ほけん


「イッタッ!」


 叫びながら、右腕に噛み付いた奴の頬を思い切り拳で殴った。


「ヴァァァァ―――」


 僕の血液が混じった唾液を吐き出しながら倒れた奴の喉元を踵で躊躇い無く踏みつける。


パキッ!と立ち枯れた木枝が折れるような鈍い音と同時に動きを止めたそれに、気分が落ち着くまで執拗な殴打を繰り返した。


「殺すぞコラ! テメー等全員ぶっ殺すぞ!」


 僕は、呪詛を吐き。昨日、やっと契約に漕ぎ着けた田中工業の注文書を真っ赤な郵便ポストに投函した。


 契約内容は勿論、死者保険。僕の勤める日本笑顔生命は三年前に出来たばかりの小さな保険会社だが、他社には無い商品ばかりを揃えている。特に、傷害保険と生命保険、それに死者保険に関しては絶対の自信がある。


 大手の保険会社が投げ出した禁断の保険。それが、死者保険。今では、死者保険を取り扱うのは僕の会社と、福岡で活動している死神生命の二社だけになていた。


 聞くところによると、死神生命は役員全てが既に死んでいるらしいから倒産するのも時間の問題だ。


 それに比べて、僕の会社はまだ十三人も生きた社員がいる。サッカーだって、野球だって、十三人も居れば、何だって出来る。僕は、小さく微笑んで昨日の契約時の瞬間を思い返した。


「猪野君。君は本当に真面目に顔出してくれるね。感心するよ」


 堅物の斎藤専務が言ったので、僕は微笑み返してから答えた。


「有り難う御座います。現代人に足りないものは自由時間と、それを守る保険です」


「確かに。我々が自由に利用出来る時間は少な過ぎる。政府の決めた事に文句を言うつもりは無いが、この限られた時間で社会に貢献など出来んよ」


「だから! だからこそ、保険です! 違いますか?」


 僕の言葉に少し間を置いて専務が弾けるように笑った。


「君は本当に仕事熱心だね」


「それは……」


 はぜか、急に恥ずかしくなって、モゴモゴと口籠った僕の肩を抱き寄せ、専務が微笑む。


「君の自慢の保険内容を教えてくれないか?」


「あ、有り難う御座います!」


 こうして僕は、あの堅物の斎藤専務から契約を、もぎ取った。しかも、死者保険。完全掛け捨てタイプのグレードSS。つまり、何人殺しても家族に迷惑を掛けないハイグレードタイプの保険だ。商品金額は他の保険と比べて圧倒的に高いが死んでから迷惑を掛け続けるより、生前に安心を得る方が良い。





「ヴァヴァァァァ―――!」


 呻き声が僕の回想を打ち破った。咄嗟に身構えたが既に遅かった。


 肩口と後頭部に激痛。直ぐに取り囲まれていたことに気が付いたがなす術は無い。政府の監視時間を過ぎて部屋を出た時点で覚悟はしていた。軍隊が撤退した時間帯に外に出たのだから仕方がない。


 僕は、骨を噛み砕かれる激痛に堪えながら入社以来加入し続けている死者保険の相続人である両親に幾ら程の配当金が、割り当てられるのかが気になった。





二年後


2025年


 地上の生物の約半数はゾンビと化していた。学者達の発表では、某国の化学兵器の影響で突然変異した小動物からの直接感染で世界中に広まったとされているが定かでは無い。


なんにせよ、圧倒的な繁殖力を誇るゾンビの排除を諦めた世界政府は、ゾンビと共存する道を選び。定められた時間の外出。ゾンビへの、定期的な食糧提供。


 それでも、知能が著しく低下したゾンビとの共存は難しく、人々は苦難の生活を続けている。


一時期、死者保険なるものを販売した会社も現れたが、死者になってから起こす殺害全てを補償する事は難しく現在は存在していない。



(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る