第25話

 それはいかにも突飛過ぎる発言で、ようやく草が生え始めたばかりの意識では、笑うどころか、正確に捕捉することも出来なかった。

「殺される? 誰に?」

 躊躇う、一瞬の間のあと、

「多分」彼女が続けた言葉に、驚く他ない。「浅羽くん」

 当然、言葉も出なかった。

 浅羽に殺される。なぜ。

 しかし一方で、沈黙でいることももどかしく、

「どういうこと? 何でそんなことを言い切るわけ?」

「私はね、元々ここに居た木村雪乃ではないの」

 質問に対する答えとしては、斜め上を行っている。鈍重な、調子外れの脳内では、それを処理できない。

「何の話?」

 困惑にも、まるで動じる風でもない。

「つまり私は、別の木村雪乃だったの」

「別の?」

「そう、違う世界の」

「違う世界の?」ソファの上でようやく身体を起こし、理解しようと努める。「一体どういうこと?」

「私は今生きているけど、過去に死んでいるのね」しかし理解も容認も求めて居ないように、木村雪乃は話を続けた。「人間って死ぬとどうなるか、知ってる?」

「知らないけど……」禅問答のようだ。「無になると聞くけど」

 どうしてか、向こうでは微かに笑い声がした。

「違うのよ。人間は死ぬと、近似値の世界に収束されるの」

「近似値? 収束?」

「パラレルワールドの概念はわかる?」

「そりゃ、聞いたことくらいはあるけど」

「ひとつの選択に対しイエスかノーか。それだけで、人生は分岐していくのね。そして選択の数だけ、分岐した数だけ、違う自分が生まれていく」

 今更その基本理念の説明はどうだって良かった。

「それが?」

「死ぬと、少しずつ収束されていくの。剪定されるみたいに、切られた枝に向かうはずだった養分が、別の自分へ渡される。スライドしていくの。私はそれをもう何遍も繰り返している」

「ちょっと待って」

 空いた手で頭を抱える。

 彼女の言うことが全て真実であるとするならば、彼女は今日この日を、すでに経験したことがあると言うことか。パラレルワールドであれば当然まるきり同じというわけではないが、会話も、大方は似通ったものにでもなるのだろう。ならば今、彼女が笑った理由も、わかる。きっと同じことを、いつか言ったに違いない。

 不可解極まりないが、わざわざ電話を寄越してまで、こんなことを言うメリットが、あるとは思えない。

 しかし全てを信用すると言うことは、あろうことか浅羽幸弘が、木村雪乃を殺害したことすらも、彼女が経験した事実のひとつとして、受け入れることになってしまう。

 実に、悩ましかった。

「半分くらいは、何とか、理解できたと思う」

 言えたのは、せいぜいがそのくらいだった。

「半分も理解してくれたなら、だいぶ話が早いよ」

「それで」話の向きを整える。「どうして、浅羽に殺されるなんて言ってきたわけ?」

「うん、実はね、優にお願いがあるの」最後のお願いなの、と彼女は続けた。「私が浅羽くんに殺されないように、優に助けてもらいたいの。それで、この繰り返しを、止めてほしい」

 朝、意識は浮遊感を手にし、蝶になる。しかし彼女は同じ日々を繰り返しているだけで、真新しい朝を迎えられない。彼女は、ずっとさなぎなのだ。その中で死と転生を繰り返し、一向に羽化しない。蝶にさせてほしいと、言われた気がした。

 それは、自分の意識を彼女へ投影させすぎだろうか。

 しかし何より、

「わかった」考えることは、「浅羽を犯罪者にさせたくはない」

 木村雪乃が向こうで何かを言ったが、聞き取れなかった。もう一度言ってくれるよう促すと、

「今日の十一時半、桜野町の御心橋に来るよう、浅羽くんから連絡が来るの。そこで私は何か重要な話を、彼とする。そして結局、突き落とされて、殺されてしまう」

 脳裡に浮かぶのは、木村雪乃が浅羽幸弘を好いているのではないか、という話題だった。

 ただ、もしそれが逆であったならば。

 浅羽が彼女に対し何かを思っているようなことを匂わせたことはなかったが、彼の言った「友だちの多さは今は関係ない」「馬鹿だから誰とでも仲良くなれるとでも思ってんのか」という言葉だけを切り取ってみれば、それは好意を抱く相手に対する恥じらいにより、出来ていないのだと、見れないこともない。

 だとしたら、重要な話とは、告白だろうか。噂は噂に過ぎず、木村雪乃は浅羽のことを好いてなどいなかった。だから断った。逆上し、落とされる。そんな筋書きが、あるのだろうか。

「ひとまず、わかった」一度、意識して思考を放棄する。「それで、どうしたらいい?」

「あとで、桜野町の駅で待ち合わせよう」

 都合のいい時間を問われ、いつでも良いと答えると、午後十時に決まった。運命の時間までは、まだまだ十分な猶予があった。

「わかった。それに間に合うように出るよ」

「ごめんね、ありがとう」

 こちらはこんな話をすることになるなど想定もしていなかったのに、木村雪乃は充足したように息を漏らすと、もう一度礼を重ねて、通話を切った。

 意識が、生い茂る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る