第捌話 【1】 劣勢続く

「先輩、先輩!! しっかりして、だめぇぇ!!」


「あ……ぐぅ、つ、ば、き……」


【ちっ、何て事をしたのよ、華陽!! これはいくらなんでも、許されるレベルじゃないわよ!!】


 虚ろな目をしている湯口先輩に向かって、僕は必死に呼び掛ける。先輩は、まだ僕の事が分かっているのか、それとも苦しんでいるのか、僕の声に途切れ途切れでも返事をしてくる。


 それなら、まだ戻せるかも知れない。


「妲己さん、替わって!! 僕の浄化の力で!」


「あは~椿ちゃん。無・理。私の新しいこの妖魔人は、神妖対策の為に、浄化の力に対して、少しだけ耐性を付けさせて貰ったのよ。特にその子には、強力な耐性がかかっているみたいね。椿ちゃんと一緒に居させて正解だったわ~いつも神妖の妖気にあてられていたからね~」


 あっ……先輩を直ぐに取り返そうとしなかったのは、そういう事だったの? もうそこから、相手の策略にはまっていた……。

 いや、妖気には気付いていたんです。でも、それは道具によるものだと思っていた。白狐さん黒狐さんも、そう思っていた。おじいちゃんもそう。


 だけど本当は、先輩自身からも漏れていたんだ。それを、道具の妖気で隠されていた。やっぱり無理にでも、道具を使わせ無いようにしておけば良かった。


 もう嘆いていてもしょうが無い。まだ……まだ何かあるはずです。


「無駄だ。若干自我が残っているが、その内に、この妖魔の意識に乗っ取られる」


 そう言いながら、妖魔人となった玄空が近付いて来る。上着は既に破れ、筋肉で盛り上がった身体が、玄空の迫力を更に際立たせていました。


【ふぅ~ん。それじゃあんたの意識も、もうとっくに……】


「その通りよ。ただ、元となった人間の、強い想いだけは残っている。厄介だが、それも我々の糧となる」


 そんな、そんな……それなら急がないと、先輩まで。


【椿、諦めなさい。それにあんたには、守るべき大切な者達が、他にも沢山居るでしょうが!】


「だから? だから先輩を諦めろって?! 嫌です! 僕は、僕は皆を守るために!!」


【未熟なガキが何言ってんのよ!! 理想論ばかり語っても、現状こうなったのよ!! 悪意を持って事を起こしてくる者はね、総じて人のその甘さにつけ込んで来るのよ! つけ込まれたら、もう終わりなのよ! いい加減気づきな!! 自分が、まだ夢見るガキだって事に!!】


 ぐっ……そんな事を言われても、現実現実って言われても、理想論を語らなければ、明るい未来を作れ無い! 夢を語らないと、心は荒んでいく一方なんですよ。


 だから僕は、妲己さんを睨み付け、そして言い返そうとする。


「妲己さん――」


【何よ?】


 だけど、妲己さんがそう返事をしたその瞬間、更に最悪な事が起こりました。


「吸え、紅葫蘆」


【へっ、なっ?! 何でよ!!】


 嘘、なんで……なんで妲己さんが、紅葫蘆に吸われていくんですか。


「ふははは!! 我が妖気にて、この紅葫蘆も強化されたのだ! どんな奴からでも、その名を呼ばれ、それに返事をしたら吸い込まれてしまうようにな!!」


「あ~ははは!! 不様ね、妲己~!! あんた、甘くなったんじゃないの? 昔のあんたならこ~んなミス、しなかったのにね~!」


【くっ……うる、さいわねぇ……こんなので――うぅ! くそっ!】


 あぁ……そんな、そんな! 僕のせいで……。


 だけど、必死にこの手を伸ばしても、霊体の僕では触れない。妲己さんを助けられない。

 そして僕の身体から、黒い影が飛び出し、徐々に紅葫蘆に吸い込まれて行く。


 黒い影でも、それが狐の形をしていたら、それは間違い無く、妲己さんなんだって分かります。

 それなら、霊体ならその影を掴めるはず!! それなのに、妲己さんはまだ僕の身体を使い、そして霊体の僕に妖術を放って来ました。


【妖異顕現、黒羽の矢】


「いっ?! な、なんで……? 妲己さん!」


 そして、手を伸ばした僕の手にその矢が刺さり、僕は痛みで顔をしかめます。


【馬鹿、あんたも吸われるでしょうが。そしたら、誰が華陽を止めるの?】


「何で、何で止めるの! このままじゃあ、妲己さんは!!」


【まだよ……】


「へっ?」


 その時妲己さんは、僕を真剣な顔で見て、何かを伝えてきました。


【私の身体。それと一緒じゃないと、九尾は1つにはなれないわ。だから椿――記憶を戻すな。私の身体の場所を知っているのは、あんたと黒狐だけ。その記憶が無ければ、相手は為す術が無いのよ】


「何で、そんな――」


【ふっ、良かったじゃない。私と離れられて。もう、身体を乗っ取られる心配は無いわよ】


 黒い影が、僕の中から出ていた黒い影が、その量を減らして行く。


 まさか、まさかもう――。


「妲己さ~ん!!」


『妲己!!』


 あまりの出来事に、呆然と見ていた黒狐さんが、僕と一緒になって叫びます。でも……。


【ふふ……私も甘いなぁ。丸くなっちゃったわ……本当。あんたのせいよ。私だって清々するわ……あんたと離れられてね。じゃあね――】


「そんな泣きそうな笑顔で、嘘を言わないでよ!! 妲己さん!!」


 そして、残りの影が僕から出ると、僕の意識は急に遠ざかり、視界が揺らぎ、そのまま意識を失う直前、僕は自分の身体に戻っていました。


「はぁ……はぁ、だ、妲己さん……!」


 でも、僕の身体の中には、何かが足りない感じがする。

 いつも僕の中に、もう1人居た感覚。何だかんだで、僕の力を押さえていてくれた存在。その支えが消え、僕の中の何かが、溢れ出しそうになっていた。


【気を強く持ちなさい――良いこと、私はまだ――】


「妲己さん?!」


 何だか妲己さんの声が、何処からか聞こえて来たので、僕は慌てて顔を上げます。すると、紅葫蘆に完全に吸われそうになっている、その妲己さんの影の最後の欠片が、一瞬だけ狐の顔になって、僕に最後の言葉を投げかけていた。


「あっ……」


 だけど、僕が手を伸ばしたその瞬間、玄空によって蓋を閉められ、遂に妲己さんは、完全に紅葫蘆の中に閉じ込められてしまった。


『椿よ、大丈夫か?!』


「白狐さん……た、助けないと……妲己さんを。せ、先輩も……」


『すまぬ。流石に、これは完全にこちらの不利だ。我も黒狐も、先程の4人の攻撃で、かなりのダメージを受けている。そのせいで、妲己まで……くそ! 何が、何が守り神だ!』


 そうでした、白狐さんは守り神。それなのに、現状誰も守れていない。誰よりも1番悔しいのは、白狐さんなんですね。


『白狐よ、嘆く前に行動だ。とにかく、ここから逃げるぞ』


「逃げる? 駄目。逃げるのだけは……2人が、2人を助けないと――つっ?!」


 えっ? 今、黒狐さん……何を? なんで、僕を引っぱたいたの。


『すまん、椿。だが落ち着け、冷静になれ。敵の次の狙いは、何だと思う?』


 敵の狙い? 僕から妲己さんを吸い取っても、あの状態では1つになれない。

 そう、妲己さんの身体がいる。その場所を知っているのは、僕と黒狐さんだけ。それも、失われた記憶の中……。


「うっ……僕達の記憶……」


『そうだ!』


 すると僕達の目の前に、その華陽がゆっくりと降り立ち、僕達に近付いてきた。


「正解よ~!! さぁ、大人しくしなさい。でもね、殺した後にでも、記憶を抜く方法があるのよね~面倒くさかったから、殺すのも――なっ?!」


 だけど次の瞬間、華陽めがけて大きな炎の輪が飛んで来て、華陽を襲いました。って、これって火車輪?! まさか。


「椿ちゃんから離れなさい!!」


「カナちゃん!? 駄目、逃げて!!」


 美亜ちゃんがとっくに皆を連れて、一緒にここから逃げたと思っていましたよ。


「椿ちゃん!」


「椿、大丈夫?」


 わら子ちゃんに……雪ちゃんまで! 何やっているんですか。


「ちょっ、皆……駄目。相手は邪魔する者なら、容赦しないんだってば!」


「そんな事は分かっているっすよ!!」


「良いから、あんたは逃げる算段を考えてなさいよ!」


 美亜ちゃんに、楓ちゃんまで! 皆僕を守る様にして、敵の前に立ち塞がらないでよ。


『なるほどな。俺の変異の力も、祟り神のせいでか使えんし、白狐も同じだ。だがシンプルな力だけなら、その網の目を抜けられるのかも知れん。とにかく、それなら力を合わせれば――』


「それで何とかなると思った~? 尾槍破砕!」


「「「きゃぁぁあ!!」」」


 そりゃそうなりますよ! 華陽は妲己さんと同じ力……いや、今は妲己さん以上の力を持っているんですよ。

 そんな華陽の9本の槍なんて防げずに、皆吹き飛ばされて動けなくなっています。だから言ったのに。


 僕が、僕がなんとか……それなのに、なんで力が入らないの?! 妖気切れ? 違う、違う。僕の中の神妖の力が、抑えられなくて……。


「さぁ、退きなさいよ。椿ちゃんと黒狐をこっちに渡しなさい」


「「「嫌よ!!」」」


「えっ……皆?」


 華陽がまだ、誰かに何かを言っていると思ったら、神妖の力を抑えようと膝を突く僕の前で、皆が手を広げ、僕の前で立ち往生しています。


 駄目、駄目。嫌な予感が……。


「はぁ……しょうが無いわね。それじゃあ、死になさ――ぎゃぅ?!」


 えっ? あれ? 逆に華陽が吹き飛びました? 誰かが、もう1人僕の前に……。


「お~良いねぇその面構え。そういう根性、俺は嫌いじゃねぇぜ~ヒック」


 息がお酒臭い……それに、ヨレヨレのトレンチコート……今まで何処に? 何で直ぐに来てくれないのですか。


「酒呑童子さん!?」


「お~う。無事か? ガキ」


 そう……そこには、相変わらず酔っ払っていて、千鳥足状態の酒呑童子さんが立っていました。

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