第十二章 ナイフとノコギリ
ノコギリを肩に軽く乗せ、腰を落として戦闘態勢を取るミザリサ。対してアリシアは構えていた果物ナイフを下げた。どうやらミザリサが異端尋問官だと聞いて、少しく冷静さを取り戻したようだった。
「へーえ。でも、どうして異端尋問官がヒロを助けるの?」
「当然っす。だって、ヒロっちは無罪になったんすよ? そしてそれは町内衛兵隊隊長テスラ様の決定なんす。テスラ様が、この町に於いて絶対的司法権限を持つことは、テッドに住むアナタなら分かる筈っすよね? それを破ってヒロっちに危害を加えようというのなら、私がアナタを裁くことになるんすよ」
ミザリサにノコギリを向けられ、アリシアは一瞬、歯を食い縛るような顔をした。そして、その後は、ただ黙って俯いてしまった。
おおっ!? 予想外だったが……いいぞ、ミザリサ!! これでこの場は何とか治まりそうだ!!
状況が好転したようで少し安心した俺は、ミザリサに尋ねてみる。
「でもさあ。どうしてお前、此処で俺が襲われてるってわかったんだよ?」
するとミザリサは頬を赤らめた。
「ご、ごめんっす! 実は、ヒロっちと仲良くなりたくて、だから、こっそりあとを付けたんすよ!」
「え! 尾行してたってことか? けど、全然気付かなかったぞ? 俺だって此処に来るまで、結構、周囲に気を配ってたのに……」
「いやいや! 異端尋問官の私を見くびって貰っちゃあ困るっすねー!」
ま、まさか、異端尋問官であるミザリサには『
妖精のレオナさんが俺の耳元で囁く。
「ヒロ君。この子、ホントに君の仲間にしてあげたらどう?」
確かに事の発端はどうであれ、好印象は持たれているし、それに加えて『追跡者』の特殊スキルまで持っているとなると……。
俺は真剣に考えていた。だが、ミザリサの次の一言に俺は喫驚する。
「私は鼻がよく利くんす! それでヒロっちのオシッコの匂いを辿って此処まで追って来たという訳なんす!」
「!? 全然、特殊スキルじゃなかった!! っていうか俺、オシッコの匂い、そんなに周囲に撒き散らしてんの!? 嘘だろ!?」
レオナさんがコクコクと頷く。
「傷つくと思って黙っていたけど、確かにさっきからアンモニア臭がすごいわ。近くにいると、むせ返る程にね……」
「むせる程にアレなら、もっと早く言ってくださいよ!! 隠された方が傷つくよ!!」
イベントも終わったし、流石にもう乾いたし……と安心していた。だが俺はコレがリアルに忠実な糞VRMMOだということを忘れていたのだ。ギャグマンガの主人公の傷が、次のコマで消えて無くなっているように、漏らした尿の臭いが、いつの間にか消えて無くなることなど、ありはしなかったのである。
「後で絶対、ズボン買う!」と決心した、まさにその時であった。
目の前をキラリと何かが光った。同時に誰かが俺の首もとをグイッと後ろに引く。と、目の前をナイフの先端が通り過ぎたのが見えた。
一瞬、何が起きたか分からなかったが、
「チィッ! あともう少しだったのに……!」
ナイフを握ったまま舌打ちするアリシアと、俺の服の首もとを掴んだままのミザリサを見た時、ようやく状況を把握した。
アリシアがまたもナイフで俺を襲ったのだ! アリシアの攻撃に咄嗟に気付き、俺を後ろに引いて助けてくれたミザリサも、これには仰天していた。
「ち、ちょっと!? アンタ、何やってんすか!? 何でまたヒロっちを襲うんすか!? 人の話、聞いてなかったんすか!?」
「ええ。聞いていなかったわ」
アリシアは口元を大きく歪ませて、ハッキリそう言い切った。
「私は何も聞いていない。つまり、私が殺人犯であるヒロと、その協力者と思しき赤髪の女を殺してしまった時、私はヒロに無罪判決が出たことをまだ知らなかったのよ」
アリシアの焦点の定まらない目を見て、全身が粟立った。
し、知らない振りして、俺とミザリサ二人とも殺そうってのか!!
戦慄する俺。だがミザリサは声を上げて笑った。
「シシシシシシシ! こりゃー結構な病みっぷり――いや闇っぷりっすねー! いいっすよ! 殺れるものなら殺ってみ、」
ミザリサが言い終わらないうちに、アリシアはナイフを振りかぶり、ミザリサに急襲する! しかし『ガギン!』。鉄と鉄がぶつかったような音がした後、アリシアの果物ナイフは床に落ちていた。
俺の目に映るのはミザリサの振り切ったノコギリ。どうやらミザリサがアリシアのナイフを払い飛ばしたらしい。
「バカっすねーー! たかが町の女如きに、この異端尋問官ミザリサが殺られる訳がないっしょーーー!」
そしてアリシアの頭部に向け、躊躇なく巨大なノコギリを叩き付けようとする!
「シシシシシシシ!! 脳漿ブチ撒けろっすーーーー!!」
「ま、待て、ミザリサ! 流石にそれは、やり過ぎだろ!」
だが止める間もなく、振り下ろされるミザリサの拷問道具!
俺は短く叫び、無意識に目を瞑ってしまった。その後、恐ろしい光景を予想しつつ、ゆっくりと目を開ける……するとアリシアの姿は忽然と消えていた。
「そ、そんなバカな! ど、何処にいったっすか?」
ミザリサも俺もアリシアを見失っていた。アリシアの姿を一番早く発見したのはレオナさんだった。
「あそこよ! あそこにいるわ!」
レオナさんが指さした方向を見て、俺は愕然とする。
部屋の天井の隅。アリシアが両の手足を使い、蜘蛛のように壁に張り付いていた。
げえええええっ!? 何だ、この幼馴染み!? 忍者か!? 身体能力凄すぎだろ!!
「くけけけけけけけけけ!! 殺す、殺す!! 今から二人共もブッ殺してやる!!」
天井から狂気に満ちた笑い声が響く。だが俺だっていつもいつも、やられてばかりじゃない。笑っている隙に、アリシアが床に落とした果物ナイフを拾い、ミザリサが破った窓から外へ放り投げてやった。
よし! これでナイフで切り刻まれる危機からは逃れたぜ!
「げえぇぇぇぇっ!! 果物ナイフが二本に増えやがったァァァ!?」
絶望してそう叫ぶと、ミザリサが俺をかばうように前に立ちふさがる。
「大丈夫。ヒロっちは下がってるっす。あの女は私が何とかするっす」
「ほ、ホントか! ミザリサ!」
二本のナイフを同時にクルクルと手品師のように回転させるアリシアを眺めつつ、ミザリサは目を鋭く尖らせていた。
「どうも見くびっていたようっすね。私も今から本気でやるっす。ヒロっちは絶対に殺させないっすよ」
「ミザリサ……お前……!」
俺はミザリサの台詞に感動していた。「本当に仲間にしてもいいかな」とさえ思うほどに感激していたのだ。
ミザリサはジリジリと迫るアリシアに言う。
「実はさっき言ったのは、表向きの理由なんす。私がヒロっちを守る本当の理由を教えてあげるっす。この人は……痛めつけられてこそ真価を発揮するんすよ……つまり、」
え? ミザリサ? 一体、何を言って?
「つまり私は、ヒロっちを殺さないギリギリのところまで、いたぶりたいんすよ!! 手を切り落として、足を切り落として、目を潰して、そうしてまた激しく失禁させたいんすよ!! ああっ、あの漏らしっぷり! 想像しただけでゾクゾクするっすー!!」
……は? はああああああああああああああああ!? 何言ってんの、この女!? 全然アリシアのこと言えねーじゃん!! アンタも勝るとも劣らない、とんでもない闇っぷりだよ!?
「なのに、この人を殺したら……もう漏らさなくなるっしょーーーーー!!」
耳を疑いたくなるような台詞を叫びつつ、ミザリサはアリシアにノコギリで斬りかかった。アリシアは両の果物ナイフを交差させ、その攻撃を防ぐ。そして両者は一旦離れ、互いに距離を取った。
しばらく睨み合った後、アリシアが「クックッ」と含み笑った。
「……何すか?」
「アナタ、力はあるけど動きが遅いわね。それにそんなボロっちいノコギリで、左右から降り注ぐ私のナイフ攻撃を受け止められるのかしら」
アリシアは両手にナイフを持ったまま、鶴の舞のように高く宙に掲げた。
「見せてあげるわ……『
言うや、両の手に持ったナイフを連打するようにミザリサに叩き付ける!
「こ、この……バケモノ女!」
両サイドから迫る雪崩のような斬撃を、巨大なノコギリを盾のようにして、どうにか防ぐミザリサ……だが、ジリジリと後退していく。さらに防御しそこねたのか、ミザリサの頬が切れ、血が滴る。
「ま、まずい! 防戦一方だ!」
嵐のような絶え間ない攻撃にミザリサはただ耐えているだけのように思えた。
しかし、今まで傍観していたレオナさんが俺に呟く。
「いえ。ミザリサは何かを狙っているような気がするわ。まるでカウンターパンチを狙うボクサーのように」
「え?」
『ガギンッ』!!
またも激しい音がしたと思った刹那、アリシアの二本のナイフが宙を舞っていた! ミザリサが笑う!
「シシシシシ! アンタの攻撃は速いけど単調なんすよっ! タイミングが合えば防御から転じた強力な一撃で、ナイフ二本を同時に振り払うことも可能なんす! ……ってことで、死ねええええええっす!!」
ノコギリを振りかぶり、アリシアに襲いかかるミザリサ。しかし『ドスッ』。鈍い音が響いた後は、ミザリサは微動だにせず、ただ立ちつくしていた。やがて糸の切れた人形のように、その場にくずおれる。
そ、そんな!! な、何だ!? 一体、何が起こったんだ!?
腹を押さえ、うずくまりながら、ミザリサは這々の体で言葉を発する。
「シシ……『
そしてドッと床に倒れ伏す。
「み、ミザリサ!?」
俺の方を見ずにアリシアが笑う。
「あはははは。大丈夫。大丈夫よ、ヒロ。安心して。気絶しただけ。大丈夫。この女はあとで殺すから。だから大丈夫、大丈夫、」
そして「ぐるん!」と、アリシアが首を百八十度、こちらに向けた。
「殺すのは、お前が先だよ、ヒロおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ぴぎぃっ!?」
へ、変な声、出ちゃった!! だ、だって、もうダメ!! 今度こそ助からない!! 強い!! 強すぎる!! ってか無敵すぎる!! それに恐ろしすぎる!! 無理だ、無理、無理!! こんな魔王のような幼馴染みに勝つのは、絶対に無理……
――待てよ……『勝つのは無理』……だって?
瞬間。俺の脳裏にある言葉が蘇る。
『
それはオーベルダイン歴程に記されたカムイの言葉であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。