第拾話 【1】 心の壁は高く

 結局、先輩は去って行った。説得も出来ず、誤解も解けずにね。


 そして、先輩の心の中の揺らぎも無くなり、ただ僕を倒す事だけしか考えなくなっていた。

 それにもう1つ、僕への想いを切り捨てようと、必死にもなっていましたね。


『椿、あいつはもう駄目だ。完全に、敵として我らの前に立ちはだかるぞ。もう決心をしろ』


「うん、決心はしているよ白狐さん。絶対に、説得してみせるよ」


 僕はまだ諦めません。諦めないよ、絶対にね。


『椿、お前……』


 黒狐さんが何か言おうとしていたけれど、途中で止めて、白狐さんと一緒に呆れた顔をしています。

 だけど、何だかんだいって僕の1番の理解者、2人ともこっちに近づいて来て、僕の頭を撫でてきました。


『しょうがない奴じゃ。ならば、いくらでも手助けしてやるわ』


『そうだな、白狐よ。出会った頃の椿に比べれば、こちらの方が俺達の好みだからな』


 もしかして僕、いつの間にか2人の好みになるように、調教でもされていたのかな? 別に嫌ではないですけど、何だか納得いかないのは気のせいかな。


「椿君。何とかなったみたいだね」


「あっ、校長先生と……皆」


 すると僕達の後ろから、校長先生と他の生徒達が現れて、こっちを見てきます。


「椿ちゃん! 大丈夫だった?!」


「ふん、センターに連絡する必要無かったじゃないの。それより、最後に現れたあの3人、只者じゃないわよね。気配が完全に消えてたもん」


 そんな言葉が聞こえた後、校長先生の横から、カナちゃんと美亜ちゃんが出て来て、僕の元にやって来た。カナちゃんは本当に心配そうにしているよ。

 だけど、校長先生の近くに居る他の半妖達は、皆浮かない顔をしていた。そりゃ、全校生徒にバレちゃったからね。


「えっと……僕達はこれからどうしたら……」


「あぁ、半妖の私達は心配しなくて良い。半妖保護法というのがあってね、私達半妖の事が明るみに出た場合、記憶を食べる妖怪が出て、私達の情報を消してくれる事になっている。だけど……これは妖怪には適用されない」


 校長先生の言葉を聞き、半妖の人達が浮かない顔をしていたのが分かった。つまり僕は、このまま学校を去らなきゃいけないのですね。

 半妖以外の、他の生徒達の心の声を聞いても分かるよ、全員が怖がっているのがね。


『椿よ、こればっかりはしょうがない。妖怪というのは時折、人間達にその存在を知らしめ、畏怖して貰わないと、住処を乗っ取ろうとするからの。そういった中で、あの滅幻宗と言う組織が生まれたのだろう』


「そっか……妖怪は、悪い事ばかりするわけじゃ無いけれど、時にはそうやって怖がってくれないと、住処を追われるんですね……あれ? だけど妖怪達の住処って、人間の世界とは別にあるから、存在を知らしめなくても平気なんじゃないの?」


 不思議に思った僕が、その事を白狐さん達に聞くと、意外な答えが黒狐さんから返ってきました。


『あの妖怪の世界はな、人が畏怖する思いが詰まった場所だ。人が畏怖しなければ、あの世界は維持が出来ない。つまり、人が畏怖をしなければ、あの世界は消滅してしまうのさ』


「えっ……」


 そうなると妖怪達は、皆人間界で生活をする事になるの?


 その事を考えると、人の中に溶け込んで生活をするにしても、それにはやっぱり限界はあるだろうし、その内山奥に追いやられるだろうなって、簡単に想像が出来ました。


『今回こうやって、この学校の生徒達が妖怪の存在を信じ、怖がってくれるようになっただけで、あの世界は安泰じゃ。だから泣くな、椿。半妖達の記憶は消えんから、香苗達とは会えるんだ』


「あ、あれ? 僕、泣いてました?」


 白狐さんに言われて、咄嗟に目元を確認すると、指が濡れました。自分で気付かない内に、泣いちゃってましたね。


 やっぱり僕は、まだまだ弱いね。


「椿ちゃん、大丈夫。私は椿ちゃんの友達だもん。今度家に遊びに行くね。他の妖怪達も紹介してよ」


「うん、うん。カナちゃん、ありがとう……」


 カナちゃんは、優しく僕を抱き締めてくる。それが嬉しくて、僕は引き千切れんばかりに尻尾を振っていた。

 それを見て、カナちゃんは少し微笑んでくれたけれど、何だか僕がペットの様な感じがして、これはこれで恥ずかしいですよ。


 だけどそれを見て、1人の女子生徒が僕の下にやって来た。


「あ、あの。椿ちゃん……で良いのかな?」


「えっ? な、何?」


 その声にカナちゃんも反応し、僕を離して後ろを振り向いた。


「あなたは……」


「えっと、その。私がこんな事お願いするのもおかしいんだけれど、あの……その尻尾、触っても良い?」


「へ?」


 あまりの言葉に、僕は目が点になってしまっています。

 しかもその女子生徒は、僕を怖がっているように見えるけれど、それ以上に、この尻尾への興味が勝っているようでした。


亜里砂ありさ……まさか、あなたがそんな事を言うなんて」


 あれ? その名前……何処かで聞いたことがあるような無いような。思い出せないや。


 えっと、皆の心の声は……っと、学園のアイドル?


 確かに顔は整っていて、黒髪のロングヘアーが良く似合う、清楚系な美少女ですけれど、僕へ向けられるその目は、学園のアイドルとしてというよりも、愛玩動物に向ける様な目で、キラキラと輝いていて、触りたくってしょうがないって感じですね。


 皆の心の声では「流石亜里砂ちゃん、ここで優しさアピールとは」とか「ここで体を張れば、芸能界に行ったときも、体を張った事が出来るという策略か?!」とか、色々とこの人に対しての憶測が飛び交っているけれど、この人単純に、興味本位でしか無いと思うよ。


「えっと、ど、どうぞ……」


 別に敵意は向けられていないし、断る理由も無いので、僕は狐色に戻った自分の尻尾を差し出した。


「あっ、でも、あんまり強く触らないでね。ここ敏感だから」


 彼女の手が触れる前に、僕はそう注意をしておく。そうしないと、全校生徒の前で悶えちゃいそうなのでね。


「わぁ……フサフサ。触り心地も最高~」


「んっ……」


 彼女の手が触れた瞬間、ちょっと声が出ちゃった。

 やっぱり僕って、敏感過ぎるのかな? だけど、この人幸せそうだし、別に良いか。


「それと、ごめんね。あなたをいじめてしまって。何でそんな事をしたのか、自分でも良く分かんないんだよ。だけど、それを言い訳にはしたくないからさ、だから謝る。ごめん! それに、罪滅ぼしってわけじゃ無いけれど……あなた、この学校から去らないでくれる? 友達になりたいから」


「えっ? 僕をいじめて……あっ」


 いきなり謝ってきたから、いったい何事かなと思ったら、そういえばこの亜里砂って人は、他の男子2人と一緒になって、僕をいじめていた人だった。停学が解けていたのですね。すっかりと忘れていましたよ。


「ううん、大丈夫だよ。それに、あれも妖怪の仕業だったから――あっ」


 慌てて口を押さえたけれど、もう遅かったかな? 皆驚いて、一斉に僕の下に駆け寄って来ちゃった。


「おい、マジかよ! そんなにいっぱい居るのかよ、妖怪ってのは!」


「悪い妖怪がそんなに沢山居るなんて……ねぇ、椿ちゃんって、その妖怪を退治してくれるの? 守護妖狐……とかなんとか言ってたよね?」


「お前、頼むからこの学校から去るなよ! 怖ぇじゃねぇかよ!」


 だから、皆1度に言わないでってば。それと、心の声もうるさいですよ。


「ちょっと待ってよ、皆! 僕が怖くないの?!」


 慌てた僕は、後退りをしながら皆と距離を取るけれど、尻尾を亜里砂ちゃんに掴まれたままでした。


 待って……逃がさないって顔をしないでよ。


「いや、だって……俺達に危害なんて加えてないだろう? 確かにその姿に少しは驚いたけど、今はもう怖くは無いね!」


「それよりも驚いたのは、湯口よね~あいつあんな性格だったなんて」


「そうそう。あんな敵意剥き出しで、ガンガン攻撃して来ているのに、槻本は必死に説得しようとしてたもんな。アレを見たら、どっちが悪いかなんて俺達でも分かるわ!」


 どうやら、先輩達の株が急降下していますね。

 これは、相手の目論見通りにはなっていないようです。ということは、今回は僕達の大勝――という事で良いのかな?


「それよりも皆……僕、今だけ心が読めるのを忘れていませんか? いや、悪い事は考えてくれていないし、皆が言ってるのは全部本心だから、それ嬉しいんだけれど……あの、その。心の中で告白だけは止めてくれませんか?」


 心の声で「真っ赤になっちゃって可愛い~」とか考え無いで。それだけで、更に赤くなっちゃうってば。

 そして男子も、何キリッと良い顔をしているんですか! だから、心の中で愛の告白だけは止めて下さい。


「止めて止めて、待って待って! もう僕には、白狐さんと黒狐さんがいるんだから、それはダメェ! って、あっ……」


 もうさっきから、僕は失言ばかりです……だって、生徒の皆がこんな反応をしてくるなんて、全く思ってもいなかったんだよ。

 そして、僕が失言した後は「やっぱりぃ!」ってなってしまい、そのまま目をキラキラと輝かせながらの、質問攻めです。本当に勘弁して下さい……。


「違う違う! 間違えたの! 僕に告白なんてすると、白狐さんと黒狐さんが怒るよって、そう言いたかったの!」


 それでも、女子からの質問攻めは止まない。

 何で女子って、恋愛事になるとこんなにもテンションが高くなるのかな? 全員じゃないけれど、殆どの女子がそうなっていますよ。


「うひゃぅ?! えっ、ちょっ……!」


 するといきなり、僕の尻尾が強い力で掴まれた感じがしました。

 あの亜里砂って人が、尻尾を強く握ったのかと思ったら、何といつの間にか美亜ちゃんが、僕の尻尾を握っていました。


「ふふふふ、人気者ねぇ、椿~そうよねぇ、あなたの尻尾って、触り心地良いものね~」


「あっ、待って、美亜ちゃん。や、止めて……あっ、あぅ。止め、そんなに弄られないでぇ!」


 必死に止めてと懇願するけれど、多分美亜ちゃんは止めないと思う。だって、さっき美亜ちゃんの目を見たら、猫特有の縦に伸びた瞳になってたもん。興奮しちゃってるよ、美亜ちゃん。

 皆の前で僕を悶えさせたら、いったいどれだけ面白いんだろうって、そんな事を考えていそうな目をしている。


 尻尾までクルッと丸め、なんとも上機嫌なのは良いんだけれど、ちょっと待って……生徒の何人かが、美亜ちゃんにも近づいて行ってるんだけど。


「あっ、ちょっと、美亜ちゃん後ろ」


「なに? その手には乗ら――ふみゃぁ?! えっ、ちょ、な、何?!」


 なんと、その内の生徒の1人が、美亜ちゃんの尻尾に触っちゃいました。だから言ったのに……。


「ねぇねぇ。君も妖怪なの? 尻尾、触って良いよね?」


「わぁ~耳も触り心地最高だよ、この子~」


 あぁぁぁ……美亜ちゃんまでもみくちゃにされている。


「なっ……ちょっと! 止めなさい、あなた達! ひ、ひみゃぁぁあ!」


 美亜ちゃん……ご愁傷様です。

 お約束と言えばお約束の展開だけれど、ここの生徒の人達は、半妖も含めて変な人達ばかり、と言うことなんですね。


 それでもね……僕はあなた達に対して、心は開かないよ。


 傷つけられたこの心の傷は、そう簡単には消えないから。


 ―― ―― ――


「いやはや八坂よ、何とも愉快な事になっているな。人間の中の半妖達の記憶、消して来たぞ」


「あっ、センター長。どうもです」


「ふん、あの椿がな……しかし、どうなるかはこれからじゃな」


「これはこれは、鞍馬天狗の翁まで。えぇ、そうですね。彼女には是非とも、私達半妖と人間とのわだかまりを解いていただき、そして半妖が、人と妖怪その両方に怯えず、穏やかに暮らす為の力になって欲しいですね」


「椿にあまり期待はするなよ、八坂。まだ物語は始まったばかりじゃ。何が起こるかなんて、そんなの分からんわい」


「えぇ、そうですね、翁。心に――留めておきますよ」

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