第92話 vs償い
荒野で分断された新生物が接合し、氷を砕きながら起き上ってくる。
それを視界に入れ、カイトは肩を落とす。もう自分が何をやっても時間稼ぎにしかないであろうことを、カイトは十分理解していた。
恐らく、後ろの二人も同様だろう。新生物を完全に倒せるのは、巨人にとっての猛毒を噴出し続けるマリリスだけである。
「カイちゃん」
「分かってる」
巨人が雄叫びをあげ、起き上がる。
だが、カイト達にはそれが泣いているようにも見えた。弱小生物を威嚇するような凶暴性はそこにはなく、ただ痛みに身を焦がした哀れな化物。
獄翼から噴出される鱗粉を身体に受け、巨人の身体が溶け始める。蝋燭のように流れるそれは、見方によれば涙のように見えるかもしれない。
「終わりだ。これで」
確信があった。
一度は起き上がった巨人が、どんどん溶けていく。もうこれ以上戦う必要はないし、この化物に怯える心配もない。
「リーダー!」
『リイイイイイイイイイイイイイイダアアアアアアアアアアアアアアア!』
どこか黄昏た表情を作っていると、背後から聞き覚えのある女の声と、ノイズ混じりのキリキリ声が轟いた。
反射的に耳を閉じようとしたカイトだが、その前にちらりと目線を向ける。カノンとアウラだ。その姿を確認すると、カイトは一言つぶやいた。
「あれ、お前らいたの?」
酷過ぎる言葉だった。
こちらに向かって駆けつけてきた姉妹が、流れるようにしてずっこける。顔面から荒野にダイブした二人が、滑りながらもカイト達の足下へと到達した。
「おい、幾らなんでも酷くないか」
「そうか?」
訝しげな目線をエイジが向けてくるが、カイトとしては何時の間にいたんだという話である。
当然と言えば当然だ。シルヴェリア姉妹が駆け付けた際、カイトは歯昏睡状態にあった。その上、復活した後は頭に血が昇って新生物しか見ていない。見るも無残にされたダークストーカーの残骸なんか、気にする暇なんてないのだ。
「わぁ、二人ともおっきくなったね」
唯一、シデンだけがフレンドリーな態度で姉妹に接している。
といっても、二人とも砂とキスしたまま固まってしまっている為、返事は返ってこなかったのだが。
「謝っといたほうがいいんじゃない?」
「俺、なんか変な事言ったか」
「言ったと思うぞ。確実に」
「そうか」
まあ、態度は確実に変わっていないだろう、とエイジは思う。
カイトは昔から第二期XXXに対しては素気なかった。しかし態度は冷たくても、面倒はきちんと見る男である。神鷹カイトは他人との距離の取り方が下手糞なのだ。
本人も、その自覚はある。
自覚はあるので、カイトは跋が悪そうにしながら姉妹を見下ろし、言った。
「悪い。言い過ぎた」
「カイちゃん、それ心が籠ってないよ」
「棒読みだもんな」
親友二人から軽いブーイングが飛んできた。
ぐぬぬ、と唸ってからカイトが頭を下げる。その姿は非常に情けないものだった。
ちらり、と壁の方を見やる。鱗粉を飛ばす獄翼の隣で、手足をもがれたダークストーカーの姿があった。ここでようやくカイトは彼らの奮闘を理解する。
「……よく頑張ったな」
風に掻き消えてしまいそうな、小さな呟きだった。
カイトの口が閉じたその瞬間。彼の足下で地面に埋まっていた姉妹の顔が、勢いよく飛びあがった。
「はい、リーダー! 私たち頑張りました!」
『御無事で何よりです!』
「お、おう」
ちょろい。この姉妹、心に傷を負っても次の一言を受け入れればすぐに尻尾を振ってくる。長い付き合いからそのことを理解してはいたが、こんなに簡単では将来が心配になってしまう。
「――――!」
姉妹の将来に不安を覚えていると、彼らの背後で怪物の唸りがあがった。
全員が振り返ると、丁度巨人の頭部が崩れ落ちる瞬間を目撃する。頭部に張り付いていた結晶体が赤から青に変色し、自然と光が失われていく。
「終わったんですね」
XXXの面々が思う事を、アウラが代弁する。
こう見ると、呆気ない物だ。この二日間、好き勝手暴れてきた新生物の馴れの果てがこれである。
意識を失い、ただ取り込んだ新人類への恨みが募った怪物。
直接その光景を目の当たりにしたカノンとアウラは、どろどろに溶けて蒸発していく怪物の正体は新生物ではなく、人間の悪意の塊なのではないかとさえ思い始めていた。
ゆえに、カノンは言う。
『いや、アウラ。多分、終わらないよ』
今回は新生物が体現してしまっただけだ。
トラセット国民のように、新人類王国に恨みを持つ人間は多い。
『どこかで誰かが止めない限り、きっとあの化物みたいなのは何度でも出てくると思う』
それが比喩も含んでいることを、カイト達も理解していた。
もしもここがヒメヅルだと思ったら、それだけでカイトは寒気がする。気のいいケンゴ少年や、豚肉夫人を始めとするご近所さんたちが、想像の中で新生物に食われていった。
想像の中で起こる悲劇を振り払うようにして、カイトは化物から目を背ける。すると、見知った男が突っ立っていた。
「だが、止める事が出来たのも事実だ」
アーガスだ。
彼はXXXの面々を通り過ぎると、そのまま溶けていく巨人へと向かって行く。
「おい、どうする気だ」
「あれは私の罪の証だ。最後は私が見届けなければならない」
言いつつ、アーガスは巨人の前で立ち止まった。
光を失った結晶体を見やり、アーガスは呟く。
「許してくれ」
それはまごうことなく、巨人に向かって放たれた謝罪の言葉だった。
アーガスは知っている。彼が純粋に外に出たがっていたことを、だ。
彼が外に何を求めていたのかは知らない。
しかし、そんな純粋な願いを黒い意識で押し潰したのは、他ならぬ自分たちだ。同時に、それを止める事が出来たであろう自分が、何もできなかったのが悔しくて仕方がない。
「君を殺したのは私だ。私が弱かったがために、皆を……」
英雄は俯き、消えていった人たちの顔を思い浮かべる。
戦争で死んだ国民。従者。父。弟。そして新生物。もう彼らは戻ってこない。どんなに逆立ちしても。どんなに願ったとしても、二度と会う事はない。
「山田君。痛みと言うのは、どうしようもない物なのだな」
溶けきった巨人を見て、アーガスは振り返らずにそう言った。
彼が今、どんな表情をしているのかは分からない。だが、少なくとも大樹の中で相対した時のような、情けない姿ではないのだろうとカイトは思った。
同時にカイトはもう一つ思う。
「俺は山田君じゃない」
「ふっ、そうか」
鼻で笑われたことに、少し苛立った。
反射的に爪を出して腕を振るいかけるが、周りにいる四人に羽交い絞めにされることでなんとかこの場は収まりがついた。
同時に、巨人の結晶体が砕け散り、風に飛ばされていく。
溶けた巨人の身体も全て蒸発しきってしまった。正真正銘、巨人の最期である。その瞬間を見届けると、アーガスは振り返る。
一人一人の顔をじっくりと眺め、アーガスは言った。
「君たちにも世話になったな。礼を言おう」
「お前が一番礼を言わなきゃいけない奴は、ここにはない」
アーガスの一言をばっさりと斬り捨てるようにして、カイトが反論する。彼は背後で光の羽を展開する獄翼を指差し、続けた。
「今回の件で一番傷付いたのは、アイツらだ。俺たちはただ昼寝してただけで、何も失っちゃいない」
「そのとおりだ。私は彼らに対し、償えない罪を背負ってしまった」
それ故に、ダークグリーンの薔薇を授けた。
彼らになら殺されても文句は言えない。その一心が、薔薇を渡させたのだ。
「だから私は――」
「アイツらは多分、優しい奴だ」
アーガスが何かを言う前に、カイトがそれを遮る。
「娘の方はよく知らん。だが、スバルはな。馬鹿の癖に妙に考え込んで、背負わなくてもいい物を纏めて背負うとするくらい不器用な奴なんだよ」
「お前がそれを言うか」
横でエイジが何か言っているが、無視。
表情を変えないまま続ける。
「お前らから逃げた後、俺はアイツを守るつもりでいた」
ところが、だ。
蓋を開けてみれば、予定とは違う展開がカイトを待っていた。
「だが、守られたのは俺の方だった」
後ろでカイトを覗き込むシルヴェリア姉妹の頭を掴み、優しく撫でる。まるで小動物をあやすかのような光景だったが、アウラもカノンも落ち着かない様子だった。当然と言えば当然である。彼女たちは頭をなでられた経験がないのだ。
「俺の周りにこいつ等がいるのがその証拠だ。だから、俺はアイツの為に何かが出来ればいいって思ってる」
ゆえに、カイトは願う。
「アイツを困らせないでやってくれ。もう、十分すぎる程傷付いただろ」
カイトの言葉を聞いた後、その場にいる全員が凍りついたように動きを止めた。そして驚愕の表情でカイトを見る。
「……なんだ」
その視線を受け取ったカイトが、訝しげな顔で見返した。
すぐさま全員目を逸らす。ただ一人、彼の横で陣取ってたシデンがぽりぽりと頬を掻きながら言った。
「いやぁ、なんというか……人間、変われば変わる物だなぁって」
「どういう意味だ」
ちょっと前まで絶対に言いそうにない台詞である、と彼らは思う。
頭をなでられたシルヴェリア姉妹に至っては『リーダーがデレた!』『まさかの攻略可能キャラですか姉さん』とわけのわからない会話をしている始末だ。
そんな中、ただアーガスだけがカイトを正面から見据える。
「……山田君。私は二人に謝っても許されないことをしてきたと思ってる」
「山田君じゃない」
半目になって訂正を求める。
何を気にいったのか、この英雄はどうしても自分を山田君にしたいらしい。睨んでも全然気にしない態度なので、一旦カイトは自分から折れる事にした。
「俺だって同じだ。謝ったけど、それでこいつらにチャラにしてもらったなんて思っていない」
「ねえ、カイちゃんがデレ期なんだけど!」
「貴重ですよシデンさん! 写メしましょう写メ!」
後ろで外野が騒がしくなるが、やはり無視。
後で携帯を取り上げて全部へし折ってやろうと思いつつ、カイトは続ける。
「要は何を求められて、何ができるかってところなんだと思う」
「何を……?」
「お前が獄翼で何をしたかは知らん。だが、アイツらがそれを望んでいるかは別問題だ」
シルヴェリア姉妹の頭から手を放すと、カイトは回れ右。
獄翼へと向かって、歩を進める。
「まあ、また変な事を考えて、俺達を巻き込まなければなんでもいいがな」
手を振り、カイトはアーガスに向けて言い放つ。
それ以上言う事はない、とでも言わんばかりに彼は仲間達を引きつれ、スバルの待つ獄翼の下へと向かって行く。多分、アーガスがこの後何を言ったとしても振り返らないだろう。
「……まだ、私は美しいのとは程遠いかもしれないね」
ただ、肩を落としてそれだけ言うことは出来た。
よくよく思い返せば、全部終わった後で薔薇を差し出せばよかったと切に思う。これではただ自分の我を押し通そうとしているだけの我儘お兄さんだ。自覚し、アーガスは苦笑する。
「アスプル。私はまだ、抜けているらしいよ」
心なしか、弟が笑いながら背中を叩いた気がした。
それが幻覚なのだと理解していても、背中から暖かい何かが広がってくる。
温もりをしっかりと感じながらも、アーガスは守られたトラメットの街を見た。
「!?」
壁を囲むようにして、無数の黒い渦が巻き起こった。
アーガスはそれを知っている。四年前の悪夢の始まりを、忘れたことなど片時もない。
黒い渦は新人類王国の戦士たちが攻めてくる前兆。
どんな物でも瞬時に移動できる、空間転移術だ。
ほんの少しだけ時間は遡る。
丁度、カイト達が巨人に対して攻撃を行っている時。
トラメットで一番大きい病院には、隔離された部屋がある。普段は大きな病気にかかったり、感染症などにかかった人間がここに閉じ込められるのだが、今ここで入院中の女性はそれらとは違う病状を患っていた。
彼女はベットから起き上がると、動きにくいパジャマを脱ぎ棄てて普段着に着替える。
彼女の名はタイラント・ヴィオ・エリシャル。新人類王国でもっとも強いと言われた女性である。
「なるほど、状況はわかった」
昨日、トラセインで巨人の音波を耳にした新人類は昏睡状態に陥ってしまった。最強の女としてその名を知られる彼女とて、それは例外ではない。
目覚めたばかりのタイラントは手袋をはめると、迎えに来た部下――――メラニーに向き直る。
「では、あの化物の処理は」
「程なく終わるかと思われます」
元々、タイラントとメラニーがこの国にやって来た理由は新生物の駆除にある。その裏には様々な思惑があり、結果的には彼女たちしか来れなかったわけだが、それでもタイラントの怨敵ともいえるXXXの面々に貸しを作ってしまった。
その事実が、今だけは無性に腹立たしい。
「そうか。ご苦労だった」
「いえ。私は壁を作っただけです」
「それでもお前は自分の役割を最低限果たした。それができればいい」
部下のメラニーは音波攻撃をやり過ごし、生き残った面々と共に新生物を迎え撃っていたのだそうだ。街への被害を抑えた彼女の働きは、素直に評価できるとタイラントは思う。
もっとも、今では反逆者の街なのだが。
「お姉様」
複雑な表情を作っていると、彼女の後方に控えるメラニーが口を開く。
膝をつき、頭を僅かに上げた部下のグリーンの瞳が見えた。
「どうなさるおつもりですか?」
彼女たちが受けた任務は、間接的に成功する事だろう。
マリリスがいる以上、それは確定されたことだとメラニーは思う。ならば、新生物駆除の任を引き受けた自分たちはこれ以上留まるべきではないのでは、というのがメラニーの見解だった。
「確かに、お前の話を聞く限り、新生物はあの連中が倒してくれることだろう」
拳を握りしめ、感覚を確かめる。
身体の奥から湧き上がる破壊のオーラが充満し、掌に集中していく。弾くようにして掌を解放した。中に集中していた破壊のエネルギーが解き放たれ、病室の壁が粉砕される。
能力も問題なしで使える事を確認すると、タイラントは犬歯を剥き出しにして笑う。
「だがな、メラニー」
満足げに頷いてから部下へと振り返る。
「お前はアイツらに受けた恨みを忘れたか?」
「いいえ。決して」
メラニーは覚えている。
シンジュクの大使館での大敗。そして姉と慕うシャオランの大破。いずれも許しがたい結末だ。
「そうだろう。私も同様だ」
タイラントはそこに加え、憧れの上司の仇もカウントする。
目と鼻の先に彼らがいるとなると、穏やかになることなどできはしない。彼女は打倒XXXを掲げて10年以上も鍛え上げてきたのだ。
彼らには、償いをしてもらわなければならない。
「メラニー、ミスター・コメットに連絡しろ」
タイラントの表情から笑みが消えた。
犬歯と共に敵意を剥き出しにし、彼女は続ける。
「レオパルド部隊を出撃させるぞ」
レオパルド部隊。尊敬するプレシアから腹心に引き継がれ、そこから更にタイラントへと引き継がれた戦闘部隊である。構成員は全員女性だが、侮る事なかれ。彼女たちは歴戦の女傑たちの目に叶い、選ばれた超エリート集団である。その規模は小さく、僅かに30人。
しかし、それでも十分だとタイラントは思う。
一番厄介なXXXを自分が始末すればそれだけで済む話だからだ。一度御柳エイジと拳を交えたが、初めから全力で細胞を消し飛ばしにかかれば、全く問題にならない。その為の手段も用意させてある。
「全員、飛行できるブレイカーに乗せろ。そうすれば敵のマシンを相手に、優位がとれる。XXXの相手も無駄にする必要が無く、消耗を最低限に抑える事が出来る」
「お姉様。流石です」
メラニーは笑みを浮かべ、『お姉様』を見る。
その表情は蕩けているとさえ表現することができる程、熱が籠っていた。
「私たちは皆、貴女の言葉を待っていました」
メラニーがゆっくりと立ち上がる。
「メンバーは全員、何時でも出れるよう待機させています。お姉様のお声一つで出撃できるように」
それがどれだけのことか、タイラントはよく理解していた。
彼女の部下は皆、一日中ブレイカーの中で待機していたのだ。何時、誰が呼び出されても瞬時に対応できるように。
もしかしたら永遠に呼び出しが無いかもしれない。にも関わらず、彼女たちは待ってくれた。その事実を、ただ嬉しく思う。
「私はいい部下を持った。本当に」
ならば、そんな彼女たちに報いなければならない。
待ち続けた雌豹の為に、獲物を定めてやる。それはボスであるタイラントの役目だ。
「敵はXXXだ。覚悟はいいか?」
「はい。全ては貴女の望むままに」
言い終えた直後。
メラニーは静かに携帯電話をプッシュした。
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