Espionage
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夕日の軍偵 (一)
日本に属する満州王国に入るにはいくつかの
いずれにせよ満州に入る場合は、満州鉄道を使用する必要がある。
満鉄の略称で知られる満州鉄道は、大連を玄関とし、奉天から長春を経て
そのため、現状では、租界地の大連は名実ともに
そんな大連で皇国が世界に誇る『あじあ号』に乗り込み、長春に至り、そこから支線に乗り換え急行で今度は東に向かい、さらに途中から
駅におりると、そこには草原と呼ぶにはあまりに
唐突に吹いてきた風に飛ばされないように、慌てて被っている
いや、わかってはいる。大連や旅順、哈爾浜と言った都市部とこのような僻地を、そもそも比較すること自体がおこがましいのは当然。それどころか東京都と日本の田舎町における落差程度を期待するのも、実は酷かもしれない。だが、目的地に対する期待が大きかっただけに、落胆も一段と大きいのも事実だ。海軍さんが京都帝大と共同で設立した下田研究所が、国内と言うこともあるが一気に発展した事とは好対照と言える。
港に着き大連の街並みを目にしたときは、自分の車を持ってこなかった所為でこんなすばらしい道を走る折角の機会を棒に振ってしまった事を大いに後悔した。だが、この駅に降り立った今、全く負け惜しみではなく本心から、あの時に後悔する事になって本当に良かったと感じていた。
以前赴任した北米においても、いったん都市部を離れると荒涼たる大地に変わってしまうのは事実だ。とは言え、
だが、今いるところには、駅前の一角を除くと、幹線道路以前に車が通行している痕跡すら見当たらない。
「むしろ我が
確かに道は悪いが、ロスとベルリンの
ならばせめてこの地で、我が愛馬の実力を……
「やめておいた方が良いと思います。折角の名馬が骨折してはかわいそうですから」
後ろから聞こえる甲高い
最近になって海軍で も第三種軍装として採用された、米国で主流となっている略式作業戦闘服と呼ばれる作戦用の軍服を身に纏って、陸軍式の肘をはる敬礼ではなく海軍で主流の脇を閉じる敬礼をしている。
だが
よく見ると作業戦闘服の襟には、近衛将監補という名の、
最近でこそやや下火になったとはいえ
どうやら、彼は駅舎の中で待っていたようだ。敬礼をとくと同時に、にこにこと人なつっこい笑みを浮かべ、民間人のように頭を軽く下げる。
「待たせたようだね」
答礼を返しながら、やはりと考える。幸か不幸か華族に属する彼には、
下士官や兵で無く、下級とはいえ将校が直接対応するのは、異例と言うほどではないが少し珍しい。もっとも、組織上は近衛に属してこそいるが、憲兵隊や
つまり、兵士としてだけでなく同時にそれなりの地位を持った人間に対応する能力を備えていると言う事で、それこそまさに近衛軍の
実際のところ、陸軍将兵の大半にとって近衛とは、憲兵隊を除けば海軍ほど仲が悪い訳ではない。だがそれ以上に、単なる国境警備部隊で無く儀仗も兼ねる正真正銘の
「いえ、お気になさらずに。こちらです」
手招きとともに、彼の脇に置かれた私物の小洒落た
家柄のよい、だが素封家というほどでもない田舎の旧家の出を思わせる鷹揚な対応を返してくる。しかし、それなりの重量がある彼の荷物を軽々と提げていることからも、見かけとは裏腹に相当鍛えられていることがわかる。必要以上に
「こちらです」と手招きとともに案内され、少し歩く。駅舎を離れると、道らしい道どころか轍すら見当たらないただの荒れ地。草も無く荒れた大地がむき出しの為だろうか、どうやら最近風化により崩れたらしく、元々は固い土塊であったのだろうが砂のように踏ん張りの効かない踏み心地となっている。ある意味当然ながら
少し離れたところに停められていたのは、周囲の景色を見て想像した通り
このような
「遠いのかね」
「いえ、
ですが、直線距離だとたいしたこと無いのですが、途中の道が……」
西は、全く彼が思ったのと同じ事を答えだったことに、思わず苦笑した。
満州国。
この地が日本領となったのはいろいろな
これを受け、
大戦後、
だが、昭和七年に二度も発生した、
それ以上に事態をややこしくしたのは、翌年末に皇太子殿下ご生誕と前後して、後に当時の皇太子に肖り大慶油田と名付けられた大油田が発見された事だろう。
満州某重大事件とも呼ばれる関東軍の崩壊と前後して起きた大慶油田の発見こそ、その後に発生した満州事変と呼ばれるわずか五年の間に幾度にもわたって発生した大小様々の紛争の発端と言える。一方的に
その結果満州の地は、それだけが原因ではないとはいえ、きわめて
幸か不幸か、派兵された
だが、満州全土に行き渡る《カバーする》だけの兵員を派遣することは、不可能だった。
ユダヤ人自治区を共同管理している米国にもそれだけの能力はない。日本と異なり国力的には可能かもしれないが、ルーズベルト政権になって日本との対決姿勢を見せ始めた現状では、多くを期待出来ないところだ。それでも日米が全面対決にいたっていないのは、名目上とはいえユダヤ人による自治をうたい文句として欧州のユダヤ人難民受け入れを表明し実行している満州に対して、アメリカ社会の意見統一をできずにいる点が大きい。
そんな事情のため、警備兵が
つまり……
そんな場所にあってさえ、薄汚れたと言う表現がここまで当てはまる場所も珍しいだろう。粗末な
元々は満洲風の建物だったのだろうが、清末から続く動乱期に漢民族の風俗を取り入れた外装に改造され、さらには
良く言えば多国籍風と言ったところだが、どこをどう考えてもそんな風に表現するのがためらわれる、雑多で寄せ集めな感じがある。そのためもあってか、周囲のほとんどが平屋のみすぼらしい家屋の中にあって、二階建てというぬきんでて高い建物にもかかわらず、その姿は威風堂々とは真逆な印象を与えてくる。
そんな場所だけあって、ある意味当然だが、客層ははっきりと言えばかなり悪い。夕暮れまでまだだいぶ間があるというのに中華風の椅子に座って安酒を片手に雑談している連中は、善良なる
ともあれ客層が悪いのも当然で、この店は、いやこの街自体が馬賊たちの根城であった。馬賊といっても単なる
「ここの
西部劇に出てきそうな両開きの扉を押し開き入って来たその男は、いきなりそう告げた。
伊達男でも気取っているのか、このあたりでは見かけない
「何のようだ」「よそ者に用はねぇ」と言った、壁際の椅子に腰掛けた荒くれ者からのお約束な罵声には全く耳を貸さず、男は流れるような所作でカウンターに近づいてくる。同時に、探るよう視線の荒くれ者たちが数名、男をゆっくりと取り囲みその輪を縮めていく。
さっきほどまでぶらぶらさせていた男の左手が、ゆっくりと懐に差し込まれる。一瞬にして周囲に緊張が走る。すでに左脇と両方の腰に膨らみが無いことは確認済みといえ、デリンジャーやポケットピストルならどこにでも隠し持てる。取り囲む男たちだけで無く、腰掛けて酒を呷ってた男達も、いつでも銃が抜けるよう利手をゆっくりと動かしていく。
だが男は意に介することもなく、カウンターに懐から出したものを置いた。
「紹介だ」
カウンターに置かれたのは、東洋風の手紙だった。漢字で書かれている文章の横に、キリル文字の単語が添えられている。
輪を作っていた男達の中から兄貴分らしき男が進み出てくると、カウンターに置かれた手紙を荒っぽい手つきで持ち上げ、中身を取り出す。
それは確かに故買屋の店主の文字で、もって回ったような文言や美辞麗句を取り除き要約すると『紹介して欲しいと言われたから、話くらいは聞いてやれ』と言う、実に身もふたもない内容だった。実のところ既に連絡も届いている。『身元は知らんが、とにかく金はきちんと払う』と言う、ある意味最上級の言葉とともに。
要するに、この手紙は一種の割り符なのだ。
あの
だから、目配せで合図するとともに、男は手紙ごと拳を握ると、いきなり殴りつける。別に躱さされてもかまわない。先ほどの動作を合図に、周囲の仲間も間髪入れず殴りかかっているはず。逃げたとしても、誰かの前に現れるだけで、そうなれば後はたやすい。とにかく一度捕まえれば、後はこちらのものだ。一番近い誰かが常に殴りつけ、いい加減参ったところで話を聞いてやる。
そのつもりだった。
だが一瞬遅れて足下に走る激痛。同時に、彼は自分が床に寝ていることに気がついた。何をされたのかすらわからない。
「野郎!!」
だが、周囲の男たちは『何が起きたか』は知らなかったが、『どうすべきか』は知っていた。
荒くれ者たちの動きは、見た目の華麗さこそ一切ないものの連携がとれたものだった。訓練だけでも実戦だけでも出来ない、
だが、ぴたりと動きが止まる。
いつの間にか、男の手には一丁の真新しい
それを見て、テーブルの一つから、スラブ系とわかる面立ちの2メートル近い巨漢がのそりと立ち上がった。
「物騒なもんはしまいな」
周囲の男たちは腰へと伸ばした腕をだらんと下げる。
それに合わせて、男も短機関銃の銃口を下に向け、短機関銃に安全装置をかける。
軽くうなずくと、巨漢は、ゆっくり近づいていく。覆い被さるような威圧感をまき散らしながら。一歩、二歩。
突然、その大柄な体とは裏腹に、予備動作なしで繰り出される素早いジャブ。
だが、その動きはいつの間にか繰り出されていた左足に遮られる。そして、返す刀で繰り出された右足が男の鳩尾に埋まると、大男は崩れ落ちるようにして膝をつき、そして前のめりに倒れた。カウンター気味に入った蹴りの一撃で、大男はのびてしまったようだ。
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