第三章 惨劇
「げっふぅっ!?」
叫びつつ、衝撃で弾き飛ばされた先には木製のドア。俺は顔面をドアに強打した。
「な、な、な、」
痛みを堪え、顔を押さえつつ、どうにか振り返ると、マーチンが「今、ちょうどタックルしたよ」と言わんばかりに腰を落とし、右肩を突き上げた体勢で立っていた。
「マーチン!? なんでお前、急にタックルしてきた!? 親友の設定だろ、お前は!!」
「親友だからこそ、お前が
「だ、脱町?」
「それすら忘れたのか? ホントに記憶喪失にでもなっちまったのかよ、お前……」
マーチンは大きな溜め息を吐きながら説明する。
「なら分かるように説明してやる。いいか。このテッドの町はゴブリンから人民を守る為、町の四方に巨大な堀をめぐらせ、外の世界との交流を隔絶している。町民は皆、この町からは外出禁止だ。外からも特別な使いの者を除いて、誰もこの町に入ることは出来ない」
な、なるほど。魔物が怖くて鎖国状態って訳か。だから町を出るって言ったら二人して顔色を変えるのか。で、でもゴブリン? ゴブリンって……。
「いや、あの、ちょっと、やり過ぎじゃない? たかがゴブリンに?」
「たかが……だと……?」
マーチンは目を吊り上げ、恐ろしい顔付きで俺を睨んだ。
「お前は一体どれだけ狂えば気が済むんだ!」
「いや、俺、そんなに狂ってないだろ!」
「人間がゴブリンに勝てる訳がないだろうが!」
いやいやいやいや! ゴブリンなんか、ファイクエシリーズの序盤でイヤと言うほど戦ってきたっつーの! 他のRPGでも完全な雑魚キャラだろが! ああ……そうか、わかったぞ! 要は、この人達、ゴブリンすら倒せないくらい非力なステータスってことね!
俺はマーチンの肩に手を乗せた。
「あのな。今まで黙っていたが、実は俺には力があるんだ。この世界の誰も持っていないようなすごい力がな」
そしてアリシアにも語りかける。
「今朝、夢を見た。その中で神様が俺のことを勇者だって言ったんだ。きっとゴブリンなんか一撃だぜ?」
気付けばアリシアは目に涙を滲ませていた。
「お医者様を……早く……!」
オォイ! ひっでえ幼馴染みだな!
「アリシア。コイツは本当に頭がイカレちまってる。こうなりゃ目を覚まさせてやるしかない」
マーチンが俺の前に立ちふさがり、ファイティングポーズを取った。
「そんなに力があるなら見せてみろ! 俺を倒してから行け!」
「に、兄さん?」
アリシアは驚くが、俺はニヤリと笑う。
ああ、そういうことか! こういうイベントね! ここでかっこよくマーチンに勝つと、大見得切って町を出られる訳ね!
リアルなら怖くてケンカなんかとても出来ないが、此処はVR世界。そして、たかがゲーム。俺の気は大きくなっていた。
マーチンと同じように両拳を胸の前に構える。
ふふふ! 勇者の力で、軽く小突いただけで吹き飛ばしちゃったりして!
思いながら、マーチンの腹を狙って颯爽と繰り出した右拳が目標に到達するその前に、俺は床に倒れていた。同時に鼻の辺りに痛みが。どうやらカウンターで殴られたらしい。
おそるおそる顔に手を当てる。すると、俺の手の平が赤く染まっていた。
「ち、ち、血が!! は、は、鼻から血が出たァーーーッ!?」
「殴られりゃあ血が出るだろ。どうだ、ヒロ。これでちっとは目が覚めたか?」
……ポタポタと流れる鼻血。……更に鼻の辺りにはツーンとした鋭い痛み。
自分から殴りかかった癖に、俺は逆上していた。
「痛ってえな! 何が親友だ、このバカ! 大体、俺はお前なんか知らねえよ!」
「お前! ケヌラの木の下、誓いを交わしたあの日のことまで忘れちまったのか!」
「そんな変な名前の木、知るかあああ!!」
「もう許さないぞ!」
そしてマーチンは自分から殴りかかってきた。マーチンは俺より背が高く、腕も太い。そのヴィジュアルそのままに力の差は歴然だった。
バキッ、ドガッ、ガスッ。
顔、胸、腹を殴打された後、
「うううっ……!」
と唸り、うずくまった俺をマーチンは哀れそうに見下ろしていた。
「全く。そんなザマでゴブリンに勝てる訳ないだろうが」
マーチンはナイフをフォーク代わりにして余裕の表情でリンゴを食べていた。
「兄さん! もうやめて! ヒロも反省したと思うの!」
アリシアがそう叫ぶが……いやもう遅っせえよ!! 既にボコスコ殴られた後だっつーんだよ!! なんだよ、この幼馴染み!! そしてこの親友は!!
いつしか俺の怒りは沸点に達していた。
リアルじゃあカツアゲされて、変なVRMMO買わされて、その上、ゲームの中でボコられるって何だよ!!
「ふざけんなああああああ!! NPCの癖にぃぃぃぃぃぃ!!」
俺はリンゴを囓るマーチンに体当たりを喰らわした。油断していたのか、マーチンは俺の体当たりをモロに喰らい、ドッと床に倒れた。
ざ、ざまーみろ! 一撃喰らわしてやったぞ!
少しだけいい気分だったが、様子がおかしい。
『やりやがったな!』なんて、すぐ起き上がってくると思ったのに、マーチンは倒れたまま、微動だにしなかった。
流石に心配になって、覗き見る。
「ま、マーチン? 大丈夫か?」
そしてマーチンの顔を見て……俺は絶叫した。
「ひいぃぃぃぃっ!?」
果物ナイフの刃先がマーチンの喉を貫通し、首筋から突き出ていた。そして口腔からはドクドクと赤い液体が溢れており……
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!」
先程の俺の叫びを打ち消す大絶叫が、状況を把握した幼馴染み、アリシアの口から発せられる。震えながら、兄の手首に手を当て、様子を見ていたアリシアだったが、
「し、死んでる……!」
そう呟いた後、鬼のような顔で俺を睨み、
「この人殺しいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
と罵った。
「お、落ち着けよ、アリシア。や、やくそうとかある?」
「死んでるって言ってんでしょうがあああああ!! 薬草なんかで助かるかあああああああああああああああ!!」
「そ、そ、そうですよね!」
「ねえ、ヒロ、アンタ、コレ、アンタ、ちょっとどうすんの、ねえ、兄さん、これ、アンタ、死んだわ、確実に、アンタ殺して、ねえ、殺したわ、ヒロ、ちょっと、ねえ、ヒロ、ヒロ、ヒロ、」
焦点の定まらない目でブツブツと言いながら、俺に近付いて来るアリシア。それがどんなモンスターよりも恐ろしくて、
「ご、ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
俺はドアを開けて、一目散に逃げ出した。
マズい、マズい、マズい、マズすぎる!! もうコレ、いったんリセットして最初からやり直したい!!
「テメーーーーーーーーッ!! 待てええええええええええええええええ!! 逃ぃげるなああああああああああああああああ!!」
鬼女の咆吼を背中に受けつつ、見渡すばかりの田園風景を俺は駆けた。町というか村のようなテッドの町を、後ろも振り返らず、とにかく走った。
しばらくして、民家が建ち並び始め、ようやく町らしくなってきた。中世ヨーロッパ建築のような家々の間に伸びる石畳の上を、通行人のNPC達が歩いている。
俺は走りを緩め、ゆっくりと後ろを振り返り……背後に幼馴染みがいないことを確認してから、ホッと一息吐いた。
ああ、怖かった……。マジで人を殺してしまったような感覚だった……。
路地裏で民家の壁に背もたれし、どんより曇った気分で俺はその場に座り込んだ。
いやいや待て待て! ってか、コレってゲームじゃんね? そうゲーム! たかがゲームだよ! 大丈夫、大丈夫! 全然たいしたことない! 何なら、もう一回『NEW GAME』からプレイすればいいだけだしな!
その時、不意に、
「ヒロ君」
耳元で女性が名前を呼んだ。
「うわあああああ!! ごめ、ごめんなさいいいいいいいいい!!」
だが、アリシアではなかった。そして、そこには目を疑う光景。
「ごめんね。さっきは電話に出られなくて。お風呂に入っていたから」
俺の隣には、このVRゲームを売りつけたゲームショップ如月の店員、銀髪のレオナさんがいた!
「ん? びっくりした?」
「びっくりしましたよ! だ、だって、」
レオナさんは小さかった。何と30センチくらいのフィギュアサイズである。しかも露出の高い黒のビキニのような服を着ており、背中には透明の羽根があって、俺の顔の近くでフワフワと浮遊している。
「コレね、極クエストの販売店特典なのよ。この格好はゲームショップ店員の私しか出来ないの。通常はプレイヤーの現実世界の身長、体重、そのまんまだからね」
「は、はあ。しかしまた何でそんな格好……」
体型はフィギュアサイズ。だが、Gカップはありそうな巨乳。なのに腰はしっかりくびれて、手足も細い。
俺はごくりと生唾を飲んだ。じ、実物はこれを大きくした、そのまんまなんだろうな……。
ゲームショップの店員というよりグラビアモデルのようなレオナさんは、くるりと空中で回って見せた。
「妖精の姿なの。今、私の姿はアナタみたいなリアルプレイヤーにしか見えないし、また声もNPCやモンスターには聞こえないわ」
「え? つまり、どういうこと?」
「だから。手取り足取り教えるって言ったでしょ? この格好は難易度超高めの極クエストのサポート役に適しているのよ」
「な、なるほど! 俺のナビをしてくれるんですか!」
レオナさんは妖精というか小悪魔みたいだったが、この窮状での協力者の登場は心底嬉しかった。
「今やり始めたばかりね? リンゴの収穫は終わったかしら? 今は可愛い幼馴染みと一緒に町の散策中? まぁ無限に近い分岐のあるフリーシナリオシステムだから、なかなか想像がつかないけど」
「い、いや、それが、ちょっと最初の分岐でミスっちゃったみたいで。アハハ」
「あら、ヒロ君。まさか幼馴染みにエッチなことしようとしたんじゃあないでしょうね?」
まさに小悪魔的に、ウリウリと俺の頬を小さな肘で突く。
「いやあ、それが、」
「待って。言わなくてもいいわ。当ててあげる」
そしてレオナさんは俺の胸に近付く。
「えっ! 何?」
慌てていると、俺の胸よりシルバーのタグ付きペンダントを取り出した。
き、気付かなかった……。こんなの首に付けてたんだ、俺……。
「もう知ってるかも知れないけど、リアルを極限まで追求したこのゲームではステータス画面などは極力排除されてるの。無論、現実感を出す為にね。でも唯一、プレイヤーがゲームの進捗具合を推し量ることが出来る――それが『称号システム』よ」
「称号……システム……?」
「そう。プレイヤーが付けているこのペンダントに、ヒロ君の現状に適した称号が与えられるの」
そして。楽しそうに、俺のペンダントのタグを覗き込んだレオナさんの小さな顔がみるみるうちに青ざめていった。
「し、称号……『
レオナさんは目を大きく見開き、呟く。
「いきなり……詰んでる……!!」
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