7.竜の巫女
その夜、女は少し吐いた。
竜に心配されたけれど、大丈夫だと合図をして収めてもらった。彼のその手で背中をさすられたら、落ち着くどころかつぶされてしまうんじゃないか、などと考えてしまう。
竜は優しかった。竜は人と違って体がとても大きいから、細やかな動きは出来ないけれど、彼の示唆に富んだ理知的な言葉と、さりげない優しさを女は認めていた。いつしか信頼関係のようなものが芽生え始めているのを、彼女は感じていた。
そうして彼女は、森で出会った一人の男のことを考えていた。
彼のことを思うと、毎日が少し楽しくなった。こんな気持ちは初めてだった。
これが恋、というものかもしれない。村の友達とおしゃべりしていたときは、それがわからなかった。おかげで、子供だとからかわれた。今なら彼女たちと対等に話し合えるかもしれない。そんなとりとめのない事を考えながら、少し眠った。
翌日。彼女はいつもの通り祈りをささげるべくほこらへ向かった。まだ体調が思わしくないのだろう、足取りがふらつく。やはり常時とは少し違うのだ。
目をつぶり、ゆっくり呼吸をする。祈りの言葉をつぶやき始めたところで男がいきなり現れたものだから、びっくりして悲鳴を上げてしまった。
「きゃあ! お、お久しぶり」
男は何故か険しい顔をしていた。そして彼から発せられたのは、予想もしない言葉だった。
「森を出よう」
「――なんのこと?」
彼女は平静を装って言った。
「君は何も知らないんだ。何故、竜が君を囲っているのかも。俺と一緒に、ここを出るんだ」
女はどきりとした。顔が紅潮していくのがわかる。心の中に、ざわざわとさざなみが立つ。
まるで夢で見たような話だった。このまま彼の胸で抱きしめられたら、どんなに幸せだろうか。
だが。――もう、全てが遅い。遅すぎた。
彼は必死にまくしたてていた。それが愛のささやきであったなら、どんなに幸せだっただろうか。だが、彼から紡ぎだされる言葉はそのようなものではなかった。竜の目的。狼の言葉。この静謐な森を維持するために行われているもっともらしい真実。
女は耳をふさいで目をつむって、その言葉を締め出そうとした。聞きたくはなかった。自分の弱い心が、揺らいでしまいそうになるから。
「もういいんだ。こんな場所にいる必要なんてない」
男は、女の肩を抱いた。ぎこちなくも、熱い手の感触が伝わる。
彼なりにこの身を案じてくれているのだと思った。欲しい言葉は、もらえなかったけれど。この森の真実よりも何よりも、愛している、とただ一言告げてくれれば、それだけで何もかも捨て去って彼の元へと飛び込んでいけるのに。そんな都合のいい現実など、ありはしないのだ。
言うのがためらわれる。こんな誠実な青年に、残酷な真実をつきつけてしまうのがつらかった。
「違うの」
「違う? 違うって、何が」
「私のおなかには、……もう竜神さまが宿っている」
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