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夕日の軍偵 (一)

 日本に属する満州王国に入るにはいくつかの道程ルートがあるが、欧州ヨーロッパから直接であればシベリヤ鉄道から満州里での乗り換え、中華民国側からだと天津から万里の長城を越える奉山線を使うのが一番簡単な方法だ。

 いずれにせよ満州に入る場合は、満州鉄道を使用する必要がある。

 満鉄の略称で知られる満州鉄道は、大連を玄関とし、奉天から長春を経て哈爾浜ハルピンに至る南満洲鉄道満鉄本線およびソ連より購入し満州里マンチューリでシベリヤ鉄道に連絡する北満鉄道東清鉄道を主たる幹線とし、そこから網の目のように満州国内に広がる支線によって形成されている。

 日本本土から満蒙外地に向かう場合、かっては朝鮮鉄道から東満州鉄道へ乗り継ぐ朝鮮半島韓王国ルートも存在はしていた。九州から一度任那総督府釜山にわたり、釜山を始点とする朝鮮鉄道に乗車する、もしくは仁川から京城ソウルに入りそこで朝鮮鉄道に乗って、平壌を経て満州との国境で東満州鉄道に乗り換えるルートは、船を含める運賃が大連経由よりも大分安いということから、それなりに利用されてきた。ただ最近では、朝鮮独立運動と称して国境を越えて侵入してくる東北抗日聯軍金日成一派による略奪行為の所為で、ソ連との国境付近咸鏡道では国境警備兵が同行していない場合安全を確保しきれていないとの通達もでており、実質朝鮮北部の国境付近へ民間人の立ち入りは禁止となっていっる。

 そのため、現状では、租界地の大連は名実ともに大陸領満州の玄関口として機能していた。


 そんな大連で皇国が世界に誇る『あじあ号』に乗り込み、長春に至り、そこから支線に乗り換え急行で今度は東に向かい、さらに途中から各駅停車鈍行の汽車に乗り換え30分。

 駅におりると、そこには草原と呼ぶにはあまりに土塊つちくれ石塊いしくれがあらわで、まばらな灌木ブッシュも相まって、いかにもみすぼらしい風景が飛び込んで来る。船から降り立った際に見た、石畳と土瀝青舗装アスファルトで整備され、日本以上に近代的な高層建築ビルディングが立ち並ぶ大連とは全く異なっている。見渡す限り、そこには、まさしく荒野と呼ぶべき世界が広がっていた。

 唐突に吹いてきた風に飛ばされないように、慌てて被っている小粋チェッコ式に仕立てられた軍帽を軽く抑える。木枯らしというわけでもあるまいに、やけに乾いた風により砂埃が舞い上がり、先ほどまで澄んでいた周囲がいきなり緞帳が下ろされたかのごとく土気色に変わってしまう。

 帝国陸軍旧式軍装昭五制を小粋に着こなした士官は、軍帽のつばをいじりながら周囲をゆっくりと何度か見回すと、力なくため息をつく。

 いや、わかってはいる。大連や旅順、哈爾浜と言った都市部とこのような僻地を、そもそも比較すること自体がおこがましいのは当然。それどころか東京都と日本の田舎町における落差程度を期待するのも、実は酷かもしれない。だが、目的地に対する期待が大きかっただけに、落胆も一段と大きいのも事実だ。海軍さんが京都帝大と共同で設立した下田研究所が、国内と言うこともあるが一気に発展した事とは好対照と言える。

 港に着き大連の街並みを目にしたときは、自分の車を持ってこなかった所為でこんなすばらしい道を走る折角の機会を棒に振ってしまった事を大いに後悔した。だが、この駅に降り立った今、全く負け惜しみではなく本心から、あの時に後悔する事になって本当に良かったと感じていた。

 以前赴任した北米においても、いったん都市部を離れると荒涼たる大地に変わってしまうのは事実だ。とは言え、土瀝青舗装アスファルトこそ無い場合でも、少なくとも幹線道路ならば最低限車が走行可能な程度に整備されている。

 だが、今いるところには、駅前の一角を除くと、幹線道路以前に車が通行している痕跡すら見当たらない。

「むしろ我が愛馬ウラヌスと来るべきだったか」

 確かに道は悪いが、ロスとベルリンの専用馬場オリンピックコースをともに駆け抜けた愛馬とならどうだろう。馬賊どもよりもよほど巧みに走り抜く自信がある。衰えたといえど、愛馬ともにまだまだ後進に負けない自信がある。さすがに海外では無理だが、東京ならば三度目の五輪参加を軍も認めたかもしれない。たらればとはいえ、そうと思うと返す返すも東京が昭和15年五輪の立候補を取りやめたのは実に残念だ。実際に立候補し開催の候補として残っている昭和23年では、さすがに間が開きすぎて到底後進にはかなわないだろう。

 ならばせめてこの地で、我が愛馬の実力を……

「やめておいた方が良いと思います。折角の名馬が骨折してはかわいそうですから」

 後ろから聞こえる甲高いアルトボイスに振り向くと、いつの間にか敬礼をする軍服姿の青年がたっていた。

 最近になって海軍で も第三種軍装として採用された、米国で主流となっている略式作業戦闘服と呼ばれる作戦用の軍服を身に纏って、陸軍式の肘をはる敬礼ではなく海軍で主流の脇を閉じる敬礼をしている。

 だが満州奥地こんなところ海軍軍人海さんがいるはずもないことから、近衛兵なのだろう。海軍では狭い軍艦で行うために肘を詰める形式になったと言われているが、近衛儀仗兵の場合は、様々な式典で使用される和式礼装狩衣装束でも行いやすいためと言われている。それに、もっさりとした仕立てから俗に検非違使とも呼ばれる作業戦闘服を、海軍より前に全軍で一番最初に採用したのが近衛だ。

 よく見ると作業戦闘服の襟には、近衛将監補という名の、陸軍で言えば中尉ルテナントに相当する、桐が二つついた地味な階級章を軍服の襟につけている。

 最近でこそやや下火になったとはいえ青年将校文化華やかな軍服になじんだ彼にしてみれば、垢抜けない野暮ったさを随所に感じさせるその戦闘服に対して他の陸軍士官と同様に、野暮ったさに対する嘲笑と同時にその機能性に対し一種の羨望を感じていた。 折り襟の最新式軍装昭一三制になり多少は改善されたとはいえ、やはり勤務服と戦闘服が同じということから来る窮屈さはいかんともしがたい。ましてや青年将校文化華やかな時代に俸給を受けてきただけあって、未だにわざと窮屈を承知で襟が高く腰を絞った軍服を着込んでいるだけになおさらだ。

 どうやら、彼は駅舎の中で待っていたようだ。敬礼をとくと同時に、にこにこと人なつっこい笑みを浮かべ、民間人のように頭を軽く下げる。

「待たせたようだね」

 答礼を返しながら、やはりと考える。幸か不幸か華族に属する彼には、出迎えが単なる出迎えではないとわかってしまった。

 下士官や兵で無く、下級とはいえ将校が直接対応するのは、異例と言うほどではないが少し珍しい。もっとも、組織上は近衛に属してこそいるが、憲兵隊や各種施設の衛士警備兵であれば、陸軍将校であるとともに皇国の爵位を保持する彼に対しそれなりの階級のものが対応するのは自然だと考えるだろう。だがその場合でも、彼のように若い人間だと些細な事から粗相してやらかしてしまう懸念が払拭できないため、曹長や准尉に該当する最上位下士官もしくは特務士官の世慣れした人間をあてがうのがほとんどである。

 つまり、兵士としてだけでなく同時にそれなりの地位を持った人間に対応する能力を備えていると言う事で、それこそまさに近衛軍の十八番おはこといえる。

 実際のところ、陸軍将兵の大半にとって近衛とは、憲兵隊を除けば海軍ほど仲が悪い訳ではない。だがそれ以上に、単なる国境警備部隊で無く儀仗も兼ねる正真正銘の近衛兵御親兵の出迎えとあれば、唯我独尊で知られる帝国陸軍将校青年将校といえども、それなりの対応を取らざるを得ない。

「いえ、お気になさらずに。こちらです」

 手招きとともに、彼の脇に置かれた私物の小洒落た旅行鞄ボストンバッグを軽々と下げる。

 家柄のよい、だが素封家というほどでもない田舎の旧家の出を思わせる鷹揚な対応を返してくる。しかし、それなりの重量がある彼の荷物を軽々と提げていることからも、見かけとは裏腹に相当鍛えられていることがわかる。必要以上に強権的強面のな憲兵や、陸軍以上に蛮勇揃むさ苦しいいな国境警備兵、海軍以上に見敵必戦好戦的なところがある海上保安隊に対し、中性的と言うよりもむしろ女性的やさおとこにさえ見える起ち居振舞見た目いとあわせると、どうやら本物の近衛らしいという想像は当たっているようだ。

「こちらです」と手招きとともに案内され、少し歩く。駅舎を離れると、道らしい道どころか轍すら見当たらないただの荒れ地。草も無く荒れた大地がむき出しの為だろうか、どうやら最近風化により崩れたらしく、元々は固い土塊であったのだろうが砂のように踏ん張りの効かない踏み心地となっている。ある意味当然ながら駐車場パーキング環状交差点ロータリーなどという施設など存在せず、直接駅舎まで車で乗り入れも出来ない為仕方ないとはわかっている。わかってはいるが、いくら行軍で鍛えているとは言え、何とも歩きにくい。

 少し離れたところに停められていたのは、周囲の景色を見て想像した通り九四式小型乗用車くろがね四起だった。飾り格子ラジエターグリル紋章エンブレムが星ではなく桐になっていることから近衛納入分だとわかるが、何らかの改良を加えているらしい痕跡が随所に見受けられる。

 このような場所満州では、陸軍のみならず全軍で高級将校の送迎用として多数採用されているトヨタ製乗用車AA型では、改良型ACも含めてまともに走れた物では無い。日本製以上の頑丈さが好まれ、タクシー用としてノックダウン生産されている横浜のフォードや大阪のシボレーの大衆車でもかなり厳しいだろう。

「遠いのかね」

 暖機運転アイドリング中の空冷二気筒発動機エンジンの音に負けないように声をかける。近衛納入分は初期生産分ロットのはずなのだが、陸軍含め、一部車両は現地で改良型かってに改造している事が割とよくある。そのため音と見た目からは、初期1300㏄なのか改良型1500㏄なのかまではわからない。だが、整備がよく行き届いているらしく規則的に響く音からでも調子がよいことかうかがわれる。

「いえ、旅館ホテルは駅からそれほど距離はありまません。外人さんとかもちょくちょく来るため洋風ですが、きちんとしたところです。

 ですが、直線距離だとたいしたこと無いのですが、途中の道が……」

 西は、全く彼が思ったのと同じ事を答えだったことに、思わず苦笑した。


 満州国。

 万里の長城の更に北側北狄の地に存在し、かって清と呼ばれた帝国が生誕した場所でもある。

 この地が日本領となったのはいろいろな経緯いきさつがあるものの、日本が中華民国臨時政府から正式に購入したのが発端となる。日清・日露の両戦役で入手した権益を元に、辛亥革命において資金難にあえぐ孫文の支援という側面から、日韓併合で厳しい状態ではあったものの、民間資本の援助もあり最終的に購入へ踏み切った。

 これを受け、世界大戦グレートウォーへの本格参戦と引き替えに英国の了承裏取引の元、かっての清の宣統帝愛新覚羅溥儀を大日本帝国の新設華族である大公に旧朝鮮王族や旧琉球王家と合わせて列するとともに、大日本帝国を同君連合として構成する満州国として正式に編入。

 大戦後、国際連盟LNに参加していない米と、当時は未参加だったソ連およびドイツを除く列強から承認を受けることに成功。

 昭和金融恐慌失言恐慌とその後の大恐慌グレートクラッシュのと言う逆風もあったが、逆に不況対策の意味も有り、満蒙開発は国策として継続して推進された。米国の資本を呼び込む事を目的に、ソ連のユダヤ民族区設立に合わせて満州国に設けられたユダヤ人自治区が国策の一例だった。

 だが、昭和七年に二度も発生した、大規模・・・隕石落下・・・・が原因とされる大災害によって生じた、日本陸軍関東軍の崩壊が全てを打ち壊した。

 それ以上に事態をややこしくしたのは、翌年末に皇太子殿下ご生誕と前後して、後に当時の皇太子に肖り大慶油田と名付けられた大油田が発見された事だろう。

 満州某重大事件とも呼ばれる関東軍の崩壊と前後して起きた大慶油田の発見こそ、その後に発生した満州事変と呼ばれるわずか五年の間に幾度にもわたって発生した大小様々の紛争の発端と言える。一方的に中国北部満州購入無効を宣言して侵攻してきた中華民国国軍を称する国民党軍と、満蒙国境の曖昧さをついて侵攻してきたモンゴル軍を名乗るものの実質的にソ連軍部隊との事変宣戦布告無き戦争により、この満蒙は恐ろしいまでに荒廃していた。

 その結果満州の地は、それだけが原因ではないとはいえ、きわめて無国籍ごちゃ混ぜな地になっている。

 幸か不幸か、派兵された駐留日本軍関東軍大日本帝国皇国に属する満州国正規軍満州国軍が駐屯している様な大きな街の治安は悪くない。寧ろ、中華民国を名乗る国家に属するとされる地域と比べて、かなり良いとさえいえる。軍と言う力によってもたらされている平和ではあるが、それ故にその力が有効である限り、確実にその平和は保証される。

 だが、満州全土に行き渡る《カバーする》だけの兵員を派遣することは、不可能だった。

 ユダヤ人自治区を共同管理している米国にもそれだけの能力はない。日本と異なり国力的には可能かもしれないが、ルーズベルト政権になって日本との対決姿勢を見せ始めた現状では、多くを期待出来ないところだ。それでも日米が全面対決にいたっていないのは、名目上とはいえユダヤ人による自治をうたい文句として欧州のユダヤ人難民受け入れを表明し実行している満州に対して、アメリカ社会の意見統一をできずにいる点が大きい。

 そんな事情のため、警備兵が駐屯し巡回警備パトロールしている様な地域は、満州鉄道の沿線、ごく限られた地域だけであり、一歩奥に踏込むとそこは馬賊が駆け巡る無法の地ヒャッハーと化すのである。実際国内からも、これなら満州を購入するよりも、鉄道と沿線の租借権だけを得た方がよっぽどよかったのでは無いかと言われる所以でもある。

 つまり……米国西部劇ウエスタン拳銃使ガンマン騎兵銃カービンを持った馬賊から村を護るために日本刀カタナを手に取って立ち向う、そんな冒険活劇映画プログラムピクチャーじみた世界……それがこの満州と言う地なのだ。


 そんな場所にあってさえ、薄汚れたと言う表現がここまで当てはまる場所も珍しいだろう。粗末な雑貨屋グローサーの隣にある、この安酒場を呼ぶ場合。

 元々は満洲風の建物だったのだろうが、清末から続く動乱期に漢民族の風俗を取り入れた外装に改造され、さらには西部劇映画ウエスタンにでも出てきそうな飲み屋が併設されている。最初はけばけばしく赤や黄色に塗られていたと思われる柱や梁も、今となっては風雨で色あせている。半ば崩れ落ちた結果、中に塗り込めてあるモノが覗いている、元は黄色に塗られていたとおぼしき土壁の前には、馬をつなぐための西部劇に出てきそうな柵が設けられている。この店も、その手の店の例に漏れず二階は宿屋になっている。だが、この周囲で唯一の宿屋にも関わらず、飯炊き女と呼ばれる安娼婦おんなすら居そうにない。

 良く言えば多国籍風と言ったところだが、どこをどう考えてもそんな風に表現するのがためらわれる、雑多で寄せ集めな感じがある。そのためもあってか、周囲のほとんどが平屋のみすぼらしい家屋の中にあって、二階建てというぬきんでて高い建物にもかかわらず、その姿は威風堂々とは真逆な印象を与えてくる。

 そんな場所だけあって、ある意味当然だが、客層ははっきりと言えばかなり悪い。夕暮れまでまだだいぶ間があるというのに中華風の椅子に座って安酒を片手に雑談している連中は、善良なる地元住民近在の百姓というより、どこをどうひいき目に見ても山賊か夜盗かといった風体だ。実際ほとんどの人間がこれ見よがしに腰に拳銃か刀剣類を保持しており、例外といえば店員くらいのもの。もっともその店員たちにしても、脇の下や尻の上のあたりがかすかに膨らんでいる事に少し注意すれば見て取れる。それにしても、何を勘違いしたのか客の中に、船乗りの舶刀カトラスを腰に吊るした『カリブの海賊バッカニアー』の風体をした人間が混じっているのは、なんともご愛敬と言ったところか。

 ともあれ客層が悪いのも当然で、この店は、いやこの街自体が馬賊たちの根城であった。馬賊といっても単なる匪賊ならず者から一種の任侠集団義賊まで千差万別である。そして、ここの連中は明らかに前者に属することを窺い知ることができる。


「ここの首領ボスに会わせろ」

 西部劇に出てきそうな両開きの扉を押し開き入って来たその男は、いきなりそう告げた。

 伊達男でも気取っているのか、このあたりでは見かけない小洒落た外套マンテルを身にまとっている。

「何のようだ」「よそ者に用はねぇ」と言った、壁際の椅子に腰掛けた荒くれ者からのお約束な罵声には全く耳を貸さず、男は流れるような所作でカウンターに近づいてくる。同時に、探るよう視線の荒くれ者たちが数名、男をゆっくりと取り囲みその輪を縮めていく。

 さっきほどまでぶらぶらさせていた男の左手が、ゆっくりと懐に差し込まれる。一瞬にして周囲に緊張が走る。すでに左脇と両方の腰に膨らみが無いことは確認済みといえ、デリンジャーやポケットピストルならどこにでも隠し持てる。取り囲む男たちだけで無く、腰掛けて酒を呷ってた男達も、いつでも銃が抜けるよう利手をゆっくりと動かしていく。

 だが男は意に介することもなく、カウンターに懐から出したものを置いた。

「紹介だ」

 カウンターに置かれたのは、東洋風の手紙だった。漢字で書かれている文章の横に、キリル文字の単語が添えられている。西洋風の横置き型{レターペーパーで無く、日本でも良く用いられている長方形和封筒のものだった。

 輪を作っていた男達の中から兄貴分らしき男が進み出てくると、カウンターに置かれた手紙を荒っぽい手つきで持ち上げ、中身を取り出す。

 それは確かに故買屋の店主の文字で、もって回ったような文言や美辞麗句を取り除き要約すると『紹介して欲しいと言われたから、話くらいは聞いてやれ』と言う、実に身もふたもない内容だった。実のところ既に連絡も届いている。『身元は知らんが、とにかく金はきちんと払う』と言う、ある意味最上級の言葉とともに。

 要するに、この手紙は一種の割り符なのだ。

 あの吝嗇家で知られるがめつい店主がそう言うのだ。用件はわからないが、それなりの金になる話なのだろう。だがこういった商売で大切なことは、まずはなめられないことだ。主導権を奪われないようにする、とお上品に言い直しても良いが、結局は同じ事。

 だから、目配せで合図するとともに、男は手紙ごと拳を握ると、いきなり殴りつける。別に躱さされてもかまわない。先ほどの動作を合図に、周囲の仲間も間髪入れず殴りかかっているはず。逃げたとしても、誰かの前に現れるだけで、そうなれば後はたやすい。とにかく一度捕まえれば、後はこちらのものだ。一番近い誰かが常に殴りつけ、いい加減参ったところで話を聞いてやる。

 そのつもりだった。

 だが一瞬遅れて足下に走る激痛。同時に、彼は自分が床に寝ていることに気がついた。何をされたのかすらわからない。

「野郎!!」

 だが、周囲の男たちは『何が起きたか』は知らなかったが、『どうすべきか』は知っていた。

 荒くれ者たちの動きは、見た目の華麗さこそ一切ないものの連携がとれたものだった。訓練だけでも実戦だけでも出来ない、修練の行き届いた古強者ベテランだけが出せる動きで、互いに射線の邪魔にならない位置へと動きながら腰の拳銃に手をかけた。

 だが、ぴたりと動きが止まる。

 いつの間にか、男の手には一丁の真新しいエルマ社製短機関銃シュマイザーが存在し、それが周囲を威圧していたからだ。金属製の銃床こそ折りたたまれたままだが、このような狭い場所では、かえって銃身が暴れるために弾丸がばらけ、凶悪なまでの効果を発揮する。

 それを見て、テーブルの一つから、スラブ系とわかる面立ちの2メートル近い巨漢がのそりと立ち上がった。

「物騒なもんはしまいな」

 周囲の男たちは腰へと伸ばした腕をだらんと下げる。

 それに合わせて、男も短機関銃の銃口を下に向け、短機関銃に安全装置をかける。

 軽くうなずくと、巨漢は、ゆっくり近づいていく。覆い被さるような威圧感をまき散らしながら。一歩、二歩。

 突然、その大柄な体とは裏腹に、予備動作なしで繰り出される素早いジャブ。切返スナップの効いた一撃パンチは、筋力と相まってそれこそ一撃で吹き飛ばされかねない激しいものだ。

 だが、その動きはいつの間にか繰り出されていた左足に遮られる。そして、返す刀で繰り出された右足が男の鳩尾に埋まると、大男は崩れ落ちるようにして膝をつき、そして前のめりに倒れた。カウンター気味に入った蹴りの一撃で、大男はのびてしまったようだ。

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