第拾伍話 【1】 金華猫の美瑠

 威嚇していた美亜ちゃんを宥めて、今僕達は、この洋館の3階を目指している。


 そこに恐らく、手配されてしまった父親と、美亜ちゃんの妹美海ちゃんが居るはずだという事なのです。玄関ホールに居たお兄さんから、それを聞き出しました。

 このお兄さん、あんまり戦う気がなかったようで、色々と話してくれました。それと、これは確実ではないようで、最後に目にしたのがそこだったみたいです。


 そして3階にはもう1人、美瑠ちゃんという妹がいるみたいなんですけれど、その子は一旦無視する様です。


 その子の呪術は強力みたいだけど、僕達はその子の呪術にはかかっていないから、出来るだけ接触は避けたい。余計な戦闘をしている暇は無いですからね。


「ほら! さっさと前を歩きなさい、飲んだくれの悪鬼!」


 そして、酒呑童子さんに前を歩かせ、美亜ちゃんは僕の後ろに隠れながら、この鬼を警戒しています。

 3階に行く階段は、どうやら別の場所にあるみたいなので、そこに向かう為、今薄暗い廊下を歩いているけれど、窓から差し込む真っ赤な夕日のせいで、色々と不気味なんですよね……。


「ったくよぉ……そんな怒る事は無いだろう~無いに等しいものだし、男の胸触ったのと同じだろうが~」


 美亜ちゃん。とりあえず僕も、酒呑童子のお尻を蹴っ飛ばしておきますね。だから、もう1回引っ掻くのは駄目だよ。


「――いってぇな! 何でお前が蹴るんだ!」


「今の発言は駄目です。世の女性全てを敵に回しましたよ」


 本当にこの妖怪は、デリカシーというものが皆無です。

 ただそれが、狙ってなのか素なのかが分からない。とても強いし、僕に対しても的確なアドバイスをしてくる。ただの変態と油断は出来ないですね。


「あれ? 酒呑童子さんは?」


 だけど、僕がちょっと考え事をしていた瞬間に、目の前にいた酒呑童子さんが消えたよ。どこに行ったの……。


「あそこよ」


 すると、後ろにいる美亜ちゃんが、呆れ気味に左の部屋を指差しました。


「おぉぉお! ねぇちゃん良い尻してんじゃね~か! おほぉ! こっちの娘も良いもん持ってんじゃね~か! いやぁ、ここは天国だな!」


 猫耳で猫の尻尾をしたグラマーなお姉さん達に、酒呑童子さんが囲まれ、誘惑されていました。

 しかも美亜ちゃんの反応からして、あれは呪術ですよね? まさか、こういう呪術だと分かっていて、わざとかかったのでしょうか。


 前言撤回、ただの変態です。しかも、浮遊丸さんに通じるものがあるよ。


「行きましょう」


 美亜ちゃんは、酒呑童子さんの呪術を解除する気は無いみたいです。だけど、僕も同じ気分です。もう無視です、無視。


 そして僕達は、酒呑童子さんを無視して先に進もうとしたけれど――


「おいおい。待てよ、お前等~お前等だけで行っても、捕まって終わりだろうが」


 残念……自分で呪術を解いて、こっちに着いて来ましたよ。

 とにかく僕達は、出来るだけ酒呑童子さんを無視して、この先へと進む。


「あったあった。ここの階段から、3階に行けるわよ」


 しばらく歩いた後、美亜ちゃんが立ち止まり、そのまま右を向いた。するとそこに、上に続く階段がありました。

 ただ、行けるのは上だけで、下には続いていないというのも、何だか違和感があるよ。


 それよりもさ、途中の踊り場に誰か居ますよ。


「美瑠……あんた、何でここに居るの?」


 階段を見上げた時から、美亜ちゃんは動揺していました。

 美瑠ちゃんと呼んだ。という事はあの子が、おじいちゃん達全員に、例の呪術をかけた子なのかな。


 僕は、暗がりの階段の途中に立つ、その美瑠ちゃんという子の様子を伺った。だって、じっと立っているだけで、そこから動かないんだよ。

 その子は、まだ小学校に入ったばかりの様な、見た目はとても幼そうな子で、ウェーブのかかった茶色のロングヘヤーは、寝癖だらけです。そしてしっかりと、ネコのぬいぐるみを抱きしめている。


 もちろんその子も、茶虎の猫耳と尻尾をしています。それと、寝起きなのでしょうか? 眠たそうな目をして、こっちを見下ろしています。足下もフラフラしていて、今にもその階段から落ちそうですよ。


「ちょっと、美亜ちゃん? あの子、寝ちゃいそうだよ。落ちる前に何とかした方が……」


「あの子はいつもあんな感じよ。ちょっと美瑠、引きこもりのあんたが部屋から出るなんて珍しいわね」


 あの子、引きこもりなんですね。だから美亜ちゃんは、さっき驚いていたのですね。部屋から出ないと考えていたから、こんな所に居てびっくりしていたんだ。


 するとその子は、美亜ちゃんに視線を移し、またじっと見てくる。そしてその後、何かをブツブツと呟きだす。


「だって……美亜お姉ちゃん、美瑠の事、無視しそうだったもん」


「あのね、私は急いでるの。良いからそこを退いて」


「ヤダ! お姉ちゃん、また牢屋に入れられちゃう。美瑠と遊んでくれなくなる。そんなのヤダヤダ!」


 あの……美亜ちゃん。ちょっとこの状況は、駄目なんじゃないでしょうか? 凄い妖気を感じるよ。見た目は幼そうなのに、何ですか……この妖気の強さは。話が違いますよ……。

 だけど美亜ちゃんは、美瑠ちゃんを睨み返し、そして臆する事無く近づいて行きます。


「美瑠、いい加減にわがままは止めなさい! そんなんだからここの家族は皆、あなたをお荷物として、放置しているんじゃないの。それに気付かないの!?」


 美亜ちゃん、あなたの家族はやっぱり異常です。

 普通わがままだからって、放置はしないでしょう。それとも、言う事を聞いてくれる優秀な子供しか要らないって事なんですか? そうだとしたら、相当歪んでますね……。


 だけど美瑠ちゃんは、美亜ちゃんの言葉には耳を貸さず、僕の方を睨んできた。


「その子なの? 美亜お姉ちゃんを取ったの」


 いきなり何を言い出すのかと思ったら、取ったとか取らないとか、美亜ちゃんは物じゃ無いですよ。


「あのね、僕は――」


「……えして」


「えっ?」


「美亜お姉ちゃんを返してぇ!!」


 するとその子は、突然癇癪を起こし、更に鋭い眼差しで僕を睨み付けてきた。


「ちょっ……美瑠。あんた、いい加減にしないさいよ!」


「ヤダヤダ! 美亜お姉ちゃんを返してよぉ!」


 ちょっと待って下さい。その子から、何か異常な力が溢れ出していますよ。


 とにかく、呪術が得意な一家なので、僕は神妖の力を少しだけ解放し、美瑠ちゃんに対抗する様にして睨み付けた。


「えっ……? な、何で? 美瑠の呪いが効かない……何で?」


「ごめんね。この洋館に入る前にも、君は僕達に呪術をかけたようだけど、僕にはこの力が、浄化の力があるんだよ。だから、僕に呪いは効かないよ」


 やっぱり、僕に呪いをかけようとしていましたね。何だか嫌な予感がしたんだよね。


「全く……危なかったわね。その子は敵と認識した相手を見るだけで、強力な呪術を行えるのよ。人だろうと神だろうと、そんなの関係無くね。しかも、細かな準備も一切無し。強力過ぎなのよ。妖気も少量で発動してるしね」


「いや、美亜ちゃんだって、黒猫になって通り過ぎるだけで、呪いかけられるじゃん……」


 あっ、僕の反論に美亜ちゃんが黙っちゃいましたね。

 それに、今気付いた様な顔をした後、凄く嬉しそうな顔になっていますよ。


「おい、ガキ共。そんな事をしている場合じゃないだろう。あいつの様子がおかしいぞ」


 珍しく酒呑童子さんが、真剣な表情で僕達に注意をしてきました。だから僕達は、再び美瑠ちゃんの方を見てみます。

 すると、美瑠ちゃんの抱えているネコのぬいぐるみが、その目を赤く光らせていたのです。

 それに合わせて美瑠ちゃんの目も、いきなり赤く光り出し、ゆっくりとこちらに向かって、階段を降りて来ました。


 もちろん、美瑠ちゃんのその異常な様子に、美亜ちゃんは後ずさり、僕達の近くまで戻っています。


「ちょっと美瑠! あんた、いったいどうしたのよ?!」


 それでも美亜ちゃんは、弱い所を見せたくないのか、気丈な態度で美瑠ちゃんに話しかけているけれど、反応が無いです。


 でもその時、僕はあるものを感じていた。

 ネコのぬいぐるみから発せられている妖気。それが、妖怪の妖気では無い、妖魔の妖気だって事を。


「美亜ちゃん、下がって。あのネコのぬいぐるみ、ぬいぐるみじゃないよ。妖魔だよ」


「何ですって?! ちょっと美瑠、どう言う事よ!」


 話しかけても、多分もう駄目じゃないかな? 見る限り、彼女は完全に妖魔に操られているみたいですからね。

 そして美瑠ちゃんは、赤く光る虚ろな目をこちらに向け、壊れた人形の様に言葉を発してきます。


「カマッテヨ……アソンデヨ、カマッテヨアソンデヨ、カマッテ、アソンデ……!」


「くっ、美瑠。あんた……」


「お~お~完全にその妖魔とやらに操られているな。あのガキの負の感情に潜り込み、それを増幅してやがる。どうりで、幼いなりして強力な妖気を放つわけだ」


 酒呑童子さんが、ひょうたんからお酒を飲みながら、そう言ってくる。この妖怪、お酒を飲まない時なんてあるんでしょうか……。


 いや……それよりも、今は美瑠ちゃんの方ですね。


 美亜ちゃんの家族だけでも大変なのに、その家族の作りだした闇は、重くて濃いものでした。こんな子に、そこまでの負の感情を芽生えさせたんだからね。


「アソンデ、アソンデ……アソンデクレナイワルイコハ、ノロワレテシンジャエェェェ!!」


 そして美瑠ちゃんは、目の前の階段を降りきり、僕達に向かって叫ぶ。赤い目から、血のような涙を流して。

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