第十三章 後悔

 両の手に果物ナイフを携え、俺に向けて歩を進める恐怖の幼馴染み。


 俺の窮状を察したレオナさんがアリシアの元へと飛び立った。


「ヒロ君! 私が時間稼ぎするから逃げるのよ!」


 NPCには声も聞こえず、姿も見えないレオナさんは、いつかのようにアリシアの顔に張り付き、目を狙おうとした。だが、レオナさんがアリシアの顔面に近付いた時、ナイフが一閃。レオナさんの動きが止まる。


「今……何やら気配を感じたわ。ヒロ。ひょっとしてアンタには妖精の加護でもあるのかしら?」


 俺とレオナさんがギクリとしていると、アリシアは一本のナイフを胸元に仕舞い、代わりにそこから眼鏡を取り出し、装着する。


「ふふふふふ。今度は目を狙われないように、しなきゃあね」


「こ、こんなことって! この幼馴染み、ホントに何なの? ヒロ君、とにかく逃げるのよ! 町の中心部に戻って……ってヒロ君?」


 だが、俺は逃げなかった。ミザリサと戦った時より油断し、ただナイフを振りかざして、突っかかって来るアリシアに向けて、俺は片手を伸ばす。


 俺の頭の中でリフレインしていたのは、カムイの言葉だった。


『考えろ。テメーが幼馴染みの女だったら、何をされるのが一番イヤかを』


 ……わかったぜ、カムイ。二次元、三次元、そしてVR世界を通じ、古今東西、女の嫌がること……それは……。


『ぐにゃり』


 アリシアの胸に片手を押しつけると、そんな柔らかな感触が伝わった。


 胸を触られ、絶句するアリシア! 勝利を確信する俺! 


 そして次の瞬間、アリシアは叫ぶ!


「いっやああああああああああああん……なーーーんて言うと思った、ヒロ?」


「……へ?」


 今度は俺が絶句する。アリシアは胸を触ったままの俺の手を握り、更にギュッと押しつけた。Dカップはあるであろう胸の感触が直に手に伝わり、


「な、な、な、な、な!?」


 逆に俺の方が赤面してしまう。


「舐めてんじゃあねーわよ!! 私だっていい歳!! 男に乳くらい揉まれたことあるわーーーーーーーーーー!!」


 ひいっ!? こんなとこまで何だかリアル!!


「乳、揉んだくらいで勝ち誇ってんじゃあねーよ! この童貞野郎おおおお!!」


 心に突き刺さる叫びと共に、アリシアは俺の腹を蹴り上げる。


「ぐふうっ!?」


 強烈な痛みで床をのたうちまわる俺を、アリシアは冷酷に見下ろしていた。


「あらあら。ノコギリ女を蹴った時の半分程の力なのに。非力ねえ」


 そしてアリシアはナイフを俺に向ける。


「さぁ、これで本当に最後よ。ヒロ……」


「ヒロ君!! 逃げてえええっ!!」


 レオナさんが大声で叫んでいる。俺もどうにか立ち上がり、逃げようとする。だが、俺の体は金縛りにあったように動かない。


 な、なぜだ? 腹に喰らった蹴りがそんなに効いてるのか? 手加減したって言ってたのに?


 だが、俺は俺の両腕が、血に濡れた手に掴まれていることに気付く。ちらりと背後を窺うと、


『ヒロ……お前も……早く……こっちに来い……』


 口から血を垂れ流すマーチンが俺の体の自由を奪っていた!


「ぎゃああああああああ!! マーチンタイムも同時進行中!?」


 アリシアが不意に辺りを窺い、そして顔を綻ばせた。


「感じる! 兄さんの存在を感じるわ! 兄さん! 今からヒロを殺すからね!」


『殺せ……アリシア……ヒロを……殺せえええええ……』


 狂った妹と、兄の怨霊。俺はもう流石に観念した。


 はい、ゲームオーバー!! チェックメイトー!! 完全に終わりましたー!!


 レオナさんが何事か叫んでいるが、その声もよく聞こえない。迫るナイフを見詰めながら、俺はもはや諦観の境地。ただ呆然とカムイのことを回想していた。


 ……ったく。何がオーベルダイン歴程だよ、あの糞攻略サイトめ。せっかく必死に『女の子が嫌がること』を考えたってのに、まるで役に立たな……って、アレ? カムイはホントにそう言ってたっけ? 


 いや、違う。正確にはオーベルダイン歴程には、こう記されていた。『何が一番イヤなのか、考えろ』と。つまり、それは世間一般の女性の嫌がることじゃなく、何が今のアリシアにとって一番イヤなのかってことであり、ということは……


 考えがまとまらない最中。アリシアがナイフを俺に突き立てようとする。


「終わりよ、ヒロおおおおおおお!! 死ねええええええええええ!!」


「す、好きだあああああああああああああああああああああああっ!!」


 ……時間が停止した……ように辺りは静まりかえる。アリシアだけでなく、レオナさんも、そしてきっとマーチンも……さらにはその言葉を発した俺でさえ驚いていた。


「はぁ? ヒロ、アンタ何言ってんの? 気でもおかしくなったのかしら?」


 あざけるようなアリシア。だが俺は畳みかける。


「アリシアっ! お、俺はお前が好きなんだあっ!!」


「だから、この期に及んで何をバカな、」


「違う! マジだ! 本気だ! 俺はアリシアが大好きなんですーーーーー!!」


「なっ! 何をっ!」


 その時。アリシアの頬がほんの少し赤みを帯びた。


「き、効いてる!」


 レオナさんが叫ぶ。


「グッジョブよ、ヒロ君!!『殺そうかと思うほどに憎んでいる相手から愛の告白』――これは確かにイヤすぎるわ!!」


 明らかに動揺しているアリシアは、それを隠すかのように大声を出す。


「う、嘘つけっ!! この野郎!!」


「嘘じゃない!! 昔っから、ずっとずっと好きだったんだ!! お前の全部が好きなんだ!! お前がいないと生きられない!! 好き好き好き好き好きアリシアさん!! 結婚してから付き合ってくれ!! 俺の味噌汁になってくれ!!  二人で子供を百万人つくろう!!」


 後半、何を言っているのか分からない程、俺は激しく、まくし立てた。


 ……突然『カラン』と音がした。気付けばアリシアはナイフを床に落としていた。付けていた眼鏡を静かに外し、床に投げた後、呆然と呟く。


「何よ……何なの……アンタは本当に何なのよ……」


 よ、よし、いいぞ! あと一息だ!


「アリシア!! だからもうやめてくれ!! 今まで通り仲良くしよう!!」


 しばらく無言。「決まったか」と思った……だがアリシアは首を横に振った。


「……遅い」


「えっ?」


「遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い!! もう何もかもが遅いのよ!!」


 それはいつものアリシアの叫びとは違っていた。そう叫んだアリシアの目からは大粒の涙が零れていた。今――アリシアは憑き物が取れて、普通の女の子のように泣きじゃくっていた。


「私だってアンタが好きだった!! 私も兄さんもアンタが大好きだった!! なのに、どうしてあんな酷いことをしたのよ!?」


「だ、だから何度も言ってるように、アレは事故で、」


「何が事故よ!! 何がわざとじゃない、よ!! アンタが町を出ていくなんてバカなことさえ言わなければ、こんな悲劇は起きなかった!! アレは絶対にアンタのせいなのよ!! アンタが私達の人生をメチャクチャにしたのよ!!」


「そ、そんなこと言われても、」


「死んだ!! 人が死んだ!! それも大好きだった兄さんが死んだのよ!! なのに、どうして!? どうしてアンタは、」


 そしてアリシアは真っ赤な瞳で俺を睨み、叫んだ。


「どうしてアンタは、あの時、逃げたのよ!!」


 ――えっ……。


 言葉を失う俺を置き去りにし、アリシアは家を飛び出して行った。ふと気付けば、いつの間にか俺の体の自由を奪っていたマーチンの亡霊も消えている。


 その場に呆然と立ちすくむ俺の肩に、レオナさんがフワリと着地した。


「やったじゃないの、ヒロ君!! ナイス機転で死亡フラグを回避したわ!!」


「お、俺……」


「ん? どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないけど?」


「いや、俺……今までずっと間違ってた気がしてきました……」


 ……単なるゲームの中の出来事だと思っていた。なにせ俺には記憶がない。アリシアの記憶もマーチンの記憶もない。だけどあの二人にとって……特にアリシアにとって、俺は小さい頃からの幼馴染みだった。その俺が親友である兄を殺し、そして、あろうことか『逃げた』。アリシアにとって俺が犯した一番の罪は、それだったのだ。


 『悲しみもせず、手当てもせず、ただ怖くなって、あの場から逃げたこと』


 ……はは……ホント最低じゃねーか……俺。


「ま、まぁヒロ君。そんな深刻にならないで。あくまでNPCの言うことだから」


 レオナさんに励まされている途中、ミザリサが気を取り戻した。


「いててて……何なんすか、あの女。あんな強い女、初めて出会ったっすよ……」


 俺がミザリサに近寄り、


「ありがとうな、ミザリサ」


 頭を下げ、助けてくれた礼を言うと、ミザリサは顔を輝かせた。


「いやいや! 感謝なんか、いいっすよ! でも、代わりに……そうだ! 小指くらいなら切り取っても、いいっすか!?」


「いや『そうだ』じゃねえよ。いいわけないだろ。やっぱり感謝してない。帰れ」


「ええーーーーーっ!?」


 残念がる変態サド女を無視し、俺は部屋にあった剣を手に取った。鞘から抜いてみると、刀身がサビている。


「うーん、ヒロ君。これは先に鍛冶屋に行かなくちゃあダメね」


 だが俺はその前にやることがあった。


「レオナさん。ケヌラの木って場所、分かります?」


「えぇと、確か、この家より少し南。小高い丘の上にある一本の大きな木ね」


「ちょっと此処で待っていて貰えますか?」


 俺が一人でケヌラの木に向かおうとすると、レオナさんが真剣な顔で尋ねる。


「まさかヒロ君……オシッコ?」


「いや、なんでこのタイミングでオシッコだと思ったんですか。違います。とにかく此処で待っていてください」


 俺は扉を開き、一人、ケヌラの木を目指した。無論、木にオシッコを引っかけに行く訳ではない。


 ……マーチンの亡霊と二人きりで話をする為だ。

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