第5話「憂鬱な朝の時間・後編」
駅前は会社へ行くサラリーマンや、私と同じで制服を着ている学生などで溢れていた。
百合子は、まだ来ていない。
私はいつものように改札の正面にある柱に寄りかかって、愛用のイヤホンで音楽を聴きながら待つ。
改札に人が入っていったり出てきたりするこの光景は、いつ見ても面白いと思う。
何が面白いかは説明できないけれど。
しかしずっとこうして待っていると、段々と眠くなってくる。目の前がぼやけてきて、心地よい感覚に包まれる。昨日あまり良く眠れたとは言い難かったので、今更睡魔が私を襲い、うとうとと起きてるのか寝ているのか自分でも分からない状態になる。そんな不明瞭な意識の中で、百合子の顔が見えた気がした。
すると胸のポケットに仕舞っていた携帯電話が、突然振動する。
私はその振動で一気に意識が覚醒して、後頭部を柱に打ち付ける。痛い。
この時間に連絡をしてくるのは百合子ぐらいしかいない。
私は慣れた手つきで携帯電話を取り出し、画面を確認する。思ったとおり画面には『長内百合子』と表示されている。
「電車遅れてるのかな」
私は打った頭をさすりながらメールを開き、内容を確認する。
『いくら眠くても、人目がある場所では寝ちゃ駄目だよ』
それを見た私は、改札の方に視線を移す。百合子はいない。周りを見渡しても百合子らしき人影は見つけられない。
仕方なくイヤホンを取り、柱から離れて探しに行こうと動くと、後ろから目隠しをされる。目隠しだけならまだしも、こう、静かに主張する胸がなんとも言えない。
「だーれだ?」
今時こんなことする高校生がいるなんて、しかもそれが私の彼女だなんて。
ちょう可愛い!
「……」
朝って自分のことをよく見失いそうになる。特にこんなことを朝からされたら。
「……百合子、子供っぽい」
私は両目を覆っていた百合子の手をどけて、後ろを振り向く。少しだけ背中の感触が名残惜しかったけれど。
当の百合子はなんだか不満そうな表情で私を見つめている。
「比奈ちゃん。昨日決めたでしょ」
と抗議をしてくる百合子は可愛かった。……本当に朝って怖いわ。
そしてどうやら百合子は私の呼び方にご不満があるようで、ちゃんと呼ばないとこの場を動きそうにない。
「……ゆりちゃん」
私は恥ずかしくなってそっぽを向く。
「んふふー。じゃ、行こっか!」
手を引かれ、私と百合子は学校へ向かう。
その表情は、とても幸せそうで、とても美しかった。
「で、どうしてあんたがここにいるの」
私は横を歩く長身の女子を見ながら、嫌そうな顔を作る。
「仕方ないじゃん。通学路一緒なんだから」
長身の女子は全く嫌味っぽくない満面の笑みで返してくる。
栗沢遥。私達のクラスの委員長で、私と百合子の仲を知る数少ない友人の一人。だけど、私はどうも栗沢が好きになれない。
なんだか、百合子を見る目が、他の人とは違う気がして。
「まぁまぁ二人とも。仲良くしようよ。ね?」
「ゆり……ちゃんが、そう言うなら」
「なにその呼び方。比奈理面白ーい」
「……」
悪気がないんだろうけれど、なんだか言い方がむかつく。
私は百合子と一緒に、二人きりで登校できると思っていたのに、まさかこいつと会うとは、やっぱり朝は憂鬱だ。
「今日の一時限目、なんだったっけ?」
「今日は火曜日だから、えっとー、そう、体育だよ」
「朝から体育とか、めんどくさ」
「もー、比奈ちゃんそんなこと言わないの」
私は隅っこで見学して、百合子の体育着姿を眺めてたい。汗を程よくかいた百合子の姿は、きっと誰よりも美しい。デッサンできないのが残念だ。
「そっかー。体育かー。確か、今ってテニスだっけ? 百合子ちゃんペア組もう!」
「ゆりちゃんは私とペアを組む予定なので、駄目です」
こいつ、隙あらば割り込もうとしてくるのは計算なのだろうか。
「えー、だって比奈理どうせ見学だと思って、一人の百合子ちゃんかわいそうだし」
「今日はやる気があります。朝から体育がしたくてうずうずしてました」
「そんなにやる気な比奈ちゃん初めてじゃない? なんだか嬉しいなぁ」
笑顔の百合子。
まずい、前言撤回が出来なくなった。これは真面目に体育を受けないと後でご立腹間違いなしだ。
「じゃあ私はまたえりさでいっかなー」
とちょっとだけ不満そうな顔で言う遥。
本当にこいつ、百合子に気があるんじゃないだろうか。
一回調べてみる必要があるな。
「比奈ちゃん比奈ちゃん」
遥に聞こえないように小さな声で私を呼ぶ百合子。私は返事をせずに耳だけ百合子に傾ける。
「体育頑張ったら、ご褒美をあげます」
耳が幸福に包まれるのと同時に、今日は体育だけは頑張ろうと決意した。
やっぱり今日はいい日だ。
空を見れば、雲ひとつない晴天が広がっていて、今の私のようにやる気満々な太陽が照りつける。
こんな夏の朝の憂鬱な時間も、百合子がいればそれだけで晴れやかな気分になる。
晴れやかな気分になる一方で、こうも思う。
「早く夏休み、始まらないかなぁ」
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