第129話 vsエレノア・ガーリッシュ

 直立不動のまま心電図を眺めるノアの隣に、ディアマットが移動する。

 間近に来たところで改めてモニターを見た。

 心電図は山なりのラインを描くことなく、ただひたすらに直線。

 数字も0を示している。

 この状態になった人間がどうなったのかは、今更説明するまでもないだろう。

 ノアの夢は進むことなく、また振出しに戻ったのだ。


「……奴も耐えきれなかったか」


 だが、何もカイトに限った事ではない。

 これまで目玉を移植され、死んでいったクローンは何人もいる。

 むしろ12回も成功している現状の方が奇跡なのだ。

 移植の光景を目の当たりにすると、それがよく実感できる。


「まあ、いい」


 ディアマットの横で深いため息をついた後、ノアは改めて心電図に向き直る。

 失望と疲労の入り混じった眼差しを向けつつも、彼女は言う。


「奴が耐えられなかったというなら、エリーゼの目の付け所は間違ってただけのこと」


 方向性の違いからいがみ合う事は多かったが、ノアはエリーゼの人柄を高く評価していた。

 彼女なりに成果を出そうとしていたのは知っていたし、実際に成果が出ていたのだ。

 そこに自分が見つけた最強の人間の可能性を融合させてみれば、と思ったが、どうやら期待外れだったらしい。


「遺体はまだ研究サンプルとして使える筈だ」

「その通りです。ジェムニ、抜け殻を運んでくれ」


 向き直り、待機している鎧に命令を出す。

 すると、だ。

 ノアとディアマットは予想だにしなかった物を見た。


「なっ!?」


 素っ頓狂な声をあげ、ディアマットが一歩後ずさる。

 そのままモニターに背中をぶつけつつも、ディアマットは眼前にある物に指を向けた。


「なんで……?」


 手術台。

 その上に神鷹カイトが座っていた。

 先程まで横にされ、手足を固定されていた筈の男が座っているのだ。

 錠のロックは外れていない。

 それなのに、彼の手足は手術台のロックから脱出している。

 破壊された痕跡がないにも関わらずに、だ。


 いや、そもそもにして。

 こいつは息絶えたんじゃないのか。

 ディアマットとノアは慌てながらも心電図に振り返る。

 相変わらず光の線は直線を描くだけだった。


「馬鹿な。なんで生きている!?」


 理解できない現象を前にして、ふたりは慌てふためく。

 ノアも長い事移植手術を行ってきたが、一度息絶えた者が復活してくる――――所謂ゾンビを見たのは初めてだ。

 彼女は死人に向け、問う。


「……生きているのか? いや、そもそも我々を理解しているのか?」


 それができているかすらも怪しい。

 カイトは俯いており、顔色は見えない。

 見えないがしかし、どこか危うい雰囲気を放っていた。

 手術台に座っているだけの男は、身体から溢れ出る存在感で場を支配していたのだ。


「……ふっ」


 カイトが笑った。

 僅かに肩が揺れ、顔を上げる。

 妖しい三日月型の笑みを浮かべつつも、彼は血塗れになった左目をノアに向けた。

 瞼に押し込められた黒の目玉は、完全にカイトの左目にはめ込まれている。

 手術の痕跡だった。

 彼は耐えきっていたのだ。

 怪物の目玉を自分の物にしてみせたのである。


「おめでとう。また会えたことを嬉しく思うよ」


 一先ず手術の成功に喜ぶノア。

 だが、内心複雑だった。

 口ではこう言ってみた物の、カイトがどうなってしまったのかが分からない。

 言葉に反応を示し、動き、笑ったのだから生きている筈だ。

 心電図はたぶん、あれだ。

 壊れたのだ。

 機械なんて壊れてあたりまえなんだから、そういう事もあり得る。

 無理やり納得しつつも頷くノアに対し、カイトは口を開いた。


「私は嬉しくないなぁ」

「ん?」


 口調に違和感を覚える。

 心なしか声色も変化があるような気がする。

 ディアマットも同じだ。

 彼は首を傾げると、訝しげな目でカイトを見る。


「……ノア。目玉を移植されると、人間は声が変わるのか?」

「少なくとも、私のこれまでの成果にそういった例はありません」


 違和感の正体。

 それは口調だけではない。

 一人称、声。

 それらがつい先ほどまでのカイトとはまるで違う物だったのだ。

 ふたりは顔を見合わせ、再びカイトを見る。


「悪いけど、私は鎧になるなんてまっぴらごめんだ」


 カイトが右手をかざす。

 反射的にふたりは身構え、この部屋の守りを務める4人のガードマンの名を叫ぶ。


「ゲイザー!」

「ジェムニ、トゥロス、アクエリオ!」


 四方で構えていた鎧が、一斉にカイトを睨む。

 だが、襲い掛かってくる事は無かった。


「なに?」


 命令厳守をモットーとする鎧が動かない。

 疑問に思いつつも、ノアは見た。

 カイトの右腕。

 その指先から伸びる、無数の銀の線を。

 光の線は何時の間にかラボの至る所に巻き付いており、蜘蛛の巣のように鎧を絡め取っている。

 彼らは動きたくとも動けないのだ。


「あれは、まさか!」


 ディアマットも遅れて気付く。

 彼は銀の線の正体を知っている。

 アルマガニウム製の糸だ。

 以前、反逆者抹殺の為に送り出した囚人、エレノアが所持していた物である。

 その事実から、ディアマットは答えに辿り着いた。


「お前、エレノア・ガーリッシュか!?」


 自分で言っておいてなんだが、ディアマットは己の発言の馬鹿さ加減に呆れて物が言えなかった。

 目の前にいるのは間違いなく神鷹カイトだ。

 さっきまで手術台に寝かされていたし、目玉を挿入されたのも彼である。

 ディアマットはしっかりとその光景を見守っていた。


「はぁい、エレノアですよぉ」


 ところが。

 なんということだろう。

 両手を小さく振りながらも、カイトはそう言ったのだ。

 カイトは――――エレノアは、無邪気な笑みを浮かばせつつ、続けた。


「しかし、これはもしかしてあれかい?」


 周囲をそれとなく見渡す。

 アルマガニウム製の糸で絡め取られた、4体の鎧がいる。

 実物を見るのは初めてだが、凄まじいパワーだった。

 少しでも気を緩めれば、糸を引き千切られて一気に迫られてしまう。

 無機物を作るのは趣味だが、迫られるのは彼女の趣味ではなかった。


「私がカイト君の命を預かってる状態だったりするのかな」


 彼女は現状をよく理解していなかった。

 先日の銀女との一戦を終えた後、彼女は蓄積した疲労を取り払うべく、深い眠りへと落ちたのである。

 要するに、エレノアはずっとカイトの右腕として活動しっぱなしだったのだ。

 カイト本人は王国に戻る最中に何度か出ていくよう声をかけていたのだが、それすらも届いておらず今日を迎えてしまったのである。


 きっかけは目玉を挿入された時に生じた、激しい痛み。

 あれでカイトの意識は深い闇の中に飲まれ、奥底で眠っていたエレノアがたたき起こされたのだ。

 そのまま立場が変わるかのようにしてエレノアはカイトの身体に意識を移していたのである。

 それ自体は、いい。

 むしろ喜ぶべきことだ。

 彼との共同生活は今の夢だし、彼の身体が欲しいと思っているのは紛れもない事実。

 そう言う意味では、現状に感謝していた。


 ただし、だ。

 今、この場で確保されてしまうのであれば話は別である。

 周囲を取り囲む鎧。

 目の前には管理者のノアと、ディアマット王子。

 手術台の上で寝かされていた自分。

 なんともまあ、キナ臭い匂いがプンプンする。


「私、こう見えて今の生活に充実感を持ってるんだよね。だから、好きなようにしてあげない!」


 悪戯っぽくあっかんべーを決めると、エレノアは逃走。

 素早く起き上がり、鎧の横を通り過ぎる。


「待て!」

「ちっ!」


 対してノアとディアマットは見ているだけだ。

 なんでエレノアの人格が出てきたのかは知らないが、相手は新人類でも屈指の実力者である。

 勝てる道理がない。

 それがカイトであろうとエレノアであろうと変わらないのだ。

 鎧の動きを封じられた時点で、ふたりは逃走を許したと言っても過言ではなかった。


 しかし、だからと言って黙って逃がす気はない。

 正直、混乱はしたままだがエイジたちやスバルと合流されたら少々面倒くさい展開になってしまう。

 ゆえに、ノアはラボの通信をオンにしつつ王子に提案する。


「ディアマット様、非常事態です」

「言われなくともわかっている! どうするのだ、この失態を!」


 どちらかといえば、事故に近い物だったのだがそれを言っても王子は納得しないだろう。

 ならば、彼が納得する答えを出すまでだ。


「私の能力を使います。許可を頂きたいのですが」


 その発言に、ディアマットの表情が僅かに動いた。

 彼は少々悩むも、数秒ほどしてから答えを出す。


「許可する。奴らを絶対に逃がすな」


 言われなくとも、ノアはそのつもりだ。

 彼女は瞼を閉じて、意識を集中させる。

 手がモニターに触れた。

 直後、ラボの壁がぐにゃり、と歪む。

 どろどろに溶けるかのようにして部屋は崩れていく。

 ラボだけではない。

 城内の全てが、ノアに浸食されていっている。


 閉ざされた両目が、再び解き放たれる。

 歪な形になったラボが、再び元の形を取り戻した。

 だが、全てが元通りになったわけではない。

 糸に絡まれた4体の鎧の姿が忽然と消えていたのだ。


 そのことを確認すると、ディアマットはラボのマイクを手に取り、城内に己の言葉を伝える。


「親愛なる我が王国兵諸君。緊急事態が発生した」


 彼は一呼吸置き、城内で警備に当たっている兵に向けて言う。


「先日捕えたXXX、神鷹カイトが脱走した。現在の場所は不明だが、今は城が迷宮と化している。まだその辺をさまよっている筈だ。見つけ次第、行動不能にしろ。そいつは貴重な資材を持っている。絶対に殺すんじゃないぞ」


 傍から聞けば、理解不能な言葉である。

 だが王国兵達は迷宮の一言で事態の深刻さを理解してくれたはずだ、とディアマットは思う。


 ノアの新人類としての力は、建築物の構造をまるごと入れ替える能力である。

 あらゆる迷路を作り上げることから、彼女の能力は迷宮と呼ばれていた。

 

 その迷宮は、ノアが念じない限り元に戻る事はない。

 彼女の思念が構成した迷宮は、城に入り込んだ敵の逃走経路を奪うのだ。

 これほど今の状況に適している能力はないだろう。

 同時に、城を迷宮化させなければならない状況になったということはつまり、絶対に逃がすなという思惑があることを意味している。

 それがわからない新人類軍ではないし、カイトとエレノアでもないだろう。

 鎧も解き放たれた今、城内は戦場と化したも同然だった。


「今、城内を回っている鎧は何体だ」


 通信を終え、マイクを置いてからディアマットは問う。


「さっき送り出したのも含めて、5体。そして部屋で待機しているのが1体です。それ以外は全員調整中になります」


 つまり12人の内の半数が、一気に解き放たれたことになる。

 先程は捕まったが、戦闘状態に入った彼らであれば後れを取る事はないだろう。

 ディアマットがそう思っていると、ラボに激震が襲いかかった。


 何事か。

 モニターに表示されている警報シグナルが、喧しいほどに鳴り響く。

 滅多に使われない敵襲警報だった。

 ディアマットはその警報が何処から発せられているのかを確認する。

 発信場所はセキュリティルームだった。

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