どうやらこの世界に男は俺一人だけらしい

らいちゅそ

序章―1 二〇一〇年〇七月十九日_confession


    1


「俺は本気だよ。絶対にやるから」


 七月十九日、学生にとっては涙の出るほど嬉しい夏休み、その一日前のこと。

 終業式も終わり早々と学校を抜け出し、せっかくだから夏休みの計画でも立てようかと自分を含めた三人でファミレスへ入った。

 しかし、この場にはプールで女の子の半裸を目に焼き付けに行くぜよっしゃあ! とか花火大会でアイツを誘って告白イベントだぜ、みたいなことを考えている雰囲気は感じられない。


 まあそれには理由があって、


「おい、マジで言ってるのか樹? 冷凍保存コールドスリープ装置の実験に参加だなんて」

 

 いつきの親友兼師匠である小谷力也こたにりきやはメロンソーダをストローで啜りながら問う。


「マジのガチの正気だよ」


 樹の即答に場にしばし沈黙が流れる。

 その静寂を突き破るように彼の隣に座っていた五十嵐雪菜いがらしゆきなは、はぁとため息をつきながらも口を開いた。


「実験用のマウスじゃないんだから、時間はもっと有意義なことに使ったらどう?」

「十分有意義じゃんか。人間の最先端技術をこの身を持って味わえるんだよ? こんな男らしいことはないじゃないか!」

「……男らしいっていう考え方があなたと私では乖離しているようね」

「多分それは雪菜だけじゃないぞ」


 冷凍保存装置。

 二〇〇九年の十二月末、中小企業『五十嵐重工』がその開発に成功したというとんでもないニュースが各メディアにて取り上げられた。

 科学の進展、技術的なブレイクスルー。

 ノーベル賞モノとも言われたであろうその装置。

 しかし、大衆の反応といえばデマ、大ホラ、大嘘ぶっこいてからの炎上商法などなど冷たいものばかりであった。

 対しての企業はそんなものに構わず、一ヶ月前から実験の参加者をマスメディアを通じて募っているのだが誰一人として集まらなかったらしい。今現在も募集をかけているとのことだが、報酬の少なさ(日雇いのバイト以下)、失敗時のリスク、反団体の結成などのマイナス要素が仇となり計画自体が頓挫するのではないかと最近まことしやかに言われるようになった。

 できたんだったら証拠を見せてみろよという小学生並の煽りに対抗すらできないのである。


「私の伯父があなたに何か言ったの?」


 彼女の五十嵐、という苗字が被っているのは何も偶然ということではない。五十嵐雪菜の伯父が社長なのだ。

 そして何の偶然なのか樹の父親の会社が雪菜の伯父のところと仕事をすることになったらしい。二つの会社の共同企画プロジェクトというわけだ。

 

「別に何も言ってないよ」

「そう……、伯父さんはあなたのことかなり気に入っているみたいだから、何か吹き込まれたのかと思ったわ」

「ないよ。仮にも人体実験なんだから俺にそんな事させようだなんて口にしたら父さんがブチ切れるもん」

「そもそもなんだけどな樹、まず俺らには『実験に参加』からの『男らしい』の図式がさっぱり理解できないんだよ。その間には何が挟まっているんだ?」


 ピッチャーの持っていたボールがいつの間にかキャッチャーのミットに収まっていたぐらいのとんでもない理論。どう投げて、どんな速さでボールがバッターの前を通ったのかという説明が欲しいのだ。


「うん? まずあのバカでかい機械に入ること自体が男のロマンだろ? それから、あれだけテレビやら新聞やらで話題になっている最新鋭機器に携わることになったらどうなると思う? 夏休み明けはきっと俺の話題で持ちきりだよ絶対!!」

「それは男らしいとは言わん。モテたいっていうんだ」

「要するにチヤホヤされたいってことでいいのね」

「何!? 女の子にモテるってのは男らしくないのか!?」

「……まあ似てるけど例えるならラーメンと冷やし中華ぐらいの違いかしらね」


 樹がここまで男らしさを求める理由。それは彼の顔、そしてそこから下にある。

 男にしては中性的な顔立ち。

 そして、一般男子平均よりも低めの身長。

 そして、女の子と間違えてしまうほどの高めの声。

 そして、細く華奢な体つき。

 さらには母親のフランス系カナダ人という血の遺伝もあり、幼稚な顔つきに拍車がかかっている。とはいえ彼は特別ブサイクということでもなく、寧ろ高校の先輩女子の方々には人気がある(らしい)。

 それが嫌だった。

 昔から樹にとって自分自身はコンプレックスの塊であったのだ。

 母親、そして樹の姉。彼女らが全ての元凶である。


「どうして二人は反対するんだよ……。俺が姉ちゃんや母さんにコスプレ人形にされてるの知ってるだろ? もうあんなのは嫌なんだよ」

「知ってるけど似合ってたしいいじゃない。……


 うぐ、と樹はテーブルに突っ伏す。

 彼のトラウマを的確に抉っていった雪菜はアイスコーヒーを口に運びながら携帯電話をいじる。


「そういえばまだ写真残ってるんだけど、ここらで黒歴史でも振り返っちゃう?」

「やめて!」

「言うこと聞かんというなら一斉送信でバラ舞いてもいいがな。多分、一部の女子なら喜ぶと思うぞ。……うん? 待てよ。っていうことはお前普通にモテてるじゃないか。良かったな樹」

「良くないよ! 俺は力也お前みたいに女々しいのところがない、完璧な男としてモテたいの!!」


 机に伏していた樹は顔を上げ、怨念をこめた目で力也を睨みつける。


「ていうか、俺のどこが男らしいっていうんだよ」

「身長」

「親からの遺伝だ」

「顔」

「親からの遺伝だ」

「筋肉」

「中学でバスケやってたからついただけ。副産物だ」

「雰囲気」

「それは知らん」

「むぅ……。力也はズルい」

「なんでだ。そもそも筋肉以外はどうにもならんだろうが」


 樹には納得がいかない。

 まず、体というものは生まれた時点でほぼ決まってしまう。しかも本人の好き嫌い問わずで、だ。

 人間は生まれながらにして平等であるという言葉があるが本当にそうだろうか?

 ここまで人間の体に個性というものを与えておいて平等もクソもない。

 つくづく世界っていうのは不平等なんだなと感じられずにはいられなかった。


「樹は欲張りよ? こーんなにかわいい顔してるのにないものねだりをするなんてね?」


 雪菜はニヤニヤと携帯の画面を二人に向ける。

 彼女の手にしている携帯電話のディスプレイに朝八時くらいにやっていそうな魔法少女アニメの服を着た女の子が写っていた。

 ちなみに樹の家に二人が遊びに行ったとき偶然撮影に成功したものだ。 


「それやめて!! もう見たくないから消して今すぐに!」


 隣にすわっている雪菜の携帯を引ったくり、削除の機能を探すためボタンを触る。

 が、


「……あれ? 送信中?」


 画面にはメール送信中の文字。

 なぜ?

 そもそも、これはどこへ送られている?

 樹は額から全身に嫌な汗が流れるのを感じた。


「……樹、私の携帯ちょっと変わった機能がついててね」

「……うん」

「画像を見る機能から直接私のブログに写真を掲載するっていうやつね」

「へ、へえ」

「で、これ多分私の使っているブログのサーバーに送信されてると思うのよ」

「…………………………つまり?」

「あなたのカワイイカワイイコスプレ写真がネット住民の目に晒されているんじゃないかしらね」


 ハハ、という乾いた笑い。

 本当に焦ったときってこういう感じに声すらまともに出ないんだろう。

 でも。

 その直後は大体、


「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!」

「ほうやるじゃないか樹、自ら黒歴史をネットに晒すとは。それはそれで、?」



    2



 それから二、三時間後。結局、夏休みの予定を決めることも樹の説得もできずファミレスを後にした三人。

 夏至も一ヶ月前に過ぎ日照時は長く、まだまだ夕日になりかける頃だ。


「ただ駄弁っただけじゃねえか……」

「いいんじゃない、いつも通りで。行き当たりばったりなこの感じ、私は好きだけど」

「うん、そうそう! 適当なこの感じ! まさに男だよね!?」

「「………………、」」


 樹の常人とは少し離れた思考を二人はスルーすることに決め、別の話で場をつなぐ。


「そうそう、さっきの話なんだけどね。冷凍保存計画、あれ中止になるっぽいわよ」

「え、なんで!?」

「……ニュースとかでやってたでしょ。世間からのマイナスイメージが付きすぎてスポンサーが誰もつきたがらないのよ。資金難のせいでこのままじゃ終わりね」

「そんな……、だったらやっぱり俺が」

「樹」


 力也のいつにもなく厳しい声が、樹の言葉を止めた。

 

「お前が何をしようと俺は止められない。だが、自分のことは大切にしろ。成功するかもわからない人体実験にお前が本当に参加する必要はあるのか?」


 あるといえばある。

 だが、それは誰のためなのだろうか。

 いうまでもなく自分のためだ。男らしくありたいという身勝手な自己欲求。それを満たしたいがためにリスクのある人体実験に参加しようというのだから。

 

「…………、ごめん」

「いい。お前は昔っからやろうと決めると止まらない悪い癖がある。たまに間違っている方向に進もうとしたこともあったからな。慣れっこだよ」


 小学校からの友人である力也にとって樹の暴走を止めることなど造作もないことだ。樹が男らしさの塊な力也を見て弟子にして欲しいと頼み込まれたあの時から、今までそんなことは何回だってあった。思えば、師匠になってくれだなんて頼みごとだって暴走の生み出した結果の一つだったのではないだろうか。


「うんうん、さすが師弟なだけあるね。弟子にしてくれってお願いしてるところ見たときは少しびっくりしたけど」

「だって雪菜も知ってるでしょ、小学三年のときの力也の姿。九歳であの身長にあの顔にあの大人びた性格、雰囲気! 俺の理想そのものだったよ!」

「俺は意識したつもりはないが、そう直球に褒められると恥ずかしいな」

 

 ハハハ、と笑い声が帰路に響く。

 昔話に花を咲かせる各々。

 そのまま三人家路につきながら、他愛も無い会話をしていた。夏休みのこと、二学期のこと。クラスの人、先生。

 誰でもできるようなとりとめのない話。

 いつも通りの日常。

 でも、


「樹」


 分かれ道で雪菜は彼の名を呼んだ。

 ちなみに力也は一つ前の道で、すでに分かれている。

 樹と雪菜、二人だけ。


「何?」

「樹は私のこと好き?」

「へ?」


 樹は特に何も考えず、すぐに返答する。


「うん」

「それはどういう意味で?」


 どういう意味? っていうのはどういう意味なんだ。

 という樹の思考を無視し雪菜はつづける。


「ねえ、樹。私と」


 何かが違う。

 まず、雪菜の顔が真っ赤なのは夕日のせいなのか。ここまで考えて樹は先ほどの言葉の意味を理解した。

 彼女の口から出たのは樹の想像したとおりのものだった。


「付き合ってほしいの」


 ………………。

 ………………………………………………。

 どうする。

 

 まさかの雪菜の突然の告白に頭が真っ白になり始めた樹。

 なんで、どうして?

 今の今までそんな傾向を彼に見せたことはなかった。

 いや、樹が気づいていないだけで実は隠れたサインが幾度となく発せられていたのだろう。

 ここにきて自分の鈍感さを憎んだ。

 一月前、姉に見せられたアホみたいに女の子を連れまわすアニメの主人公を散々ぶっ叩いていた。だというのに今はあいつらの気持ちも少し理解できてしまう程度には自分が腹立たしくてしかたがなかった。


「俺は……」


 自分は彼女をそんな目で見たことがあったか?

 同情のOKは彼女を不幸にするだけなのではないか?

 友達から彼氏彼女。

 元に戻れるのか?


「ごめんね突然で。でも、やっぱり今言っておこうかなと思って」


 自分の何が、彼女をそこまで駆り出させてしまったのだろう。

 樹はそう考えてしまう。

 でも、それを聞くのはいかがなものか。

 自分を好きになってくれた人への自己の否定は、相手への侮辱になるんじゃないのだろうか。

 

「………………、ごめん」

「樹?」

「ごめん、無理だ。やっぱり、雪菜に俺なんて釣り合わない」


 思う。

 何が男らしいだ。

 クラスでそこそこ男子人気のある彼女に自分が対等であるだなんてことがありえるのだろうか。彼には自分が彼女の隣に立てるだけの魅力というものを感じたことがなかった。

 それでも彼女は自分に好意を寄せてくれた。

 それを否定するだなんて、やっぱり自分には男らしさなんて欠片もなかったのだ。


「……わかってた」


 樹は彼女の目を見れなかった。見てしまうと深い傷を追ってしまうような気がしたから。

 本当に意気地なしだ。


「ごめん雪菜」

「ううん、大丈夫」


 かける言葉が見つからない。

 どうしようかと考えていると、落ち着いたのか雪菜のほうから口を開く。


「突然で本当ビックリしたでしょ? ごめんね、驚かしちゃって」

「いや……」

「樹は覚えてないだろうけど。私はあなたのいいところちゃんと知ってるから」

「どこに」

「とにかく、いっぱいあるの」


 そこまで言って、雪菜は先までのキリッとした感じに戻っていた。

 いつもの彼女だ。


「何か、別に好きな人でもいるの?」

「全然。考えたことも無かった」

「そう」


 ウソでもついておいたほうが良かったか。

 でも、そんな柔軟な対応は樹にはできなかった。


「帰ろっか」

「……うん」


 雪菜はいつもの分かれ道を左に歩いていく。

 樹は右へと歩く。

 なんだか、自分と彼女の価値観のようだと皮肉られていてこんな道を作った人間に意味もなく腹が立った。

 しかし、同時に安心してしまった。

 この気まずい雰囲気から脱出できるということにだ。

 女々しい男だと思わず心の中で自分に毒づいてしまう。


「あ、樹!」


 右の帰り道を二、三歩進んだところで呼び止められる。

 どうしたのと言いながら振り返った。


「私、諦めないから」


 雪菜は左の帰り道を進まずこちらに歩いてくる。

 そして、耳元で囁く。


使

 

 そのまま彼女はいつもの道を歩いていく。

 樹は訳もわからずしばらく呆然と立ち尽くしていた。



「……どういう……こと?」

 


 結局、日常なんて存外簡単に壊れる。


 そのきっかけは本当に思わぬところにある、例えるならまるで落とし穴のようにボコボコと。

 そんなこと誰にだって例外じゃない。

 そう例えば、彼――


 この、須藤樹にだって。

 

 


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