第二十章 悪夢再び

 以前、レオナさんはこう言っていた。


『もしキワクエをクリア出来る人がいたら結婚したい』――と。その時もレオナさんは、今と同じ真面目な表情だった。


「ヒロ君。私はね……十年前、カムイに直接会ったことがあるの……」


 俺はごくりと生唾を飲んで、レオナさんの話に聞き入った。


「会った、と言っても、このゲームの中でだけどね。漆黒の鎧をまとい、テッドの町を闊歩するカムイは、当時、高校生だった私にとって憧れの対象だった。だからカムイがテッドの町を出て行こうとする時、私は遂にカムイに言ったの。『私と付き合ってください』ってね」


 少女のように少し照れくさそうにそう言った直後、レオナさんは鬼のような顔に豹変した。


「そしたらアイツ、何て言ったと思う!?『あー俺、お前みたいなホルスタインみてーな乳の女、好きじゃねーんだよ。何にでも限度があるだろ。お前の乳は限度額超えてんだよ。とにかく興味ねー。バイバイ』……なんて、ぬかしやがったの!! 何よ、限度額って!! 私の乳はクレジットカードじゃないってのよ!!」


 レオナさんは怒って、殺虫剤をかけられた直後のハエのようにブンブンと、やたらめったら辺りを飛び回っていた。


「その後、アイツは難攻不落のキワクエをクリアした!! だから私はカムイに復讐を誓ったの!! カムイがクリアしたキワクエを、同じようにクリア出来た人と結婚してやる……ってねっ!!」


 レオナさんは腕を組んで、プリプリしている様子だったが、


「……は? えっ? ちょっと? えっ? それで……終わり……ですか?」


「そうよ!! だからヒロ君、キワクエ、クリアして!! そして私と結婚しましょう!! ハネムーンの後、神居議員の前でキスしながら、二人で仲良く中指をおっ立ててやるのよっ!!」





 レオナさんと別れた後、俺はすぐにログアウトせずに練習場の近くで夜風に当たっていた。そして冷たい風に吹かれながら、先程のレオナさんとの会話を白い目をしながら思い返していた。


 ……聞いて損した。何てバカバカしい理由なんだ。理由が『振られた腹いせ』って一体どういうことだよ。普通、アレだけ隠してたら、なんかこう、燃えさせてくれるような重くて深い理由があるもんだろ。全然燃えねえよ。むしろ、やる気が削がれたよ。


 溜め息を吐きつつ、夜空を眺めていると、


「ヒロ。まだいたのか」


 いつの間にか練習着のテスラが俺の隣にいた。


「テスラもこんな時間まで残ってたのか?」


「ああ。いくら町壁に監視を付け、厳戒態勢を敷いているとはいえ、いつ何時、ゴブリンが攻めてくるか分からない……そう思えば気が気でなくてね」


「今夜は大丈夫だよ、きっと」


「なぜ?」


 流石にテスラに『攻略サイトに第二波は明日と書いてあったから』とは言えない。


「何となく、かな」


 そう言うと、テスラはニコリと微笑んだ。


「不思議な男だな。君は」


 その後、二人でしばらく黙って夜空を見上げた。不意にテスラが口を開く。


「ヒロ……ひょっとして君は町を出たいんじゃないのか?」


 ドキリ、とする。このテッドで町を抜けることは脱町と呼ばれる罪になるのだ。


「い、いや、何て言うか、その、」


 俺が言葉を濁しているとテスラは、まるで古くからの友達のように俺の肩に手を回した。


「わかるさ。僕も衛兵隊隊長なんかじゃなければ、町を飛び出して、広い世界で自分の腕を試してみたい」


 テスラの本音は俺の心を動かした。前からずっと思っていた。テスラが仲間になってくれたら、このクソゲーもちょっとは面白くなりそうだ、って。


「テスラ!! なら、俺と一緒に町を出ようぜ!!」


 真剣に言った。テスラは俺の顔をしばし見詰めた後、コクリと頷いた。


「そう……だな。もしこの危機的状況をどうにか乗り切ることが出来たら……二人で旅をするのも悪くないかも知れないな」


「て、テスラ! それじゃあ、」


「考えておくよ。でもまずはゴブリンの大群を何とかしないとね」


 そしてテスラは微笑むと、手を振り、踵を返した。


 一瞬、『テスラが仲間になるかも!』と思い、嬉しかったが、一人になった後、よくよく考えると言いようもない不安を感じた。


 な、何か今のって死亡フラグっぽいじゃん……。だ、大丈夫かよ、テスラ……?


 テスラの身を案じたが、同時にその時、明日、俺の取るべき行動も定まっていた。


 ……俺はテスラと離れず、共にゴブリンと戦うことを決意したのだった。


 




 そして遂に三日目の朝。オーベルダイン歴程によれば『ゴブリン来襲・第二波の日』を迎えたのだった。


 練習場で金色の鎧に身を包んだテスラは、衛兵達を集め、規律正しく並ばせていたが、不意に表情を緩め、笑顔を見せる。


「皆に朗報だ。今日から更に仲間が二人、傭兵として加わることになった」


 そ、そうか。グラナダの後釜の傭兵か。うん。二人とはいえ、仲間が増えるのは嬉しい。俺の生存率もこれでほんの少しは上がるかも知れないしな。


 テスラの話の途中だったが、俺の耳元でレオナさんが囁く。


「ねぇ、ヒロ君。剣は磨いた?」


「はい」


「ご飯、食べた?」


「腹八分目です」


「おしっこは?」


「しました」


「うんちも?」


「しました」


「よし! じゃあ準備万端ね!」


 どこか万端なのかよく分からないが、でもまぁ此処まで来れば、俺もある程度、覚悟は決まっている。後は野となれ山となれ、だ。


 するとテスラが手招きして、新たな傭兵を紹介する。


「こちらが本日から傭兵になる異端尋問官インクィジターのミザリサ君と地獄の果物ナイフ使いヘルズ・フルーツスライサーのアリシア君だ。仲良くしてやって欲しい」


 いや仲良く出来ねええええええええええええええええええええ!!


 俺は急に冷や汗ダラダラ、心臓バクバク、覚悟はボロボロになる。


 ち、ちょっと何コレ!? ここに来てゴブリン以外にも敵が増えるとか、そんなことってある!?


 そんな俺の気も知らず、ミザリサが俺にブンブンと手を振る。 


「ヒロっち! 久し振りっす! 今日も元気に漏らしてるっすか?」


 元気に漏らしてねえよ! 赤ちゃんじゃねえんだよ! 恥ずかしいからやめてくれよ!


 ミザリサと打って変わってアリシアは衛兵の皆に、


「よろしくお願い致します」


 と聖母のように優しく微笑んだ後で、俺の顔を見て、


『ニタァーーーーッ』と嗤ったので、何だかちょっとだけ涙が出た。


 絶望的な俺の頬をウリウリとレオナさんが突く。


「以前、交友のあった女性が窮地で仲間になる……コレはまさにゲームの王道! ハーレム状態ね! よかったじゃない、ヒロ君!」


「全然よかないですよ!! だって俺、ゴブリンと戦う前に果物ナイフとノコギリで切り刻まれるかも知れないんですよ!?」


 だが、その時であった。


 カーン、カーン、カーン、カーン、カーン。


 激しい鐘の音がテッドの町に響き渡る。女性二人の加入で浮き足立っていた衛兵達が顔を引き締め、騒然とし始めた。


「……遂に来たか」


 テスラが戦士の顔になり、声を張り上げる。


「この間のように奴らは北門から攻めてくるだろう! 行くぞ! 今こそ日頃の練習の成果を見せる時だ!」


 怒号のような歓声を上げた衛兵達は、颯爽と北門に向かうテスラの後を、我先にと追った。


 よ、よし! とにかく俺もテスラに付いていくぞ!


 そう思った瞬間、


『ぐぎゅるるるるるるるるる』


 妙な音が俺の腹から聞こえた。


 ……え? な、何コレ? 空腹? ちゃんとさっきパンも食べたのに?


 いや空腹ではなかった。キリキリと痛む下腹部。顔からは脂汗が滲み出る。


「は、は、腹が……痛てぇ……!?」


 かろうじて呟くとレオナさんが眉間にシワを寄せた。


「何してるのよ! あれほど出掛ける前にはトイレに行っておくように言っておいたでしょ!」


「お、お母さんが小さい子に言うみたいに言わないでくださいよ! いや、でも、ちゃんとトイレにも行ったんです! な、なのに!」


 するとレオナさんがポンと手を打った。


「分かった! これは緊張したりするとテスト当日に下痢になったりする現象ね!」


「え……そ、それって?」


「『過敏性大腸炎』っていう病気よ!」


「いやコレ、ゲームでしょ!? なんで俺、ゲーム中に過敏性大腸炎にかかっちゃってるの!?」


「だから何度も言うように、キワクエはリアルを追求したゲームなの。人間なんだから病気にかかることだってあるわ」


「だからってこんな危急存亡の大事な時に!?」


「こんな大事な時だからこそ発病し、お腹が痛くなる――それが『過敏性大腸炎』なのよ」


「過敏性大腸炎の情報は今いらねえ!!」


「とにかくトイレに行ってらっしゃい! 早くっ!」


 レオナさんに言われるまでもなく、俺は脱兎の如く練習場のトイレに駆け込んだ。扉を閉めて、ズボンを下ろす。一刻も早く腹痛の原因を出そうと踏ん張るが、なかなか出てくれない。気持ちばかりが焦ってくる。


 クソッ! 早く! 早く出ろよ! もうっ!


「……うわああああああ!」


「……ぎゃああああああ!」


 扉を挟んで、遠くの方で衛兵達の悲鳴が聞こえる。既に戦闘は開始され、皆がゴブリンと生死を賭けて戦っているのだろう。そして、俺は一体、何と戦っているのだろう。


 ……ようやく用を足した俺は、高速で尻を拭いた。


 遅くなったが、大丈夫! まだ間に合う筈だ! 早くテスラの元に急ごう!


 そしてズボンを上げようとした瞬間……俺は凍り付いた。


 なんと扉の上部でゴブリンが、四つんばいになった俺をジーーーーーーッと眺めていたのだ!


「きゃあああああああああああ!! ゴブリンが覗いてるうううううううう!?」


 俺は女子よりもっと女子っぽく、金切り声でそう叫んだのだった。

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