たからくじ

『当たってる……』

松崎梨子は年末に買っていた三枚の宝くじを見詰めながら呟いた。

アパートの壁に貼られた昨年末のカレンダーに意味無く視線をやる。

カレンダーの最後辺りに連続した幾つかの赤丸。

年末の大掃除すらしていない独り暮らし。

恋人と呼べる男は居ない。

希に寂しさに体温を求めたくなれば不倫関係にある佐竹隆司に連絡を取り、その場限りの優しさに溺れた。

だが、それ以上は無い。

それ以上は望まない。

それは、梨子が自分に課した償いの様なものかも知れない。

自分は、相手の肉体を欲する事はあっても心を欲してはいけない。

同じ過ちを繰り返す事があっては、ならないのだから。

梨子は、ぼんやりと考えながら宝くじの当り券をビリビリと引き裂いた。

粉々に成るまで何度も繰り返す。

通しの番号が全く判別出来なくなってから、灰皿に宝くじの残骸を捨てると、その塊にマッチで火を着けた。

青緑色の炎を吐き出し、カサカサと宝くじが印刷されていた紙が収縮して燃え尽きて行く。

梨子は、それを眺めながら小さな溜息を吐いた。

そして、三年前の夏を思い返していた。

三年前……

『宝くじが当たったら。何買う?』

梨子は篠田明彦の腕にすがりつきながら囁いた。

『梨子が欲しいものを全部買おう。それから僕が欲しいものを買う。』

明彦は梨子の頭を撫でながら微笑んだ。

二人が腰掛ける友人から貰ったソファ―セットのテーブルには、赤ワインと申し訳程度のチーズの盛合せ。

ワイン好きの友人には鼻で笑われる様な銘柄のワインだったが二人には関係無かった。

『私は、明彦の欲しいものが欲しい。』

梨子は絡めた明彦の腕に身体を預けた。

このまま永遠に時間が止まれば良いと思う。

だが、言葉にすれば、その願いは泡の様に弾けて消えてしまう気がする。

『僕は……』

明彦がぼんやり眺めていたTV画面からワイングラスに視線を移す。

TVの中では大海に掛かる橋を疾走する車から、アメリカのコメディアンが早口で何かを喚きながら飛び降りようとしている。

『僕は……娘と逢いたい……生きている内に…逢いたい……』

絞り出す様に発した明彦の言葉に、ヒリヒリとした痛みが内臓を這う。

『駄目……だよ…』

言って梨子は明彦が眺めていた映画を漫然と眺めた。

『知っての通り、病状は最悪だ。僕は死ぬ……最後の一瞬は君と居たい。それは変わらない。ただ……娘に一目逢いたい……君が心配する様な事にはならないし、なる筈もない。』

明彦の言葉をシャットアウトして画面に見入る。

弾丸が飛び交う車からコメディアンが叫ぶ。

「この娘は助けてくれ」と叫ぶ。

「駄目だ」と答えた悪役の有名俳優が残酷な微笑みと共に少女を車から突き落とす。

何かを叫んで同時に車から飛び降りるコメディアン。

二人は空中で抱き合い、海へ落ちて行く。

『奥さんが帰してくれないよ』

視線は落下し続けるコメディアンと少女に預けながら梨子は呟いた。

『帰って来なくなるのは、駄目だよ……最期は私と居るって約束したでしょ…』

再度繰り返す。

明彦が、自分を見詰めている視線を感じたが梨子は、その視線を受け止める事が出来ずに、TVの中の危機的状況を打破する何かが起こるのを待っていた。

だが、 劇的変化は無い。

コメディアンと少女は大海の渦目掛けて落ち続けている。

水面に叩き付けられれば死は免れない。

もう、駄目だ。

梨子が思わず目を閉じた瞬間。

明彦の唇が再度動いた。

『当たっていたら……宝くじ…当たっていたら、許してくれるかい?』

明彦の言葉に梨子は振り向いた。

『意味が解らないよ。宝くじと明彦が欲しいものは関係無いでしょ?それに、駄目とは言ったけど本当に駄目な訳じゃないし…本当に呆れるよ。宝くじが当たる確率とか知ってるの?』

『解らないよ確率とか……でも、君には本当に苦しい思いをさせて来た。その位のリスクを背負わなければ、僕のワガママが通る事は無いのかも知れないしね』

『くだらないわ……黙って逢いに行けば良いのよ。』

『それも…そうだね……』

言って、明彦がTV画面に視線を戻す。

梨子もつられる様に視線を移すと、コメディアンが悪役の俳優を殴り倒していた。

梨子は決定的瞬間を見逃していた。

だが、録画されていない映像を巻き戻す事は出来ない。

同じ様に明彦との関係を初めからやり直す事も出来ない。

梨子は、ただ漫然と画面から流れる映像を眺めた。

そして、二日後。

明彦の容態は急変し、そのまま帰らなかった。

それから梨子が買う宝くじや懸賞が外れた事は無い。

だが、梨子がその賞金を使うことは無かった。

宝くじを換金すれば明彦の魂が手元から無くなる気がするからだ。

『私は…明彦の子供が欲しかったな……』

梨子は灰皿で燻る灰を眺めながら呟いた。

おわり

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