第三章 第三節

 79「かつてのシン・シティ」

 元の世界を思い出す。

 宗教に厳格さが求められていたとは言え、祝い事が近づくたびに商業施設は輝く電飾で煌びやかに飾り付けられていた。色とりどりのイルミネーションはその祝い事の意味が分からずとも気分を高揚させる。

 目の前にある高い木々にも光が灯っていた。

 一目見ただけで数えるのを断念するほどの光が、浮かび上がっていた。


 僕たちは訪れているのはラ・ウォルホルからずっと南、建国譚の賢者が住んでいたというアノゴヨの街だった。バンザッタまで続く山脈、その麓には大森林が広がっている。その東端にあるこの都市は魔法石の産地として名高い。エニツィアで流通している魔法石のほとんどがここで採掘されたものらしい。

 アノゴヨに立ち寄ったのは理由があった。

 転移魔法で消費する魔力は距離と質量に比例する。ディータの持つ魔力では三十人ほどの集団をハルイスカからバンザッタまでへは届けられないそうだ。僕やヨムギは知らされていなかったが、他の傭兵たちには伝達されていたようで、彼らはアノゴヨの光を見て大いに騒いだ。

 観光がてらここで二泊し、明後日の朝にバンザッタまで飛ぶ予定だった。正確に言えば、バンザッタの北にある転移魔法陣管理施設、ではあるが、まあ、それほど変わりない。


「すごいな……」


 僕は周囲の風景に思わず言葉を溢す。その壮観さにヨムギですらも呆けたまま固まっていた。

 一方、ディータは「疲れた!」と街の入り口で一言喚き、さっさと要人用の宿泊施設へと引っ込んでいった。どうやら宿泊は各自、という寸法らしい。見ず知らずの傭兵を彼女と同じ施設に泊めるのも愚かだろう。ディータは最後まで僕とヨムギを招いたが、護衛たちはどれだけ騒がれても頑として許可せず、僕たちはアノゴヨの入り口に取り残される形になった。


「とりあえず宿を取ろうか、お金は……持ってるわけないか」

「馬鹿にするな、持ってる」


 ヨムギは自慢げに革袋を見せつけてくる。受け取って中身を検めると、すべてが銅貨だった。賢者の街、とは名ばかりのこの街ではあまりに頼りない金額だ。周囲のどこもかしこも観光者向けの施設ばかりで、騒がしさはメイトリンといい勝負である。辺り一帯から上がる酒気の回った叫び声を耳にすると必要な金額がどれだけ高いか、察しはついた。


「……あまり人が立ち寄りそうにない立地なんだけどな」


 だからこそ、金を稼ぐために観光客を誘致しているのかもしれない。そう考えると賢者の街と呼ぶのはある意味相応しい。

 特産品である魔法石と観光政策の二本柱で収入を上げる。その計算高さにはなんだか異世界らしさよりも資本主義的な香りがして、笑いが漏れた。


「僕の手持ちも少ないし、まず銀行にでも行こうか。特殊勲章を換金しよう」

「なんだレプリカ、お前金ないのか?」

「ヨムギよりは持ってるし、ヨムギのそれじゃたぶんどこも泊まれないよ」

「こんなにあるのにか?」彼女は口を縛った革袋を持ち上げる。

「こういう観光地は相場が高いんだよ」


 金の管理をする経験などなかったヨムギには「相場」という概念すら頭になかったらしい。大まかに説明してやると納得したのかしてないのか、眉に皺を寄せた。様々な店に行けばいずれ嫌でも実感するはずだから、教鞭を振り回す必要もないだろう。

 僕は近くにいた市民をつかまえて銀行の場所を訊ねる。彼は慣れているのか、立て板に水を流したかのような説明をしたのち、「ところで」と僕とヨムギの間で視線を往復させた。


「おたくら恋人かい?」

「兄妹ですよ」

「ふうん、その割りには顔のつくりがまるで違うな」

「父と母が違うんですよ」


 市民は「なるほどな」と頷いてから、一度笑い、それから複雑な表情をした。忙しい人だ。冗談か孤児同士、どちらの結論に至ったのか、僕はそれを確認する前に彼のもとを離れた。

 銀行で特殊勲章を二段階換金する。二回り小さくなった勲章と金を受け取り、ヨムギを連れて宿を探した。どうやらこの街のシンボルとも言える賢者の生誕記念祭が近いらしく、どこもかしこも満杯で、五件目でようやく空いている宿屋を見つけた。


「部屋はどちらにいたしますか?」


 受付の質問に、かつて頭領たちから聞いた「寝ているヨムギに手を出そうとした男が噛み殺された」という嘘か本当か分からない話が頭の中にちらつく。


「あー……一番安い部屋を二つ、で」

「お二つ、ですね」

「ん、レプリカ、なんで二つも部屋を取るんだ?」

「僕と」自分を指さしてからヨムギに指を向ける。「きみの部屋」

「お前は馬鹿か」


 それを皮切りに、ヨムギの罵倒が始まった。彼女は貧弱な語彙をめいっぱい使って同じ部屋の方が良いことを説明する。傭兵たちに育てられたからか、汚い言葉ばかりが大変お上手だ。

 一世一代の勇気で彼女の口ぶりを意訳するとこうだった。


「寂しいから目の届くところにいてください」


 それはもちろんあくまで好意的な解釈であり、実際には一文に三つほど罵倒の言葉が含まれるようなものであったが、今さら、ではある。

 仕方なく部屋を一つだけ押さえた後、近くの酒場で夕食を摂った。酒を飲むつもりはない。酒場であればヨムギのテーブルマナーの悪さが目立たないと思ったからだ。数日間の軍生活で幾分マシになったとはいえ、彼女の作法は良く躾けられた犬といい勝負をする。周囲からの視線を感じ、何度か注意する羽目になった。


 食事を終えた後、僕たちはほとんど相談することなく、宿へと戻ることにした。

 もっとも安い部屋と言えどもそれなりの値段がすることもあり、入浴施設が完備されているほどだった。温かな湯で身体を洗うのは久しぶりで、疲れが水に溶けて流されていくような感覚がした。

 一方、ヨムギは顔と身体を拭っただけで、散々柔らかなベッドではしゃいだ後、あっさりと眠りに就いた。今日は彼女にしては早起きだったし、朝からずっと歩きづめだったみたいだから疲れていたのだろう。穏やかな寝息は深い熟睡を感じさせる。

 この分なら朝まで目を覚まさないはずだ。僕は部屋の灯りを消し、夜の街に繰り出すことにした。


「……しかし、かつてのシン・シティといい勝負だ」


 あまりに華美な光に目が眩み、独り言も出てくる。木々につけられた無数の魔法石が輝くさまは幻想的でもあり、商業的でもあった。

 あの街と違ってカジノのような賭博場は見当たらないが、あってもおかしくはない。これは傭兵の数が減る可能性もあるぞ、と勝手な危惧をする。

 明日の下見がてら当てもなく街を歩いた。夜が明けたらどうせディータがやって来て、僕とヨムギを連れ回すのは分かりきっている。ナルシシズムに浸るわけでもないが、装飾品の一つくらいは買ってやるのも悪くはない。


 バンザッタの領主代理、ツルーブ・カクロの顔が思い浮かんだ。彼ならそうしない僕にいくつかの小言を吐き出すことだろう。

 かといって事前に買うものの目星をつけられるほどに気力が漲っているわけではなく、僕は外からどこにどんな店があるのだけをぼんやりと頭に入れていった。降ってくる光の下ではその作業めいた行動にも退屈さはなかった。


 アノゴヨは南北で二つに別れた構造になっている。

 北側は華美な光に溢れる眠らない街、南側はぽつぽつと穏やかな光が灯る静かな街。

 足を踏み入れてみた後者には観光客の姿など見当たらなかった。この街の住人と思しき人がたまに通りがかるだけだ。一帯には喧噪とはほど遠い静寂が染みこんでいる。図書館だという大きな建物もあったが、日没とともに閉館しているらしく、門は固く閉ざされていた。


 対照的に、眠らない街では夜でも様々な催し物が開かれている。

 かつてバンザッタで鑑賞したような魔法を使った劇だとか、曲芸だとかが主で、中には「魔法石掘り放題!」と銘打った発掘体験などもあった。

 災害か何かで崩れたのだろうか、町外れに大きな露頭があり、その周りには人集りができている。人を掻き分けて前に出ると、煌々と照らされた露頭で魔法石を発掘している男と、それを実況する司会者の姿があった。文化的体験というより商業的ショーの趣が強い。


 鋤のような道具を握った男は一心不乱に露わになった地層に金属の刃を突き立てている。衝撃で砂が飛び、ぱらぱらと細かな影を作る。ふとした拍子に砂が目に入ったのか、男は呻き声を上げた。しかし、それでも腕の動きは止めない。大の大人が躍起になっているのはちょっと滑稽でもあった。

 しばらく眺めていると、どうやら時間制限があったらしい、「終了ー!」という声が響き渡った。砂時計で時間を計っていた男が手を叩きながら、汗だくになった挑戦者の男へと近づいていく。挑戦者は額を拭いながら戦果を振るいにかけ始め、司会者は残った塊を一つ一つ、水の入った桶に投げ込んでいく。


「ああー、これは石ですね、これもただの石……お! 残念、これもただの石です」


 無慈悲な司会者の査定に挑戦者の表情がみるみる曇っていった。観衆の反応は様々だ。司会者の過剰な演技に手を叩いて笑い声を上げている者もいれば、慰めるように声を張り上げている者もいる。


「いやあ、ただの石ころが多いですね……ん、これは珍しい、大昔の貝ですよ」

「貝なんて興味ねえよ」挑戦者は苛立たしげに顔を歪ませる。「魔法石はねえのか?」

「うーん、ああ、これは魔法石ですよ、おめでとうございます!」

「こんな小っちぇのだけかよ!」


 その嘆きに観衆の声援が飛ぶ。挑戦者は不満そうに顔を顰めていたが、成果がゼロではなかったことに溜飲を下げたのか、あるいは公然と批判することができなかったのか、すごすごと引き下がっていった。司会者が「次の方、どうぞ」と控えている次の挑戦者を手招きする。拍手が湧き、野次とも激励ともつかない言葉が舞い起きる。

 その中で僕一人だけが感嘆の声を漏らしていた。

 魔法石の正体が分かったからだ。


 僕は今まで魔法石というものを工場のような場所で生産される加工品だと考えていた。流れ作業で魔法陣を刻み、それが見えないようにコーティングしたものである、と。

 だが、実際は違う。

 魔法石は無加工の品、大地から産出されるものだった。貝の化石が出てきたことに鑑みると、水に濡らせば光る魔法石もまた、太古の海に生息していた生物の化石なのかもしれない。蓄光するタイプの魔法石も目にしたことがあったが、あれは夜行性の生物だったのだろうか。


 誰にも知られない感動が胸の内で暴れている。

 頭の中に幻想的な風景が流れ込んでくる。

 夜の、茫洋たる大海原を埋め尽くす光。風で揺れる水面はそれらを反射し、屈折させ、動きを生み出す。後ろを振り向けば草原に穏やかな赤みがかった別の光が溢れている。

 地球と同じように、この世界にも悠久の歴史が存在するのだ。時代が流れるとともに消えた命もあれば、進化し、形を変えた生き物もいる。


 神よ、と祈りたくもなった。

 あなたは「光あれ」と仰せになった。そのとき、気まぐれにこの世界には多めに光を振りまいたのかもしれない。

 奇跡を実感する。この世界の、この時代に流れてきたという奇跡が身体の中に充満した。


     〇


 翌朝、ヨムギの「腹が減った」という言葉とともに目が覚めた。彼女の起こし方は揺り起こすというより叩き起こす、に近く、寝ぼけて「敵か」と言ったらヨムギは「何と戦う夢を見てたんだ?」と噴き出した。

 彼女は身だしなみも整えないまま、部屋を飛び出していく。一夜明けてなお昨日の興奮が残っているのだろう。とはいえ、僕も彼女のことを批難できない。目映い光に当てられて夜遅くまで街を散策していたのは事実であるからだ。

 嘆息し、最低限の身支度を整えて、ヨムギの後を追った。


 アノゴヨの朝は夜と比べれば慎ましいが、それでも騒がしい。賢者の生誕祭が近づいている影響もあるかもしれないが、あちこちに露店が開かれていた。人気店らしき屋台には行列すらできているほどだ。

 ヨムギは朝だというのに肉の串を何本か買い、僕の胃に間接的な攻撃を仕掛けてくる。見ただけで胃が重くなった僕は野菜のサンドイッチを購入した。

 噴水を中心とした円形の広場、僕たちはその脇にある芝生で朝食を摂った。ヨムギはジャンクな味付けであるだろう肉の串を頬張り、顔を輝かせている。

 ディータが僕たちのもとにやって来たのは朝食を食べている最中だった。彼女は僕たちを見つけて大いに明るい表情になったが、すぐに真顔になった。


「ちょっと、何、その格好」

「ん」とヨムギは咀嚼しながら首を傾げる。「何か変か?」

「ヨムギはいつもこんなんだよ」

「それにしたってさ、もっとこう、あるじゃない。レプリカもよ?」

「僕は準備する時間を与えられなかっただけだから」

「それにしても、って言ったでしょ」とディータは強調するように言う。


 確かに彼女の装いはこじゃれていて、僕たちを批難するだけの資格を有していた。袖がなく、裾が長いワンピースのような衣服の上に、刺繍と装飾が施された丈の長いベストを重ねている。

 対して僕は、かつては白だったシャツと茶色い綿のズボンという平民丸出しの格好だった。ヨムギに至ってはほとんど傭兵丸出しだ。膝丈のズボンもなめし革の半袖ジャケットも土と汗に汚れている。

 ディータは大きな溜息を吐き、ヨムギの隣に腰を下ろした。その瞬間、彼女の顔が再び曇る。


「ヨムギ、お風呂入ってないでしょ?」

「ああ、水浴びは面倒だったからしてない。身体は拭いたぞ?」

「だめよ、ちゃんと洗わなきゃ、女の子なんだから。温泉の湧いている街なんだし」


 改めて、この世界の衛生観念は発達している、と感じる。魔法により清潔な水がどこでも手に入るからなんだろうなあ、とぼんやり考えているとディータの視線を感じた。彼女はどうやら僕に怒りの矛先を向けているらしい。


「レプリカ、どうしてヨムギに何も言わないの?」

 言ったって聞かないからね、とは言えない。「それは、すみませんでした」

「ああ、もう、温泉入って、服買って、今日の計画が台無しよ! せっかく観光に来たのに!」


 それも観光と呼ぶのではないか、と思いつつ、僕は呆れの表情を隠す。「早く食べて」とディータに急かされ、サンドイッチを詰め込んだ。

 しかし、どうして彼女は僕たちのいる場所を見つけられたのだろう。確かに噴水広場は待ち合わせには最適だけどそれでもまだ不思議だ。

 疑問を覚え、辺りに視線を彷徨かせると遠くにディータの護衛の姿が見えた。ハルイスカで合流した三人の護衛も合わせて五人が僕たちに視線を向けている。

 ……彼らも大変だ。


「もう、ヨムギ、顔中、脂でべたべた。食べ方知らないの?」

「生意気だな、お前は」


 ……僕も大変だ。

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