第13話

 箱の中の、小さな箱では、不可視の階級制度が存在する。不可視であるから、これを「スクールカースト」と明言するにはいささか躊躇いがあるが、全員が無意識に、それを意識しているのは明白だった。

 その場合、自分がどの位を得ているのか。そして転校するという木村雪乃は、結局、この場で何位と評価されうる立場を獲得して、去るのか。

 もう一度形成しなおすことを考えると、哀れとも思えた。

 乖離した意識とは別に、遅れてやってきた浅羽幸弘も交え三人で下らないことを口にしながら時間を過ごしていると、不自然にビニール袋を揺らしながら担任が入ってくる。各々席に戻り、渦巻く噂と、空白のままの席に無遠慮な興味を傾けながら、最初の言葉を待っていた。

「えー、聞いているやつもいるかと思うが」その期待に応えんとするかのように、「夏休み中に木村が都内に転校することになった。実際は今日限りってことだな。急なことで驚きと寂しさがあるだろうが、まあ、普通に接してやってくれ」

 言葉を選んで、並べていった。

「今日は来るの?」

 誰かが聞くと、

「このあとの終業式から参加する。あと三十分くらいか。だからちょっと今のうちに」持っていた袋から色紙を取り出し、「これになんか書いといてくれ」

 窓側の最前列の生徒に渡す。

 宮内明日香は受け取るなりすぐに後ろを振り返り、何を書くか相談を始めた様子だった。酷く楽しそうな様子が、不謹慎なのかどうか、判断はつかない。

「何でもいいから書いてやってくれ。書いたら後ろに回して、一列終わったら隣に回してくれ」そしてまた教室がざわめき始めるのを尻目に、「じゃあ俺色々あるからちょっとまた職員室戻るなー。いいかー、ちゃんと書いとけよー」

 丸まった背中をドアの向こうへ隠してしまう。

 浅羽は解放されてすぐ、宮内のように振り返り、

「お前なんか書くことある?」

 自身がそうではないからか、キーセンテンスになりそうな記憶を掘り起こすきっかけを求めた。

「まあ、修学旅行一緒だったし。思い出はあるよ」

「ああそっか。そういえばそうだったな。難しいなあ、クラスメイトって言っても全員と仲いいわけじゃないからなあ」

「浅羽のくせにそういうこと言うんだね」

「何? どういう意味?」

「いや、全員と仲いいんだと思ってたよ」

「苦手なやつくらい居るぜ?」

 それは、木村雪乃を指しているのだろうか。そして自分は、その苦手には含まれないと思ってよいのだろうか。考えは口にならず、気付いたときには霧散し、中央には別のワードがポツリと放られた。

 転校。

 確かに新たな立ち位置を形成しなおすのは至極面倒で、ましてやそもそも自分がどこにいるのかもわかっていないような状況で放り出されるのは、御免ではある。

 しかし。

 一方では、若干の、羨望があった。

 これまでに自身に絡みついた一切のしがらみを断ち切り、それこそ、蝶のように新天地で羽ばたけるかもしれないと思うと、それは自由と言うに相応しく、なかなか、望んで手に入るものではなくなる。プラスの方面に向く可能性というやつはいつだって輝かしく、掴みたいと願ってしまうものなのだ。

 日々、退屈に埋もれ、着々と墓の準備をしている。毎朝、目覚めに蝶のイメージを浮かべる。

 羨ましいのだと、言葉にすると陳腐な感じがして定めたものとは微妙に異なるが、思うくらいなら「羨望」と書いてもいい。

 と、考えるくらいには、自身の状況の変化を望んでいるらしかった。別に、何かが苦しいわけではなかったが、大体の人間が考えることではあると思う。

 色紙が巡ってきて、浅羽がペン先に視線を向ける中、

「木村さんに借りたCD、今でもちゃんと聴いてるよ。離れてもまたお勧めを教えてください。今までありがとう」

 修学旅行の最中に話し、後日持って来てくれたCDの曲は、事実今朝もしっかりと耳に入っていた。

「おいおい、真似しようと思ったけどこれじゃ無理だわ」

「言っとくけど真似しようとすること自体が間違いだからね」

「こういう改まって書くやつ、苦手なんだよなあ」

 人気者らしく、周囲に茶化されながら、浅羽がペンを握るのを、ぼんやりと眺めていた。

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