第240話 vs罪

 それは悪魔の囁きだった。

 エミリア・ギルダー、当時16歳。

 彼女はウィリアムの誘いを受け、思わず耳を疑っていた。


『エリーゼが旧人類?』


 そんな馬鹿な。

 反射的に鼻で笑いそうになったが、ウィリアムの真剣な表情がそれを塞き止めた。


『ウソじゃない。彼女はこの国で唯一の旧人類だよ』

『そうだとしても、この国の実情は知ってるでしょう』


 ここは新人類王国だ。

 その名の通り、新人類の国である。

 ここに旧人類が住んでいたとしても、そこまで裕福な生活を送れるわけではない。

 少なくとも、エリーゼのようなプロジェクト主任はありえないだろう。


『確かに優秀な旧人類が迎え入れられることはあるわ。でも、XXXの監督まで辿り着くのは無理よ。しかもあんなに若いのに』

『その通り。だが、彼女が新人類だと言う証拠はあるのかい?』


 言われてみれば、XXXに在籍してから毎日エリーゼの顔を見ているにも関わらず、一度も能力を見たことはない。

 戦闘向けではないと言われればそれまでなのだが、それでも10年近く一緒に過ごしているのだ。

 そういう気配が一度もないのは不思議である。


『それに、彼女が旧人類だというのを裏付ける理由は幾つかある』

『例えば?』

『この僕と距離を置いている事さ』


 ウィリアム・エデンの力は精神操作。

 しかも旧人類に対して絶対的な力を誇る。

 確かにこの力を目の当たりにして、近づきたがる旧人類は居ないだろう。


『でも、今のメンバーを推薦したのは彼女でしょう?』

『一部はね』


 XXXは新人類王国が始めて取り組んだ国を挙げてのプロジェクトだ。

 ここで育てられた子供達が将来的に国の未来を左右するという名目の為、メンバーには大掛かりな選考が設けられる予定だったのだが、実際は殆どエリーゼが肉眼で見て判断したらしい。


『ところが、彼女の推薦メンバーに漏れが生じた』

『どういうこと』

『文字通り、欠員が出たんだよ。先にとられたって訳さ』


 その欠員こそが後のタイラントであり、彼女は立派に王国の人材として成長したわけなのだが、重要なのはそんなことではない。


『僕は彼女の意思で配属されたんじゃない。王の推薦なんだそうだ』

『……確かに、あの王ならやりそうだけど』


 リバーラ王は新人類の優遇化を推し進める人間だ。

 しかもXXXの支援を務めるメインスポンサーでもある。

 彼に言われれば、立場上受け入れざるを得ないだろう。


『あなたはそれを最初から聞いていたわけ?』

『当然、知らされていなかった。これは偶然、彼女とノアの会話を小耳に挟んだだけだよ』


 ノア。

 確か、鎧の管理人だったか。

 あまり面識はないが、彼女とエリーゼは学友であったと聞く。

 その縁でなにかと相談し合う機会が多いのだろう。

 お互いの目指す物は大きくかけ離れているようだが。


『他にも幾つか証拠がある。いずれも彼女が旧人類だと裏付けるものばかりだよ』

『例えば?』

『色々あるが、一番説得力があるのはエリーゼの個人データかな』

『……わざわざ引っ張ってきたわけ?』

『当然だ。僕らは彼女に命を握られているような状況なんだよ。寧ろ、どうして調べないのか不思議なほどさ』


 それを言われればぐうの音も出ない。

 ウィリアムの言う通り、エミリア達は命を握られているような状態なのだ。

 過度の訓練と人体実験により、精神的にも肉体的にも疲弊しきっている。

 これによって死んでいった仲間も少なくない。


『僕としては10年でこれだけの人数が生き残っている方が奇跡だと思う』

『それは』

『皆までいわずとも理解してる。彼がいたからだ』


 XXXの頂点に君臨する少年兵、神鷹カイト。

 彼が身を挺して自分たちを庇い続けてくれていた。

 本来ならメスが入る筈だった身体も、彼が全て受けてくれたからこそ維持できている。

 もっとも、本人にその自覚は無い。

 彼は周囲の仲間たちの肉体的負担を計算し、自分がやった方が一番効率的だと感じているだけだ。


『しかし、彼には報いなければならない』

『……それは、わかるけど』


 言いたいことはわかる。

 今、自分たちがこうして話していられるのもカイトの存在が大きい。

 もし脱走するのであれば、なんとかして彼もこの過酷な環境から脱してほしい気持ちがある。

 しかし、彼はそれを望まないだろう。

 カイトがXXXに在籍し、文句も言わずに働いているのは一重にエリーゼの存在があるからだ。

 傍から見て、彼は年の離れた監督にぞっこんだった。

 エミリアが歯を食いしばる程に。


『わかるけど、それは私たちの我儘なんじゃないかしら』

『随分と冷静じゃないか。少し前はあんなに泣いていた癖に』

『喧嘩なら買うわよ』


 途端にエミリアの視線が鋭くなる。

 研ぎ澄まされた刃のような意思を受け止めつつも、ウィリアムは両手を挙げて無害をアピール。


『言い方が不味かったね。そこは謝ろう。だが、彼のことを真に想うならエリーゼは排除すべきだ』

『……それは、彼女が旧人類だから?』

『そういう誤解があると思うからこそ、皆の前では話さなかったんだ』


 いいかい。

 ウィリアムはエミリアの横に移動し、耳元で囁く。


『よく考えてみてくれ。確かに彼はエリーゼに心酔している。だが、それが必ずしも彼を幸福にするとは限らない』


 過度な訓練と身体実験は彼女の許可が出たうえで行われている物だ。

 加えて、第二期XXXの育成に書類の整理といった事務的作業。

 彼の安息の場はどこにあるのだろう。


『新人類は鍛えれば鍛える程、その道のプロフェッショナルになるらしい。このままいけば彼は万能なスーパーマンになれるかもしれないね』


 ただ、それもこのまま行けばの話だ。

 途中で死んでしまっては何の意味もないのではないか。

 彼はそれで本望かもしれない。

 エリーゼの指示に従い、彼女の夢の礎となるのならそれでいいのだとでも言って死んでいくだろう。

 不気味なほど簡単に想像できた。

 その事実が、たまらなく悔しい。

 彼の身を一番に案じているのは、あの女ではないのに。


『彼の労働量は我々のそれに比べ、3倍以上はあると思われる。推測だがね』


 その言葉を聞き、エミリアは目を見開いた。


『ドーピングによる身体の負担はもとより、手のかかる第二期の育成。そして常に前に出る戦闘スタイル。どれをとっても負担が減る物ではないだろう。だが、それらすべてはエリーゼから下された命令だ。彼女の手でカイトは良いように動かされている』


 唯一、自分たちで手伝えるのは第二期の育成だが、これも責任者がカイトになった以上、手伝える範囲には限りがある。

 カイトが同期のメンバーを避けているのも大きい。

 御柳エイジとのトラブルは未だに尾を引いており、境界線を敷かれた状況が続いていた。

 いかに再生能力があるとはいえ、遅かれ早かれ過労死してしまう。

 既に何度も言われている事だが、今回は今までにない不快感を感じていた。


 エリーゼ。


 あの女がカイトを殺そうとしている。

 エミリアの目から見て、エリーゼは素敵な女性だった。

 落ち着いた物腰に、綺麗な髪。

 透き通った唇。

 プロポーションもいい。

 なんでこんなところでXXXの監督なんかやっているのだと言いたくなるほど美人だ。

 それに合わせ、本人と話をしていても落ち着く。

 正直に言えば、負けても仕方がない勝負だったと思う。

 自分とエリーゼでは格が違う。

 既に立っているフラグというのもあるが、それ以上に彼女のマネをしないと勝てないと踏んだ時点でエミリアの『瞬殺記録』は生まれる運命にあったといえた。

 落ち着いた時期なら、そう考えられるようになっていた。

 多分、自分が男なら放っておかない。


 だが、今は違う。

 腸が煮えくり返るような怒りがエミリアの奥から溢れ出し、ひとつの衝動を産み落とした。


『……私にどうしろっていうの』

『大事なのはカイトがエリーゼを捨て去る事だ』


 ウィリアムは静かに提案する。

 この時のすまし顔は普段なら腹立たしいものであるが、今は不思議と気にならない。


『勿論、今のままでは難しいのは理解している。エリーゼは人間の精神状態にも詳しい。簡単に手放す気もないだろうね』


 当然だ。

 もしエリーゼがそんなに単純なら、今頃エレノアに取られている。


『だから僕がそう仕向けよう』


 直接的な取引だった。

 悪魔の囁きが、エミリアの心のドアをノックする。


『君には上手く手引きしてほしいんだ。さっきも言ったように、彼女は僕を避けている。上手く能力を遮るような空間を作ったり、周りに他の人間を置いたりすることでね』

『……その場を作れ、と?』

『そうだとも』


 幸か不幸か、エミリア撃沈事件はエリーゼにも知れ渡っている。

 メンタルケアを勧められ、断ったのも記憶に新しい。


『何、別に取って食おうってわけじゃない。ただ、少し厳しい言葉でも投げさせれば彼も現実に気付くだろう。それだけのことさ。それが出来るのは僕しかいない。違うか?』


 確かに、エリーゼはガードが固い。

 ウィリアムのいう事が全て真実だとすれば、彼女は王国に来てからずっと身分を偽り続けていたことになる。

 そんな彼女が、今更言葉選びのミスでカイトを突き放すとは思えなかった。

 ならば、誰かがテコを入れなければならない。

 そうでもしないと、カイトはずっと兵隊アリのままなのだから。

 使い捨てられるだけの彼の姿を見たくて、諦めたわけじゃない。

 決心するように頷くと、エミリアは一言つぶやく。


『わかったわ』


 ドブのように濁った瞳を見て、ウィリアムは満足げに笑みを浮かべた。

 

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