アタシのものになりなさい

「ワークデスク売り場にさ、よくノマドがいるでしょう?」


 どこまでも荒涼とした草原地帯に生きる遊牧の民は、無限の広さを誇る非実在の大地を踏みしめて、仮想の羊達を連ねてネクストステージへ向けて虚構の放浪を続けるのであった。


「いるの?」


「いるね。よく見る」


 有花と日差彦のひそひそ話も何処吹く風か。いかついVRゴーグルを頭からすっぽりとかぶった美雨はポニーテールが天辺から突き出た頭を揺らしながら身振り手振りを交えてまくし立てた。


「フリーランサー気取っちゃってさ。自分のオフィスもデスクも持たないくせに、スタバでマイタンブラー持っちゃってさ。お決まりのマックブック開いてノマドワーキング。そんな奴のデータ危機管理能力を信用できる訳がないでしょう」


「それはマックブックへの風評被害だぞ」


「スタバもね」


 黒シャツの袖捲りした腕を右へ左へ、日差彦と有花のつっこみも素知らぬ様子で右から左へ受け流す。美雨の演説はやがて熱を帯び、VRゴーグルの中の忠実なる仮想の聴衆達へ言葉の弾丸を浴びせかけた。


「自由と言うとても美味しそうな香りのするエサを鼻先にぶら下げられてさ、中途半端な能力しか持たない下級市民達は見えない糸に操られて隔離されたような誰も見ていないステージで陳腐な踊りを披露するのでしょう」


 三人肩を寄せ会えば窮屈に感じられる家庭用エレベータの箱の中。胸元がはだけた黒シャツを黒ネクタイで緩く締めた少女は、VRゴーグルに覆われた頭をぐるっと振るってデスクから身を乗り出して、きんきんと響く声を潜めて、しかしはっきりとした口調で持論を展開させる。


「フリーアルバイター、即戦力派遣、そしてノマドワーカー。そんなきらびやかに飾られたそれぞれの時代の最先端とされる働き方にさ、自称有能な労働者は群がっていったのでしょう。でも、行き着く先は使い捨てられる底辺の労働単位なのさ」


 びしっと日差彦を指差す美雨。その白く細い指を摘もうと日差彦は腕を伸ばすが、ひょい、軽やかに手首を翻して美雨はそれを躱す。VRゴーグル越しにも見えているのか。思わずエレベータ内にカメラを探す有花。


「フリーター、ハケン、ノマドって魅力的な単語と社会不適合な労働環境を生み出したのは、安い賃金で扱き使えていつでも契約を打ち切れる労働力を大量生産するための政府の陰謀なのでしょう」


「政府ってどこ政府だよ」


「メイユゥさんって中国人?」


 頭の天辺で結んだポニーテールがふるふると揺れる。日差彦と有花の追求にもめげず、美雨の小さな頭には少し大き過ぎるVRゴーグルを左右に振るって陰謀論を続けた。エレベータの箱の中に溢れる人工的な光が黒シャツに包まれた美雨の白い肌をより一層白く映えさせる。


「アタシはタイワニーズよ。そんな事はどうでもいいでしょう。スタバでマイタンブラー片手にマックブック開いてるノマド達に未来はないのさ。実際の彼らはノマドではなくて、上級市民に毛を刈り取られたり、潰されてソーセージにされたりする哀れな家畜なのでしょう」


「ワークデスク売り場でほんとにノートPC開いてコーヒー通りの試飲コーヒー片手に仕事してる奴いるからな」


「デスクにコンセントあるし、WiFi環境整ってるし、ありっちゃありかもね。美雨さんもデスク売り場でノマドっぽい事してるの?」


「全然ありじゃないでしょう。情報に踊らされる人はいつの世も一定数いるものさ。社畜にもなりきれない家畜なんてさ、陰謀の果てに人の手によって生み出された歪なムーブメントでしょう。アタシはそれらを躍らせる側にいたいだけよ。支配するのはこのアタシって、あれ、アタシどこまで話したっけ?」


「なんで俺を呼んだんだ? ってとこまで話した」


「てゆーか、まだそれしか話してないし」


「そう、それよ。ヒサヒコを支配するために呼んだのはそのためでしょう」


 脱線に脱線を重ねた会話がようやく本題に戻ったようだ。狭い家庭用エレベータ内に床面積半分を占める小さなワークデスクを設置してある。さしずめこのエレベータの箱が美雨の個人オフィスのようなものか。美雨は華奢な身体を折り畳むようにデスクの隙間に押し込めて、情報屋としての本来の仕事に取り掛かった。


「今日さ、AIやロボットから人間の仕事を取り戻すって名目の店舗内デモがあったでしょう?」


「らしいな。俺は直接見てないけど」


 ただでさえ狭い家庭用エレベータの箱内にワークデスクをぴっちりと詰め込んでいるものだから、日差彦はぎゅうっと肩を寄せ合ってエレベータ内ベンチに座っている有花の横顔を覗き見た。今日のホームセンター店舗内デモにおいて、やはりそのメイン被害者と言えば有花だろう。


「はいはーい、私ど真ん中で巻き込まれたよ」


 ちょっとだけ自慢気に手を挙げる有花。そんな事はどうでもいいのよと言わんばかりに、美雨はVRゴーグル越しに睨むかのようにじろりと有花へゴーグルの頭を向けた。


「デモなんてどうだっていいの。どこででも好きなだけ練り歩けばいい。それよりも問題は、ホームセンターを運営する人工知能が展開させたデモ隊排除作戦、緊急売り場区画変動なのさ」


「何よそれ」


 高く掲げた手をするすると引っ込めて日差彦との身体の隙間にねじ込む有花。


「営業予定になかった区画変動で買い物客の動線はぐちゃぐちゃ。普段行かないような店の奥地へと誘導されちゃって、店から出られずに帰れない帰宅難民が大勢いるみたいなのさ」


「俺も一人帰宅難民知ってる」


「誰だろねー、その難民さんはー」


 美雨の頭のVRゴーグルと連動するかのように、ワークデスクに設置されていた小さなカメラがくるっと有花の方を向いた。


「トコ達が帰宅難民の対応に当たってるようだけど、そこで第二の問題が発生してるのさ。区画変動後の新しい店内マップがロボット達にアップロードされてないの。ジョイやトコ達でさえ道に迷っている機体がいる。ホームセンターの接客営業が成り立たなくなってるでしょう」


「そういえばアプリの方もマップが更新されてなかったな」


 日差彦がスマートフォンを取り出して画面をタップ。それを覗き込んで有花が言う。


「おかげで私達も迷子になっちゃったし。珍しいよね、ジョイトコがマップ更新遅れるなんて」


「そこで、アタシがジョイトコ店内マップの最新版を持っているって言ったら、どうする? 欲しい?」


 狭い家庭用エレベータ内の空気が一気に引き締まった。VRゴーグルを頭からすっぽりと装着しているせいで美雨がどんな顔をしているか窺い知れないが、彼女は情報屋としての本来の業務的な硬質の雰囲気を滲ませて、ワークデスクから身を乗り出して日差彦に商談を持ちかけた。


「さらに追加情報よ。次の日曜日、今日のと比べ物にならない規模での店舗内デモが計画されてるのさ。AIとロボットから人間の仕事を取り戻すデモが再発生するでしょう。その時、ホームセンターはどう対応すると思う?」


 甲高い声を潜めて、美雨は形のいい卵のように丸く尖った顎を引いて、VRゴーグル越しに上目遣いで日差彦ににじり寄った。さらりと垂れた前髪を払い除けて、VRゴーグルをよく手入れしてある爪でつつく。


「そう、もう一度大規模な緊急売り場区画変動が起きるのさ。デモ隊を誘導、封殺するためにね。そしてアタシは、その区画変動後の売り場配置予定図を手に入れたの。ホームセンターの住人達、他の誰も知らないとびっきりの情報でしょう」


 そして日差彦が口を開くよりも早く、美雨はぷっくりと艶やかな唇で彼の口をふさぐ勢いで迫り、猫撫で声で言い放った。


「ヒサヒコのお部屋、区画変動で潰れちゃったでしょう。来週のさらなる売り場区画変動後の最新マップがあれば、新しい寝床探しも捗るんじゃない?」


「何でそれ知ってるんだよ」


 日差彦の表情が曇る。美雨は声に甘みを含ませてさらに続けた。


「アタシはヒサヒコの情報なら何でも知ってるよ。さあ、どうでしょう。いい情報だと思うよ。買わない?」


「幾らだ?」


「1,000は欲しいところだけど、ヒサヒコなら500でいいよ。この情報は賞味期限が短いから即決でね」


「センエン?」


 有花が日差彦と美雨の顔の間に割って入った。来週発生するであろう大規模店舗内デモに伴う緊急区画変動後の売り場配置予定図とは言え、千円と言う値段は余りに足元を見られ過ぎてると思える。


「キロカロリーに決まってるでしょう」


 美雨は憮然と返した。


「500キロカロリー。どう、ヒサヒコ? お得でしょう?」


 むむっと腕を組んで答えない日差彦に対して、美雨は甘ったるい声でさらに畳み込んだ。


「500キロカロリー支払うか、それか、あんたアタシのものになりなさい。アタシのものになれば、情報料をタダにしてあげる」

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