第14話

 終業式の段階になって、木村雪乃が姿を見せた。日ごろ行動をともにしていた何人かの生徒が彼女に駆け寄り、思い思いの言葉を吐いている。誰にも愛されないほど、虚ろでもなかった。

 その中に、中西博美に引っ張られる形で連れて行かれる。

「雪乃、転校しちゃうんだね」こちらに注意を向けた彼女に対し、「優が寂しがってるの」

 困り顔を見せ、腕を絡めてくる。本気か冗談か、判別がつきにくかった。

 何か言わなくてはと思い、

「急なことでびっくりしたよ。大変だろうけど、がんばってね」

 しかし何を言ったらいいのかわからず、結局無難な口ぶりになってしまうと、

「この子ったら恥ずかしがっているの」お母さんになりきった中西が口元に控えめな笑みを貼り付け、「あとで話そうね」

 言い切り、また、彼女に手によってその場から誘拐される。

 登壇する面々の、当たり障りないことを婉曲に言いまわす無駄な時間を終え、クラスごとに教室へ戻っていく最中も、木村雪乃は話題の中心で、とうとう、泣き出す女子も出てきた。そうされることは、彼女にとって、酷く感激を齎すことだろう、と思うのは、やはり羨望からだろうか。誰かに惜しまれこの場を去っても、彼女を迎える新たな場が温もりを持っているかは、保障されないが、今、この瞬間を、素直に惜しみ、悲しみ、一方では喜んでいるような気がした。

 成績表が渡され、しばらく、意識はそちらに逸れたものの、

「それじゃあ最後に」

 担任のその一言と、目配せで木村雪乃は席を立ち、教壇に立った。そこから、全ての視線を集めるのは、教師でもなかなか難しい。彼女には今それが出来ている。目立とうと、目立たなかろうと、愛されようと、愛されなかろうと、こういうとき、人は注目を集めることが出来る。よっぽどの馬鹿や愚者に囲まれて居ない限りは。

「えっと……」

 改まって顔見知りにひとつ上の場所から話をすると言うのは、気恥ずかしさがある。しきりに頬に手を触れる彼女が今何を考え、これから何を言おうとしているのか、それは絶対的に期待され、ゆえに、切り口が難しい。気恥ずかしさと同時に去来するのは、その期待に対する苦手意識と言ったところか。

「親の仕事の都合で、急だけど、転校することになってしまいました」そして急に赤の他人になってしまったかのような言葉遣いへ、変わってしまう。「私はこの学校が好きだったし、みんなのことも好きだったから、ここで、みんなと、卒業したかったけど、えっと、その……」

 遅れて、思い出と、悲しみが彼女を包んだ。それが、さなぎへの変態であるならば、この上なく素晴らしい。

 言葉が続かなくなった。啜り泣きが点々と生まれる。

「がんばって」

 思わず口を突いて出た言葉に、あとが続く。

「がんばれ」

「大丈夫」

「ゆっくりでいいよ」

 啜り泣きに混じり、愛が、点々と、生まれる。

 幸福。幸福と言っていいだろう。いつか忘れるのだとしても、今、これは、美しいと表現すべき事象だ。

 自分を含んでのこの言い草では、自惚れのようではあるが。

「みんなのこと、忘れません。今まで本当に、ありがとう」

 つかえながら、ついには嗚咽を漏らし、木村雪乃は崩れるように座り込んでしまった。数人がそこへ駆け寄る。それを見ながら、次第に瞬きが多くなっていくのを、自覚する。感情は往々にして伝播していくものだ。

 木村雪乃が席に戻る前に、彼女と親しかった女生徒により色紙の贈呈が行われ、これは安物ではないのだという盲信からの感動で手を鳴らし、簡素なお別れ会はお開きとなった。

「それじゃあ夏休み、無事故でよろしく。木村も、次のところでも健康のまま、がんばってな」

 さらに簡素な言葉で、担任が場を締めると、教室はざわめき、木村雪乃と最後の会話を交わすもの、早々に帰宅するもの、散り散りになった。

 またしても中西博美に誘拐される形で、木村雪乃のもとへ近寄っていった。

 こういう、一対多数の談話が苦手で、なかなか輪に入ることはなかったが、周囲の流れに乗り、いくつか、言葉を吐き出す。そうしているうちに、段々、木村雪乃の転校が現実味を帯びてきて、確かに、寂しいと感じるようにさえなっていく。修学旅行後、これと言って特別に親しくなったわけでもないのに、どこか不思議な胸中を、理解することは不可能で、素直に、受け入れていった。

 とは言え今の世の中、メールも電話も手軽に出来る。ここで、この雰囲気に執着することにどれほどの意味や価値があるのか、あえて考えてみることはなかったが、余りに仰々しい別れの挨拶を済ませてしまうと、今後は会わなくなってしまうのかもしれないと感じ、言葉数は増えなかった。多分、好きか嫌いかの二択しか用意されていなかったとしたら、木村雪乃のことを好いていたのだろうと、今更になって、考える。今までにもっと話をしておけばよかったか。

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