第135話 vs神鷹カイト ~今日の俺は右腕編~

 いかにエレノアが人形に憑依でき、生きていられるとしても、生身である以上は呼吸をしなければならない。

 彼女の肉体は普段使っている人形ではなく、神鷹カイトの肉体だった。

 彼の中に永住するのは、近年の願いである。

 ゆえに、他の身体に憑依することはしなかった。

 むしろ、今回に限って言えば彼を助けたと言っても過言ではない。

 あのまま放っておけば、彼はバラバラにされて体のいい実験素材となっていた事だろう。

 自分だったらそうする。


 だがそれをするのはあまりにもったいない。

 エレノアはその一心で表に出てきた。

 本来は憑依している腕しか動かせない筈が、人格そのものまで交代できたのは驚きだったが、自分で直接動かせる分には何の問題も無い。

 後は彼の仲間と合流して事情を話し、迷宮と化した城から脱出できれば万々歳だ。


 もっとも、現在進行形で殺されそうになっているわけだが。


「――――っ!」


 首にかかった透明のリングが一段と狭まる。

 長年呼吸を忘れた生活を送ってきたエレノアであるが、呼吸困難に陥るとこんなに苦しいんだと始めて実感する。

 不憫な痛みであった。

 しかしこのまま黙って窒息死を待つつもりはない。

 その手の分野なら彼女も得意だ。

 こんなこともあろうかと右手に取り付けておいたアルマガニウムの糸がバリアの僅かな隙間を潜り抜けて、敵を捕らえている。

 ところが、即死には至らなかった。

 ヴィクターは般若のような形相で拳を突き出し、エレノアの身体全体をバリア付けにしては締め付けている。

 本来、壁の役割をするバリアをこんな風に使う人間など彼くらいなものだろう。


「む、ぬ……!」

「く、く……っ」


 お互いに会話らしい会話はない。

 それどころか、両者ともに限界が近かった。

 両者の首からは血も流れており、このまま放っておけば首が飛ぶのが目に見えている。

 そんな状況に置かれていても尚、ふたりは手を緩めなかった。

 首絞めの均衡が続く。


 だが、そんな均衡も長くは続かない。


「うっ!?」


 行動を起こしたのはエレノアだった。

 正確にいうと彼女の右腕なのだが、その指先から伸びる刃から黒い湯気が溢れ出したのである。

 薄れゆく意識の中、ヴィクターは思う。

 また何かの手品なのか、と。


 ところが、エレノアにとってもこの事態は想定していない事だった。

 というか、そもそもの話。

 この右腕は彼女の意思に沿って動いていない。

 まるで何者かの意思が宿ったかのようにして勝手に動きたした右腕に対して、エレノアは驚愕の目を向ける。


「き、みは……」


 心臓が止まった、とは聞いていた。

 しかしこの身体を動かすことができるのは、もう彼しかいない。


「……なんじゃこりゃ」


 神鷹カイトの目覚めであった。

 彼の意思はエレノアと交代したがために、彼女が住み付いていた右腕に追いやられていたのである。

 当然ながら、目覚めたばかりのカイトも困惑を隠せない。

 

 ただ、目の前に己がいた。

 そして向こうには、白メイクの男が苦しそうに拳を突き出している。

 カイトは冷静に。

 あくまで冷静に状況を理解し、言う。


「戦闘中か」

「ぐっ!?」


 首を絞められ、まともに声を出せないヴィクターも驚愕した。

 手が喋ったのである。

 黒いオーラを纏いながらも動く右腕を前にして、彼も動揺を隠せない。


「なるほど」


 そんな彼らを一瞥した後、カイトは言う。


「どうやら俺が何とかするしかないようだな」


 バリアの錠で繋がれていた右腕。

 だがその錠にひびが入った。

 筋肉が膨れ上がり、袖の中から溢れてくる黒のオーラ。

 霧のようにも見えるそれに触れた瞬間、バリアの錠はひびが入り、あっさりと砕け散ってしまう。


「ば、かな!」


 目を見開き、ヴィクターが言う。

 喉を締め付けられても思わず言葉を発してしまう程に、信じがたい光景だった。

 あまりの破壊力で砕かれたことはある。

 切り裂かれたこともあった。

 ところが、触れた瞬間に砕け散るのは始めてのことである。

 しかも攻撃ではなく、あくまで腕から溢れる黒い霧に触れただけなのだ。

 納得がいかないって話ではない。


「――――はぁっ」


 首にかけられたバリアも砕け散り、エレノアが深呼吸する。

 息を吸う事に対し、快感を覚えたのはこれが始めてだった。

 だが、その余韻に浸る余裕はない。


「いくぞ」

「え?」


 右腕がぐいぐいと引っ張っていく。

 エレノアの承諾を得ないまま右腕はヴィクターに突撃した。

 ふたりの間になったバリアの壁は、あっという間に切り裂かれる。

 妙な黒い霧が出ていても、爪の切れ味は健在だった。


「ぐぅ!」


 首は絞められたまま、ヴィクターの元にカイトが迫る。

 彼は残った意識を振り絞り、先手を取った。

 透明槍である。

 バリアで生成した棒と矛を用いて作られた武器。

 これをカイト目掛けて投げつけた。

 距離は殆どないに等しい。

 以前は避けられたが、こんな狭い区間と距離では難しいだろう。

 そう思った。


 しかし右腕だけになってもカイトは化物である。

 本体の目も借りないまま、右手が透明槍の矛先を掴んだ。

 勢いを殺された槍が突撃を停止し、カイトの中で収まる。


「いま、なにしたの?」


 エレノアには何がおこったのかわからない。

 彼女は目の前に迫る透明槍のリーチも、矛がどの程度まで迫っていたのかも理解できなかった。

 精々、ヴィクターがなにかを仕掛けたんだな程度である。

 そんな彼女の疑問に対し、カイトは平然とした態度で答えた。


「キャッチしたんだ」


 指の隙間に槍の棒を挟み、器用に回す。

 完全にリーチがわかっている動きだった。


「う、う……」


 対し、ヴィクターは打ちのめされたかのような表情になる。

 バリアが効かない。

 見えない武器も効果がない。

 圧縮可能な新技も、妙なオーラで役立たず。

 彼にはもう、打つ手がなかった。


「うおおおおおおおおおおおおっ!」


 ヴィクターが吼えた。

 喉から血が噴き出す。

 もう己の命はないのだと理解しつつも、彼は最後に残された力を目の前にいる魔人に向けた。

 廊下を覆い尽くす巨大バリアが生成される。

 それはトラックのように猛烈な勢いでカイトに襲い掛かった。


「ふん!」


 右手が蠢く。

 五本の指から生えた刃が振るわれた。

 直後、バリアが木端微塵に砕け散っていく。

 まるでガラス細工のように。

 今度こそヴィクターは終わりだ。

 もう残された手段はないし、力も残されていない。

 意識も旅立とうとしている。


 なぜだ。

 ヴィクターは思う。


 どうしてこうも力に差があるのだ。

 同じ新人類だろう。

 誰にも負けないように鍛え上げた力の筈だろう。

 だというのに、どうして彼と自分にはこんなにも差があるのだ。

 半年前は友人と共に戦った。あの時のことは鮮明に覚えている。

 支給されたブレイカーは破損。

 エリゴルは変わり果てた姿となり、敗北した。


 今回も負けた。

 友の仇も討てず。

 彼の望みも叶えられないまま。

 力の差は開いたままで負けた。

 失意のまま、ヴィクターは崩れ落ちる。

 膝が床に着く直前に、壁に叩きつけられた。

 カイトだ。

 彼の右手がヴィクターの胸倉を掴み、壁におしつけているのである。

 もう片方の手に、透明槍を抱えたまま。


 直観的に理解する。

 これから死ぬんだな、と。

 意識した瞬間、自分でも不思議なくらい穏やかな気持ちになった。

 左手に収まった槍が放たれた。

 己が生成した矛は、ヴィクターの腹をなんの躊躇いもなく貫く。

 色のついていないクリアな柄を、ヴィクターの血が染め上げていった。


「お――――っ!」


 白に塗られた顔面が悶絶する。

 ややあってから、彼は絶命した。

 壁に串刺しにされた兵の肢体が、ぶらりと項垂れる。


「ねえ、彼って知り合い?」


 全部終わった後、エレノアが問う。

 右腕は少々考え込むようにして無口になったが、数秒もしない内に答えを出した。


「いや。知らない顔だ」

「そう」

「それよりも、だ」


 エレノアが話題を切り上げようとするよりも前に、カイトは食って掛かる。

 右手がエレノアの胸倉を掴みんだ。

 要するに自分自身の胸倉なのだが、相手がエレノアなのもあってカイトは手加減しなかった。

 自身の肉体に強烈な圧力が襲い掛かる。


「じ、自分の身体だよ。もうちょっと大切に労わった方がいいんじゃないかと思うんだけど」

「黙れ。いいからさっさと出ていけ」


 神鷹カイト、彼は同情はするが情けは無い男である。

 エレノアが自分の意思で過去を見せたのかは知らない。

 ちょっと不憫に思ったのは事実だ。

 だが、それとこれとは話が違う。

 可哀そうだからと言う理由で身体は与える気にならないし、何時までも右腕として彼女と同居する気も無かった。


「ここは貴様の故郷だ。憑依できるスペアくらい用意してるだろ」

「まあ、確かに……仕込んであるけど」

「じゃあ出ていけ。いますぐに」

「ねえ、このままふたりで同じ身体を共有してみる気にならないかな。星喰いの時、結構相性は良かったと思うんだけど」

「出ていけ」

「……はい」


 非常に面白く無さそうな顔をしてから、エレノアの魂が放出される。

 身体から青白い発光体が出現したかと思うと、カイトの背中から蜘蛛の形をした人形が飛び出した。

 あまりに小さくて気付けなかったが、どうやら彼女は密かに仕込んでいたらしい。

 まったく、油断も隙もあったもんじゃなかった。


「よし」


 もしかしてずっと右腕なのでは、と密かに不安を抱いていたカイトだったが、その不安も杞憂に終わった。

 エレノアが出ていった後、本来の人格が右腕から身体全体に浸透していく。

 普段通りの感覚に戻るまでに、そう時間は掛らなかった。

 両手を動かし、軽くジャンプをして感触を確かめる。

 変わったところがあるとすれば、左に変な目を移植されたことくらいだった。

 

「……一応、視界も問題ないみたいだな」

「へぇ、傍から見るとそんな感じになるんだ」


 蜘蛛の人形がカイトを観察し、ぼそりと呟く。

 先程までカイトの身体をいいように使っていた彼女だが、実際に移植された後の風貌を見るのはこれが始めてだった。

 なんというか、黒い目に赤い瞳孔は中々に目立つ。

 もう片方が普通の目なら尚更だ。


「さっきの奴もその目のお陰かな?」

「さっきの?」

「わからないかな。君が腕の中で意識を取り戻した時、ぶわーっ、と黒い霧みたいなのが溢れ出したんだけど」


 顎に手をやり、考える。

 あの時、右腕だけになった自分は目の前にいる敵を倒すという一心で向かっていった。

 その過程で身体を縛り付ける透明錠が邪魔だと思ったのは事実である。

 そういえば、新生物やマリリスの身体は本人の意思によって変化するのだと聞いたことがあった。

 あれと同じようなものなのだろうか。

 いずれにせよ、風貌的にとても目立つことだけは確かである。


「まあ、いい。考えるのは後だ。それよりも先にみんなと合流して脱出しないと」

「ねえ、心臓は動いてるの?」


 踵を返し、己の胸に手をやってみる。

 どくん、と鼓動を感じた。

 動いているのは間違いないらしい。


「動いているが、それがどうした」

「いや。動いてるなら、それに越したことはないや」


 やけに嬉しそうな口調になると、エレノアはカイトの肩へと飛びかかった。

 が、カイトはこれを叩き落とす。

 エレノアは床にバウンド。


「いたぁっ!? なにするのさ。折角マスコットキャラとして君の肩を占拠しようと思ったのに!」

「黙れ。これ以上貴様の相手なんかしてやれるか」


 同情はしたが、カイトはエレノアが苦手だ。

 それだけは変わらない。

 彼女を再び右腕に住まわせる気も無ければ、これ以上一緒に行動する気も無かった。


「身体を運んでくれたことには感謝する。だが、それだけだ。お前はお前のルートで逃げろ。俺は俺なりに逃げる」

「ちぇっ。わかったよ」


 意外な事に、引き際がよかった。

 エレノアは方向転換し、壁をよじ登り始める。

 この迷宮で蜘蛛の姿をしている彼女を見つけだし、わざわざ殺そうとする奴は居ないだろう。

 ある意味もっとも安全を確保した存在であると言えた。


 カイトは己の身体に糸が付いていないかを確認してから、再び前進する。

 今度こそ元通りだ。

 エレノアに憑依されてから面倒な事態が立て続けに起こっている気がするが、今の状況さえ乗り越える事が出来ればなんとか立て直せる。

 軽くエレノアを疫病神にしたところで、カイトの足は止まった。

 

「ぬ!?」

「うわぁ!」


 背後からエレノアの慌てる声が聞こえる。

 直後、カイトの身体が勢いよく引っ張られた。

 見えない何かに引きずられて尻餅をつくと、カイトの顔面にエレノアが落ちてくる。


「おい、まだ糸つけてるのか!?」

「ち、違う! 私も急に引っ張られたんだ!」


 カイトが怒鳴り、エレノアはすぐさま体勢を戻す。

 彼女は珍しく真剣な口調で訴えかけた。


「君に繋がる糸は全部切った。いや、本当はあるけどこんな身体じゃ君を引っ張る事なんてできるわけないだろ!?」

「えぇ……」


 どこからつっこめばいいんだろう。

 訝しげにエレノアを見やると、カイトは頭を抱えた。

 本人の様子を見る限り、彼女にとっても予想外の出来事なのは間違いないだろう。

 糸がまだついたままなら、彼女が引っ張られるのもわかる。

 しかし全長が10センチにも満たない非力な蜘蛛の人形が、成人男性を引っ張る事が出来るかといえば確かに首をひねるところだ。

 お互いに引っ張られたとしても、体格のバランスが取れていない。


 そんな事を考えていると、ふと気づいた。

 エレノアの小さな体から赤い線が放出されているのだ。

 それは糸のように伸びており、まっすぐカイトの左目と繋がっていた。

 移植された銀女の目玉。

 どこまでも深い赤の瞳孔の中に吸い込まれるかのようにして、カイトとエレノアは繋がっている。


「こ、これはまさか」


 エレノアもその存在に気付いたようだ。

 彼女は身震いしながらも、今の状況を言葉にする。


「う、運命の赤い糸!?」

「そんなものがあってたまるか!」


 彼女の言葉を切り捨てるようにして、カイトは立ち上がる。

 ずかずかと歩き、エレノアから離れていく。

 5メートルも移動しない内に、彼は再び強烈な力で引っ張られた。

 左目から伸びる赤い糸は、エレノアから離れるのを拒むようにしてカイトを押し戻し続けた。

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