧へと変化させていく。
シャオランの霧と混じった。
「うっ!?」
嗚咽が漏れる。
カイトと混じりあった瞬間、身体を貫かれるような痛みが衝撃として襲い掛かった。
何が起きたのかは理解できない。
しかし、なんとなくだが察することはできる。
神鷹カイトは霧となる事で、同じ霧のシャオランと戦っているのだ。
「まさか……」
今のカイトとシャオランは霧の様に実体がない。
だが、そもそも本当に霧になったのかと言えば、少し違う。
彼らのそれには水分が含まれていないのだ。
あくまでそういう風に見えるだけである。
目玉の研究を続けているノア曰く、今の彼らの状態は砂鉄のような乾ききった物が近いのだと言う。
カイトはそれを直接ぶつけ、シャオランにダメージを与えようとしているのだ。
文字通り、細胞レベルでの戦いである。
「くっ」
シャオランはこの戦いを正面から受けるのは危険だと察知していた。
相手はミクロでも攻撃を可能とした怪物である。
意識のひとつひとつを分離した砂に向けないとできない芸当だ。
機械人間のシャオランでも、自分の身体の制御が手一杯である。
元々自分の身体と言えばそうなのだが、こんな風に制御する方法が全く見当がつかないのだ。
目玉の完全霧化を果たした間に、カイトも独自の使い方を会得したのだろう。
もっとも、それならそれで攻略は楽だ。
一旦後退し、シャオランは再び己の身体を形成。
左手を銃口に変形させると、その先端から赤い光が零れだす。
「目標、捕捉」
視界に映る標準が霧化したカイトを定める。
艦内に穴を開けるのを含め一石二鳥の仕事だ。
脳内で引き金を引くよう命令が下される。
が、その命令が届くよりも前に異変は生じた。
空中飛行するシャオランの体勢が回転。
そのままあらぬ方向へと銃口は向けられ、光が発射される。
破壊の赤はシャオランとアトラスが突入してきた穴の中に吸い込まれていき、外へと放り出されていった。
『束縛! 脱出せよ!』
アラートが鳴り、シャオランの脳に警戒を促せる。
見れば、何時の間にか身体の関節に至るレベルで糸が巻きついているではないか。
こんな芸当が可能な人間など、シャオランのデータベースにはひとりしか登録されていない。
カイトの中に寄生してるエレノアだ。
「交代した?」
「まだだ!」
人形使いの姿を探すシャオランの目の前にカイトが飛び込んできた。
手刀が頭に叩きつけられ、糸ごと落下していく。
床に激突する瞬前、シャオランは見た。
先程繰り出された右手。
その肌色が、カイトの顔と比べても明らかに白いのである。
しかも爪先から伸びているのは爪ではなく、糸だ。
「腕だけ交代を」
激突。
器用な真似ができるようになったことに対して驚きながら、シャオランの細い身体が床に転がる。
しかし、まだ倒れるわけにはいかない。
神鷹カイトとエレノア・ガーリッシュはシャオランの予想以上に目玉の力を使いこなしている。
報告では精々交代や新たな武器を生成するのが関の山だろうと言われていたが、明らかに報告よりも精密なレベルでの操作を可能としていた。
多分、シャオランが得た操作技術と比べても更に精密な操作である。
「……ん」
敵の技量を認めると、シャオランは倒れたまま翼を展開。
そのまま羽ばたかせ、黒い羽を辺り一面に撒き散らす。
先端が刃になったそれは周辺に張り巡らされた糸を切断すると、床へと突き刺さった。
『室内での敗北率、60パーセント』
「そう」
脳内でコンピュータが確立を弾き出す。
始めて彼と戦ったときなら『問題なし』と切り捨てたかもしれないが、今回は糸を次々と張り巡らせて自分たちの領域を広げるエレノアもいるのだ。
必然的に、ふたりの新人類を一度に相手にしていることを意識しなければならない。
敵は機動力、器用さ共にトップクラスだ。
このような狭い空間では、健康な彼を倒すことは叶わないだろう。
ブレイカーを収納するサイズの格納庫でも足りない。
もっと広くて、こっちの得意な空間に引きずり出さねば。
「じゃあ、外だ」
『連行モードに移行』
羽ばたき、シャオランの身体が再び宙を舞う。
空中で大きく旋回すると、カイト目掛けて突撃。
強烈な突風が肌に突き刺さった。
「ぐっ!」
この風では霧化ができない。
そんなことを考えている内に、シャオランがカイトの懐に潜り込む。
剣を突き出さず、銃口を向けることもないままカイトの身体を抱きしめると、そのまま壁に向かって突撃していった。
『体当たり!?』
「そんな原始的な方法を!」
格納庫に壁に、カイトとシャオランが激突する。
鈍い音を響かせて床が凹むも、シャオランの羽を留まる事を知らない。
黒い羽から衝撃波が解き放たれた。
周辺で隠れている整備ペンギンたちを吹っ飛ばしながら、シャオランはカイトごと外へと飛び出していく。
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