第弐話 【1】 楓の過去

 旅館の受け付けも終わり、割り当てられた部屋に荷物を置くと、僕はおじいちゃんと楓ちゃんに連れられ、カナちゃん雪ちゃんと一緒に、奥の大きな建物の地下に向かっています。もちろん、白狐さん黒狐さんも一緒ですよ。


 僕の部屋は、手前の一般人用の建物で、カナちゃん達と一緒なんです。

 だって僕は、普通の人から見たら何の変哲も無い、ただの女子中学生ですからね。一般人の方で問題ないのです。


 その奥の建物が、妖怪用になっているんだけれど、なんとそこの地下が、妖怪食を作る工場になっていたのです。

 だから僕達は、楓ちゃんの父親である、その妖怪食の職人さん、妖食茶釜さんに挨拶をしに向かっているのです。


「ちょっ……か、楓ちゃん。ここ、手すりは?!」


 奥の旅館は、外観がお城みたいだったけれど、中はキッチリとした旅館になっていて、とてもびっくりしました。

 でも、もっとびっくりしたのは、地下へ降りる階段が螺旋状になっていて、そこに手すりが無かったことです。


 だから、恐怖で膝が震えてしまって、中々足を踏み出せずにいるんですよ。

 でも、下は見えているから、そんなに地下深くってわけじゃ無いです。それでも、10階建てのビルの高さ位は、あるんじゃないかな。


「ここの工場で働く妖怪さん達の中には、空を飛べる妖怪もいるっす。その妖怪達からしたら、ちまちまと階段で上がっていられないのです。飛んだ方が早いっすからね。その時に手すりは邪魔になるし、飛び易い様にと、螺旋状になってるっす」


「そ、そっか……働く妖怪達の事を考えた、良い職場なんだね」


 情けなくも、僕は白狐さんにしがみつき、震えた声で楓ちゃんに応えるけれど、楓ちゃんガッカリして……る風には見えないですね。


「姉さんは、あんまり妖怪の世界に馴染んで無いと聞きました。何だか、親近感を感じるっす。自分もそうでしたから。だから、姉さんに幻滅はしないっすよ」


 楓ちゃんの様子を気にしていたからか、彼女は僕に向かって、そう言ってきた。だけど逆に、その言葉の方が気になっちゃって、僕は聞き返します。


「えっ? どういう事?」


「あっ、大丈夫っすよ。自分は記憶を消されていないので。ただ自分も、人間としてある家族に育てられていたっす」


 そして、螺旋状の階段を降りながら、楓ちゃんは自分の事を話してくれた。


「姉さんみたいに、波瀾万丈では無いっすけど、自分は幼稚園と小学校を、人間の学校の方で行っていました。5年前までの話しっすよ」


 そう言ってくる楓ちゃんの表情は、どこか曇っている。もしかして、あんまり思い出したく無い事なのかな? それなら、無理して話してくれなくても良いんだけど。


 僕はそれを伝えようとしたんだけれど、楓ちゃんは止まる事なく、自分の事を話してくる。まるで、皆に聞いて欲しいみたいに。


「それまで自分は、人間だと思ってたっす。でも、5年前のある日の朝、鏡を見て驚きました。いきなり、狸の耳と尻尾が生えてたっすからね」


 階段を順調に降りながら、僕は少し真剣になって、楓ちゃんの話しを聞き続けた。


「自分はどうやら、妖術で人間にされていて、更には赤ん坊の頃に、妖怪の両親の元から誘拐されていたんだと、そう聞かされたっす」


「えっと、その育ての親は?」


 楓ちゃんの話しを聞いていると、事件性の匂いがするんだけど……これってさ、その誘拐犯、まだ逮捕されて無いってパターンじゃ……。


「自分がこの姿に戻った瞬間、育ての母親は泡を吹いて卒倒。父親の方は、警察に電話をした後、どこかに連絡を取ろうとしていた様っすけど、連絡がつかなかったみたいで、その後やって来た捜査零課の人達に、2人とも逮捕されたっす」


「逮捕? 何で?」


「妖怪売買の罪っすよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕はショックを受けてしまい、本当にそんな事があるのか、その確認の為にと白狐さんを見たけれど、白狐さんはゆっくりと頷いた。


『これも、前々から問題になっていてな。犯人の目星はついとる、例の組織じゃ』


 信じられない……楓ちゃん、僕以上にとんでもない経験をしているじゃないですか。


 そして例の組織と言ったら、恐らくは亰嗟の事だと思う。

 妖具や呪符だけじゃ無く、そんな事までしているなんて、いったいこの組織の目的は何なんだろう。


「まぁ、何で妖術が解けたかは分かんないっす。半永久的な妖術だって言ってたっすからね。そんな事より、もうすぐ狸オヤジの所に着くっすよ」


 楓ちゃんは、この話を昔の事の様に言うけれど、本当の両親にとっては、15年間耐え難い苦痛を受けていたはず。

 そしてその傷は、今も残っているはずだし、強がってはいるけれど、楓ちゃんにだってあるはずだよ。


「楓ちゃん……」


 だから僕は、白狐さんからソッと離れ、後ろから楓ちゃんを抱き締めてあげた。


「へっ? ちょっ、姉さん……何を?!」


「今楓ちゃんは、本当の両親の事を、親と思えていないんでしょ? それと、自分の事も……」


 すると楓ちゃんは、その場で立ち止まり、少し照れながら頬を掻く。


「あ~やっぱり、姉さんには分かっちゃいますか。姉さんもそうですよね?」


 その楓ちゃんの言葉に、僕はゆっくりと頷いた。


「その上僕は、記憶も封じられているからね。まだ本当の両親にも会っていないし、色々と不安だらけだよ。でもね――」


 そして、後ろに居る白狐さん黒狐さんを見ると、僕のもてる最大の笑顔で、2人を見つめた。2人とも、直ぐに顔が真っ赤になっちゃったよ。


「それでも、僕が僕でいられるのは、自分が人外の者で、実は妖狐だったって事を、こんなにもすんなりと受け入れられたのは、白狐さん黒狐さんが支えてくれているからなんだよ」


「そうっすか、羨ましいっす。自分も、そんな人が居てくれたら……」


 楓ちゃんはそう言うと、抱きしめている僕の腕に手を置き、少し震えだす。これはちょっと、泣いてるっぽいね。


「毎日毎日、自分の親だと言われても、自分には一緒に過ごした記憶が無いんですよ! 物心ついた時から、自分と一緒に居てくれたのは、人間なんですよ?! 化け物達に両親だって言われても、自分の姿を見ても、どれもピンと来ないんすよ!」


 これ……今まで相当溜め込んでいたみたい。

 楓ちゃんは、話す内に感情が爆発したのか、溜め込んでいた気持ちを、僕にぶつけてきている。

 抱きしめている僕の手の甲に、涙が落ちるのも分かる。きっと泣いてるよね。


 だから、僕はちょっとだけ、優しく抱きしめていた腕に力を入れる。


「それで君は、跡を継ぐのも嫌がったし、くノ一になりたいって言ったんだね」


 僕の言葉に、楓ちゃんが頷く。

 どこまで本気で信じているか分からないけれど、おそらく変化の術を極めて、また人間に戻りたいんだろうね。


 だけどそれは、多分無理だと思う。


「楓ちゃん、僕も色々聞いたけど――」


「人に変化する妖術は、あまりにも強力過ぎて、生涯に1度しか使えない。だから、半永久的なんすよね。知ってるっすよ。姉さんと同じ妖術をかけられていたんで」


 ちょっと驚きました。それを知ってて、この子はまだ諦めずに……何で、そうまでして?


「だけど、自分はまだ人間だって、妖怪じゃ無いんだって、自分の心がそう言ってるんです! だから、人間に変化するオリジナルの妖術を編み出して……!」


「楓ちゃん……」


「姉さん……ヒック、自分……グス。自分は、どうすれば良いんすか? 人間になれないのは、分かってるんです。でも、諦めたくない。だから、忍術なり何なり、何でも良いから人に戻りたいんです!」


 楓ちゃんの必死な言葉は、ここに居る全員が受け止めていた。

 特にこれは、半妖のカナちゃん雪ちゃんにとっても、他人事では無いらしく、僕と一緒になって、楓ちゃんの頭を撫でています。


「楓ちゃん。その答えは、自分で探すしか無いだろうけれど、楓ちゃんが潰れないように、僕が支えになって上げるよ」


「えっ? ほ、ほんとっすか?」


 僕の言葉を聞いて、楓ちゃんが後ろを振り向くけれど、涙で顔がぐしゃぐしゃですよ、楓ちゃん。


「うん。だからさ、君は君の納得のいくまで、好きな様にやってみたら良いよ」


「分かったっす」


 そして楓ちゃんは、一度前を向くと、袖で涙を拭い取り、しっかりと顔を上げた。


「しっかしあれだよね、椿ちゃん~今のね、あなたが男の子だったら、その子完全に落ちてたわよ」


 楓ちゃんが僕の腕から離れ、再び歩き出した時、カナちゃんが僕に耳打ちしてきました。でも、何を言っているのか良く分からないですね。


「何が?」


 首を傾げて聞き直すけど、カナちゃんと雪ちゃんはニヤニヤしているだけで、それに答えてくれません。

 すると今度は、楓ちゃんが足を止め、何かを思い出した様な顔をすると、慌てて僕の後ろに隠れた。


 どうやら、ようやく気が付いたみたいですね。


「し、ししし、しまったっす。ここがどこか忘れて、カミングアウトしちゃったっす」


 そう、螺旋状の階段だから、ここから下まで吹き抜けなんですよ。

 しかも、もうすぐ下に辿り着くって所で、大きな声で楓ちゃんはカミングアウトしたのです。つまり、下の工場に居る両親にも、さっきのは聞こえているはずです。


「やっと気づいた?」


「ね、姉さん。知ってて?!」


 楓ちゃんが、必死な形相で僕を見てくる。でも、どれだけ凄んでも、顔が真っ赤だから可愛いだけだよ。


 その後僕は、ちょっと舌を出して意地悪っぽく笑います。


「姉さ~ん!!」


「本当は、君が泣き出した所でだけどね。でもさ、両親ともしっかりと話し合ってくれないと、いがみ合ってるだけじゃ、解決策は見つからないよ」


 それを僕は、自分に言い聞かせる様にしながら、楓ちゃんに言った。


 だってそれは、自分にも言える事だからね。


 まだいがみ合ったままで、説得が出来ていない、湯口先輩の事とかね。

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