第154話 vs執念

 外壁から転がり落ち、時折身体をぶつけながらもタイラントは落下する。

 腰まで届く長い髪は埃まみれで、気品の漂う凛々しい表情は欠片も感じられない。

 彼女の表情は、痛みによって歪んでいた。

 地面に思いっきり叩きつけられたのち、彼女は苦悶の声を漏らす。


「がぁ……!」


 腹部に込み上げてくる痛みに耐えつつも、深呼吸。

 息を整えてから、改めて立ち上がろうと足を曲げる。


「痛っ」


 全身打撲。

 そして新人類の中でも五指に入るであろう怪力の持ち主である、御柳エイジの蹴り。

 それらを受けた今、彼女の身体は悲鳴をあげるばかりだ。

 まともに起き上がる事さえ、身体が拒否している。


 タイラントは思う。

 

 レオパルド部隊の責任者は、こんなもんで泣き言を言わないだろう、と。

 前任者が受けた痛みはこんなものではない。

 彼女が首を圧迫され、息をすることさえできずに殺されたのだ。

 ソレに比べれば、この程度の痛みはなんてことはない。

 腕がへし折れてもそうだ。

 足が切断されてしまったとしても、首が吹っ飛んだとしても最後まで戦いぬいてみせる。


「――――!」


 タイラントは吼える。

 言う事を聞かない身体に喝を入れ、無理やり立たせた後、彼女は城壁に向かって掌底を叩き込んだ。

 破壊のエネルギーが掌から外壁に伝わる。


「ん?」


 その様子を外壁の上から覗き込んでいたエイジが、僅かに首を傾げた。

 彼女が何をしたのか、すぐには理解できなかったのである。


 だが、直後。

 足場が崩れ始めてきたのを感じ、やっと理解が及んだ。


「やば! 足場を崩してきたぞ!」


 言うや否や、石でできた外壁が崩れ落ちる。

 瓦礫の破片が飛び散る中、エイジとアーガスがそれらに飛び乗り、次々と着地していくことで落下から逃れた。


「む!?」


 跳躍を続ける中、アーガスは見る。

 足場を崩してきたタイラントがジャンプし、落下してくる瓦礫を踏み台にすることでこちらに近づいてきているのだ。


「まだ動けるのかね!」

「相変わらず、すんげぇ執念!」


 アーガスの薔薇にエネルギーを吸われ、エイジの蹴りを受けて地面に叩きつけられた。

 それでも尚、彼女は向かってくる。

 心なしか、彼女の胴体を覆う破壊のオーラが、いつもよりも黒く濁っているように見えた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 獣のような咆哮をあげ、タイラントが振りかぶる。

 上から下に向けて腕を振り抜いた。

 掌の中で破壊のオーラがボール状に凝縮され、エイジたちの足下に散る瓦礫を砕く。


「げっ!?」


 空中で足場を無くした。

 それがそれだけ深刻な事態なのか、わからないエイジではない。

 瓦礫とはいえ、足場を砕かれてしまえば移動することができなくなってしまう。

 要するに、回避が出来ないのだ。


「御柳君!」


 アーガスが薔薇を口に咥え、エイジの救援に向かう。

 だが金髪の囚人がそこに到着するよりも前に、タイラントがエイジとの距離を詰めた。

 足場も無い空中で、新人類最強と呼ばれた女傑が殴り掛かってくる。

 犬歯剥き出しで飛びかかってくるその姿は、獲物に襲い掛かる肉食獣のようにも見えた。


「来るならきやがれ! 次こそ決着つけてやる!」


 スコップを構え、エイジが迎撃態勢に入った。

 青白いオーラを纏った、発光する拳が迫る。

 ソレに対し、エイジはスコップをフルスイング。

 足場がないため、腰と腕の力のみでタイラントの力と勝負する。


 ばちん、と音が鳴った。

 ふたりの衝突で周囲に青白い火花が散り、眩い光が溢れ出す。


「どわぁ!?」

「ちぃ!」


 衝突に押し出されたのはエイジだった。

 なんとか直撃は逃れた物の、肝心のスコップがタイラントのパワーに耐えきれなかったのである。

 力強く握っていた柄は、破壊のオーラに触れてぽっきりと折れていた。


 一方のタイラントは空中でバランスを崩しつつも、まだ戦闘態勢を解いては居ない。

 彼女はエイジやアーガスとは違い、身体全てが凶器なのだ。

 能力で身を纏ってしまえば、肌に触れるだけで破壊し尽くす自信がある。

 エイジのスコップが折れたのなら、尚更だ。

 一撃で仕留めきれなかったのには舌打ちしてしまったが、今度こそトドメを刺してやれる。

 

「トドメだ!」


 タイラントが空中で拳を振るう。

 近距離であろうが遠距離であろうが、彼女には関係ない。

 身体から放たれる破壊のオーラを身に浴びれば、皮膚や肉、骨に至るまで砕かれるのみである。

 アーガスはそれを知っているからこそ、急ぐ。


「間に合え!」


 口に咥えているのは白薔薇。

 かつて、新人類の中でも屈指の生命力を誇るカイトですらダウンさせたことがある強力な棘だ。

 新人類王国に大敗を喫した後、アーガスが作り出した最終兵器である。

 これならタイラントを倒せるはずだと信じて育て上げた、最高の一輪。

 現に彼女の能力でさえも吸い取って見せた。


 これを直接、彼女の肌に突き刺す事が出来れば勝てる。

 その確信がアーガスにはあった。

 それがどれだけ至難の業だと理解していても、だ。

 力では自分よりも遥かに優れているエイジが、力勝負で負けたのだ。

 接近した瞬間、一気に不利になるのは見ただけで理解できる。


「……ん?」


 そんな思考を片隅に寄せたうえで、アーガスは見る。

 落下していくエイジ。

 その人差し指が僅かにくいっ、と上を向いているのだ。


 これはまさか。

 

 視線をわずかにズラし、エイジの顔を見る。

 こちらを凝視していた。

 なにかを期待し、同時に絶対に成功させろと言う脅迫概念にも似たような思い詰めた表情である。


「君は――――」


 呟きかけ、アーガスは口を閉ざした。

 皆までは言うまい。

 自分の予想が当たっていれば、彼はこれから命がけの勝負に出ることになる。

 アーガスができるのは、それが成功した時の為に準備を整えておくことだけだ。


 己の脳裏によぎった考えを纏めて、僅かに頷く。

 それを見届けたエイジは、にかっ、と笑った。


「よっしゃ、決着つけようぜ!」


 タイラントが眼前に迫る。

 足場も無く、武器もない。

 落下していく背中。その向こうには地面がある。

 今から着地しようとしたところで、後から降ってくるタイラントの一撃をかわすことなど不可能だろう。


 それなら、ここで倒す。

 過去の戦闘を経て、エイジは使命感に掻き立てられていた。

 コイツは俺が倒す、と。

 タイラントの執念は本物だった。

 本物だからこそ、どんな手段を使ってでも仲間を殺しに行くだろう。

 しかし、その仲間の元には近づけさせない。


 過去、親友とタイラントの間に何があったのかは知っている。

 正直に言えば、同情できるのはタイラントの方だ。

 気の毒な話だと思うし、できることなら仇をとらせてやりたいと思う。


 ただし、思うだけだ。


 タイラントがカイトの首をへし折っている姿を想像してみると、無性に嫌な気分になった。

 現金な話なのは百の承知だが、それがすべてなのだ。

 エイジはその光景を現実にしたくない。

 だからこそ、立ち向かう。


「潰れろ!」


 発光する右拳がエイジに迫る。

 タイラントの落下スピードは速い。

 このままいけば、後数秒で接触するだろう。

 

「3度目の正直だ」


 エイジはぼやく。

 過去の戦いで、エイジは正面から彼女に戦いを挑んだ。

 その結果どうなったのかは、今更語るまでもない。

 なら、今回はアーガスの手を借りてふたりがかりで倒すのかと言われたら、少し違う。


「今度こそ、俺の勝ちだ!」


 身体を捻り、両足をタイラントの拳へと突き出す。

 光の腕と接触した瞬間、靴の革が吹っ飛んだ。

 同時に、靴から漏れた余波がエイジの足を襲う。

 しかし、エイジはぐっと我慢。


 蹴り上げた勢いを利用したまま、頭をタイラントの胴体へと向ける。

 

「あんなもので私の視界を封じられる物か!」

「そうだろうな!」


 元からそんなものでやり過ごせるなんて思っていない。

 エイジの頭にあるのは、ただひとつ。

 純粋な勝負のみであった。

 彼は腕を突き出し、タイラントの頭を狙う。

 

「なに!?」


 その行動は彼女の予想外の行動であった。

 エイジは過去、タイラントと勝負してパワー負けしている。

 だからこそカイトから武器を貰ったし、アーガスも駆け付けたのだ。


 自棄にでもなったのだろうか。

 それならそれで、やることに代わりは無い。


 タイラントはそう思うと、エイジの手に拳を振るう。


「忘れたか」


 エイジがにやりと笑う。

 彼は腕を伸ばした体勢のまま、更に体を蹴り上げた。

 僅かに身体が宙に浮く。

 もう片方の腕が、タイラントの足を捕まえた。


「俺、我慢強いのが取柄でよ!」


 伸ばした腕が発光する拳を受けながらも、タイラントの髪を掴む。

 そのまま体勢を整えると、エイジは着地体勢に入った。

 敵の頭と足を捕まえて、仰向けにする。

 アルゼンチン・バックブリーカーっぽい体勢だった。

 少年時代に見た、強そうな必殺技。

 おぼろげな記憶だったが、確かこんな感じだった筈だ。

 かなり荒っぽいかけ方だが、相手は暴れ回る肉食獣である。

 荒っぽく行かないと、上手くいくはずがない。


「キサマッ!」

「覚えておけよ。俺、こう見えても執念深いんだぜ!」


 エイジが地面に着地した。

 着地の衝撃で大地が悲鳴をあげる。

 その衝撃を利用し、タイラントの身体は反り返った。

 エイジの頭を支点にし、女傑の背中がへし折れる。


 獣の鳴き声のような叫び声が響いた。

 全身に響き渡る激痛に意識を奪われつつも、タイラントは見る。

 空から一輪の花が振ってきた。

 白い花びらの、美しい薔薇だ。

 薄れゆく意識の中、どこかで見たことがあったかと頭を回転させる。

 だが、ぼやけて見えるそれは彼女の思考を余所に、胸に突き刺さった。


「うあっ!」


 僅かな悲鳴が漏れる。

 タイラントの身体が痙攣した。残っていた力が急に抜けていくのを感じる。


「あ……あ……」


 腕を伸ばす。

 七色に輝く天空に向かって、ゆっくりと。


「待て、よ」


 神鷹カイトの背中が見えた。

 彼は振り返ることなく、空の中へと消えていく。


 追いかけようと思った。

 追いついて、尊敬するあの人の仇を取るのだ。

 そう思って身体を動かそうとするが、どこも言う事を聞かない。

 徐々に感覚が薄れていく。


「勝負、だ。わたしが……あの方や、シャオラン達に代わって、おまえを――」


 伸ばした腕が、力なく項垂れた。

 胸に突き刺さった白の花弁は、黒へと変色しきっていた。

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