『EXSTAGE 超人、洗濯ババア編』
EXTRA1 vs珍獣
それは日本の山道でダークストーカー・マスカレイドとエレノアの襲撃を退けた後の話である。
蛍石スバル、16歳。
彼はこの日、一種の死刑宣告を受けた気持ちだった。
なぜか。いかに彼が生死を潜り抜けた少年とは言っても、羞恥心には勝てなかったのだ。具体的にいえば、濡らしてしまったパンツが彼の目の前に広げられているのである。
「と、いうわけで今日から少しの間はノーパンでいてもらう」
目の前の同居人が宣言する。カイトは真顔のまま、それでいて冷静な表情でスバルのパンツにペットボトルの水をかけている。なけなしの水分だった。
「なんでだよ!? こういう時の為にパンツの替えがあるんじゃないのか!?」
「俺が買ってきたのはあくまで上着だ。そう何度も漏らされては堪らん」
「人をオネショの常連のように言うな!」
スバルの名誉の為にいっておくが、彼は断じてオネショをしたわけではない。眼前に包丁を突き付けられ、びびってしまっただけなのだ。恐怖の余り漏らしてしまうというシチュエーションは映画の中で何度か見たことはあるが、まさか自分があんな情けない姿を晒すとは夢にも思わなかった。
「だが漏らしたのには変わりがない」
「ぐぅ……!」
事実なので、なにも否定できない。苦悩する少年を余所に、カイトは淡々とこれからの予定を告げ始めた。
「取りあえず、これからの予定だが」
「うん」
「少しの間、ここでサバイバルを体験してもらおうと思う」
「なんで!?」
いうまでもないが、彼らは反逆者である。新人類王国の大使館に喧嘩を吹っ掛け、逃亡中の身なのだ。こんなところでのんびりとサバイバルなんかしている暇はない。
「国外逃亡はどうした!?」
「すぐにでもそうしたいところだが、この食料で最後まで持つのか?」
的確なツッコミに対し、カイトは真顔のまま答え始めた。
「獄翼だってずっと正常に稼働している保証はないんだ。いざとなったら歩いてでもアメリカまで辿り着かねばならん」
「あ、歩いて……」
スバルは日本からアメリカに向かう自分たちの姿を想像する。なぜか砂漠でのたれ死んでいる光景が頭に浮かんだ。
「数が限られた水も、お前がこうして台無しにしている」
「頼んだ覚えないよ! コインランドリーに寄らせてくれっていったのに!」
「馬鹿。それをする金すら惜しいんだぞ」
財布の中身を広げ、スバルに見せる。お札がまったく入っていない財布が、虚しさを感じさせた。
「とにかく、貴様にはサバイバルをやってもらう。これはいざという時の食料の確保と、水や火が必要になった時の対応だと思え」
「それはいいんだけど、わざわざここでやらなくてもいいんじゃない?」
「やれるうちにやっておいた方がいい。それに、王国もまさか俺達がまだ日本にいるとは思うまい」
確かに、とスバルは心の中で納得する。
もしも自分が新人類王国側であれば、嫌でも海外に目を向けるだろう。いつまでも日本にいること自体、ナンセンスなのだ。
「汚れも出るから、服はなるだけ軽装にしてもらう。ノーパンはその一環だ」
「じゃあアンタもノーパンにしてよ」
「俺は既にノーパンだ」
「マジで?」
「マジだ」
神鷹カイト、22歳。彼はやると決めたら羞恥心を即座に捨て去ることができる男である。元からあるのかは疑問だが、ここまであっさりといってのけることに驚きを隠せない。
「忘れたか。俺は元々野生動物同然の生活をしてきた。今ある服は、拾ってもらってから手に入れたものだぞ」
「……別に少しくらい汚れてもいいじゃん」
「馬鹿め。衛生面でよろしくないだろう」
意外ときっちりとしている男だった。スバルの反論を寄せ付けないまま、カイトはパンツを広げた。
「本当なら洗剤で洗った方がいいんだが、今は石鹸とシャンプーしかない。石鹸のひとつを服に使い、これを一時的に洗剤代わりとする」
「……もう好きにしてよ」
お母さんかコイツは。
幼い頃に事故死した実の母ですらここまで細かくいわれたことがないし、父マサキもそんなに厳しくいわなかったことを、まさかコイツにいわれる日が来るとは思ってもみなかった。
「では、早速サバイバルを体験してもらうとしよう」
スバルの言葉を肯定と受け取り、パンツを岩の上に置いて乾かし始める。
そのまま放置し、カイトはゆっくりと辺りを見渡した。
「まず、一番覚えておかないといけないことは周囲に敵がいるかいないかを確認することだ」
「敵?」
「ここでいうと、野生動物だな。わかりやすくいえば熊や猪といったところだ」
これが海外まで目を向ければ、ワニやサソリといった危険度が高い動物が混じってくるのだが、それをいってしまえばスバルがびびるだけだ。最初から必要以上に驚かせる必要はない。
「今は俺がいるからなんとかなるが、もしかしたらその内お前ひとりで戦わなければならないかもしれない」
「戦ったら確実に俺が死ぬんだけど」
「誰もマトモに戦えとはいっていない。事前に察知し、気付かれないまま逃げるのも立派な手だ」
だが、それでも万が一ということがあり得る。ゆえにカイトは提案した。
「丁度、この辺に熊を見つけている。近くまで行き、危機を肌で感じてもらおう」
「ええっ!?」
今にも嫌だよ、とでも叫びそうなリアクションだった。
「嫌だよ! なんでわざわざ危機に近づかなきゃいけないんだ! さっきといってること違うじゃん!」
いった。大凡、想像通りの文句がスバルの口から飛び出す。
「お前は割と無茶をする奴だ。危険を肌で感じ、敏感になっておくべきだろう」
なにが、とはいわない。
先日のシルヴェリア姉妹との一件は、カイトにそういわせるほどの無茶だった。スバル本人としてもその自覚があるのだろう。ちょっと気まずそうに俯いた後、がっくりと肩を落とした。
「……見つかったら助けてよね」
「勿論だ。問題は今どの辺に熊がいるか、だが」
その時だった。
近くの茂みからガサガサと音が鳴る。
「ひっ!?」
熊の話題が出たのもあり、スバルが飛び退く。
「早速現れたか」
嗅覚に意識を集中させ、カイトは匂いを嗅ぎ集める。森に包まれた、独特の匂いだ。野性的と表現してもいい。
「人間じゃないな」
「わかるの?」
「少なくとも、あんなに森の匂いが染み込んだ奴は都会で見なかったな」
恐らく、茂みの奥からこちらの様子を伺っているのだろう。それなりに知能がある獣だと予想できた。
「……では」
近くの石ころを拾い上げ、手の中で転がす。
指でつまみ、そのまま茂みに向かって投げつけた。
「むっ!?」
だが、カイトは異変に気付く。動物が投擲を回避し、茂みの中から勢いよく姿を現したのだ。
「あ、あれは!?」
スバルも見た。茂みの中から現れた野生動物の正体。その姿を視界に入れた瞬間、スバルは反射的に叫んでいた。
「ババアだ!」
まるでキノコのように広がった髪の毛を揺らしながら、ババアは四つん這いになって走り出す。両手両足をフル回転させ、カイトとスバル目掛けて猛突進。石と砂を巻き上げつつ、猛烈な勢いを見せながら体当たりを敢行する。
「危ない!」
カイトが呆けたままのスバルの襟を掴み、引っ張る。
身体ごと持っていかれた後、ババアは大地を抉りながら猛進。先程までふたりがいた場所を通過し、まっすぐ別の茂みの中へと入りこんだ。
「……え、なんなの」
しばしの静寂が流れた後、スバルが開いた口をそのままにしてようやく言葉を紡ぐ。傍から見れば非常に間抜けな顔をしていたのだが、今回ばかりはカイトも呆然とするだけである。
「見たことがない猛獣だな。古くからツチノコなる幻の珍獣がいると聞いたことがあるが、あれがそうか」
「あんなツチノコがいてたまるか!」
力の限りツッコみ、スバルは通過していった謎の生物の姿を思い出す。キノコ髪。しわしわの身体。荒い鼻息。不気味に輝く眼光。口元から溢れ出す吐息。石と土を巻き上げるパワー。どれをとっても普通じゃない。
「では、あれはババアだな」
「あんなババアがいてたまるか!」
「しかし、ツチノコでないならババアとしかいいようがないぞ」
この男の中の未確認生物はツチノコとババアしか存在しないのだろうか。
スバルが頭痛を抑えるも、カイトはスルー。真顔のままババアが抉って行った地面を見やった。
「あ」
そこでようやく彼は気づく。
先程乾かしておいたスバルのパンツ。あれが消えているのだ。正確にいえば、ババアが通過していった直線状に置いてあったのだが、ババアが通過した今、その進路の上には布きれすら落ちていない。
「スバル」
「何!? 俺、いま現実を整理するのに忙しいんだけど!」
「お前のパンツ、ババアに食われたんだが」
「いいよそれくらい! ババアにパンツ食われるくらい、屁でもねぇよ!」
コイツ逞しいな。
混乱していてまともに思考が回っていないだけなのだが、それでもスバルを称賛せずにはいられない。
なぜならば、
「お前、あれしかまともなパンツがないんだぞ」
「ん?」
ここでようやくスバルの頭がクールダウンを始めた。
彼はこの一瞬で起こった出来事を振り返り、更にカイトの言葉を受け止めたうえでガタガタと震えだす。
「さっきまでノーパンに抗議していたから、てっきり取り戻したがると思ったんだがな。いや、お前が納得するならいいんだ。葉っぱ一枚あればいいっていうし」
「葉っぱ一枚あったって役に立たないよ!」
一部の葉っぱ愛好家に喧嘩を売りかねない台詞を吐きだし、スバルがババアの通り過ぎた道を睨む。
「待て、ババア! 俺のパンツ返せえええええええええええっ!」
少年の懸命な叫び声が山の中に木霊する。
その声は切なく、同時にどこか情けなさを感じる物があった。
「で、結局なんでババアがこんなところにいるんだ?」
カイトが疑問を呟くも、誰もその問いかけに答えてはくれなかった。
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