第128話 vs春の出来事

 その痛みを例えるのであれば、腹の中に納まったウニが一気に棘を飛ばしてきたかのようなイメージであった。

 身体の芯から飛び出す針によって手足は貫かれ、頭から足の指に至るまで激痛が走る。

 ただのイメージでしかないそれは、まるで自身が現実なのだとアピールするかの如くカイトを痛めつけた。


 カイトはそれに耐えた。

 ただひたすらに耐えた。


 そして痛みが消えるまで耐えた結果。

 彼の意識は、黒の世界の中に消えていった。

 見渡す限り一面の闇。

 自分が何処にいるのかもわからない。

 身体を動かそうとしても、手足は言う事を聞いてくれない。

 抵抗することもできないまま、彼は闇の中へと意識を沈めていく。


 どこまで落ちていくんだろう。

 カイトは思う。

 まるで海の中に突き落とされたようだ、と。

 どこまでも底が見えない、闇の海。

 このまま落ちていくと、自分はどうなるのだろうか。

 そんなことを考えながらも、彼はある言葉を耳にした。


『また会おう』


 覚えている。

 手術台の上に乗せた、左側の女だ。

 なぜ今、彼女の顔を思い出したのだろう。

 そう思いつつも、カイトは次々と聞こえる言葉と映像を認識する。


『ハロー、リーダー。腕が鈍ってないみたいで安心したわ』


 真田アキナが、


『なら、抱きしめてください。たぶん、それで足が動きますから』


 アトラス・ゼミルガーが、


『僕が知る限り、君が一番適してると思うよ。君は最強の人間なんだからね』


 ウィリアム・エデンが、


『ようこそ、俺の艦へ! 歓迎してやる』


 スコット・シルバーが筋肉を曝け出しながら、


『何時かあなたと戦える日を楽しみにさせてもらう。それくらいならば、構わないだろう?』


 ゼッペル・アウルノートが、


『例えどんな難題でも構いません。私は貴方の所有物です。なんなりとご命令を』


 イルマ・クリムゾンが、


『何かを成し遂げたとき、人間は充実感に包まれることができるんだと私は思う』


 アスプル・ダートシルヴィーが、


『私は国の為に何をすればよかったのだ!』


 アーガス・ダートシルヴィーが、


『皆さんはこの新聞の方々なんですね!』


 マリリス・キュロが、


『もし、俺が感じる長所が全部間違いだとしたら、その時はまた良い所を探せばいい。んでもって、悪い所も全部ひっくるめてアイツなんだって納得するよ』


 御柳エイジが、


『やっぱりカイちゃんだ! 久しぶりぃー!』


 六道シデンが、


『やめてよ! なんで今になって手を伸ばしてくるのよ! ずっと待ってたのに!』


 アウラ・シルヴェリアが、


『私が情けないからダメなんでしょうか。それとも、私が根本的にダメだからふたりとも拒絶するのでしょうか』


 カノン・シルヴェリアが、


『君は、私やスバルが居なくなると寂しいか?』


 蛍石マサキが、


『俺、勉強するから徹夜で教えてくれ!』


 蛍石スバルが、


『どんな事情があったのかは分かりません。ですが、彼は優しい子です』


 そして最後に。

 神鷹カイトの視界に、ひとりの女性の姿が映った。

 彼はぼそりとその名を呟く。


 エリーゼ、と。


 呼びかけに答えるようにして、記憶の中の彼女は言った。


『私は彼を信じます』


 カイトの視界にひびが入った。

 ガラスが砕け散る様にして彼女の笑顔が崩れていく。

 崩れ去った笑顔の中から現れたのは、別の顔をしたエリーゼだった。


『これで穴が開くから、ようやく心臓に届くよね』


 銃を持ち、心臓に突き付けた。

 あの時の彼女の顔は、一生忘れないだろう。

 こうして闇の中に落ちていっても。

 一生このままだとしても、きっと。

 どうして、と疑問を抱きながら。


 考えても答えが出ない疑問を覚えつつも、カイトは新たな声を聞いた。

 今度は誰だ。

 タイラントかシャオラン辺りでも来るか、と身構える。

 走馬灯の中で出会うには、あまりに乱暴なラインナップだ。

 なるだけ関わりたくない相手なので、大人しく目を閉じる。


『不細工!』


 ところが。

 カイトが耳にしたのは、幼い子供のそれであった。

 違和感を感じ、瞼を開く。


 闇は晴れていた。

 ぼんやりと映っていた走馬灯は消え去っており、夕焼けに照らされた女の子と、それを取り囲む女子たちが言い争っている。

 カイトの記憶にない光景だ。


『アンタ気持ち悪いのよ!』

『いつも人形なんか持ち込んでさ。お子ちゃまじゃあるまいし』


 取り囲まれた女子は、見たところまだ10代になったばかりか、それ以下かといったところだろう。

 自分よりも体格のいい相手に囲まれながらも、彼女は興味なさげに人形を握りしめていた。

 少女は上級生に苛められていたのだ。


『スカしてんじゃないよ!』

『知ってるよ。アンタの家、人形を作ってるんだって? 娘のアンタが一番出来のいい人形を作るからお父さんが家出しちゃったんだよね。可哀想』


 その言葉を耳にした瞬間。

 人形を握りしめる腕に、力が入った。

 木でできた人形の手足が僅かに軋む。


『帰ってくるもん……』


 前髪が長すぎるせいで、彼女の表情がどうなっているのかはわからない。

 ただ、その両肩は震えていた。


『パパはいつか絶対に帰ってくるもん!』


 少女は上級生たちに背を向け、走り出す。

 年上の女たちは品のない笑い声をあげながら、少女を指差していた。


 一連の映像を見たカイトは思う。

 あの人形を握りしめた少女。

 背を向けて走り出した瞬間、ちらっとだけ素顔が見えた。

 カイトはその顔に覚えはないが、名前を知っている。

 彼女のことを、知っていた。


「エレノア」


 映像が切り替わった。

 今度は別の知り合いの昔話でも見せられるのかと身構えるが、違う。

 暗がりの部屋に招待されたカイトが見たのは、先程まで見ていた少女であった。


 彼女は明かりも点けずに人形を作り続けている。

 周りには完成した人形が散らばっていた。

 拾い上げようとしたが、それは叶わない。

 触れる前に手がすり抜けたのだ。


「おい」


 試しに、少女に向かって呼びかけてみる。

 少女が振り向いた。

 だがそれはカイトに向かって、ではない。


『ガーリッシュさん、こんばんわ』

『……こんばんわ』


 女の子である。

 年はエレノアとそう変わりがない、小さな少女だ。

 彼女は部屋の中に入っていくと、エレノアの手を掴む。


『もう授業が始まっちゃうよ。ずっと空き教室に籠ってたらお勉強できないわ』

『いらない』


 教室なのかよ、ここ。

 名も知らぬ少女の一言でその事実に気付いたカイトが、改めて周囲を見渡す。

 人形が所狭しと置かれているので気付けなかったが、それらが置かれたデスクは確かに勉強に使われる類の物であった。


『あたし、テストの点はいいから』

『ダメよ! テストの点がいいだけじゃ学校を卒業できないの。美術とか』

『得意よ』

『音楽とか』

『この前、先生から教える事は何もないって言われた』

『……た、体育とか』

『徒競走であたしに勝った生徒、見たことない』

『うう……』


 エレノア・ガーリッシュは最古の新人類と呼ばれている。

 実際どうなのかは知らない。

 だが、彼女が子供の頃。

 新人類と呼ばれる存在が世間で認識されていたかといえば、違う。

 それがどんな存在なのかも、この当時は知られていなかった。

 恐らく、エレノア本人でさえも。


 彼女は優秀な女子だったらしい。

 同世代の子供達を軽々と凌駕する神童へと成長していたエレノアは、次第に妬まれるようになったのだろう。

 上級生や、果てには親に至るまで。

 ただ、それでも気にかけてくれる存在は居たようだ。

 この少女のように。


『もういいでしょう』


 人形を器用に動かし、エレノアは学友へと警告する。


『あたし、飛び級するの。ここって退屈なのよ』


 遠回しな拒絶だった。

 いくら頑張っても一緒の土俵じゃない。

 自分はもっと凄い場所へ行く。

 一緒に卒業できないどころか、先に学校から去る。

 だから仲良くするだけ無駄だ、と。

 彼女はそう言った。


『え、飛び級!?』


 しかし、エレノアの予想とは裏腹に少女は目を輝かせた。

 彼女はエレノアの手を取り、言う。


『凄い! まだ私と同じ4年生なのに。どこに行くの!?』

『ぱ、パイゼルアカデミー』


 パイセルって確か新人類王国の旧称だったな、とカイトは思い出す。

 当時の新人類王国はアルマガニウムの研究を積極的に行っていた。

 もしかすると、エレノアの存在にいち早く気付いていたのかもしれない。


 その辺の真偽はともかくとして。

 エレノアは飛び級することになった。

 その事実は、それだけ彼女が優秀なのだと裏付けることになったのだが。

 少女はそれを憧れの眼差しで見てきたのである。


『ねえ、どんなことを勉強するの!? オリンピックとかの参加資格は!?』

『……参加しないわ、そんなの』


 今更ながらにカイトは思う。

 こいつ、本当にあのエレノアなのか、と。


 なんで彼女の過去らしき物を見ているのかはわからない。

 だが、カイトの知るエレノアはなんというか、こう。

 もっとテンションがおかしな方向へとぶっ飛んでいる人物である。

 やたら馴れ馴れしく話しかけてくるし、趣味も悪いし、腕も改造してくるし、必要以上に絡みたがる。

 彼が知るエレノア・ガーリッシュは、ここまでローテンションではなかった。

 大人びている、と言った方が正しいかもしれないが。


『でも、そうね。アカデミーを卒業したら、経歴書上は大人と同じ扱いだから。強いて目的を挙げるのなら、卒業することかしら』

『ガーリッシュさん、大人になりたいの?』


 当時、パイゼルにおける成人の条件は一定以上の学問を修めることであった。

 普通に学校に通うと、22歳で成人になる。

 ただ、稀に天才と呼ばれる人間が出てくる場合もあった。

 彼らはなまじ成績が良いために、他の人間よりも早く大人として認められるのだ。


『そうよ。あたしは早く大人になりたい』


 大人になれば、権利を行使できる。

 自分名義のお店を出すことも、十分可能だ。

 自分の名前を出して、もっと凄い人形を作る。

 リアルで、限りなく人間に近い人形。

 それが実現すれば、きっと。


『そうすれば、きっとパパは帰ってきてくれるもの』


 エレノアが少女にはにかんで見せる。

 始めて見せた、年相応の笑みであった。


 しかしこれより6年後。

 無事にアカデミーを卒業し、念願のお店を持ったエレノアを待ち受けていたのは、帰宅を待ち続けた父の変わり果てた姿だった。

 酔っぱらって外に出た瞬間、階段から転げ落ちてしまったらしい。

 身元が判明するのにはかなりの時間を要したのだそうだ。


 エレノアの父は、骨になって彼女の元へと帰ってきた。

 人形作りを教えてくれた父の温もりは、もう感じられない。

 優しく笑いかけてもくれない。

 人形が完成しても、頭を撫でてくれない。

 褒めてもくれない。

 小さな箱に詰め込まれた父だった物を手に取り、エレノアは店の中で静かに泣いた。

 エレノア・ガーリッシュ、16歳の春の出来事である。

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