序章―2 二〇一〇年〇七月二十日_guilty

    3



(なんだろう急に呼び出して)


 樹はある人物に呼び出されていた。

 そのためわざわざ、夜も八時をまわり人気のなくなった公園のベンチで一人座っているのである。


(雪菜……)


 あの告白から丸一日とちょっと過ぎ。スマホの無料通話アプリにメッセージが送られてきていた。

 送信元は雪菜。



 公園に来て



 この一言のみ。

 

(……私の新しい彼氏紹介します。とかだったりしてね)


 そんな想像を膨らませているとなんだか胸にざわつくものを感じてしまう。

 この気持ちはなんだろう。まるで自分の物を取られたようなこの感じ。

 樹には一つだけ思い当たるものがある。

 

 嫉妬だ。


(昨日あんなふざけた振り方しておいて今更嫉妬か。とことんクズだよなあ俺は)


 今日なぜ呼び出されたのかも気になる。

 しかしもう一つ、昨日の別れ際のあの一言も彼を悩ませていた。

 だからこそそれも含めて丸々聞き出してやろうと意気込んでいたのだ。


(落ち着かない)


 顔の汗は緊張によるものか、それとも七月の熱気のせいなのか。

 樹はひとまず気を落ち着けるために自販機で飲み物でも買おうとベンチから立ち上がった。

 財布を捜そうとポケットを漁る。

 が、しかし、


「須藤樹くんですね?」


 不意な後ろからの声。多分、女。

 そして街灯に照らされた銀に光る、何か。

 尖った重みのあるそれは樹の首元に当てがられていた。


「ななななななな、何!?」

「静かに。周りに民家があるんですから通報されたらマズイんですよね。もっとも、そうなったときはキミの頚動脈がどうなるかしりませんけど」


 イタズラ?

 そうは思えない。

 背後に音もなく忍びよってこんなことをできる人間に心当たりなんてない。

 そしてなにより、首もとにサバイバルナイフを向ける冗談なんて明らかに度をこえている。


「おおおおおお、ほれに何きゃ、か用かよ!?」


 怖かったができるだけ虚勢を張った。声は裏返っていたし噛みまくっていたが。

 でも最後まで男らしさは貫き通していたかったのだ。


「静かにしてください。 ……須藤くん、来てもらいたいところがあるんですが。いいですよね」

「いやに決まってんだろ!」

「お静かに。というか来てもらいたいではありませんね。


 底冷えするような声、という表現でいいのだろうか。

 その声音からは次はないぞと口にしなくても伝わってきた。

 とりあえず従うしかない。

 指示のまま一歩前へ進む。


「…………、」

「そうです、そのまま」


 次の言葉は聞こえなかった。

 ドスッ、という腹部への衝撃が先に頭を駆け巡ったからだ。

 腹に重い痛みが圧し掛かってくる。

 胃の位置をずらされたのかと錯覚してしまうほどの強い一撃。


「がッ…………!」


 そして、後頭部。

 鈍器で叩かれたような衝撃が走る。

 体から力が抜け、重力に逆らえずそのまま地面に倒れる。

 もう片方の手に何か持っていたのか素手での一撃なのかはわからない――そこは別に重要なことでもない。

 意識が遠ざかっていくのを感じる。

 そんな中、女の無機質な敬語はむかつくことに、はっきりと聞き取れた。


「申し訳ありません。さんざんの警告にも関わらず大声をだしてしまわれたので罰を、と思いまして」


 あいつに担がれているのか体が宙に浮く感覚を味わう樹。

 助けて、という言葉がでない。

 文句も罵詈雑言も出ない。

 それどころか声帯を振るわすことすらできない。

 視界はボヤけているが、ドアの開閉音など聴覚に頼った情報から車に詰め込まれているのはなんとなくわかった。


「出してください」


 女の一言で車が発進する。

 樹は後部座席に寝かされていた。体を改造されたシートベルトで軽くそれでいて効果的な位置に巻かれている。検問対策の一環だろう。


「睡眠薬は必要なさそうですね。それでは樹くん、よい夢を」


 樹の車内の記憶はそこから全て抜け落ちていた。


    4


 頭と腹に響く鈍痛と医療用の手術で使うライトで目が覚める。

 ここはどこなのか。

 今、樹はやたらふかふかとしたベッドに寝かされていた。高級ベッドさながらだが、今はそんな物を味わっている場合ではない。

 ここに寝かされる前に何があったのか、だ。

 痛む頭を我慢しつつ、記憶の糸をたどる。

 幸い先ほどまでの出来事を思い出すのに然程時間はかからなかった。

 誘拐されたのだ。

 それは間違いない。

 

「目が覚めたかね」


 中年くらいの男の声。

 樹は声のするほうへ目を向ける。


「気分はどうだね、樹くん」

「あなたは確か雪菜の……」

「伯父……にあたるのかな。雪菜から見れば」


 雪菜の伯父の五十嵐旭。五十嵐重工の社長だ。

 何度か、樹の家に招かれ父親と酒を飲み交わしているのを見かけたことがある。

 酔い始めた樹の父の息子自慢が始まり、酒の席に引っ張りだされたことがあったため彼とは幾度となく顔を合わせていた。

 知っている顔とはいえ、この状況で彼が味方だなんて都合のいい考えはもてない。

 だから少し強めの口調で彼に問いかけた。


「ここはどこなんですか!?」

「研究棟。私たちの今の仮の職場かな」

「父さんは来てないんですか、話がしたいので会わせてください!」

「……………………、」


旭の態度は樹の心境とは全くの逆であった。


「彼は今いないよ」

「同じ職場なんでしょう? なんで……」

「必要ないからね。それに私は君と話がしたかったんだよ」

「……俺と?」


 樹は困惑した。

 こんな態勢で――しかも誘拐までされなければならない話に心当たりなどない。


「とてもいい話だ。君ならきっと気に入ってくれる」

「…………じゃあ、なぜこんな真似するんです」

「まぁまぁ、それより聞いてくれるね?」


 樹に批判する間すら与えず彼は語りだした。


「冷凍保存計画、樹くんなら知っているよね?」

「……ええ」

「なら話は早い。君をここに呼んだのもそれに関係することなのだよ」


 旭はにっこりと微笑みながら続ける。




「樹くん、君に冷凍保存装置の実験台になってもらいたい」




「………………………………………………………………は?」


 意味など分かるはずもない。

 真っ白になりかけた頭で樹は聞き返す。


「いや冷凍保存計画は中止になるんじゃ……」

「そこまで知っているのか。ホントに君を選んでよかったよ。……そうだ、確かにそれは白紙になってしまうのだよ、このままではね。そこで君の出番と言うわけだ、樹くん」


 彼は白衣の胸ポケットのボールペンを取り出しクルクルと回しながら話をしている。

 クセなのだろうか。


「新聞やらテレビやら週刊誌やらで見ただろう? 私たちの開発した装置がウソっぱちだと叩かれているのを」


 見たことはあった。

 樹も実際、初めは信じていなかった。

 しかし、未知のモノへの好奇心のほうが彼の中で勝っていた。

 だからこそ参加したいという気持ちも嘘ではなかったのだ。


「あれは決してウソなどではない!! 我々の、努力と! 汗の! 結晶なのだ! ソレを……エセ技術者の作った幻想などと……!! バカにしおって……!!」

 

 旭の激昂の後、場は静まり返る。

 ピキッというボールペンの軋む音だけが聞こえた。


「……すまない。君に言っても仕方なのないことだったね」

「…………、」


 誰だって自分の努力を否定されれば怒りもする。

 それが小さくても、人生を賭けた大きなものであってもだ。


「とにかく、あの装置は本物だ。何度も、何度もシミュレートし、マウスなどで飽きるほど実験もした! コレを本物と呼ばずなんと呼ぶのか!」


 ペンにヒビが入りそうなほど拳を握りしめながら彼は語る。

 

「私の人生を賭けた一大プロジェクトなんだ……、これが失敗したら私は……。だから樹くん、君にしか頼めない。お願いだ」


 間違いなく、路頭に迷うだろう。

 彼の家族の顔が頭に浮かぶ。


「何が欲しいんだ? うん? お金かい? 今はまだないが、この企画が成功したらいくらでも渡そう。なんたって、元々は国防のための技術だからね! 国に売れば莫大な資金になる! どうだい? いい話だろう?」

「………………………………、」


 金。男らしさを目指すには甲斐性も必要だろう。

 それでも樹は考える。


「どうした? それでも足りないか? なら姪の雪菜と君は仲が良かったよね? だったら雪菜も樹くんにやろう! 私の娘だってやる! 好きなようにしなさい。男の夢だろう?」

「………………………………、」


 女。男なら誰だって望んで欲しがるに違いない。

 ましてや相手は雪菜だ。

 それでも樹は考え続ける。


「なーに、文句は言わせない。恥ずかしいことだって好きにすればいい。うんうん気持ちは分かるぞ? 私も男だからね」

「………………………………、」


 ……そうかこいつは。

 樹はまだ考える。


「成功すればきっと君は英雄だ! 金、女、名誉。これ以上望むものが君にあるのかい? いいぞ、いいぞ何だって言ってごらん?」

「………………………………、」

 

 樹は思考を終えた。



 答えは決まった。

 樹はようやく口を開く。


「素晴らしいですね」

「そうだろう!? やはり、樹くん! 君に頼むことしかできない! …………やってくれるね?」

「答えは決まってます」


 にっこりと、旭の目を見て言った。



「やらねーよクソ。さっさと解けクズ野朗」


 

 彼はしばらく、無言だった。

 予想に反した答えを突きつけられた旭は重々しく口を聞く。


「…………どうしてだい? 悪い話でもないだろう?」

「やり方が気に入らない。それだけ」


 樹は続ける。


「大体アンタは雪菜を何だと思ってるんだよ。人に軽々しくやる程度の存在なのか」

「何を言うか。姪っ子だが私の家族だ。大切に思っているさ」

「ウソを付くな。そもそも人の誘拐を指示してるヤツの言うことを信じるバカがどこにいるんだ」

「手荒な真似をしたことは謝ろう。なんだったら、君を痛めつけたアレを今この場に呼んで頭を下げさせてもいい。実験に成功したら彼女にどんな辱めを受けさせてもいいんだ」

「そこが気に入らないつってんだけど。人間を実験のための便利な駒や道具のようにしか考えていないところがね」


 大切に思っている?

 バカを言うな。

 そんな人間が娘や姪を『やる』だなんて口にはしない。

 


「お前は狂ってる。そんなヤツの提案になんて端から乗る気はないよ」



「………………………………、」


 無。 

 沈黙。

 静寂。

 どれもこの場を表すには適当な言葉だ。

 反抗を示すためにあえて樹は何も語らず、黙っていた。

 それほどに頭にきていたのだ。

 

「君は実験に参加したい言っていたと姪から聞いていたのだがね。あれはウソなのかい?」

「……ウソじゃない。やってみたかったさ。でも今はお断りだ。こんなふざけたやり方する人がいるとは思わなかったよ」

「なら私が直接、お茶にでも誘ってやさしく頼めば君はついてきただろうね」

「わからない。まあいずれどこかで気づくかも、アンタの腐った本性に」

「樹くんの言っていることはどうも腑に落ちない。やり方はどうあれ君のやりたかったことじゃないのかい?」

「嫌だね。人体実験っていうのは開発者と被験者の信頼関係の上で成り立つものだと思ってる。こんな危ない考え方をした人の作ったモノなんて信用に値しないよ」


 マウスなどの実験動物でやればいいのだろう。だがそれでは実験結果の分かる範囲に限界は訪れる。

 いつか人に使ってもらうという目的の元に作っているのだから最終的に人間の誰かがやらなければならない。

 五十嵐重工がやったように、他の医学の研究施設がやっているように、実験の志願者を募る必要はある。

 被験者は見ず知らずの人間に全く知りもしないモノで実験される。それに不安を抱かない人間なんていない。だからこそ開発者達は相手とのコミュニケーションを大事にする必要があるというわけだ。

 だが旭から人間を思いやる気持ちというものはこれまでの会話から少しも感じられない。

 そんなやつに自分の体を預けるなど、自殺行為と言い換えても差し支えないだろう。


「…………そうかい。残念だ」


 旭は落ち込んでいる――風を装いながら後ろを振り向く。

 彼はこれで諦めるような人間ではないだろう。

 なぜなら樹をベッドに押さえつけている拘束具は未だに外されていないからだ。

 

「私と君は価値観が非常に良く似ている、と思ったのだがね」

「……いやだけど確かにそうかもね。自分でこうだと思ったものに周りのことを考えずに突き進んでいくところとかそっくりだ」


 この自己評価は力也に言われたものであって、決して自分で自分をこうだと思ったわけではない――自己評価、というよりは他人からの評価になるのだろうが。

 しかし、樹自身この評価には納得できてしまうのであった。

 自虐的とも言わざるを得ないが、突き進んだ後の結果を振り返ってみると力也や雪菜のやれやれ顔が浮かんできてしまうのだから救えない。


「君とは分かり合えると思ったが仕方ない」


 旭は樹の寝かされているベッドとは反対の方へ歩き出す。

 嫌な予感がした。


「待て! 一体何を……」

「分かってもらえないのだから仕方ない。無理やりにでも実験はやらせてもらうよ」

「……ッ! ふざけるなッ! 最初から話し合う気なんてなかったんじゃないか!! こんなマネまでしておいて!」

「保険だよ。念のためさ。君なら九十九パーセント乗ってくれるとは思っていたけど、まさか残りの一の方だったとはね」


 樹はドアの方へ歩いていく旭を睨みつける。

 旭を見ていた視線の途中で何かの違和感を感じた。研究棟だと彼は言っていたが。


「ここはもしかして……!」


 研究室のどこかの部屋だと思っていたが違う。

 そして樹の予想は確実に当たっている。


「冷凍保存装置の中……ッ!」

『正解だよ』


 マイクで通された旭の声が聞こえた。

 樹の頭に見たこともないような装置が機械的に取り付けられる。


「やめろッ!」

『大丈夫だ、二週間後君は賞賛される。自ら危険を冒し、人類の科学の発展を願った少年としてね。そうなれば君も納得できるだろうさ』


 プシューッ、という音と共に装置内部の温度は下がっていく。

 

『ちょっとチクッとするが我慢してくれ』


 頭部の装置から注射器のような細長い突起が現れ、樹の頭へ直接刺していく。


「痛ッ……!」


 拘束具を外そうともがく。だが、平均よりも力のない樹にはミシミシという音を立てることさえもできなかった。

 誰か。

 誰でもいいから。

 

「た……ふ……」


 呂律が回らない。

 薬の効果が現れ始めたのか徐々に体の感覚が薄れていく。

 抵抗しようとしていた腕が止まってしまったし、それどころか口を動かすことすらできない。

 先ほどまで寒いと思っていた室温も今では全く感じない。


「…………、」


 重くなった瞼を限界まで開けながら視線を動かす。

 だがこれといって何があるというわけでもなく、無機質で冷たい白い壁で周りを覆われているだけだった。

 死ぬのだろうか。

 多分死ぬことはないのだろう。

 だが、こんなヤツの作ったものが正常に動作するのかは疑問ではある。

 自分の最後に見たものがただの白い壁だなんてやり切れないなんてものではない。

 だから樹は願ってしまう。

 せめて最後にもう一度。

 あの子の。

 あの少女の。

 顔を。


「ゆ…………な……」


 樹の意識は白の壁から黒い闇に飲み込まれ。

 やがて途絶した。

 

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